山尾志桜里の発言 (憲法審査会)

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○山尾委員 民進党の山尾志桜里です。
 まず冒頭、今月三日に読売新聞に掲載された安倍総理の発言について、改めて問題提起をしたいと思います。
 総理は、インタビューの中で、「私の世代が何をなし得るかと考えれば、自衛隊を合憲化することが使命ではないかと思う。」と発言しています。
 自衛隊を合憲化するということは、すなわち、現在、安倍総理は自衛隊違憲論に立ったということであります。自衛隊違憲論に立たない限り、合憲化する必要はありません。合憲の自衛隊を合憲化するということは、論理的に成り立ち得ません。
 一方、合憲論に立った上で憲法上の位置づけを議論するのであれば、例えば、憲法上の疑義を払拭するためなどという表現で発言を一貫させるはずであって、まさか、憲法と自衛隊という国家の基本的重大事項について、憲法上の疑義を払拭するためという意味で合憲化という言葉を使ったなどという、憲法の基本的理解を欠いた、粗雑で思慮の浅い発言を一国の総理がするはずもありません。
 このように、行政権のトップである総理であり、自衛隊の最高指揮官であり、政権与党の総裁である人物が自衛隊違憲論に立ったとすれば、極めて深刻な問題が提起されます。
 まず、自民党総裁が自衛隊違憲論に立ったということならば、自民党も自衛隊違憲論に立場を転換したということでしょうか。
 ちなみに、私たち民進党は、我が国の自衛隊は合憲であり、当然のことながら、合憲化するためだけの憲法改正は不要だという立場です。
 また、安倍総理は、自身が違憲だと認識している組織について予算の承認を求め、それを執行していることになりますが、これは明らかな憲法尊重擁護義務違反と言わざるを得ません。
 あわせて、安保法制の議論の時点においては、安倍総理は自衛隊合憲論に立っておりました。何が総理見解を変えたのでしょうか。
 自衛権の範囲という改憲論議の本丸については解釈変更という裏口を使う一方で、その後、自衛隊を合憲から違憲の存在に変えてまで憲法改正という目的を達成しようとするならば、そういった試みをこの憲法審査会は許すべきではないと考えます。
 ここから、新しい人権における総論的な検討に入ります。
 憲法における人権保障の要諦は、時代の多数派でも侵し得ない、少数者の普遍的な権利保障です。裏を返せば、変化する時代の要請に即応する権利の実現については、時の民主的な多数決による法律事項で対応すべき場合が多いと考えられます。憲法事項は立憲主義を、法律事項は民主主義を、それぞれ、その正当性の根拠の主軸としているとも言えるでしょう。
 このような観点に立って、憲法事項としての新しい人権を検討するとき、憲法制定当時には意識されていなかったものの、時の経過に応じて人々の意識に刻まれるようになり、普遍性をまとって姿を立ち上らせた人権が存在するならば、検討すべきであります。
 一方で、注意も必要です。あくまで、憲法に保障されるべきは普遍的な少数者の権利であります。一度保障されたならば、時代の多数決をもってしても削除できないことが基本になります。
 したがって、明文に書けば社会の空気が変わり、政策推進の後押しになるというような理由をもって憲法事項とすることは、厳に慎むべきであります。
 このような理由、すなわち、まさにその時代の空気や要請を多数決という手段を通じてその時代のコンセンサスへと昇華させる役割を担うべきは、憲法ではなくて、法律であります。例えば、私たち民進党が提案している教育無償化のように、まさに現代的な要請を政策として実現していくためには、法律事項として、その範囲や財源論を深めていくことが適切なスタートラインであると考えます。
 一方、憲法における人権カタログは、現行のままであれ、改正により仮に今後ふえた場合であれ、時代の変化に応じて拡散すべきものではなく、時代を超えて普遍的な価値を持つという日本国民の確信に裏づけられた結晶であるべきです。
 以上を踏まえて、各論に触れたいと思います。
 初めに、プライバシー権です。
 その古典的定義は、一人で放っておいてもらう権利でした。しかし、高度情報化社会に移行するにつれ、この定義ではもはやその内実を正確に把握し切れなくなり、一歩進んで、私生活をみだりに公表されない権利と位置づけられるようになりました。さらに、SNSやインターネットが高度に発達した現代において、消極的、受動的な防御だけでは個人の私生活の平穏が保てなくなり、現代では、より積極的、能動的に、自己に関する情報をコントロールする権利という位置づけが広く受容されるようになってきました。
 こうした理解が深まりつつある現代において、先日、いわゆる共謀罪が衆議院で強行採決されました。包括的な共謀の処罰は、包括的なプライバシー情報の収集なしには実現できません。フーコーのパノプティコン概念が示唆するように、プライバシー権とそれがもたらす個人の自由は、現実に監視にさらされる以前に、監視されているかもしれないという感覚をもたらされるだけでみずから萎縮していくというもろさを内包しています。
