黒川清の発言 (原子力問題調査特別委員会)
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○黒川参考人 黒川でございます。
このような委員会にアドバイザリー・ボードというものをつくっていただきまして、七人を推薦させていただきましたところ、そのとおりに認めていただきまして、大変感謝しております。
実を言いますと、国会事故調というのは、日本の憲政史上初ということで、立法府が独立した調査委員会をつくっていただきました。
そのときに、あの三月十一日の事故が起こってから約一週間、私は世界じゅうのいろいろな人のツイッターをフォローしておりまして、どのような反応を皆がしているのかなという話もしましたし、そういう意味では、あのようなツイッターその他のITテクノロジーは非常に使いようがあるなと思いました。
ちょうどあれはアラブの春が起こって三カ月後に起こったものですから、そのとき私は、ちょっと関係がありまして、アブダビとかカタールとか、それから、ちょうどあのときのあの事件が起こる、アラブの春が起こる一週間前に、日本の政府と経団連その他が集まって、日本、中東経済何とかという二百人ぐらいのデレゲートが会った会がありまして、私も参加していたものですから、その後に起こったアラブの春だったので、エジプトでも大騒ぎになりということで、非常に注目してフォローしていたんですが、そのときに、三カ月後にこれが起こったということで、アラブの春もさることながら、日本のこの事故、東北の大震災と原発の事故についての海外の反応は、どういうふうに見られているのかということを、非常に、日本のメディアはもちろん、いろいろなところで混乱していましたことはわかっていますけれども、そういうことで随分フォローいたしました。
一週間後に、私、ちょっと、いろいろな議員さん、あるいはいろいろなところとコンタクトを始めまして、このような事故は立法府が独立したタスクフォースをつくらなくてはいけないということで、アメリカとも随分連絡を始めまして、ちょうど総理のところにも連絡をいたしまして、あれは多分三月の十九日か三月の中ごろ過ぎだったと思いますが、福山さんとも何回かお会いしまして、どうやったらこれを実現できるだろうかという話もしましたけれども、実際、九月までにそういうことが起こるようになり、十人の委員で十二月八日に発足しました。ちょうど真珠湾の七十年目の日だったんですが、それを私は辞令をいただくときにコメントしておりまして、議事録にも残っていますが、そういう話をして、これが実際に開始されたのが十二月八日でした。
ほぼ六カ月ということで、大変でした。十人の委員だけではなかったのですが、最初のスライドをいただけますでしょうか、私どもは基本的に、その辞令をいただいたときに申し上げましたけれども、この委員会については、キーワードは、国民と未来と世界ということにしたいということを申し上げておりまして、国民の、国民による、国民のための委員会と認識しているということ。それから、未来を志向するのはいいんですけれども、それについては、歴史的背景を調査する、それによって初めて未来のことが見えるんだという話。三番目には、このような大事故は、世界に四百四十ほどの原子力発電所があるところでしたし、日本は、そういう意味では技術、科学その他の先進国でありますので、日本でのこのような大事故は、チェルノブイリと違い、皆さんと共有するということが大事だということで、世界と共有する事故の原因。それによって、もし原子力を使うのであれば、より安全な志向性をすることについて世界と共有したいという話を基本で始めました。
そのほかで、いろいろなスタッフを集めたり、大変苦労いたしましたけれども、そのために、この委員会は、国会からも要請がありましたとおり、透明性と公開性ということに非常に留意をいたしましたし、さらに、全ての二十回の委員会については全て公開、その後の記者会見も、記者クラブはなしでありまして、特に、全部の委員会と記者会見も英語で発信するということで、世界と共有するということに非常に留意をいたしまして、七月の五日に、ほぼ六カ月ということで、報告書を衆議院、参議院の両議長に提出させていただいたところであります。
結論としてそれは、次のスライドでございますけれども、日本のエスタブリッシュメントというか、政産官それからメディア、多くの科学者も巻き込んだ、いわゆる規制のとりこがあったということで、これが中心的なメッセージで、それの背景について幾つか考案しましたけれども、それが基本にあったんだなということをメッセージといたしまして、七つの提言というのをいたしました。
