小山剛の発言 (憲法審査会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○小山参考人 慶應義塾大学の小山と申します。
 本日は、新しい人権の一つである環境権につきまして意見を申し上げる機会を与えていただきまして、大変光栄に存じております。
 私が扱うこの環境というものの重要性については、恐らく国民の間にも争いはないし、もちろんこの国会においても争いがない、そのようなテーマだと思います。
 他方で、果たして憲法に環境権を明文化する、それに意義があるのかどうか、あるいは、憲法に明文化するとして、どのような体裁の条文にするのか、これについてはいろいろと議論があるところではないかと思います。
 まず、明文化することに意義があるのかにつきましては、その争いといいますのは、一つは、環境保護というのが、先ほど申しましたように、重要であるということについて一致が成立しているため、また他方で、環境保護については、既に多くの法律が制定され、一定の法体系が成り立っているため、憲法に書くというのが後追いという形にならざるを得ないためです。それが、昭和二十年当時の日本国憲法制定のときの、例えば憲法二十五条の生存権、これを制定したときなどとは明らかに違うところだと思います。
 ただ、きょうは、その明文化に意味があるのかどうかには立ち入らないことにいたしまして、どのような条項が考えられるのか、そちらの方についてお話しすることにしたいと思います。
 条項について争いが生ずるのは、例えば表現の自由のような自由権と異なりまして、書き方に複数の方法があり得る、また、その複数の方法を組み合わせるというやり方があり得るためでございます。また、それとは別に、環境権あるいは国家の責務をどれくらい詳しく具体的に書くのかという書き方の密度の問題がございます。
 まず、どのような体裁があり得るのかの話をいたしまして、次に、どれだけ詳しく書くのかというお話に進みたいと思います。
 まず最初に、権利、国民の責務、国家の責務のところですけれども、諸外国の憲法を見てみますと、環境条項にはいろいろな書き方がございます。
 例えば、ここに挙げてありますのはブルガリア憲法ですけれども、「市民は健康で豊かな自然を」「享受する権利を有する。」これは権利として書いている。「市民は、環境の保護を義務づけられる。」これは国民の責務として書いている。その二つを組み合わせている例でございます。
 また、一番有名な憲法の一つでありますドイツの基本法の二十a条、これは国家の責務として環境保護を書いております。この条文は、「国は、」ちょっと省略いたしますと、「自然的生命基盤および動物を保護する。」要するに、国は保護するという条文になっております。
 それに似たような形の条文が日本国憲法にないかと探してみますと、まず、権利といたしましては、典型的には、二十一条一項の表現の自由のように、国が一切の表現の自由、それを制限してはならない、全ての国民というのが表現の自由を有するという、これは権利規定ですね。
 それからもう一つ、生存権のように、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」したがって、解釈上は、国はそれに対して必要な手当てをしなければいけないという、これは多分、環境権に近いように、国に作為を求める、そのような条項だと言うことができるかもしれません。
 そして次に、国民の責務の条項といたしましては、ほかにも納税の義務などがありますけれども、「すべて国民は、勤労の権利を有し、」の次の「義務を負ふ。」これなどは、国民に対して勤労の義務を課すということで、一つの類似の例になるんじゃないかと思います。
 国家の責務に似た規定なんですけれども、例えば、同様の構造を持っている条文としまして、二十五条の二項の方に、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」条文上は努めるというような努力義務になっていますけれども、これなどは国に一定の責務を課している、そういったタイプの条文だということになります。
 ここで国家目標規定という言葉を使っていますけれども、国家目標規定というのはドイツで使われている学問上の概念でして、それはどういうようなものかといいますと、下の脚注一にありますけれども、市民に権利を与えることなく、国家権力を特定の目的の遂行に向けて法的拘束力を持って義務づける、そのような憲法規範と通常定義されております。これについてはまた後に立ち戻ることにしたいと思います。
 では、環境について、権利がいいのか、国民の責務あるいは国の責務がいいのかというお話なんですが、まずは、環境権につきましては、現行憲法の解釈として、通説、肯定論、肯定論といいますのは、良好な自然環境を享受する権利としての環境権が、憲法十三条それから二十五条によって基礎づけ得るというふうに解しております。
 ただ、御存じのように、消極論も有力でして、その消極論の理由としては、保護されるべき環境の範囲だとか権利主体の範囲等々について不明確で漠然とし過ぎている、裁判においてこれは使い物にならないということが言われたり、あるいは、環境権というのは、保護の対象となる環境自体が特定の権利主体に帰属しない、一種の公共財である、そのような意味から、環境権というのは理念的な主張にとどまるんじゃないか、そういった批判が加えられたりもしております。そして、このことは、仮に憲法で環境権を明文化しても同じ批判が妥当するのではないかと思います。
