本会議
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会
会議録情報#0
平成三十年七月二十日(金曜日)
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平成三十年七月二十日
午後一時 本会議
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○本日の会議に付した案件
安倍内閣不信任決議案(辻元清美君外六名提出)
裁判所の人的・物的充実に関する請願外四百六十九請願
国家基本政策委員会及び懲罰委員会を除く内閣委員会外十四常任委員会及び災害対策特別委員会外八特別委員会並びに憲法審査会において、各委員会及び憲法審査会から申出のあった案件について閉会中審査するの件(議長発議)
午後一時二分開議
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平成三十年七月二十日
午後一時 本会議
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○本日の会議に付した案件
安倍内閣不信任決議案(辻元清美君外六名提出)
裁判所の人的・物的充実に関する請願外四百六十九請願
国家基本政策委員会及び懲罰委員会を除く内閣委員会外十四常任委員会及び災害対策特別委員会外八特別委員会並びに憲法審査会において、各委員会及び憲法審査会から申出のあった案件について閉会中審査するの件(議長発議)
午後一時二分開議
大
田
田野瀬太道#2
○田野瀬太道君 議案上程に関する緊急動議を提出いたします。
辻元清美君外六名提出、安倍内閣不信任決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略してこれを上程し、その審議を進められることを望みます。
この発言だけを見る →辻元清美君外六名提出、安倍内閣不信任決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略してこれを上程し、その審議を進められることを望みます。
大
大
大
大島理森#5
○議長(大島理森君) 安倍内閣不信任決議案を議題といたします。
提出者の趣旨弁明を許します。枝野幸男君。
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安倍内閣不信任決議案
〔本号末尾に掲載〕
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〔枝野幸男君登壇〕
この発言だけを見る →提出者の趣旨弁明を許します。枝野幸男君。
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安倍内閣不信任決議案
〔本号末尾に掲載〕
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〔枝野幸男君登壇〕
枝
枝野幸男#6
○枝野幸男君 立憲民主党代表の枝野幸男です。
まず冒頭、さきの大阪北部地震及び今般の豪雨災害でお亡くなりになられた方々に改めて衷心から哀悼の意を表します。また、被災された全ての皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
発災以来、消防、警察、海上保安庁、自衛隊、そして自治体職員や消防団の皆さんなど、さらには各地からボランティアの皆さんが被災地にお入りをいただき、猛暑の中、被災者の皆さんのために御尽力をいただいています。そうした皆さんに、この場をかりて、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。
こうした被災地の皆さんは、猛暑の中で、今なお行方不明の方の捜索、そして復旧に向けた御努力をされていますが、連日続く猛暑は、もはや自然災害と言ってもおかしくないと思います。学校での活動中に亡くなられた小学生を始めとして、熱中症などで猛暑の結果亡くなられた皆様方にも心から哀悼の意を表する次第であります。
これより、私は、国民民主党・無所属クラブ、無所属の会、日本共産党、自由党、社会民主党・市民連合及び立憲民主党・市民クラブを代表し、安倍内閣不信任決議案について、提案の趣旨を説明いたします。拍手
まず、決議案の案文を朗読します。
本院は、安倍内閣を信任せず。
右決議する。
〔拍手〕
この後、順次述べさせていただきますが、安倍内閣が不信任に値する理由は枚挙にいとまがありません。大きくくくっても七項目、不信任の理由があります。
ただ、今回、不信任案の提出には若干のちゅうちょの思いがありました。それは、豪雨災害などへの対応が現在進行形であるという現状にあるからであります。
