橋本英教の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
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○橋本(英)委員 ありがとうございました。
東北地方は、震災復興の建設需要がもうピークを過ぎました。これからどんどんどんどん、もしかしたら人口も減っておりますので、前より経済的にかなり厳しくなる可能性があるというふうに思っております。そういった意味では、交流人口をどうやってふやすかというのはやはりこれからの課題であろう、いや、課題というよりは絶対やらなきゃならないであろうというふうに思っておりますので、ぜひまたいろいろな御意見をお聞かせいただきたいというふうに思っております。
さて、私の時間の関係でもう最後になると思いますけれども、私のふるさと大船渡では、小さいときから津波訓練というものがありました。地震訓練ではありません、津波訓練であります。朝六時に近くのサイレンが鳴りまして、近くの神社に走って逃げていくんですね。加茂神社というところなのでありますが、そこに逃げていく。
そういう訓練をずっと小さいときからやっていたのでありますが、残念ながら、この間の東日本大震災でそれが、ああ、こんなにやっていたのに、何でこんなことを教えられなかったんだろうなということがありました。
まず一つは、津波が二回、三回、四回と来る、複数回来るということは、実は教えられたことがありませんでした。私の地元大船渡市の赤崎町、うちの親戚が朝まで山に逃げておりましたけれども、三十二回までは数えたと言っておりました。引き波、来る波、三十二回までは数えたけれども、あとはわからなかったとおっしゃっておりました。そういうことを実は津波訓練をやっていた我々が教えられていなかった。
そしてもう一つ。実は私も小さいときは、先ほど大船渡市字茶屋前六十四の二と言いましたが、須崎川という川が流れておりまして、川の脇に住んでいました。ところが、今回、その川をさかのぼって、そこから水があふれて、海が見えないところの方々が亡くなっているんですね。その川をさかのぼってくるということも教えられていなかった。
やはり、伝承というのはすごく大切なんですけれども、そういうふうな情報は数十年たつと忘れられてしまうんですね。ですから、大船渡市民としてはすごく残念だったなと思っております。
現在、多くの国民がこういった携帯電話を持っております。うちのおじなんかはまだガラ携なのでありますが。その携帯電話の中に、皆さん、画像、動画で津波のときの写真を持っているんですね。ところが、私もこういうのは余り得意じゃないのでありますけれども、今、こういったデータを蓄積するところが、実は、グーグルだったり民間のところと国立国会図書館が連携して画像を保存している程度なのであります。
しかし、実はこれは物すごく大切なデータだと思っているんです。この後、南海トラフやあるいは首都直下型地震が恐らく来るであろうというふうに言われております。そのときに、今回の東日本大震災のデータを蓄積しておくことはすごく大切だと私は思っているんですね。
その件について、実際に津波に遭われた行政のトップとして、後世への伝承ということで、阿部参考人からぜひ御意見をいただきたいというふうに思っております。