鈴木貴子の発言 (外務委員会)
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○鈴木(貴)委員 ありがとうございます。
それでは、重要なところも確認をさせていただきましたので、日・リトアニア、エストニア、そしてロシアとの租税条約の方に移らせていただきたいと思います。
まず、リトアニアといえば、思い出すのはやはり、日本のシンドラーとも時に言われる、元外務省職員である杉原千畝さんだと思います。この杉原さんというのは、第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツの迫害を逃れるユダヤ人の皆さんに対して、日本を通過してもいいよというビザを最後の最後のぎりぎりまで発給をし続けた、そしてまた六千人を上回るユダヤ人の皆さんの命を助けられたということで、本になったり若しくは映画等々にもなっていらっしゃる方であります。
あわせて、大事なのは、この杉原さんという方は、このビザ発給というものが当時の本省からの訓令に違反をしているということで、晩年は非常に冷遇を受けた、若しくは御家族もそのような思いとともに長きを過ごされていらっしゃったわけであります。
その際に、時間はたちまして、一九九一年、ようやくバルト三国、リトアニアがソ連から独立を宣言するということで、日本が、いよいよ国交の樹立だということで、当時、外務政務次官だったのは鈴木宗男先生でありますが、鈴木宗男先生が、外務政務次官としてバルト三国を訪問する前に、ならばやはり杉原千畝さんの名誉回復をしないといけないのではないかということで、時の外務省とかけ合いまして、出発の前、ちょうどたしか二日前だったと思いますが、幸子夫人、そして御長男と面談をされ、外務省として公式な謝罪を実に四十四年ぶりにされたという、これまた歴史もあるわけであります。
そして、またその後、平成十二年でありますが、杉原千畝さんの生誕百年に合わせまして、功績をたたえる顕彰プレートというものが、外交史料館において除幕式がありました。その顕彰プレートをつくるということを決定をされましたのが、時の河野洋平外務大臣であります。
そういった意味では、さまざまな歴史、外務省の中でのさまざまな事情があった中でも、まさに時の河野洋平大臣の英断があって、新しい、そしてまた日本が世界にも誇れる歴史というものがつくられたのではないのかな、このようにも思うところであります。
そして、きょう、河野太郎大臣とも、そういった意味では、歴史といいますか、つながりもありますリトアニアとの租税条約であります。
そもそもの質問に入らせていただきますが、まず、この租税条約を締結する目的若しくは必要性というものはどのように考えていらっしゃるでしょうか。