宍戸常寿の発言 (憲法審査会)

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○宍戸参考人 ただいま御紹介にあずかりました宍戸です。
 本日は、情報化社会におけるプライバシー権について意見を述べる機会をいただき、大変光栄に存じます。
 以下、お配りした資料に沿って意見を述べさせていただきます。
 まず、一、新しい人権の概念です。
 日本国憲法十三条の前段は、個人の尊重について定めております。これは、利己主義、エゴイズムとも、全体主義とも異なり、みずから生き方を選択し、その行動の責任を引き受ける、そのような自律した人格を持つ個人から成る公正な社会のあり方を指し示しております。
 基本的人権とは、このような個人にとって不可欠な、そして公正な社会の維持発展にとって重要な権利、自由の総体です。憲法第三章は、そのような人権として必要であると憲法制定の時点に考えられた表現の自由や生存権などを列挙しております。
 その後の社会の変化により、憲法に列挙されておらず、基本的人権にふさわしい権利、自由が登場した場合には、それを憲法改正により追加することが考えられます。しかし、憲法改正を待たなくても、法律レベルで新しい人権を実現することも可能です。さらには、裁判所の解釈によって、他の基本的人権と同じ憲法レベルで新しい人権を保障、実現することもできます。
 その根拠となるのが、憲法十三条後段の幸福追求権です。この幸福追求権は、全ての人権を包括するとともに、他の条項では保障されない権利をカバーするように補充的に機能する、そして、立法措置を待たず直接に国家権力を拘束し、国民が裁判で主張することのできる具体的な権利であると理解されております。
 昭和四十四年の最高裁判決は、憲法十三条が、国民の私生活上の自由が公権力から保護されるべきことを定めており、その私生活上の自由の一つとして、承諾なしにみだりに容貌などを撮影されない自由を有すると述べました。その後、裁判所は、みだりに何とかされない自由、こういう形で、新しい人権の保障を、謙抑的にではありますが、広げてきました。これからお話しするプライバシーは、そのような新しい人権の代表ということになります。
 そこで、二のプライバシーの概念でございます。
 もともと近代憲法は、全体として、私生活に対する権力の濫用を防止することを一つの目的としております。日本国憲法も、二十一条二項で通信の秘密を定め、三十五条では、住居などについて侵入などを受けない権利を保障しております。
 しかし、科学技術は常に発展し続け、それにより私たちの生活は便利になりますけれども、同時に、私生活が新たな形で侵害される危険も高まります。このような技術の発展に対して、個人の自律を守るための権利として、正面から、私生活、プライバシーそれ自体を内容とする権利が主張されるようになったわけでございます。
 そのようなプライバシー権は最初、ひとりで放っておいてもらう権利として、十九世紀末のアメリカで主張され、その後には、私生活への侵入や私事の公開など、幅広い問題がプライバシーの名のもとで扱われるようになりました。一九四八年の世界人権宣言は、十二条で、自己のプライバシーに対して恣意的に干渉されない権利を掲げました。
 現在では、世界の憲法文書を集めた比較憲法プロジェクトというデータベースによりますと、百六十七の憲法や人権法が、プライバシーを直接明文で保障しております。他方、アメリカやカナダのように、私生活の保護に関係する憲法規定を解釈することで、プライバシーを実質的に保障している憲法も存在いたします。日本国憲法もまた、そのような憲法の一つと位置づけられます。
 プライバシー権の内容は、科学技術の発展とともに、また発展してまいりました。二十世紀後半、コンピューターなどの情報処理技術が急速に発達すると、企業、政府などが保有する個人に関する膨大な情報が結合され、それによって個人の自律が脅かされる危険が意識されるようになりました。
 そこで、現代では、プライバシー権は、他人に知られていない、知られたくない私生活を暴かれない、そういう消極的な保障を超えて、より積極的な自己情報コントロール権として理解されるようになっています。これは、自分が特定の文脈で特定の相手方に開示した情報について、その適正な利用、管理を求める権利ということになります。またそれは、思想、信条のような機微な情報に限らず、氏名、住所などの個人を識別する単純な情報にも及びます。
