森まさこの発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○森まさこ君 自民党の福島県選挙区、森まさこでございます。
 吉野大臣、復興大臣御就任おめでとうございます。被災地からの大臣です。福島県の大臣です。そして、吉野大臣は、原発事故が起きた双葉郡、浜通りを地元とする復興大臣として初めての大臣でございます。
 そして、吉野大臣は、被災者のお一人でもございます。津波で御自宅が被害を受けられました。自宅に住めない方、家をなくした方のお気持ちもよくお分かりになっていらっしゃると思います。
 三・一一のあの日、私たちは国会審議中でした。吉野大臣と私は、連絡を取り合いながら、手分けして浜通りを北と南から入りました。吉野大臣は南からいわき市、双葉郡、そして私は相馬地方、新地町、相馬、南相馬と入りました。吉野大臣が一人でリュックを背負って双葉郡に歩いて入っていったという報告を受けております。立入禁止のぎりぎりのところまで私たちは北と南から入っていったわけでございます。北の方は南相馬のそのへりまで行って、当時マスコミもほとんどいませんでしたから、私の北の方は私が撮影した動画がニュースとして、原発地域の映像として初めて流されたわけです。
 そんな吉野大臣は、福島県から自民党では衆議院議員一人でした。野党で、衆議院で吉野大臣、そしてその御質問を引き受けての私の参議院での、被災地の現状を見て訴える質問をなさってこられました。
 廃炉作業中の原発サイトにも毎年入っておられます。現場の話では、吉野大臣と私が国会議員で最も多い回数原発サイトに入っているんでございますが、廃炉中のその進捗状況を定期的に入って厳しくチェックするというその御姿勢を貫いてこられました。廃炉を安全に成し遂げるまでは死ねない、その口癖が、事故直後から六年間いつも伺っております。
 私は、復興大臣として最適任だというふうに思っています。吉野大臣が就任したとき、私は白河におりまして、翌日は郡山、そして昨日は会津、どの地域の皆様も吉野復興大臣に対して大きな期待を寄せておられます。喜びの声を伺っております。
 事故直後、私は北の方の南相馬に行ったんですが、吉野大臣も原発地域のぎりぎりまで行かれて、見たと思います。私は、行方不明の自分の家族を捜す方に何人も会いました。引き波の残る水たまりの中に膝まで入っていって、寒い中、何もなくなった中を棒切れで御遺体がないか捜す。原発事故により捜索もままならない方々のお気持ち、最愛の夫を妻を子供を父を母を亡くした方々の気持ちが大臣にはよくお分かりになっていただけていると思います。生き残った私たちは、犠牲になった皆様の分までしっかりと精いっぱい生き抜いて、そして復興したふるさとの姿を天国にいる皆様に見せるんだ、そういう気持ちで、吉野大臣を先頭にやってまいりました。
 そんな吉野大臣だからこそ、今村大臣の発言に傷ついた被災地の皆様に、吉野大臣の思い、そして復興大臣としての決意をお述べいただきたいと思います。お願いいたします。

発言情報

speech_id: 119314858X00720170428_003

発言者: 森まさこ

speaker_id: 7644

日付: 2017-04-28

院: 参議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会