岩屋毅の発言 (本会議)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○岩屋毅君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員木村太郎先生は、去る七月二十五日、逝去されました。
 よわいいまだ五十二。政治家として円熟期を迎え、これからこその活躍が期待されていた中での急逝は今もって信じがたく、ましてや、奥様を初め御遺族の御心痛はいかばかりか、お察しするに余りあり、お慰めの言葉もございません。
 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。
 七月二十五日の早朝、真紀子夫人から私の携帯に電話が入りました。何かせっぱ詰まった御様子で、今からすぐに来てほしいところがありますとのことでした。先生が闘病中であられたことに感づいてはおりましたが、詳しい病状については知らされていなかっただけに、突然の御連絡に、よもやと思い、着のみ着のまま都内の病院へと急行いたしました。
 病室の前まで参りますと、中からは、お父さん、お父さんとすすり泣くお嬢様方の声が聞こえてまいりました。まさかと思って部屋に駆け込むと、時既に遅く、ベッドに横たわる君は既に幽明境を異にされていたのであります。私はとっさにベッドに駆け寄り、太郎ちゃん、太郎ちゃん、何をしよんのか、起きぬか、起きてくれ、何度も体を揺さぶり声をかけ続けましたが、君はついに目をあけてはくれませんでした。
 毎朝のウオーキングを欠かさず、毎年精密な健康診断を受けるほどに健康に留意していた君が、まさかこんなにも早く逝ってしまうとは。さぞかし無念だったでありましょう。さぞかし悔しかったでしょう。志半ばで逝かれたあなたの心境を思うとき、到底言葉が見つかりません。
 しかし、きょうは、貴君の最後の舞台です。勇気を振り絞って、あなたの人となりをしのんでまいりたいと思います。
 木村太郎先生は、昭和四十年七月二十日、リンゴの名品種「ふじ」発祥の地、青森県南津軽郡藤崎町において木村家の御長男としてお生まれになりました。御尊父守男様は、本院議員を四期務められた後に青森県知事を三期務められ、また祖父文男様も本院議員を務められるなど、木村家は三代にわたって国家並びに郷土のために貢献してこられた御一家であります。
 そのような環境の中に生をうけられた先生でしたが、幼少のころは、御尊父の晴れやかな当選の場面よりも、再起のために苦心されるお姿の方が深く心に残り、選挙のたびに田畑が切り売りされるのを見て、政治家だけにはなりたくないと思っていたそうです。御母堂せつゑ様も、別の道を歩まれることを望んでおられたと聞いています。
 しかし、先生の中に脈々と流れる政治家の血がそれを許しませんでした。
 先生が小学校のころ、青森県は日本一出稼ぎの多い県でした。同級生の中にも、父親が農閑期に都心部へ出稼ぎに行くという御家庭が多く、クラス全員でお父さんたちを励ます文集をつくられたと聞いています。
 先生は、このような状況を目の当たりにして、子供心に、青森をもっと豊かにしたい、そういう沸々たる思いを抱くようになっていかれました。
 そして、高校三年生のときに、将来の進路について思いをめぐらし、ふるさとと日本の発展のために、そして恵まれない人たちのために、人生をかけて政治の道で役立っていきたいとの青雲の志を立てられたのであります。
 その後、東洋大学に進学された先生は、政治への志を果たすための修行の第一歩として故田中角栄元総理邸に書生として住み込み、学業に励む傍ら、生の政治の勉強を開始されました。
 政界の大実力者であられた元総理の息遣いを身近に感じ、その活動を支えられたことは、その後の先生の政治人生の土台を築いていくためのまたとない学びの機会となったものと思います。
 昭和六十三年に大学を卒業された先生は、故三塚博元外務大臣の秘書としてさらに修行を重ねられ、来るべき将来に備えました。そして、平成三年四月の統一地方選に勇躍、立候補。生まれた津軽で全力投球をスローガンに、弱冠二十五歳の若さで青森県議会議員に初当選を飾られ、政治家としての第一歩をスタートされたのであります。
 そして、平成八年十月、いつかは国政にと志しておられた先生にチャンスが到来しました。政治改革の嵐が吹き荒れる中に行われた第四十一回衆議院総選挙であります。この選挙に先生は青森県第四区から出馬され、多くの選挙民の期待を一身に集められて、見事に初当選。弱冠三十一歳の若さで念願の国政にデビューを果たされました。
 以後、先生は、選挙区の皆様の絶大な信頼と支持に支えられ、当選すること連続七回。この間、国会においては、農林水産委員会、安全保障委員会、武力攻撃事態対処特別委員会の理事、決算行政監視委員会の筆頭理事、さらには安全保障委員長、そして直近には地方創生特別委員長として、幅広い政策分野において重要な役割を果たしてこられました。
 また、政府においては、農林水産大臣政務官を務められたほか、防衛庁長官政務官を経て、防衛庁副長官として、日本の安全保障、防衛の第一線で獅子奮迅の活躍をされました。
 陸海空の三自衛隊を抱える青森県がお地元の先生は、自衛隊の活動には住民の理解が欠かせないということを骨身にしみて感じておられ、常に地元自治体や住民の方々のことを第一にお考えになり、誠心誠意を尽くされました。
