仁比聡平の発言 (法務委員会)
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○仁比聡平君 あと、大臣、推察をしておられるというふうにおっしゃるんですが、その歴史の事実というのは、これは拭いようはないですね。
お手元の資料に、昭和四十九年十二月十九日の衆議院予算委員会の会議録をお配りをいたしました。これは、一九七四年十一月二十二日、くしくも四十二年前の今日のことですが、兵庫県八鹿高校で、断じて許してはならない集団監禁暴行事件が発生し、我が党の村上弘衆議院議員が当時の三木内閣の責任を追及した際の議事録です。この議事録三十一ページにこの問題の質疑があるわけですけれども、八鹿高校事件というのはそもそも何かと。解同による差別糾弾路線は、一九六九年に大阪市で発生した矢田事件という暴行、監禁事件を始めとして、次々と行政機関あるいは学校、教育現場を巻き込んで路線に同調しない人々の人権を侵害をしてきました。その挙げ句、ついに部落解放同盟員が、解同の教育介入に反対する教員集団、高校の先生方およそ五十名を体育館に監禁し、集団リンチで殴る蹴るといった暴行を加えて重傷を負わせる事件にまで発展したのがこの八鹿高校事件なんですね。
解同は、八鹿高校に、解同指導下の解放研の設置を迫りました。しかし、職員会議が一致して、高校には既に部落研がある、校外の指導を受ける解放研設置は認め難いとしたことを理由に、口実に、解同は校長に迫って、校長室の隣の部屋に糾弾闘争本部を置いて、校舎に投光器を設置して、長期にわたる糾弾、監禁の構えを取ったわけです。その非常事態に対して、十一月二十二日、教職員一同およそ六十名が緊急避難のために集団で下校しようとしたところ、解同が、白昼の路上で、そして体育館に監禁して行った暴行を、当時、私どもの村上弘衆議院議員が、三十二ページですけれども、一番上の段に、このように述べています。
負傷者は全員で五十八名、そのうち十三名が重傷というのが政府委員の答弁ですね。その重傷とは何か。肋骨、腰椎、横突起などの骨折。その他全身打撲である。やけど、特に失神した人がたくさんいるというのが特徴である。
リンチのやり方についてこう述べています。頭に対しては飛び蹴り、ほうきの柄で殴る。電柱や机、壁にぶつける。毛髪を引っ張る。顔に対しては、頬をひねって、ちぎり取るように引っ張る。長靴で殴る。唾を吐きかける。これは流れるほど唾を吐きかける。水の入ったバケツやたらいの中に顔を突っ込む。たばこの火や顔を首に押し付ける。胸や腹、腰を金具の付いた半長靴で蹴る。手足を靴や椅子の脚で踏ん付ける。指の関節の部分にボールペンを挟んで、強く握る。頭から全身に水をぶっかける。そして、女性教師を裸にする。
こうした蛮行を行うに至ったのが部落解放同盟の確認・糾弾路線なんですね。このとき、十一名がまず逮捕されましたが、四名を逮捕するために警察は五千名の警察官を動員しています。そうした事態が現に四十二年前起こりました。
私は、この事件は、この八鹿高校のみにおいて偶発的に発生したのではない、部落民以外は全て差別者である、差別された者の痛みは差別された者にしか分からないとする解同の見解がエスカレートし、行き着いた重大な事件であって、戦後の部落解放運動の中に生まれた誤りだと思いますが、大臣の御所見はいかがでしょうか。