高木陽介の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
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○高木(陽)委員 公明党の高木陽介でございます。
今回、大臣の所信に基づいて質疑をさせていただくということで、機会を与えていただいてありがとうございます。
私も、三年間そちらの方で答弁をする側でございまして、二〇一四年九月に、経産副大臣並びに内閣府の副大臣、そして原子力災害の現地対策本部長を拝命いたしました。昨年の八月まで約三年間務めさせていただいて、二百六十日間福島に入らせていただきました。
そのときに、復興は着実に進んでいるんですけれども、やはり一人一人の心の復興ということに光を当ててみると、まだまだであるなと。そういった意味では、吉野復興大臣始め関係機関の皆様方が今も努力されているということに敬意を表するとともに、更に加速をしていただきたいということをまず冒頭お願い申し上げたいと思います。
その上で、冒頭、原子力災害の現地対策本部長に就任したときに、まだ避難指示の解除が田村と川内しか行われなくて、そのときに、十二の市町村、まず首長の皆さん方に御挨拶に行きました。四日間かかりました。
そのときに、私の先代の本部長を務めた赤羽副大臣とともに、四日間、十二市町村を回って、最後に県庁を訪問いたしました。当時はまだ佐藤雄平さんが知事で、現在の知事である内堀さんが副知事でありまして、内堀さんと名刺交換をしたときに最初に言われたことが、高木さんで原子力災害の現地対策本部長は十二人目ですと言われました。びっくりしました。
二〇一二年の十二月に政権交代いたしまして、自公政権で安倍内閣が現地対策本部長を赤羽さんにしまして、赤羽さんが二年務めた。その後、私が三年務めて、今は自民党の武藤副大臣が務めていただいております。
二〇一二年の三月の十一日に、震災、そして原子力のあの事故、原発の事故があって、当時の政権、一年九カ月間で現地対策本部長が十人かわった。一年九カ月で十人かわるということは、申しわけないですけれども、なかなか現場に入らない。そうなりますと、もちろん、自治体である県及び被災地であった十二市町村、それ以外の自治体も含めて、誰と話をすればいいのか、もっと言えば、被災者の皆さん方は誰を頼ればいいのか、こういう状況であったと思います。
これは批判するわけではなくて、やはり大切なのは、被災者一人一人に寄り添っていくということ、これを肝に銘じながら、これは政府の人たちだけではなくて、私たち復興特の委員一人一人がそれを感じながらやっていかなければいけないな、そのように自分でも決意をしておりますし、副大臣を終わってからも、毎月一回、福島に入るようにさせていただいております。
そんな中で、震災から七年がたちました。先ほど申し上げたように、復興は着実に進んでいますが、まだまだのところもたくさんございます。そういった中で、何点か確認をしながら、そして今後の方向性を問うていきたいと思います。
まずは、イノベーション・コースト構想の現状についてでございますが、福島の場合は、あの東京電力福島第一原子力発電所の事故で国が強制的に八万人を避難させた。それによって生活がなくなってしまった。そして今、順次解除をしながら被災者の皆様方が帰還をしている。しかしながら、なりわいがないね、仕事がないね、これはもう生活にとってみれば大変重要な問題でございますので、何とかしなければいけない。
それまで、あの浜通り地域は、農業と水産業と林業を中心にした町であったと思います。原発を誘致して、それにある意味では依存しながら生きてきた町でもあったと思います。そういった中で、原発があれだけの事故を起こした、廃炉作業が四十年かかると言われている。
そんな中で、何を糧にしながら、どういう目標を持ちながらやろうかといったときに、私の前の赤羽副大臣がイノベーション・コースト構想というのを打ち出した。私も引き継がせていただいて、そして、さまざまな形で、ロボットや廃炉、特に廃炉に関しては、先ほど申し上げた四十年かかるわけでございますから、この四十年の間に、いまだかつて世界で誰もやったことのない廃炉作業をやる、それにはさまざまな技術革新が必要であろう、ロボットも必要であろう。
そういうところから、逆にピンチはチャンスだということで、このイノベーション・コースト構想というのが生まれ、そして今現在、進行中でございますが、そのロボットや廃炉等、これは企業が来て初めてなりわいが成り立ってくるという観点からいうと、この企業誘致については今現状どうなっているか、お聞かせ願いたいと思います。