西田昌司の発言 (法務委員会)
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○西田昌司君 いろいろ微妙な問題があるんですけれども、先日の参考人の話でもちょっと私が一番印象的だったのは、これは解放同盟の西島さんの話でしたけれども、要するに、自分たちのふるさとを、次の世代にも誇りを持って住みたい、守っていきたいと、こういう趣旨の発言があったわけです。人間誰しも、自分のふるさとや、また自分の出自も含めてやっぱり誇りを持って生きたい。自己アイデンティティー、そこにつながるわけでありますから、そう思われるのは当然だと思いますし、当然の権利、要求でもあると思うんですね。
しかし、その一方で、それぞれ、この同和問題の解決ということから考えると、ある種、通婚もそうですけれども、その部落から出ていかれて違うところで生活されると。本人も家族も親戚も含め、元はどこであったかというのはもう既に忘れ去られていると、当然他人さんからも忘れ去られていると。もっと言うと、これは同和の方だけじゃなくて日本人の多くがもういろんなところに動きますから、本当の自分たちの出自がどうだということを、もちろん誇り持っておられる方もたくさんおるんでしょうけれども、だんだん分からなくなってきているのも現実にあるわけなんですよね。そのことによって、実はそういういわれなき差別というのはなくなっているという現実が私はあると思うんですね。
だから、いわゆるこれが寝ている子を起こすなという話で、その現実をどう捉えるのかというのがあるんですが、しかしまたもう一方で、そうであるけれども、例えば何かの機会にそういうことが分かったとかばれたとか知らされたとかそういうことで、そのことによって何かまた新たないわれなき差別が出てくる、こういうことですね。これはまた、まさに島崎藤村の「破戒」の世界なんですよね。全く知らずに、みんな秀でて立派な方だと思っていたけれども、そういう出自だと言った瞬間からいわれなき差別に遭ってしまう、しかしそれを乗り越えていくという話なんですが、今日においてもやっぱりそういうところは非常に重要なところだと思います。
私は、かつて学生時代にたまたま友人とこういう話になりまして、何でこういう同和みたいな話したのかは覚えていないんだけれども、そのときに、これを解決していくには、そういうふうにやっぱり時の経過、忘却効果というのもこれ非常に大事じゃないかということを申し上げたことがあるんです。そうするとその友人が、いや、そういうことにしちゃうと、今まで差別がおかしいと闘ってきたそういう方々の行為はどうなるんだ、また、それを忘れることで解決するなんてしたら人間の尊厳はどうなるんだというようなことで、非常に議論したことがあるんですね。そのときに、私も随分若かったですし、稚拙な議論でもあったんですが、残念ながらその友人とはその後没交渉的になってしまいまして、残念な思いなんですが。
しかし、今も実はこの問題の解決というのは、片っ方でやっぱりそういう忘却というのも大事だし、しかし片っ方、人間の誇りということを考えると、そもそもそういう差別というものがあって、やっぱりそれは良くない恥ずかしいことなんだという、そういう教育、これ両方とも必要だと思うんですよね。だから、そこがバランスよくされるということが大事で、余り、何といいましょうか、その元々の水平社から始まるこの運動ですが、その一番のそこのところに余りにも固執してしまうとかえって解決を遅らせてしまうんじゃないかと思うんですが、この辺のことについては提案者の方々はどういう認識をされていますか。