 平成十五年の判決も、大学から氏名などを警察に提供することについて、本人の同意を得るべきであったと述べており、この自己情報コントロール権説に近い理解を示しております。
 自己情報コントロール権は、個人が、誰にどの情報をどの程度まで開示し、その利用を許すかを決めることを通じて、有意義な人間関係を取り結ぶために不可欠の権利となっております。
 人は、家族や恋人と秘密を共有します。人は、みずからの情報を社会に示すことで、新たな友人を得たり、職を得る機会を見つけたりします。プライバシーは、ひとりで放っておいてもらうだけではなく、社会生活に不可欠なきずなとしてのプライバシーでもあります。
 次に、三、憲法上のプライバシーに移ります。
 このような内容のプライバシーが基本的人権であるとはどういうことでしょうか。基本的人権は、まずもって国家権力の限界を定め、その限界を守るよう、個人がみずからのために国家に要求する防御的な権利です。
 最高裁の判例を見ますと、昭和四十四年の判決では、警察が公道上の容疑者の容貌などを撮影することが適法とされました。他方、昭和五十六年の判決では、弁護士会の照会に対して市役所が漫然と前科を回答したことが違法とされました。平成七年の判決では、本邦に在留する外国人に関する指紋押捺制度が合憲とされました。
 これらの判例において、最高裁は、さきに述べましたとおり、みだりに何とかされない自由、こういう形で憲法上の権利としてプライバシーを肯定しつつ、問題となった個々の情報の内容、性質と、それを公権力が取得、利用する目的、必要性などを総合的に比較考量して判断してきたものと見ることができます。
 平成二十年に最高裁は、個人に関する情報をみだりに第三者に開示、公表されない自由が憲法上保障されることを明言しつつ、住基ネットからの情報漏えいなどの具体的な危険がないということを理由に、当該自由の侵害を否定いたしました。
 この判決は、情報システム、情報ネットワークシステムが構築される中で、プライバシーを適正に取り扱う構造がハード、ソフトの両面にわたって確保されるということを憲法上要求したものと理解できます。マイナンバー制度についても、この判例の趣旨を踏まえて、慎重な制度設計が行われたものと理解しております。
 このように正当な目的のために、必要かつ合理的な範囲で憲法上のプライバシー権が制限されることはやむを得ないことでございますが、その中でも、刑事司法、犯罪捜査や国民の安全を守るための活動、セキュリティー対策は、プライバシーと対立する場面が生じます。また、テロ対策などのために、国内の機関同士あるいは国際的な情報共有が行われているのも現実でございます。我が国でも、事前にお配りした資料に示しましたが、テロ対策を理由としたムスリムに対する公安の監視活動に関連した情報の流出が違法とされた裁判例などがあります。
 私は、世界的な傾向として、安全を名目としてプライバシーを安易に侵害するのではなく、両者の最適な実現を図る、いわば安全かプライバシーかの二者択一ではなく、安全もプライバシーもというぎりぎりの模索が続けられていることを強調したいと思います。例えば、プライバシーを制限する実体的な条件を法律で定めるだけでなく、個々の判断が恣意的であったり過剰にならないよう、取得や保存、管理について適正な手続を定めるとか、プライバシーの保護について監督する組織の独立性を高めることなどが現在では重視されるようになっております。
 本年三月の最高裁判決は、車両に使用者の承諾なくひそかにGPS端末を取りつける捜査手法について、公道上だけでなく、プライバシーが強く保護されるべき場所、空間にかかわるものも含め、個人の行動を継続的、網羅的に把握して、プライバシーを侵害し得るものであると述べました。そして、憲法三十五条との関係で、GPS捜査が、原則として法律の定める要件のもとでの裁判官の令状を必要とすると判断いたしました。
 衆議院では、先日、GPS捜査の立法化を検討するという趣旨の附則を加えた上で、組織的犯罪処罰法改正案を修正可決されたものと承知しております。この特定の捜査手法に限らず、安全とプライバシーを多層的に調整することは、ほかならぬ立法府の責務であるということを心にとどめおきいただきたく存じます。
 次に、四、個人情報保護法とプライバシーに移ります。
