亀岡偉民の発言 (文部科学委員会)
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○亀岡委員 おはようございます。
文化行政に造詣が深くなりたいと思っている自由民主党の亀岡偉民です。
宮路先生みたいな立派な質問ができるかどうかわかりませんが、きょうは、三つちょっと心配なことがありまして、お尋ねをしたいと思います。
特に、芸術に関する教育に関する事務、こう表現されているんですが、この文化庁、新文化庁なんですが、私ちょっと心配なのは、学校教育における人材育成からトップレベルの芸術家の育成まで一体的な施策の展開についてというのがあるんです。
学校教育ということであれば、音楽であれば、音楽表現をするために必要な技能を身につけるとともに、音楽を愛する心情と感性を育み、豊かな情操を養うということになります。本来であれば、文化庁であれば、すばらしい優秀な芸術家、音楽家をどんどん伸ばしていく、トップレベルのプレーヤーを育てていくという印象があるわけですが、学校教育では、どちらかというと、ここに書いてあるように、音楽を愛する心情と感性を育み、豊かな情操、そういうことをしっかりと植え付けるというのが学校教育の目的となろうと思います。
昨今でも、ちょっとスポーツに例えれば、今回のラフプレーで、勝つことに意義があるみたいなところで間違った指導をしてしまう可能性がある。
私も、これはちょっと文化庁が、すばらしい今までの人材をもっと、より頑張ろうとして、優秀な人材を育成しようとしてきた、その中で今度は、学校教育の中にしっかりとその思想を取り入れる、これはある意味ではすばらしいことだと思います。
大臣も一流トップミュージシャンとしていろいろ頑張ってこられたと思いますが、まさにこれから、一流のものを聞かせながら一流を目指すという意味で学校教育に取り入れてしまうと、ともすると、学校教育の中でとんでもない教育になりかねないんじゃないだろうかという、ちょっとそんな心配がなければいいんですが、文化庁がしっかりとその辺を考えて、一流演奏家又は本物の芸術家をいろいろ活用することができる学校教育現場になりますから、逆に、子供たちにとってはすばらしいチャンスが生まれることになるとは思うんです。しかしその反面、先生方がともすると、そこをしっかり理解していなくて子供たちに強要してしまう、又は、トップの芸術家やミュージシャンを目指すような、学校教育の中に取り入れたりしてしまいはしないだろうか、これは私すごく大事なことだと思うんですね。
当然、いろいろな子供たちがたくさんいるわけですから、学問というか、数学ができなくても音楽に興味を持ったり、そういうところへ入っていきたいという子供たちもいれば、よくわからないけれども、何か、うん、いいんだなという考え、感性を持たれる子供たちも出てくる。まさに、そういう人たち全部に合わせていい授業ができれば効果的だと思うんですが、文化庁が全部事務を扱うことによって、ともするとトップミュージシャンを強制、強要するような、あのスポーツのように、勝つことが全てではなくて、教育の現場でのスポーツなんだよというのと同じように、音楽や芸術の現場なんだよ、そして、そこでしっかり学びながら、例えば自分の好きなものや、そういう情緒豊かな感性を持つことが大事なんだよという教育にしっかり特化していくことができるかどうか、これはもうこれからの取組方にかかわると思うんですね。
だから、今まで以上の中身の濃い授業が期待できる反面、両極端の効果が分かれる可能性があると思いますので、誤解のないように、文科省としてしっかりと指導体制をとっていかなければならないんじゃないかと感じているところでありますが、その辺ちょっと、取組方を説明していただきたい。お願いいたします。