 次に、国民の責務を書くことについてはどうかですが、肯定論としては、国民の日常の活動も環境汚染をもたらす原因の一つなんだから、国民の義務規定も必要だというものがございます。
 他方、消極論としては、国民の責務を書いても、これまた理念的なレベルにとどまって、実践的な意義は持たないんじゃないか。憲法二十七条一項の先ほど御紹介した国民の勤労の義務というのがありますけれども、勤労の義務というのはやはり理念的な性格のものでして、そこから働くことを強制させるような拘束力というのは生じないわけなんです。
 次に、国の責務、国家目標規定についてお話ししたいと思います。
 国家目標規定とは、先ほどもお話ししましたけれども、市民に、国民に権利を与えるものではない、国家権力を特定の目標に向けて法的拘束力を持って義務づける、そういったタイプの憲法規範であるとされております。
 ここで、法的拘束力を持ってとありますように、これはいわゆるプログラム規定とも違うものだというふうに考えられております。要するに、政治的、道義的な責任が生ずるにすぎないものではなくて、法的拘束力があるわけですから、場合によっては憲法違反になり得るということです。
 その利点なんですが、法的拘束力があるわけですから、環境保護立法を促進し得る、あるいは行政の環境保護政策を推進する、そして、全体として、国家の環境保全義務を根拠づけることになるという利点があるというふうにされております。
 他方で、国家目標規定にも限界というものがありまして、それは環境保護についてだけではないんですが、一般的な限界として言われていますのが、拘束力がそれほど強くないということでございます。
 国家目標規定というのは、いわゆる自由権とかなんとかの基本的人権、典型的な基本的人権と違いまして、直接に適用可能な法という性格を持たずに、国家の活動の目標とか方向を指し示すにすぎない。したがって、立法府が国家目標規定についてそれを具体化していかなきゃいけないわけなんですけれども、その際に、どのような手段でという手段選択だけではなくて、目標自体をより細かく具体化する、その意味で非常に広い形成の余地、裁量の余地というのが生じます。
 したがって、立法府の裁量の余地というのが非常に広いということから、仮にそれが憲法違反になるとしますと、完全な立法不作為あるいは明らかに不十分な立法など、極めて例外的な場合に限られるというふうに考えることができます。
 そして、今の日本では相当程度の環境保護法体制が整備されておりますので、そのような違憲になり得る場合というのは恐らく観念するのが難しいのではないかというふうに思っております。
 次に、今お話しした国家目標というものと権利規定の互換性についてお話をしたいと思います。
 これはどういうことかといいますと、仮に権利という形で書いても、解釈上、国家目標規定と解釈されるような例がある。逆に、国家目標規定として書いても、解釈上、権利になる場合もある、そういうお話でございます。
 生存権ですが、憲法二十五条一項につきまして、これは最高裁判決ですが、最高裁はどういうふうに言っているかといいますと、二十五条一項というのは「国の責務として宣言したものである」、二行目に国の責務という言葉があります。要するに、条文では権利という言葉が使われていますけれども、最高裁は国の責務という解釈をしております。そして、同条二項、先ほどちょっと読み上げました二十五条二項ですけれども、それも国の責務として宣言したものであると最高裁は解してございます。
 ちょっと途中を飛ばしまして、最高裁判決の最後の方の行ですけれども、「このように、憲法二十五条の規定は、国権の作用に対し、一定の目的を設定しその実現のための積極的な発動を期待するという性質のものである。」これは先ほど申し上げた国家目標規定の定義とほぼ同じ内容だというのがおわかりじゃないかと思います。
 他方、今度は、ドイツの連邦憲法裁判所の判例なんですが、ドイツには日本国憲法のような生存権の規定はございません。
 ドイツ憲法ではどういう規定があるかといいますと、社会国家原理とよく言われているんですけれども、それは、二十五行目のところにあります、「ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。」この社会的というところをとって社会国家原理と呼ばれております。この社会国家原理というのは、先ほど説明した言葉で言いますと、国家目標規定の一種であるというふうにされております。
 連邦憲法裁判所は、この社会国家原理とドイツ基本法の一条一項の人間の尊厳条項、これを一種の掛け算をいたしまして、そして、その結果どうしたかといいますと、最低限の生活に必要な金額については、国は、それを社会給付によって保障しなきゃいけないし、そして、その生存最低額に対して国は課税をすることは許されない、そして、それに反するような場合には、当該国民は憲法裁判所に訴え出ることができるという、そのような判決を出しております。
 要するに、条文の書き方というのはあくまでも一つの目安でして、結局、日本の場合ですと、二十五条が国家目標規定的に解釈され、逆に、ドイツの場合ですと、社会国家原理が先ほど申し上げました掛け算によって権利規定として解釈されているということでございます。
 続きまして、詳細な規定と簡潔な規定というところに進みたいと思います。
 ここはどういうお話かといいますと、先ほど申しましたように、書き方として、環境権、国民の責務、それから国の義務と三通りがあるんですけれども、それとは別に、どれだけ詳しく具体的に憲法に書き込むかという問題もあるというお話でございます。
