猪口邦子の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)
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○猪口邦子君 岸田大臣、ありがとうございます。
それでは、沖縄振興につきまして鶴保大臣にお伺いしてまいりたいと思います。
戦後、一九五二年四月二十八日、日本本土占領期を経まして、これを終えまして主権を回復して独立国として再出発、国連加盟も果たして高度成長時代へと邁進し、アジア随一の先進的な経済国家建設をしてきました。
その高度成長時代、この時代は沖縄を一緒に伴っていなかったわけですね。米国政府の施政権下にありまして、沖縄県民は、安全保障の不安、財政基盤の脆弱性、このような中で二十年遅れての本土復帰となります。私は、このようなことを前提に、本日、鶴保大臣に沖縄振興策、これについての格別の認識、これを質疑してまいりたいと思っております。
この二十年の遅れ、この間、アメリカ政府は、沖縄に対する日本政府の財政的協力を歓迎するという認識を示しています。池田・ケネディ会談に始まりまして佐藤総理の時代を通じて、例えば一般会計から直接援助の形で、幾らかの工夫の努力はありましたけれども、戦後日本の都道府県の猛烈な発展の原動力となった財政投融資による資金貸付けはもちろん及ばず、また、当時の政策融資機関であります日本開銀や国民金融公庫の融資、もちろん沖縄に及ばず、そのような金融財政措置をフル稼働して成長した日本経済の歴史を、これを共に生きることができなかったということの認識、これは今日に至る振興策の根本になければならないと思っております。
私たちは、自由と成長への道を走り出すとき、国民の一部をそこに置いてきてしまった。ようやく一緒になって、失われた二十年の国民国家としての歴史をいかに一緒に回復していくのか、これこそが沖縄振興策の本質ではないかと思います。
現在の沖縄経済ですけれども、目覚ましく発展している面と失われた初期の高度成長の二十年の空白を思わせるものがあります。両方あるんですね。例えば、製造業の力強さの不足、若年層や女性の貧困問題など、その一つの面であります。
わざわざ引用しなくてもいいんですけれども、たまたま私は千葉県の出身なので、沖縄戦の最後に、県民かく戦えり、県民に対し後世特別の御高配賜らんことをと打電して、五十四歳で自決した大田中将は千葉県の長柄町のお生まれでございました。特別の配慮、これはこのような戦中のことに基づく面もあるかもしれませんけれども、今私が述べましたとおり、むしろ戦後の高度成長時代に含まれなかった国民、県民への思い、そもそもそのことに基づかなければならないと感じております。二十年も分かれていた県民を大切に思う純真な国民社会全体の思いが伝わることがとても大事ではないかと思います。
沖縄振興予算や税制改正はその一つの表現でありまして、失われた年月の経済成長の回復を願ってのものであります。よって、状況的なことに余り左右されるべきではなく、安定感、安心感を持って推進し続けるべき施策の数々と思いますけれども、大臣のお考えを伺います。