 憲法上のプライバシーは、国家権力を制限するものですが、同時に国家は、他人の侵害から個人のプライバシーを守る責務も負っております。このような私人間でのプライバシーの実現は、経済活動のグローバル化や情報通信技術の発達とともに、早くから国際的な課題となってまいりました。OECDの一九八〇年ガイドラインやEUの一九九五年データ保護指令などの国際的な取り組みと各国におけるデータ保護法の整備が共鳴する形で、プライバシーの実現が進められてきました。
 我が国の個人情報保護法は、OECDガイドラインを参考に制定されたものですけれども、個人情報の有用性も踏まえつつ、個人情報、個人データ、保有個人データの各段階に応じて、本人と事業者の間で権限を分配することを通じて、保護と利活用のバランスを図ってまいりました。
 ちょうど一昨日、五月三十日に全面施行された改正個人情報保護法は、この保護と利活用のバランスをICTの発展を踏まえて新たに調整し直したものということができます。個人情報の定義の明確化など、慎重な取り扱いを求める一方、利用目的の変更緩和や匿名加工情報制度により、ビッグデータとしての利活用をより容易なものといたしました。
 AI、IoT、ロボットなど、第四次産業革命を進めて国民生活を向上させる、オープンデータにより透明性の高い政治、行政や社会を実現するためにも、データの流通を確保、促進する環境整備が不可欠となっております。
 EUでは、事業者の保有する個人データのセットをそのまま他の事業者に移転させるデータポータビリティーの導入が準備されております。我が国でも、プライバシーとデータ流通の自由を対抗的に捉えるのではなく、むしろ、本人の実効的なコントロールの確保を通じて、安心してデータが提供され、社会で流通させるためのルールが求められております。
 他方、集積されたデータから個人の趣味、嗜好を解析するプロファイリングは、電子商取引などで既に活用されていますが、誤った評価により、結婚、就職、融資などでいわれのない差別を受ける可能性もあります。個人が先回りされる形で自己決定の機会を失うこともありますし、選挙や世論に関係して無制限にプロファイリングが行われる場合には、民主主義のあり方にも多大な影響が生じます。
 直ちにプロファイリングを禁止すべきというわけではなく、社会的な差別の禁止とかかわることを含めて、プライバシーの観点からの検討が求められるところだと考えております。
 次に、五、私法上のプライバシーでございます。
 私人間でのプライバシーは、行政規制としての個人情報保護法のほか、例えば雇用関係では労働法によっても人格権として保護されております。表現の自由との調整については、昭和三十九年の「宴のあと」事件以来、裁判例が積み重ねられてきました。
 現在では、報道によるプライバシー侵害については、公表により得られる利益と失われる利益とを総合的に比較考量して不法行為の成立が判断されます。そして、報道された私生活上の事実が公知の事柄か非公知の事柄か、また社会の正当な関心事に当たるかという点が重視されています。
 また、肖像については、平成十七年の判決が、撮影公開を受忍すべきかどうかという観点を示しています。先ほどのGPS判決もそうですが、公道上ではプライバシーを合理的に期待できない反面、住居や私室の中ではそうではないといった、場所の公共性も重視されています。
 この関係で、インターネット上の検索エンジンで氏名などを検索して表示される前科にかかわるサイトへのリンクの削除に関する、この一月の最高裁決定に触れたいと思います。
 この論点は、EU司法裁判所の判決に倣って、忘れられる権利と呼ばれることがあります。しかし、これは、日本でいえば個人情報保護法上の保有個人データの削除に相当するものであり、EUでは、来年施行されるデータ保護規則でこの権利を明文化いたしました。
 これに対して、日本で検索結果の削除が争われる際は、人格権侵害を理由とする仮処分による差しとめとして、従来の私人間のプライバシーに関する裁判の延長線上に位置づけられるということに御注意をいただきたいと思います。
 最高裁は、検索エンジンは情報を媒介するにとどまらず、検索結果を表示する、そういう表現行為をしているとしました。そして、検索エンジンがインターネット上の情報流通の基盤であり、削除が事業者の方針に沿った一貫性を有する表現行為の制約であるという点を重視して、比較考量においてプライバシーの利益が上回ることが明らかである場合に削除を認める、このような基準を示しました。
