伊藤剛の発言 (国際経済・外交に関する調査会)

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○参考人(伊藤剛君) ただいま御紹介にあずかりました明治大学政治経済学部の伊藤と申します。
 私にとりまして参議院と申しますのは、実は、今を遡ることちょうど六十年前の話なんですが、私の父がかつてこの参議院の事務局に一年だけ勤めていたことがございまして、そういう意味でも、私の家族を代表してといいますか、参議院でこのような形で意見を述べさせていただくことを大変光栄に思う次第でございます。
 永続的平和と関連して、かつ日米関係に関して話をするというのが私に与えられた課題でございますので、基本的には安全保障の観点から、その中にやや経済的な要素を組み込みながらお話を申し上げたいというふうに思います。
 私のお話をする論点といいますのは、簡単に、お配りいたしました資料に載っているとおりでございますが、そもそも日米関係というものを考える以前の段階として、そもそも国際関係において安全を確保するとはどういうことであるかということを、まず非常に基本的な話から考えますと、私はよく大学でも話をするんですが、夜、警察がいない道を一人で帰るときにどうやって自分の身を守るかということから考えなさいという話からスタートをいたします。やり方は大体三つぐらいしかございませんでして、自分で守るか、人に頼むか、そもそも安全な社会をつくるか、この三つぐらいしかありません。
 安全な社会をつくるというのは、言うのは簡単ですが、自分一人ではすぐにはできないことですから、すぐに自分でできる方法というのは最初の二つぐらいしか存在しないということになります。自分で守るというのは、安全保障にとってみればやはり防衛力をいかに整えるかということであり、人に頼むかということは、どうやって同盟をうまく利用するかということになってくるわけでございます。
 日米を語る前に、その構造的なものをまず組み入れて話をする必要があるのではないか。具体的に、現在のトランプ政権に関する陣容であるとか政策の変容に関しては次のフクシマ参考人からお話をしていただくということになっているようですので、私はその構造的な側面を主にお話をしたいというふうに思うわけであります。
 日本の場合は、この三つある手段のうちの二番目、人に頼むといいますか、同盟をうまく利用して日本国の安全というものを確保するということを選択肢として長い間やってきたわけであります。
 当然、自分で守るということと人に頼むということにはそれぞれに長所と短所があるわけでありまして、人に頼むとどうなるかといいますと、もちろん自分の安全のために人に頼るわけですから、自分は確実に安全でないといけないと。ところが、アメリカのように非常に大きな軍事力を持つ国の場合は、アメリカの行う戦争あるいは安全保障政策に日本が巻き込まれるという可能性というのが当然出てくるわけであります。これがよく言われる巻き込まれの恐怖というものでありまして、巻き込まれの恐怖を和らげようと思えば、当然その同盟関係を離さないといけないと。関係が希薄になればなるほど、君なんか要らないよということで、今度は同盟関係がなくなるという捨てられの恐怖というものが存在するわけで、この巻き込まれと捨てられの両方をうまい具合に操らないと同盟の関係というのはうまくいかないということであります。
 いずれにしましても、自分で守るという政策を取るにしても、人に頼むということを考えるにしても、やっぱり一〇〇%確実だということは当然ないわけであります。ですから、その確率のいかに高い状況を目指すかということを考えながら政策を考えていくしかないというのが現状であります。
 紙の上の理論上では、この捨てられと巻き込まれというのは両者相反するものであるわけですが、実際には、その置かれている状況によってこの恐怖を感じる度合いというのは異なるわけであります。
 実は、アメリカの同盟国といいますのは、韓国、日本、それから、なくなりましたけど、台湾もアメリカによって守られております、それからフィリピンというものがございますが。目の前に敵が存在する韓国やあるいは台湾というのは、アメリカによる安全保障供与がなくなるとひょっとしたら国家そのものもなくなるかもしれないという前提で戦後の体制というのがスタートしておりますから、明らかにアメリカから捨てられると困るという捨てられの恐怖の方が大きいと。日本やフィリピンのように、一応仮想敵国はいるけれども目の前にその脅威というものがそれほど差し迫ったものではないという国の場合は、どちらかというと巻き込まれの恐怖というものが大きくなると。
