枝野幸男の発言 (本会議)
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○枝野幸男君(続) それでは、ここから大きく七つ、安倍内閣の不信任に値すべき事項についてお話をさせていただきたいと思います。
まず第一は、過労死をふやすことになる、国民の命を危機にさらす、高度プロフェッショナル制度を強行したことであります。
この問題の本質は、労働時間規制が及ばない労働者をつくるというところにあります。
そもそも、近代労働法制というのはどこから始まったのか。それは、一日八時間労働が原則であるという、その原則を法定し、しっかりと守らせる、これこそが、労働法制の世界における、近代社会としての大前提であります。
高度プロフェッショナル制度は、さまざまな言い方をしていますが、この近代国家においては大前提である、労働者の労働時間はしっかりと把握、管理し、一日八時間労働が原則である、八時間を労働に、八時間を睡眠に、そして残り八時間をそれぞれの自由な時間に、これこそが人間らしく生きるための最低限のベースであるというのが近代社会の大前提である、この制度の外側に置く労働者をつくるというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質であります。結果的に長時間労働させ放題になる。
我々は当初残業ゼロ法案と言っておりましたが、もっとわかりやすく言えば、定額働かせ放題の制度である。
携帯電話やスマートフォンであれば、定額使い放題は大変便利な制度であります。しかし、まさに使い放題だからこそ、どれぐらい使っているかということを気にせずに使えるから、定額使い放題制度は情報通信の世界で大変広く広まり、利用者にとっても便利な仕組みとなっています。
これを労働の分野、人間の働くという分野に持ち込もうというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質、実態であります。どんな言いわけをしても、どんな説明をしても、いや、私も、使用者の立場であるならば、支払う賃金が同じ金額ならば、できるだけ多くの課題をその人間に負荷して、できるだけ長い時間を働いていただいて、できるだけ大きな成果を上げていただこうとするのはむしろ当然のことであり、いや応なく長時間労働につながるということは誰がどう見ても明らかな、問題のある制度であります。
しかも、労働時間管理自体を、従来の労働と違って、しっかりとした管理をしないという仕組みになっています。
したがって、長時間労働の結果、過労死などの残念な事態が生じた場合、現在の仕組みのもとでも、実際の労働時間を立証する、そのことによって過労死であったことを立証する、これは、こうした問題に直面せざるを得なくなった遺族の皆さん、それを支えている弁護士さんにとっては、現状でも大変困難な実は案件であります。
にもかかわらず、そもそも労働時間管理自体を原則取っ払ってしまう高度プロフェッショナル制度のもとで長時間労働による過労死が生じても、それを、過労死である、長時間労働の結果であると証明するということは甚だ困難になってしまいます。しかも、自己管理による自己責任であるという、まあ最近お得意の論法で、労災などの認定を受けられないなどという結果にもつながりかねません。明らかに、過労死、過労自死促進法であることは論をまちません。
安倍総理は、かつて、過労死を防ぐ法律をつくろうというときには、過労死の遺族の皆さんとお会いになり、お話をされました。二度と過労死を出さないという決意を示されました。そうした皆さんが、この法案は問題である、自分たちのような、同じようなつらい思いをする、亡くなってしまった人は戻ってこない、そうした人たちをふやしてしまう法案だという強い危機感を持って、もう一度総理に直接話を聞いてもらいたいということを一顧だにもせず強行したこの姿勢は何なんですか。
褒めてもらえそうな都合のいいときだけ顔を出すけれども、厳しい指摘を受けそうなときには逃げる、まさにひきょう者のやり方ではないでしょうか。
そもそも、高度プロフェッショナル制度には、さまざまなうそが前提になって議論が進められたという大問題があります。
そもそも、この制度は、一千七十五万円以上の年収のある人にしか適用されない、ほとんどの労働者には関係ないんだという前振りのもとに議論が進められました。しかし、野党各党の国会における審議を通じて、そもそも法律には金額の明記がないこと、これは読めばわかる話ですが、この一千七十五万円という金額の算定の中にはさまざまな諸手当も含まれる解釈が成り立つこと、そして、何よりも問題なのは、審議の途中から、いずれこれは引き下げていくんだということが、各界各層、議員の中からも出てきているという話であります。
うそという意味では、指摘をしなきゃならないのは、不適切データの問題であります。
総理御自身が、不適切、むしろ捏造と言ってもいいデータに基づいて、裁量労働制で働く人の労働時間は一般労働者より短いというデータもある、誰が言ったのではありません、総理御自身がおっしゃったんです。撤回をし、厚労省のデータが悪いので俺は責任がないと、例によっての責任逃れをおっしゃっていますが、実は、撤回をした後にも、更に二百件以上の不適切データが発見をされています。衆議院の委員会採決の当日の朝にも新たな不適切データが発見されたということはこの場で何度も指摘をされているところでありますが、にもかかわらず、審議強行し、採決を強行しました。
事実に基づかない誤ったデータに基づいて議論を進める、こんなことも、近代国家ではあり得ないことであります。