 弾道ミサイル追尾のためのXバンドレーダーが青森県車力に配備される際にも、真っ先に現地に入り、調整に汗をかかれました。
 昨今の緊迫する国際情勢に鑑みれば、このことは、国民の安心、安全に心を砕かれた木村太郎先生の面目躍如たる御功績であると存じます。
 一方、党においては、副幹事長、国際局次長、青年局次長などを経て、筆頭副幹事長、広報本部長、さらには青森県連会長として党勢の拡大に多大な足跡を残してこられました。
 中でも特筆すべきは、自民党が野党時代、先生が中心になって開始されたふるさと対話集会であります。マイクの要らない集会、あなたの生の声を国政へを合い言葉に開始されたこの集会は、党所属国会議員が自分の選挙区以外の地域の隅々にまで足を運び、住民の皆さんと車座になって地域や国政の課題を語り合うという、それまでにはなかった取り組みでした。
 先生は、比類なき情熱と行動力を持ってこのプロジェクトを力強く推進され、御自身も七十カ所の集会に出席されて、中央と地方との橋渡しの役割を果たされました。
 私も、先生のお地元のふるさと対話集会にお邪魔したことがございます。山村の小さな公民館で、座布団を円陣に敷き詰めただけのわずか十数人の集会でした。その集会の終了後、この小さな対話の積み重ねこそが党の信頼回復、ひいては政治の信頼回復につながっていくと思うんだと言われた先生の言葉が今も脳裏に焼きついています。
 このふるさと対話集会は現在も継続されており、九百回近くに及んでおります。これは、決しておごることなく、偉ぶることなく、常に国民に寄り添う気持ちを忘れない木村太郎先生だからこそなし得た偉業であり、政治の場にある私どもが常に心しておかねばならない政治の原点がまさしくそこにあると思います。(拍手)
 そして、平成二十四年十二月に第二次安倍内閣が発足すると、先生はふるさと担当の内閣総理大臣補佐官に就任され、約三年間、地道に、そして懸命に安倍総理を支えられました。先生は、ふるさと対話で培った御経験をもとに、地域活性化に取り組む全国の自治体をみずからの足で訪ね、住民の方々と精力的に意見交換をされました。先生にとってのふるさとは、もはや生まれ故郷の青森県にとどまらず、先生が訪れ、心を寄せられた全国各地へと大きく広がっていったのであります。
 先生は、こよなくふるさとを愛した人でした。
 ねぶた祭りを一度見においでよ、もう十年近く前から言われ続けていましたが、ようやく二年前にそれが実現しました。弘前ねぷた祭りでは、祭り装束に身を包んだ先生の雄姿を見ることができ、ヤーヤドーという力強いかけ声を耳にすることができました。そして、青森ねぶた祭りにおいては、先生が用意してくれた席で、ラッセラー、ラッセラーのかけ声とともに繰り出されてくる勇壮なねぶたの数々に圧倒されました。
 津軽富士とも称される美しい岩木山、津軽海峡を望む峻厳たる竜飛岬、吸い込まれるような緑をたたえる世界遺産白神山地、森とせせらぎが幽玄な世界を醸し出す奥入瀬渓流、湖と言うには余りに雄大な十和田湖、縄文時代の人々の息遣いが聞こえてきそうな三内丸山遺跡、そして津軽の人々の熱情と哀愁を織りまぜて響く津軽三味線。先生は、青森県の魅力の数々を二日半の行程の中にぎっしりと詰め込み、私たちを魅了してくれました。
 この美しい大地があり、この豊穣たる文化があればこそ、こよなく人々を愛し、そして人々から愛される人間味あふれる政治家木村太郎が生まれ育ったのだということを深く感じ取ることのできた、生涯忘れることのできない経験となりました。
 国を思うこと切なる情熱、限りない愛郷心、そして、常に弱者の立場を思いやる温かい人情を持ち合わせていた木村太郎先生。御存命であれば、今ごろあなたは国政の中心にあって、我が国を導くリーダーのお一人として颯爽と活躍され、国民の厚い信望を集めていたに違いありません。
 しかし、そのやさきに、先生は忽然と逝ってしまわれました。先生を失ったことは、御郷里青森県にとっても、そして我が日本国にとっても、まことに大きな損失であり、惜しみても余りあるものがあります。返す返すも残念、そして無念でなりません。今はただただ、この世の無情の前に悄然と立ち尽くすのみであります。
 しかし、それにとどまっていたのでは、きっと先生からお叱りを受けるに違いありません。残された私どもの使命は、先生の志を引き継がれた木村次郎代議士とともに、先生の思いをしかと受け継ぎ、日本国の繁栄と地方の発展のために、先生の分まで汗をかき、最善を尽くしていくことだと存じます。
 木村太郎先生、あなたが残された数々の御功績は、国政壇上に、そして御郷里青森県の大地にしっかりと刻まれています。これからは、あなたが愛してやまなかった青森の土に返られ、ふるさとの発展と日本国の発展を見守ってください。
 そして、二十七年間に及んだあなたの政治活動を終始、内助の功をもって支えてこられた最愛の奥様、真紀子さんと四人のお子様たち、そして御両親の行く末をお見守りください。
 ここに、木村太郎先生の長年にわたる国家並びに御郷里に対する多大な御功績をたたえるとともに、その人となりをしのび、みたまの安らかならんことを心から願って、追悼の言葉といたします。
 木村太郎先生、どうぞ安らかにお眠りください。(拍手)
     ————◇—————

発言情報

speech_id: 119505254X00620171121_020

発言者: 岩屋毅

speaker_id: 30611

日付: 2017-11-21

院: 衆議院

会議名: 本会議