 同じアメリカの同盟国の中でも、アジアはそれぞれ持っている恐怖が異なるわけでありまして、そういう意味で、日本の中では、どちらかというと、どの論調を見ましても、アメリカから巻き込まれたらどうしようという論調の方が圧倒的に強くなるというのが構造的にもう組み込まれているというふうに言えるわけであります。
 逆に、同じ国内でも政権党と野党によってこの恐怖の度合いというのは異なるわけでありまして、具体的にその政策を担当するわけではない野党にとってみれば、巻き込まれたらどうするんだという批判というのが多々出てくることになると。ところが、政権党で実際に安保の政策を担っている側にとってみれば、いや、そんなことを言っても、関係を離し過ぎてアメリカに君なんか要らないよというふうになると逆に同盟そのものの根幹が揺らぐということになっておりますので、この恐怖の感じ方というのは、同じアメリカの同盟国でも異なるし、同じ国内でも政権を持っているか持っていないかでも異なるということが言えるわけであります。
 じゃ、この安全保障を人に頼る、つまり同盟を使う、ここに生じる同盟ジレンマを和らげるためにはどうすればいいかというと、結局は自分の力を蓄えるしかないということになってくることがしばしばあるわけで、これを、自分で自分を強くするということで自強と書いているわけでありますが、しかし、自分で自分を強くすることももちろん欠点があるわけであります。
 自分で自分を強くすればするほど、自分にとってはそれは防衛力、防衛であるかもしれないけれども、安全を高めることになるかもしれないけれども、それは相手にとってみれば単なる恐怖の拡大であるということで、お互い恐怖が拡大して軍拡競争が続くというのが一般的に言われる軍拡スパイラルというものでありますが、この防衛政策の短所を和らげるために同盟政策というものが本来存在するんですが、その同盟にももちろん欠点があるということでありまして、結果的には一〇〇%の安全というのは確保されないというのが構造的に言えるわけであります。
 では、よりアメリカからの安全を確実にするにはどうすればいいかということがいつも問題になるわけですが、そこでいつも二つの課題が話題になります。
 一つは、代償物というラテン語でありますが、クイド・プロ・クオということで、アメリカが安全保障を供与してくれる代わりに日本は一体何ができるのかと。より一般的には、A国の安保供与に対してB国は何ができるのかということもしばしば出てくるわけであるし、アメリカからの安全保障供与を確実にしようと思えば思うほど、日本はアメリカにひっつくという形になっていくと。しかし、本当に危機のときにアメリカが安全保障を提供してくれるのだろうかという信頼性の問題というのは、これも昔からあるわけでありまして、日米安全保障条約五条、六条を取ってみましても、本当に危機になったときにアメリカが安保を提供してくれるのであろうかという疑問は昔からあるわけであります。
 歴史の流れで見ますと、日本とアメリカというのは、かつては人と物との協力というふうに外務省の高官が発言したことがありまして、アメリカが安全保障を担う人を提供する代わりに日本は基地という物を提供するんだという比喩で答弁された方も何人かいらっしゃいましたが、もう冷戦が終わった現代ではそういうわけにはいかないわけでありまして、お互いに人と人との安全保障協力というものをどうやって成し遂げていくかということがもう今後の日米関係に求められるというふうに言われてから、もう何十年もたってしまったという状態であります。
 冷戦が終わって人と人との協力が言われるようになったわけですが、もう冷戦が終わって約三十年がたつわけであります。我々学者の世界では冷戦コンセンサスということが言われていまして、イデオロギー的対立のためにどうやって自由主義陣営を整えればいいかということが言われた時代がかつてありました。この冷戦という激しいイデオロギー対立があったからこそ、平和主義という平和的な言葉が人々を魅了したわけでありまして、全世界的なイデオロギー対立がなくなると、逆にこの平和主義というのは余り心には響かなくなっていくという状況になっていくと。
 この二、三十年のうちに明らかに生じている現象は、新興国の台頭という形で、大国だけが国際政治全体を動かすわけではなくて、かつて発展途上国と言われていた国が中等国になりだんだんと経済発展をしていくと、経済発展をしていくに従ってだんだん大国クラブの中に入れてくれという事態が起きてくるわけであります。
 アメリカは、自らリベラルな秩序をつくって、国の関税をできるだけ低くして日本からの商品を受け入れるということを冷戦時代はやっていたわけですが、大国はいつも自分の都合に応じて政策を何度でも変えるというところがありまして、自ら持ち切れない国際的責任は必ず国際協調という言葉で代替をするわけであります。冷戦の変わり目、七〇年代、九〇年代、いつも円とドルの為替相場が大きく変動していますが、冷戦時代に持ち切れなかったアメリカの責任を為替を操作することによって同盟国にどんどん押し付けていくということを結果的にやっているというふうに言えるわけであります。