 ここに挙げておりますのは、一番最初のものが、ブランデンブルク州という、これはドイツの州ですが、そこの州憲法の規定、そして二番目に、簡潔な規定として挙げてありますのが、スイスの連邦憲法の規定、そして、中間的な規定というのはたくさんあるんですけれども、ここではとりあえずスロバキア憲法の規定というものを挙げてございます。
 まず最初に、ブランデンブルク州の憲法なんですが、そこの第八章というのが自然と環境というところでして、この後にも条文があるんですけれども、とりあえず三十九条、自然的生活基盤の保護というところだけを、仮訳ですけれども、訳し出しております。
 それの一項を見ますと、現在及び将来の生活の基盤としての自然等々を保護することは、ラント及び全ての人間の義務であるということで、これは国の責務と国民の責務、それを両方同時にうたっております。
 二項、これは国民の権利という体裁で書いてあります。そして、三項は動植物の話でして、ちょっと飛ばしまして、四項、これは国の環境政策について注文をつけている。そして、五項、六項、七項と見ていきますと、これは非常に細かい話をしているということがおわかりいただけるんじゃないかと思います。
 この中で目新しい条文といいますのは、あるいは入れることに意義があるかもしれない条文というのはこの八項ですね。団体訴訟を許容する、それから、環境団体をいわゆる行政手続に参加させるという条文でございます。これは恐らく、憲法条文があることによって、こういった条文がありますと立法しなきゃいけなくなりますから、一定の意味はあると思うんですけれども、あとは、なくても済む話か、余りにも細か過ぎる話という印象を先生方もお持ちになるんじゃないかと思います。
 他方、簡潔な規定として、スイス憲法ですけれども、第二条というところに、スイス連邦、正確には誓約者同盟の目的という規定がありまして、その中に、「スイス誓約者同盟は、自然的生活基盤の持続的な維持と平和的で公正な国際秩序のために尽力する。」という大変簡潔な規定を置いています。
 ただ、補足いたしますと、このスイス憲法、実は後ろの方にやたら細かい規定がたくさん置かれておりまして、例えば、航空機の燃料に課税する、その航空機の燃料に課税したうちの一定額は環境保護のために使わなきゃいけないといったえらい細かい規定がありまして、環境という言葉はスイス憲法中に十カ所以上出てまいります。ただ、冒頭の二条のところでは非常に簡潔に規定しているということでございまして、これも一つの参考になるんじゃないかと思います。
 次に、中間的な憲法なんですが、多分このあたりが、憲法で環境を導入するとした場合に、多くの人が念頭にイメージするような感じの条文ではないかと思います。
 一項で環境権、そして二項で国民の責務、三項はちょっと念押し的な規定で、四項が国の責務ということになっています。
 このアンダーラインはどういう意味かといいますと、大した意味はございませんで、アンダーラインは二〇〇一年の最終改正で追加された部分、アンダーラインのないところが一九九二年のもともとのテキストから入っていたものでございます。
 新しく追加された五項を見ますと、「一項から四項の権利および義務の詳細は、法律でこれを定める。」となっておりまして、結局は、やはり法律がないと回っていかない、そのようなものになっております。あるいは、環境を憲法で書く場合には、あわせてどういう法律を整備するか、それによって環境保護の実効性というのは大きく変わってくる、要するに、憲法だけで片づく問題ではないということになります。
 時間も余りありませんので、最後の、憲法全体との整合性についてお話をいたしますと、まず、先ほどの細かい条文から簡潔な条文まで、どのような条文がいいのか、あるいは環境保護を書き込んだ方がいいのかについては、いかなる憲法典を望むのか、それについて自覚的に検討することが必要だというふうに思います。
 例えばワイマール憲法、これはドイツの法文化の結実であって、将来の文化的、社会的な生活の諸原則を憲法に全部書き込むという大変意欲的な憲法として制定されたんですけれども、それに対して、戦後のドイツ基本法というのは、無駄な装飾をできる限り省くという大変実務的な憲法として制定されました。そういった大きく二つのタイプの憲法がある。
 それから、どれくらい細かい条文を憲法に書き込むのか。日本国憲法の場合には、結構簡潔な条文になっていると思います。それは連邦制じゃないということもありますけれども、日本国憲法の簡潔性というのは際立っているんじゃないかと思います。
 簡潔な憲法にはやはり長所というのがありまして、それは裁判所やあるいは学者なんかを含めた解釈の余地が大きいということ、そしてもちろん、国会が立法によって肉づけをしていく、立法の余地が極めて大きいということ、その結果どうなるかといいますと、その憲法自体が非常に長もちするということでございます。他方、そのような憲法というのは、裁判所ですとか立法府にその実効性が委ねられていると言うこともできるんじゃないかと思います。
 以上、時間になりましたので、私の発言はこれまでとさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 119304183X00720170601_006

発言者: 小山剛

speaker_id: 26634

日付: 2017-06-01

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会