 私自身は、既にお配りした資料のとおり、仮処分が簡易迅速な手続であり、たまたま担当した裁判官次第で安易に削除が認められるようであれば、知る権利を不当に害すると考えておりますので、この判例の基準は、比較考量の結果として人格権の保護が上回ることが手続上明らかな場合に限って制限的に削除を認めたものと理解しております。しかし、この基準が広く削除を認めるものだ、そういう読み方もございます。実際には、今後の裁判例の運用、また事業者の自主的取り組みも慎重に見守る必要があると思います。
 一般に、過去の事実が、一定の時間の経過によりプライバシーとして保護されるべき場合がある、このことは確かですけれども、それが民主主義社会の血液である公共的な議論を狭めることのないよう、問題となる情報ごとに丁寧な議論が必要と考えます。
 特に、前科については、改正個人情報保護法が要配慮個人情報として慎重な取り扱いを求めているように、更生の利益は、本人はもちろん、社会にとっても重要なものです。犯罪の内容、性質にもよりますが、ただ検索エンジンだけ、インターネットだけの問題ではなく、現代社会における更生のあり方について、これも、差別の禁止とも関連して議論が必要と考えております。
 最後に、六、憲法改正とプライバシーの関係について申し述べたいと思います。
 第一に、憲法論議一般に言えることですが、憲法を改正すること、あるいは改正しないこと、それ自体を自己目的化するのではなく、それによって何をどこまで具体的に実現するのか、しないのかを意識する必要があります。これまでお話ししてきたとおり、プライバシーの概念は複雑で流動的ですので、とりわけ丁寧な整理が必要と考えております。
 伝統的な私生活の平穏と情報化社会におけるデータ保護の権利は、重なり合いながらも、異なる方向性と機能を有する権利です。したがって、それを分けて独立に規定することも考えられます。この点で、欧州基本権憲章七条、八条の整理が参考になると思います。
 第二に、憲法上の基本的人権であるプライバシー権は、第一次的には国家権力を限界づけ制限するものですから、通信の秘密や憲法三十五条もあわせて見直す必要があります。また、プライバシー権の制限がどのような場合に許されるのかについても、あらかじめの見通しが必要ということになります。明確な法律の規定に基づき、プライバシーを上回る公益の実現のために必要最小限度の範囲で制限が許される、そうでなければ違憲となるということをはっきりさせる、いわば制限の制限を織り込むべきだと考えます。この点で、ヨーロッパ人権条約の規定ぶりも参考になるかと思います。
 第三に、立法事実ならぬ憲法事実として、プライバシーをめぐる状況を把握し、憲法以外の法令による対応も含めて十分に調査、検討いただきたいと思います。
 二〇一三年のスノーデン事件以降、国民も議会も知らないままに、政治家を含む国民のプライバシーが国内外の情報機関によって包括的に侵害されているのではないかという懸念が世界的な共通の関心事となりました。それによって、例えばアメリカとEUの間のデータ移転に関する取り決めがEU司法裁判所により無効と判断されるなど、グローバルなプライバシー法は現在激動の時代を迎えております。
 つい先日も、新たに公開されたスノーデン・ファイルによれば、XKEYSCOREという特殊なプログラムが日本政府に対して提供されている旨のNHKの報道がございました。私は真偽を承知する立場にございませんし、個別の詳細については当然秘密保護の必要もあろうかと思います。
 しかし、国民の権利、自由について国民の代表者が関心を持ち、その制限の妥当性を判断し、国民に説明することは、立憲主義の要諦であります。国会は重要な憲法の番人でもあります。我が国において安全とプライバシーをどのように両立させるのか、させていくのか、そのために憲法改正が必要なのか、どのように改正するのかについて、基本的な事実関係を広く調査した上で、引き続き御検討いただきたいと思います。本日の私の意見陳述が、そのような憲法審査会での調査の御参考になるところが少しでもあったとすれば幸いでございます。
 私の意見陳述は以上でございます。御清聴まことにありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 宍戸常寿

speaker_id: 12306

日付: 2017-06-01

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会