 と同時に、国際的な協調が気に入らないと、その協調の外に新しい機関をつくると。七〇年代にできたサミット、八〇年代に国連科学文化機構から脱退をしたこと等々も含めて、大国というのは基本的に、国際協調が気に入らないと自分の気に入るように機関を外につくっていくということが出てくるわけであります。TPPが気に入らないと新しいものをつくっていく、二国間交渉になるという事態が出てきているわけであります。
 そうやって大国クラブの中に入れてくれという国がどんどん増えていくと、G5からG20という事態に変わっていっていると思いますが、実際には、中等国くらいだと、大国クラブに入れてくれという要求はあるんですが、いざ、じゃその大国の責任を果たせということになると、いや、我が国はまだ発展途上国ですからという言葉で逃げるということが現実として起こっているのが、環境問題であるとか人権問題であるとか、こういったグローバルな課題を見れば明らかであるというふうに言えるわけであります。
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 では、トランプ大統領自身の基本的な政策は、言うまでもなくアメリカ・ファーストというものであります。アメリカ・ファースト、○○ファーストというのは今、どこの国でもと言うとちょっと極端ですが、多くの政治指導者が言っていることでありまして、自国をとにかく、経済及び安全保障政策も含めた形で自国のプレゼンスを高くするということを政策の第一として掲げているわけであります。
 この背景にあるのは、いわゆる反オバマ、オバマがやっていたことと反対のことをやるという個人的な対抗心でありまして、そこ自体に余り明確でかつ一貫した戦略というものは存在しないというふうに言っていいかと思います。だから、どの識者に聞いても、結局トランプ外交は何ですかね、ううん、よく分かりませんという答えが大体であると。個人的対抗心で、そこには戦略はない。戦略がないこと自体が一体何を考えているか分からないということで戦略的曖昧性になるという可能性はあるんですが、現状では一貫した政策がないということから、一体何が起こるだろうということを毎日ニュースで確認しなければいけないということになっているわけであります。
 具体的には、シリアを空爆をしたわけでありますが、トマホークを撃ったとしても、映像を見ていると、次の日にはあのシリアの飛行場から普通に戦闘機が飛び立っているということですから、そう考えると、一体その攻撃の有効性というのはどこにあるのかということをいつも感じると。つまり、具体的な戦略の有効性が余り感じられない状態での空爆を行いながら、自分は声高にオバマと違うことをやっているということを主張するというのが現在展開されている状態ではないかというふうに思うわけであります。
 このトランプ政権というのは、どんなふうに解釈するかは、今現在戦略はないと簡単に切り捨てることはできるんですが、長い目で見たらどうなるだろうということは実はよく分からないことがたくさんありまして、よく言われることは、今から遡ること百数十年前でありますが、南北戦争の頃というのは、北側の共和党が自由貿易主義で奴隷制反対、南の民主党は保護貿易主義的で奴隷制に賛成ということで、今の民主党の政策と随分違うなということであります。そうやって考えると、非常に長い目で見れば、現在のトランプはそういうアメリカの歴史の大きな変革点にいるのかもしれないと勝手な想像はできますが、今のトランプの言説を見る限り、なかなかそんな、歴史的な分水嶺に我々は立っているなという気持ちというのはなかなかしません。これはやっぱり後世の歴史家が決めるしかないというのが現状であります。
 こういういろんな転換点というのが、民主党一つを取っても、南北戦争の頃、それからFDR、フランクリン・ルーズベルトでありますが、そのフランクリン・ルーズベルト以降の民主党で大きく違うわけであります。ですから、実はひょっとしたらそういう大きな歴史の転換点にいるのかもしれないということは感じるわけであります。
 ただ、戦後七十数年間、次第に日本とアメリカ、どの国も先進国は全てそうですが、民主的ないろんな制度が整い、そして成熟した民主化というものがどんどんと成し遂げられていると。そうすると、政治の側が応えなければならない課題というのが物すごく多くなってきたというような状況になると。そうすると、国内で応えなきゃいけない民主主義的な要求に様々応えなければならないという状況になってきたと。近年、我々研究者業界でよく話題になる本にグローバリゼーション・パラドックスというものがあるわけですが、これは、民主主義とグローバリゼーションと国民主権というものは、なかなか三つとも同時並行的に成立をさせるというのは困難であるという状況になりつつあると。
