松本徳子の発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○松本参考人 このたび、東日本大震災復興特別委員会参考人として民進党様より御推薦いただき、避難当事者、支援者ともに設立した避難の協同センター共同代表世話人の私が陳述を述べるお時間をいただき、感謝いたします。
 きょうは、私と同じく子供を被曝から避けるために避難して頑張ってきた友人がみずからの命を絶ってしまった、その彼女の思いを胸に述べさせていただきます。
 平成二十三年三月十一日、多大な東日本大震災が起き、チェルノブイリと同等のレベル7の東京電力福島第一原発事故緊急事態宣言が発令され、それぞれ行政が区域を線引きしました。
 自主的避難等対象区域とされた私の自宅がある郡山市は、学校の校庭、家、庭、子供の通学路など、放射性物質で汚染されたホットスポットと呼ばれるところがあちらこちらにあることを知りました。
 次々と爆発する原発による被害を恐れ、三月末、一旦、当時十二歳の次女を妹の住む東京へ避難させましたが、中学校より入学式の連絡が入り、次女を郡山へ戻し、学校に通学させてしまいました。そのためか、六月末、次女は大量の鼻血を出し、下痢、体調不良を訴えたため、主人と私は苦渋の決断をし、家族ばらばら、私と次女だけ避難することを決意しました。
 当時、三月十五日ごろから放射性物質が六十キロ離れた中通りにも降り注ぎました。行政は知っていたにもかかわらず東京電力福島原発事故を過小評価し、福島県のトップは、自分の家族は避難させ、県民には正しい情報を知らせることなく、知っている人間たちが沃素剤を服用していたことが後からわかりました。
 なぜか釈然としない気持ちの中、父兄が立ち上げた子どもたちを放射能から守る福島ネットワークのメーリングがあることを知り、そのメーリングから神奈川県の民間借り上げの住宅提供の情報が得られ、現在も次女と神奈川県川崎に住んでいます。この災害救助法に基づく住宅提供を知り得た家族は、あの当時、どのくらいいたでしょう。
 私にはもう一人、当時二十五歳の長女が、自宅の近くに自立して生活をしていました。震災の翌年、二〇一二年一月、妊娠がわかり、娘は、やはりこれから生まれてくる我が子の被曝を心配して、やっと昨年、二〇一六年五月、家族三人、自力避難。現在、東京に移住、生活をしています。私にとっての孫も、ことしは五歳になります。長女夫婦も悩んだあげくの移住だったと思います。
 長女夫婦は住宅提供を受けていません。それは、二〇一二年十二月末で住宅の提供を締め切られていたためです。このように、住宅提供を受けられず避難をしている家族がいます。
 福島県、国が把握できていない避難者がたくさんいます。福島県生活拠点課の発表では、本年三月三十一日をもって住宅提供の退去通告を受けた世帯は一万二千三十九世帯だそうです。そうであるならば、実際に避難を余儀なくされた原発事故による避難者は優に二万世帯を超えているのではないかと私は思っています。
 自分の自宅には主人が一人、ローンがあり、仕事で私たちを支えるため、事故二年後、行政が除染をした汚染物が庭の片隅にあるところに住んでいます。
 自主的避難等対象区域とされた地域は、今も避難の権利が認められる地域ではないのでしょうか。
 いまだ収束できない福島第一、異常なほどのフレコンバッグの山、中間貯蔵施設も決まらぬまま、現場では被曝しながら処理活動をしてくださっている下請作業員の方たちのことを考えると、胸がとても痛みます。
 ことし三月十七日、前橋地裁にて、福島県から群馬県に避難した原告の方たちが提起した損害賠償請求訴訟において、国に東京電力と同等の責任を認め、避難の合理性も認められました。
 それにもかかわらず、前今村復興大臣は、故郷を捨てるのは簡単だ、自主避難者は個人の責任、すなわち自己責任、事故があちらでよかったなど数々の暴言を発し、反響を呼び、辞任されました。しかし、私たちの心は深く傷ついたままです。
 口をそろえて避難者に寄り添ってなど、全てうそでした。今思えば、私たちは、行政、国の言葉を信じ、必ず私たちを守ってくれると夢を描いていました。しかし、それは夢でしかありませんでした。現在の政権を握っているトップは、私たちの苦しみなど何とも思っていないということです。
 福島原発が収束していないにもかかわらず、危険な原発をせっかくとめたにもかかわらず次々と再稼働させ、二〇二〇年のオリンピックには、福島第一の事故は収束、避難者はゼロにすることが今の政権の目標なのでしょう。弱者は切り捨て、権力を持つ者だけがやりたい放題、今さえよければ、自分たちがいなくなった後のことは知らぬ存ぜぬなのでしょうか。
 決して人間は、原子力という化け物が事故を再び起こせば、太刀打ちできないことを知りました。また安全神話のもと、夢のエネルギーとなっていくのでしょうか。
 国内難民となった私たちのような人間の中には、この住宅提供を打ち切られたことによって、今まで頑張ってきた力も心身ともに疲れ果て、みずからの命を絶つことで子供たちを守る道を選びました。私の知る彼女は、ただ子供たちと静かに生活することだけが願いでした。このことは決して忘れてはいけないと思っています。この理不尽な世の中に、私は、我が子孫に何を伝え、何を残していけるでしょう。
 現在、福島県民健康調査において、当時十八歳未満の子供たちに次々と甲状腺がん、また疑いの子供たちが百八十五人。その中には、既に手術をし、また、他に転移が認められた子供たちがいると聞きます。
 問題は、福島県立医大だけが調査を牛耳っていることです。当時十九歳以上の若者は大丈夫なのでしょうか。
 我が国には他国からもたくさんのお金が寄附されたはずです。そのお金はどこに、どのように使われているのか、お示し願いたい。
 この三月三十一日の住宅提供の打ち切りにより、避難の協同センターには数々のSOSの電話、メールが入っております。
 本日御準備をした資料をごらんください。
 三・一一以前はきちんと自立をしていた避難者です。しかし、二〇一二年の六月、全党派一致でできた法令、原発事故子ども・被災者支援法があるにもかかわらず実行されていないことが、このような生活困窮に立たされてしまった。資料にもありますように、生活保護を受けたくても、障害を抱えた家庭が車を所持していれば生活保護を受けられない、生活保護を何とか受けられたにしても、福島県からの補助金が受けられないなど、国が避難者を貧困に追いやっているのです。生きるための住まいを奪わないでいただきたい。
 そして、避難の協同センターができることには限界があります。資料にも詳しく書いておりますとおり、避難の協同センターより提起いたします。一、現段階で住まいが確定できていない避難者の正確な把握を急いでください。二、家賃支払いや転居費用などで経済的に困っている避難者の実態把握を急いでください。三、避難者の窮状を鑑み、住宅無償提供打ち切りを見直し、家賃支援など可能な経済支援を実行してください。四、生活保護枠に該当する収入世帯の避難者の生活保護受給及び家賃支援の対象としてください。五、復興大臣が早急に避難当事者団体、支援団体からの意見聴取を公開の場で、施策に反映させてください。六、原発事故子ども・被災者支援法の理念を守り、その実現に力を尽くしてください。
 そして、私からも、ぜひ、地元福島県いわき市出身の吉野復興大臣が、最後まで一人残らず支援するとおっしゃってくださいました。そうであるならば、私たち当事者の生の声を直接聞いていただきたいと思います。それを切にお願い申し上げ、私の陳述とさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)

発言情報

speech_id: 119304858X01020170525_008

発言者: 松本徳子

speaker_id: 11942

日付: 2017-05-25

院: 衆議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会