さて、このような文化的な背景があるのではないかということで、非常に批判も受けたのでありますけれども、三つ目のスライドをいただくと、これを受けて、実を言うと、世界じゅうがこれについては非常に、興味津々というわけではないですけれども、何が起こったんだろうということを非常に知りたかったわけですね。
もちろん、政府の事故調、民間のいろいろな人がいろいろなリポートを出しましたけれども、技術的なことはさることながら、幾つかの文化的な背景、あるいは技術的でない背景については、アメリカでは、この報告を受けてということもあるんですが、一つはGAO、ガバメント・アカウンタビリティー・オフィスという、議会の下にある、行政の政策の遂行状態あるいは効果などを常に調査している機関がありますけれども、その立法府、議会にあるところの機能が非常に充実しておりまして、今回の委員のお一人、後で説明いたしますが、これも実を言うと、このリポートでも、文化的、社会的な背景が非常に大事なんだという項目が取り上げられております。
もう一つは、IAEAでも、それに従いまして、実を言うと、IAEAはいろいろなリコメンデーションを各国に出しておりますが、それをきちんとやっているかどうかということについてのやり方については、やはりこれはそれぞれの国の文化的背景もきちんと考えた上で強く押さなくてはならないということで、ワークショップが行われまして、このような国民というか国家の文化的背景と原子力の安全性についてのワークショップが行われた。
もちろん私は呼ばれてもおりませんが、そういうことがわかっておりまして、実は、そういうことがあるたびに、私の方に海外の識者の方から、これはこうなんだけれどもあなたは呼ばれているのとか、いろいろな話が来ますけれども、そのようなことが起こっているということであります。
三番目には、私たちが報告書を七月に提出したすぐ後に、アメリカのナショナルアカデミーは、やはり独立した調査の委員会を、議会の要請を受けて、特にこれは技術的な側面について調査をしろということで二年間の調査が行われまして、その報告書が二〇一四年に出てまいりました。これについても、わざわざ一つの章立てとして、それぞれの国の文化的背景に問題があるのではないかということを検討するようにということも出ているぐらいで、そういう意味では、私たちの報告書は相当世界の原子力の専門家の間では注目されておりまして、形だけでやっているような顔をしていても実はなかなかできない理由があるんだという話が識者に共有されております。
そこで、私は、そういう意味では、日本では一体何が起こったんだということで、特に二〇一三年にはいろいろなところから講演に呼ばれまして、ヴァッテンフォールというのは、もちろんスウェーデンの会社ですけれども、ヨーロッパの主な原子力発電所を随分やっておりまして、そこの役員の方々や社内のセミナーにも呼ばれましたし、ノルウェーも、実は、三月十一日の事故が起こった後の夏に大きなテロリストによるシューティング事件が、夏休みの子供たちの事件が起こりまして、あの一カ月後にすぐに国会が独立した調査委員会を一年間ということで立ち上げておりまして、私どもの報告書が出たすぐ後に向こうの報告書も出て、両方とも政府の怠慢ということがコアのメッセージになっていたので、その後、向こうの首相、今はNATOのディレクターゼネラルのストルテンベルグさんですけれども、日本に来られたときにも私にぜひ会いたいということで、どうしてこういうことになったのかという話で随分議論をさせていただきました。
そのほかに、スイス、英、米、仏ほかの多くの原子力の専門家が、日本の政府あるいは関係機関だけではどうも理解ができないなということで、結構私のところに問いかけ、あるいは聞きに来られる方も多いというのが現在でございます。
次のスライドですが、そういう意味では、結果としては、どうしてこういうことが起こったのかということについては、日本人の常識、マインドセットといいますが、常識がどうも邪魔したのではないかということで、いわゆる同じような人たちが集まって組織にいると、よそになかなか動けないということもありますので、特に透明性、あるいは、事故が起こった後も、あの水の処理にしてもそうですし、メルトダウンしたものもそうですけれども、世界と共有してこの事故から学ぼうよということが余り見えていないなという気がするわけでありますし、実際、世界の方からも、日本の政府にももちろん問い合わせがありますが、私の方にも時々そういうことがよくありまして、どうしてこういうことができるんでしょうかなんという話は随分来ることが多いわけでございます。