 新興国が台頭してきて次第に国際的な要求がどんどん激しくなっていく、国内では、民主化及び高齢化あるいは社会保障の充実に伴って、国内でもいろいろ必要な資源というものが多々出てくるといろんな予算を割かねばならないというふうな状況になってくると。そうすると、当然、経済力の好ましいところにどんどん移民も集まってくるということで、今申し上げたグローバリゼーションと民主主義と国民主権というのが、人の移動の自由化に伴ってだんだんと三つが並列的に成立をするということが難しくなっていくという状況になるわけであります。
 アメリカ・ファースト、フランス・ファースト、○○ファーストという状況になっているわけですが、同時に、中国の台頭というのは、安全保障でもそうですけれども、例えば、中国が行っている人民元の過剰な発行で経済成長率よりも何倍もの大きさで人民元を発行している状態が、ここ二年ぐらいまでは落ち着いていますけど、過去において物すごい量で人民元を発行していたものですから、そうすると人民元が世界中にあふれる、過剰流動性のこの通貨というのが世界中をうごめいていて、ハワイの土地を買ってみたりバンクーバーの土地を買ってみたりという状況になると。そうすると、一般の中産階級であったアメリカ人や先進国の人たちが、どんどん値段が上がっていく不動産の状況、それから大学の授業料なんかもそうだと思うんですけれども、どんどんインフレ傾向の中で、日常的な生活を真面目にやっているにもかかわらず、家が買えない、不動産が買えない、子供を大学に通わすこともできない、我々は一生懸命やっているのに、こんな暮らしにくい嫌な社会に誰がしたんだというような不満というのがだんだん出てきているのが現状ではないかと。
 そのような意味で、中産階級の相対的な衰退というのが現在では起きていて、この状況はトランプ大統領の今でなくてもこの傾向は変わらない。つまり、ポピュリズム的な展開というのは別に二〇一六年だけに特異な現象ではなくて、これから国際社会全体が構造変動していくとともに、中産階級というのがだんだんと相対的に没落していくという構造になっているので、早くそれに手を打つ必要があるのだということを私は常に考えているわけであります。
 大きな転換点でいえば、第二次世界大戦以降の基本的な国際的な側面での自由貿易、そして国内的な側面の福祉主義というのがだんだんと維持できなくなってきたと。自由貿易主義が維持できなくなってきたのは現在のアメリカの政権を見れば立ち所に分かるわけでありまして、できるだけとにかく大きな地域的な枠組みをつくるよりは、二国間で交渉して短期的な利益を得た方が好ましいというような現象が現在起きているのではないかというふうに思うわけであります。
 こういった状況で、日米の連携、そして永続的平和のために、経済的な面でもそして安保の面でも連携をより深めていくにはどうしたらいいだろうかと。このトランプの四年間で、基本的にはアメリカの相対的な地位というのはやっぱり落ちると言わざるを得ないでしょうと。現在、アジア太平洋地域というのは、やはり国際環境は極めて不確実性を増しているわけでありまして、そういう意味で、外部の脅威というのが存在すればするほど日米というのはより緊密になっていかなければならないと言えます。しかしそれは、同盟に関してよく対称同盟、非対称同盟と言われるわけですが、対称さというのが求められていって、更なる巻き込まれの危険性というのがどんどん恐怖として大きくなっていくということが言えると。
 再び自分で守るという選択肢と人に頼むというこの二つの選択肢があって、人に頼むというのも大事で、どうやればアメリカからの安全保障供与を確実にできるかということを考えていくと同時に、自分たちが何ができるかということを前提として考えていく必要があるんではないかと。
 最後に申し上げることは、私の人生観でもあるんですけど、保険は一個あるより複数あった方がよいということでありまして、アメリカプラスアルファの安全保障を確実にするための方策を考えていかなければならないということですが、この報告は日米関係ということでしたので、また機を改めて論じることができればと思います。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 伊藤剛

speaker_id: 12652

日付: 2017-04-19

院: 参議院

会議名: 国際経済・外交に関する調査会