亀岡偉民の発言 (予算委員会)
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○亀岡委員 自由民主党の亀岡偉民です。
きょうは関連質疑をさせていただきますので、安倍総理、よろしくお願いいたします。
まず最初に、先ほど後藤議員からもお話がありましたが、前復興大臣が失言により辞任されました。前大臣の発言は、東北の被災地の方々にとって絶対に許すことのできないものでありました。
復興大臣に就任以降、三十回近く被災地に足を運び、せっかく被災地に寄り添う気持ちで職務に当たっていただいたのに、あの発言で一気に被災地の信頼を失ってしまったこと、それだけではなく、安倍内閣全体への不信感にもつながりつつある。これまで、内閣の先頭に立って全力をかけて復興に取り組まれてきた安倍総理にとっては、じくじたる思いだと思います。
振り返れば、発災直後、ライフラインが断たれ、物資が足りない中、被災者の方々は避難所で非常に不安の中にありました。そのとき、我々の求めに応じていち早く被災地に救援物資を送っていただいたのは安倍総理でありました。
あの被災の中で、三日目に、何が足りないですかと。多くの避難所にいる方々から、着のみ着のままで逃げてきた、どうしても下着が欲しいということで、すぐ、私どもがそれを伝えさせていただいたら、もう二日目には全部下着が届きました。本当にありがとうございました。
そしてさらに、余裕が出てきた中で、津波にのまれた現場に行きたい、でも長靴がない、危険だ。また私どもが要請をさせていただいたら、すぐにあの靴の先がかたくできている作業用の長靴を送っていただきました。被災地の方々には、これで大切なものをとりに行けると本当に喜んでいただきました。
そして、特に私どもが一番忘れられないのは、南相馬市であります。あの南相馬市は、当時、避難していいかどうかわからない中で、市長が、何とか避難をさせたいという思いから、拡声器で呼びかけながら、避難をしてもらいたいと。納得できない人たちがたくさんいました。体育館に集められて、避難できない人は理由を書けと言われて、行けない人がたくさんおられた。その理由を私も見せていただきました。書いているそばから、動けない老人がいる、家畜がいる。そんな中で、避難できる人だけ避難させた。
そして、実は、多くの運搬業者がもう南相馬市には入ってこない、そんな中で、どうやったら食料を届けられるだろうか、食料さえ届かない、そのときに、当時私は落選中でありましたが、その落選中の中で、しかも野党であったんですけれども、仲間に呼びかけて、救助活動に来ていただきました。
ただ、多くの市民、難民と言われる南相馬市の方々は、食料をどこに届けていいかもわからない、しかし食料が届かない、そんな中で、最初に十トントラックで食料を届けてくれたのが安倍総理でありました。
あのとき、自衛隊と一緒になって食料が届いた。我々、捜索活動をしている中で、すぐに連絡が来ました。多くの、市民全部に声をかけて集めて食料を配りたい。人手が足りない、そしてマスコミが誰もいない中で、安倍総理みずから運んできてくれた食料を一人一人に手渡す、その作業も手伝っていただきました。
そして、食料を配り終わったときに、亀岡君、避難所に連れていってくれないかという依頼をいただきました。南相馬市、相馬、新地等、避難所に一緒に同行していただきました。
そのときに、一緒に連れていってくれた方が最後に涙を流して私に言った言葉が今でも忘れられません。おつきの人が時間がなくなるから早く次に行きましょうと言っている中で、安倍総理は、一人一人と膝を交え握手をして、頑張ってください、相手が何か言えば最後まで聞いて、全部終わったのが、新地町で、九時ごろだったと思います。中学生が喜んで迎えてくれて、来てくれたと。
そして最後に、十一時ごろ、私の事務所に寄っていただいて、炊き出しのカレー、当時、私の事務所の前には百人近い避難者がおられて、三カ月ぐらい炊き出しをずっとやっておりました。そのカレーを食べて、いや、これはおいしい、本当においしいねと言ってくださったことが、うちの事務所の職員が、頑張ってよかった、さらに頑張ろうという気持ち、勇気をいただいたこと、本当に心から感謝と御礼を申し上げたいと思います。
本当に、被災地にすぐに来ていただき、そして誰もいない中で一緒になって支援活動をしていただいた、あのときのことがずっと忘れられません。
まず、安倍総理に、発災時、さまざまな活動を通じて被災者の方々と交流されましたが、どのような思いで取り組まれたのか、振り返っていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。