川端清隆の発言 (国際経済・外交に関する調査会)
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○参考人(川端清隆君) 今日の話は、日本の発信力、発言力の話ですよね。その中で、やっぱり一番私の専門である安全保障の面で効果があるというのは、人を出すことなんです。紛争地に人を出す。おのずとこの活動内容は限られてまいります。人道支援、難民支援から始まって、PKOあるいは和平活動、いろんなものがあるかと思います。でも、いずれにしても、危険と全く無縁ではない。
ただ、それを恐れていれば、恐れておれば、紛争地の人間にとって一番有り難いというのはやっぱり寄り添ってもらうことなんですよね。遠くの方から食料を買ってくれる、医療品を買ってくれる。それは決して軽いことではないんですけれども、自分の家が火事になったとき、やっぱり寝巻きの裾を振り乱してバケツリレーをやってくれる人が有り難いわけで、消火が終わって次の日に家建て直すためにお金貸してあげようかという人よりも、やっぱりちょっと種類が違うんですよね。
それを短く言うと、危険の分かち合い。そもそも、国連の考え方というのはやっぱりそういうものです。無法な国が世界の平和を乱すときに、国際社会、つまり加盟国が肩を寄せ合って共同で対処しましょうと。一国、二国だけが、いや、うちは関係ありませんと、犠牲は払えませんというのでは、国連そのものの、つまり集団安全保障の世界です、集団的自衛権に対する集団安全保障の世界なんですけれども、成り立たない。そういう思いを込めてちょっと言ったんですけれども。
昔、UNHCRの緒方貞子さんと話したときも、やっぱり日本人、なかなかやっぱりUNHCR、人道援助も含めて現地に、特に紛争地に行きたがらないと。何かあれば一番最初に出ないといけないと。彼女が国際協力機構の、JICAのトップになられてからもそういう問題があると。危険を回避、日本人の犠牲を回避しないといけない、それは分かる。その一方で、日本人とは何かと、そういう問題もあるんですよね。彼女の言うところのミッション、使命感、世界の中でどう生きていくのか。
アフガニスタン、私が七年間担当しましたけれども、当時、九〇年代の終わりに日本に何度か国連の交渉者と来る機会がありました。そのときに、日本にも国連和平協力してもらいたいと、どう説明しようかと。いろいろ考えたわけですけれども、結局、中央アジアの紛争国であるアフガニスタンに、日本人が体を張ってアフガニスタンの平和を助けるというのは、日本にとってどういう意味があるんでしょうかと。アフガニスタンから日本を見れば、真ん中に中国と朝鮮半島があります。そんな中で、アフガニスタンの人間が近い将来、日本人は助けてくれたと、体を張ってアフガニスタンの平和に協力してくれたというのを中国の頭の上から言ってくれればどんな意味があるのでしょうかと、そんなことも話したことを覚えております。