さらに、アカウンタビリティーというのは、専務、社長あるいは大臣あるいはいろいろなそれぞれの、社会的には組織で動きますから、立場として、何かを実行する責務、実行する責任があるわけですけれども、そのアカウンタビリティーが日本では説明責任というふうに誤訳をされておりまして、どうやって遂行するかというのが一番だという話についてはかなりの誤訳があるなというのが一つと、もう一つは、組織の中でも異論をいろいろ闘わせた上で決めるというプロセスが日本ではなかなかないというところに一つの問題があるなということが背景にあったということでございます。
次のスライドですけれども、例えば、皆さんにお聞きしますが、三菱銀行の銀行員は途中で住友銀行に移れますでしょうか。あるいは日立のエンジニアは東芝に移りますでしょうか、あるいはパナソニックでもいいですけれども。普通、新卒で入るとずっといるものだと思っていますよね。ある省のキャリアは何省に途中で移れますか。こんなことが常識だという国がほかにあると思いますか、世界じゅうで。これがやはり問題なんですよ。移れないと思うから異論を言えない。
大きな会社で新卒で、課長になると役員に初めてコンタクトをとれますし、新入社員にもコンタクトできますが、会社はこうあるべきではないかというような異論を言えば、何が起こると思いますか。「半沢直樹」状況ですね、出向だと。だから言わなくなっちゃう。そういうのが今の企業でも続いているというところが、世界じゅうで私がこういう話をすると初めて、えっ、日本はそういうのが本当、それは本当かねと随分いぶかしげに見られます。
そういうところが、つい異論を言わないでだんだん進んできたところに大事故が起こったというわけでありまして、皆さん御存じのように、ナイン・イレブンの後のアメリカでは、もちろん原子力がテロのターゲットになるだろうということでいろいろな方策することを推薦いたしまして、日本にも二回、政府に、こういうことをした方がいいんじゃないのと言ったのが、二度とも無視されたというのも、この事故が起こってわかったわけですね。
そういうことで、私どもは、特にこの報告書をもって、日本のグローバル世界での責任、日本はそれなりの経済大国であり先進国ですので、このような事故のレッスンを皆さんと共有しよう、何かいい解答がありませんかということを、もっとオープンで国際社会との交流、意見の交換、共同作業などをしてほしいということでありまして、失敗から学ぶ、前向きな姿勢、態度が弱い、福島第一原発の水の関係の問題、いろいろな問題がありますが、これを皆さんと共有しようよという話が見えるだろうかということですね。それから、汚染水の処理問題もそうです。それから、新しい原子力の安全委員会のあり方もそうですし、そのほかもろもろ関連事項についてぜひ世界と共有しようという、オープンな、もっと世界と共有したいという精神が見えないなということで、福島原発事故から何を学ぶのかということについて、世界と共有する姿勢、透明性がちょっと欠けているなということで、ぜひ、国会の、国民から選ばれた国権の最高機関のこのような委員会でこのような議論をしていただければと思いまして、今回のこの七人の委員で形成させていただいたという経過でございます。
実は、衆議院では、森先生の委員会が一回立ち上がりまして、私ども、九人のこの委員会の人たちが呼ばれまして、ここで約三時間ほど質疑を受けました。その後、吉野先生の委員会が立ち上がりましたが、多分、私どもは一度も呼ばれておりませんし、これが三回目の委員会ができまして、三原委員会ということで、私たちのうちでアドバイザリー・ボードをつくるという話が、七つの提案のうちの一というのは、これで三回行われましたけれども、アドバイザリー・ボードも入れてやったのは初めてのことでありまして、六年たって初めてだということで、これも、七つの提言を出しているんだけれども何か起こっていますかということを時々外から聞かれるので、そういう意味では、ちょっと胸を張って、一回始まりましたよということを答えられるということで、日本の統治機構も世界にちょっと私も説明できる立場になったかなと思って感謝しております。
ありがとうございます。(拍手)