行政の内部におけるいきさつはいろいろあるのかもしれませんが、総理自身が、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度などの、いわゆる残業代を残業時間に応じて支払うというわけではない制度を導入するに当たって、この誤ったデータを引用して正当化する発言をしていた以上は、この法案の前提の事実が事実でなかったということでありますから、当然のことながら、今度は正しいデータをとり、そのデータをしっかりと分析した上で議論をし直すのが当たり前のことじゃないですか。
安倍総理は、あるいは政府の皆さんは、この高度プロフェッショナル制度についてニーズがあるのかと問われ、やりたくない企業や労働者はやらなくていいんだ、希望している人もいるんだという答弁をされました。
しかしながら、労働者側のニーズを示す客観的な根拠はありませんでした。ヒアリングは十名程度の事後的なアリバイづくりのようなものにとどまっています。しょせんは企業側の論理に基づく一方的な制度の導入であるということは、既に議論を通じて明らかになっています。
しかも、企業側が導入を求めたとき、残念ながら、今の日本の社会風土、職場風土の中で、本当にこれを拒否できる労働者がどれぐらいいると思っていらっしゃるのでしょうか。残念ながら、会社側から強く求められれば、本人は嫌であっても受け入れざるを得ないというのが現在の現実の日本の職場風土であるということを、総理も厚生労働大臣も御存じないんでしょうか。希望をしない人は制度をとらなければいいという言いわけは全く説明になっていません。
今回の労働法制は、長時間労働の是正という大義のもとに行われました。残念ながら野党各党の強い反対を押し切って成立した後も、長時間労働の是正というこの大義を、総理以下、掲げておられますが、労働者側のニーズもなく、長時間労働につながる高度プロフェッショナル制度を推進するのは、看板に偽りありと言わざるを得ません。
失われた命は戻りません。過労死、過労自死で家族を失われた皆さんからの悲鳴とも言っていいような声は、野党の同僚議員が、この本会議場でも、全ての議員の皆さんに向かってお伝えをさせていただいた。私も目頭が熱くなりました。この高度プロフェッショナル制度で長時間労働を余儀なくされ、命を失う方が出たときに、誰がどう責任をとるんですか。
私たちは、残念ながらこの国会で形式的にこの高度プロフェッショナル制度は成立をしてしまいましたが、人の命にかかわる問題です、決して諦めることはありません。一日も早く衆参両院で高度プロフェッショナル制度に反対する勢力が過半数をとり、一日も早くこの制度を廃止する決意を皆さんに申し伝えたいと思います。
また、この制度が形式的に当分続く間も、我々はさまざまな皆さんと連携をしながら、実際にこの制度を導入する企業が生じないように厳しくウオッチをし、もしそうしたものが見つかった場合には国会内外で厳しく指摘をしていく、そのための監視活動を全力を挙げて取り組んでいくことをこの場で申し上げたいと思っています。
不信任に値する二つ目の大きな理由は、カジノを強行したことであります。
七世紀末、我が国は持統天皇の時代ですが、すごろく禁止令が発令されました。以来、我が国は、千年を超える期間、賭博は違法であるという法制度のもとで歴史と伝統を積み重ねてきました。例外は、公営ギャンブルという、財源確保のためにやむなく行われた非営利目的の特別なものだけであります。
カジノの収益で経済成長を目指す。そもそも、千年以上にわたって違法とされてきたものを使って利益を上げて、そして経済を成長させる、そのこと自体がみっともない政策ではないですか。
持統天皇以来の歴史を一顧だにもせず、こんなばかげた制度を強行する人たちに、保守と名乗ってほしくはありません。
保守と称する皆さんは、保守とは何かとわかって自分たちを保守と名乗っていらっしゃるんですか。
保守という概念は、フランス革命を契機に発生した政治概念です。フランス革命における急進過激な変革に対して、これはやり過ぎだという立場から保守という概念が発生しました。
そして、保守の本質は何か。それは、人間とは不完全な存在であるという謙虚な人間観であります。
人間は、全ての人間が不完全なものであるから、どんな政治家がどんないい政治をやろうとしても、完璧な政治が行われることはあり得ない、常に政治は、社会は未完成、不完全なものである。それが、人間は不完全なものであるという謙虚な姿勢に基づく保守の一丁目一番地です。
このこと自体で、今の自民党安倍政権が保守ではないというのは明確であるというふうに思いますが、こうした謙虚な人間観に基づき、今生きている私たちの判断だけでは間違えることがある、したがって、人類が長年にわたって積み重ねてきた歴史の積み重ねというものに謙虚に向き合い、人類がその中で積み重ねてきた英知というものを生かしながら、それを改善していくに当たっても、間違っているのではないかという常に謙虚な姿勢を持ち、そして、みずからを省みながら、一歩ずつ世の中をよくしていく、これが保守という概念の本質であります。
保守反動という日本語がありますけれども、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会である、しかし過去においても理想的な時代はあり得なかった、未来においても理想は実現できない、でも、今あるものをちょっとずつでもよくしていこう、これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。
一方で、穏健保守という日本語もあり得ません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。反対意見を封殺し、自分が正しい道を信じて邁進する、まさに保守思想が否定をした、フランス革命の急進的な思想であります。したがって、保守とはそもそも穏健なものであり、穏健でない保守が保守を名乗るのは自己矛盾であります。(発言する者あり)