川端清隆の発言 (国際経済・外交に関する調査会)
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○参考人(川端清隆君) 二点強調させていただこうかと思います。
まず、今日の朝日の記事ですけど、PKO五原則はそもそも憲法との関係の中でつくられたと。特に憲法九条の第一項ですよね。そこで、日本の多分議論に欠けていると思うのは、この憲法の第九条の一項に、そもそも国連の和平活動というのは抵触するのかしないのかと。九条をよく読めば、国権の発動としての戦争、これをやらないということですよね。PKO、これ国権の発動、つまり日本が主人公となる国際紛争の話なのかと。国連事務総長の指揮下、安保理が決定をして事務総長が指揮をするPKOと質が違うのではなかろうかと。
ただ、その一方で、日本の国内で憲法論議で議論があることはよく存じております。もう一回考えてもいいのかなと。一昨年の平和安全法案、一緒くたに出されましたので、ほとんどの一般の学生も含めて混乱しております。何回この集団的自衛権を黒板に書いて教えても分からない、ましてや集団安全保障って何ということになるんですけれども、もう一回、そもそも安全保障というのはこんな難しい話ではないです、小学生、中学生でも分からないといけない話であろうかと思います。
二点目、国連のPKOとはそもそも何なのかというところなんですけれども、日本ではどうしても憲法との関わりの中で、カンボジア、国連、この平和協力法案を通されて、それ以来、二十数年間ずっと議論されてきたわけですけれども、国連の中で、安保理の中でどういう流れになってきたかというと、日本ではこのPKOというのは法的なもの、静的な動かないものと見られがちなんですね。当時、二十年前、国連研究者も法学者が多かったです。ところが、ニューヨークから見ますと、国連PKOというのは政治的な存在なんです。しかも、常に国際政治の制約の中で進化する、時々失敗、大失敗もする、そういうものなんですね。
だから、PKO原則ありきではなくて、まずアフリカの紛争ありき、そこにどう国際政治の制約の中で国連ができることをやるのかと。その中で、振り返ってみればこんな原則があったかなと、PKO原則です。そんな中でいわゆる三原則があったり、最近ではもう三原則全部変わっておりますが、いわゆる新たなPKO、一時は積極的PKOと言われていましたけれども、今は任務執行型PKO、遂行型PKOと変わってくる。日本から見るとそれになかなか付いていけないんですね、法的なものだと皆さん感じておられるから。でも、ニューヨークの視点からするとかなり自然な。そこら辺でちょっとこの行き違いがあるのかなと、そんな印象があります。