 このように、プライバシー権の核心を侵しかねない共謀罪について強行採決がなされるような我が国の現状をあわせ考えるとき、まさにこの権利を国家の多数決をもってしても侵し得ない普遍的な人権として憲法上明文化することは、検討の余地があると考えます。
 そのほか、環境権や知る権利といった権利についても、時代を超えた普遍性を見出すことが可能です。
 あわせて、環境権の論点としては、対象とする環境の範囲をどう考えるか、自由権的側面と社会権的側面をいかに整理するのか。自民党改憲草案のように、国家のみならず、国民にも同等の環境保全義務が課されるように規定された場合、むしろ国家の免責事由として働く可能性すらあり、このような規定がなされる危険を排除できるのか、精緻に検討しなければなりません。
 また、知る権利についても、その自由権的、参政権的、社会権的側面をいかに整理するのか、深い議論が必要でしょう。その際、南スーダンにおける陸上自衛隊の活動日報や、森友、加計問題の疑惑解明のために必要不可欠の公文書など、国民の疑問や不安を解消するために当然保存、公開されるべき文書が公開されていない現状に鑑みて、とりわけ、国民から国家に対する情報開示請求権の保障を実効化するためにいかに憲法上規定し得るのかという観点からも真剣に検討すべきです。
 ここまで、新しい人権を人権規定においていかに捉えるべきかという観点から述べてきました。ここからは、統治規定においていかにその保障を実効的なものにすべきかという観点でお話しします。
 人権は、憲法上に明文化されれば自動的に保障され、救済されるわけではありません。例えば、二十七条には勤労の権利が明文で保障されておりますが、我が子を安心して預けられる保育園が見つからず、働きたくても働けないお母さんが少なくない現状を見ても明らかです。
 このように、憲法上明文で規定されている人権であっても、必ずしもその保障や救済が十分となっていない原因の一つに、我が国の採用する事後的、付随的違憲審査制があります。
 我が国の裁判所は、既に発生した事件の解決に必要最小限度でしか違憲立法審査権を行使しないこととされています。したがって、政治部門が提案、成立させる法律制度についての事前の憲法適合性審査は、裁判所ではなく、内閣法制局が担うというたてつけになっています。このシステムは、政治権力は憲法を尊重し擁護する存在であるという信頼を前提にした、政治権力に対する司法権の敬譲の精神のあらわれです。
 しかし、安倍政権のもと、この前提としての信頼が揺らぎ、システムが機能不全に陥っています。政治権力のトップに立つ総理が、自衛隊は合憲化すべき存在であるも集団的自衛権の行使は合憲であるというように、歴代政府が丁寧に積み重ねた憲法解釈を破壊し、支離滅裂な憲法論に立った上、本来そういった恣意的な憲法解釈を事前に戒めるはずの法制局長官まで、最低限の法的誠実性を放棄させられています。
 したがって、この政治部門と司法権のバランスのゆがみを是正する新たな工夫が必要となっています。
 具体的には、法律の憲法適合性に関し司法権が事前審査などができるよう、いわゆる憲法裁判所やこれに準ずる特別裁判所の創設、当該組織の裁判官の任命権の帰属先などを検討すべきです。
 また、このいわゆる憲法裁判所などの設置によって主に行政府と司法権の権力均衡のゆがみを是正することとあわせて、これまで提起してきたように、総理の解散権の制限によって行政府と立法府の権力均衡のゆがみを是正することを検討することにより、三権分立の均衡を制度的に再定位するという視点も提示したいと思います。
 この視点の参考例として、二〇〇八年のフランス憲法改正が挙げられます。この改憲は、権力の均衡回復を掲げ、大統領と首相の権限分配の見直し、国会における立法機能と行政監視機能の強化、司法権における違憲審査制の拡充強化と司法権に対する大統領の影響力の相対化などを実行するものでした。そして、この権力均衡回復という統治機構改革は、個々人による多元的意思表明の保障など、人権の根幹にかかわる価値を保障するために行われたということを付言したいと思います。
 最後に、憲法による人権保障は、普遍的でリベラルな個人の価値を国家から保守していくという役割を担っています。したがって、新しい人権という命題を語る際には、何を書き込むのか否かという議論だけに終始するのではなく、書き込まれた人権をいかに実効的に守っていくかという視点も加えるべきです。こういった視点で、新しい人権という、ある種、古典的な命題を現代的な権利実践の追求という観点から再定位することを提案して、意見表明といたします。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 山尾志桜里

speaker_id: 12435

日付: 2017-05-25

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会