務台俊介の発言 (環境委員会)
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○務台委員 ありがとうございます。
公害健康被害の補償等に関する法律の一部改正法案について御質問させていただきます。
この法律ができた昭和四十九年の翌年に、私は長野県から東京に出てきて大学に入学しました。希望に燃えて上京した東京でございましたが、全てが快適とは言えない、そういう現実もございました。通学の満員電車、それから住居の狭さ、そして空気の悪さは特に辟易しました。
私は、安曇野、松本という非常に空気のきれいなところで生まれ育ったんですが、長野県にいたときは鼻毛が伸びるということはございませんでした。ところが、東京に来ると鼻毛が伸びるんです。(発言する者あり)加齢ではないですね。そして、タオルで顔を拭くとタオルが黒くなる、そんな状況がございました。大気汚染の深刻さの兆候というのを改めて学生生活で初めて体験した、そんなことがありました。
高校時代、私は、同世代の多くの人と同じように深夜放送を聞いておりまして、「オールナイトニッポン」というのがございまして、その中で、ソルティー・シュガーというフォークグループがありまして、「ハナゲの唄」というのが一時はやっておりました。鼻毛が伸びる、鼻毛が伸びる、一億人鼻毛で窒息死、そういう歌でしたが、大臣は御存じないとは思いますが。当時は随分ふざけた歌だなというふうに思っておりましたが、今から思えば、あの歌は、あの時代の大都市の局面を端的に映し出した内容であったというふうにも思っております。松島先生は御存じだというふうに思いますがね。
しかし、当時、日本の各地では、より深刻な健康被害が生じていたということでございます。その健康被害に対する補償としては、本来、汚染原因者と被害者の間での個別の損害賠償として処理されるべきというのが本来の原則だと思います。その補償を迅速かつ公平に図ることを目的としてこの法律が構想されたということで、この質問に際して改めて私なりにこの法律制定の経緯を振り返ってみたところ、よく考え抜かれた完成度の高い仕組みであることに改めて感服させていただきました。
その上で、この仕組みの考え方、これはさまざまな被害者救済に対する共通のルールとして展開し得るものという印象も持ちました。そして、そのシステム自体が、現在環境破壊、公害に悩んでいる開発途上国にも伝授できるもの、そういう思いを漠然と抱いた次第でございます。
さて、今日、この法律が制定された当時と比べて、大気汚染の環境は大きく改善しております。その結果、被認定者の数、補償給付総額とも減少傾向にありますが、その推移の特徴について伺いたいと思います。
この制度から外れる方は、ひところまでは治癒によるものが多かったと承知しておりますが、最近は死亡離脱が多い、そういう背景についてもお伺いしたいと思います。
さらに、この制度の補償給付はいつごろまで続くものと見込まれているのか、その点についても伺いたいと思います。