私どもは、野党五党一会派、一致をいたしまして、七月九日の午後、総理大臣宛ての申入れを官房長官へとお伝えをいたしました。
その申入れは、この七月豪雨災害について、最大級の災害であること、救命救助を待っておられる方も多い状況であり、天候によっては更に事態が深刻化する可能性があること、全国各地に被害が及んでいること、こうした事情を挙げまして、行政府、立法府が一体となって取り組む体制を整えることは当然であるといたしまして、政府に対し、この災害対応を最優先に取り組むべきであり、防災担当大臣や国土交通大臣など関係大臣は災害対応に全力で取り組むよう申入れをさせていただきました。同時に、野党としても、可能な限り協力をさせていただく旨も伝達をさせていただきました。
特に、災害対応の中心を担う国土交通省、国土交通大臣は、いわゆるカジノ法案の所掌であります。初動以来大変な御尽力をいただいている消防を所管し、そして、被災地の自治体の皆さんは連日不休の対応に当たっておられる、その自治体を支援するのは総務大臣でありますが、総務大臣は選挙制度を所管しています。
カジノ法案も、参議院の選挙制度についても、今急いで決定をしなければならない案件では到底ありません。我々は両案とも廃案にすべきであるというのが本来の主張ではありますが、せめて継続審議にして、災害対応がある程度の見通しが立った段階で臨時国会を開けば、幾らでも、政府・与党の立場に立ったとしても間に合う法案であります。
にもかかわらず、災害対応を放り出して、この二つの法案審議を優先させたのは何なのか。よほど臨時国会を開くのが嫌なんでしょうか。それとも、総裁選挙の日程の方が大事なのでしょうか。私どもはそう受け取らざるを得ません。
我々野党は、会期末で時間のない中ではありましたが、義援金に対する差押えを禁止するための特例法は、昨日のこの衆議院本会議で、与野党一致協力して成案を得て可決をいたしました。やるべきことは急いでやる、そのことに協力をしてきているところであります。
カジノやお手盛りの選挙制度をやるぐらいであるならば、例えば、野党各党はことしの三月に被災者生活再建支援法と災害弔慰金支給法の一部改正案を国会に提出をしていますが、たなざらしにした上に、この災害の裏側で国会を開いていながらこうした法案の審議に応じていないのは与党であります。
災害時における大臣の役割は大きなものがあります。
緊急な災害時においては、まさにさまざま、前例にないこと、前例の少ないこと、さまざまなことが生じてきます。行政の皆さんだけでは、前例を超えて対応する決断をすることにはなかなか困難があるのが実態であります。だからこそ、災害などの緊急時においては、前例主義にとらわれず、政治責任を持つ政治家がしっかりと役割を果たしていく体制が求められています。
いわゆる赤坂自民亭と言われる問題は、まだ特別警報が出ていなかったなどの言いわけをされている方もいるようでありますが、自衛隊の対応なども動き始めているような状況で、一議員の皆さんがされていたのではありません、指揮すべき立場である総理や防衛大臣、官房副長官まで参加し、しかも、その後、反省の姿勢が全く示されていません。
あえて申し上げますが、一部に、同じような時期に開催された立憲民主党議員の会合を同一視して批判する向きもあります。しかし、緊急時に執行権限を持ち、判断をし、指揮すべき総理や防衛大臣や官房副長官の責任は、野党議員と一緒なんですか。あるいは、野党議員にそうした判断、決断をさせていただけるのですか。ヤジ
この発言だけを見る →まず冒頭、さきの大阪北部地震及び今般の豪雨災害でお亡くなりになられた方々に改めて衷心から哀悼の意を表します。また、被災された全ての皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
発災以来、消防、警察、海上保安庁、自衛隊、そして自治体職員や消防団の皆さんなど、さらには各地からボランティアの皆さんが被災地にお入りをいただき、猛暑の中、被災者の皆さんのために御尽力をいただいています。そうした皆さんに、この場をかりて、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います。
こうした被災地の皆さんは、猛暑の中で、今なお行方不明の方の捜索、そして復旧に向けた御努力をされていますが、連日続く猛暑は、もはや自然災害と言ってもおかしくないと思います。学校での活動中に亡くなられた小学生を始めとして、熱中症などで猛暑の結果亡くなられた皆様方にも心から哀悼の意を表する次第であります。
これより、私は、国民民主党・無所属クラブ、無所属の会、日本共産党、自由党、社会民主党・市民連合及び立憲民主党・市民クラブを代表し、安倍内閣不信任決議案について、提案の趣旨を説明いたします。拍手
まず、決議案の案文を朗読します。
本院は、安倍内閣を信任せず。
右決議する。
〔拍手〕
この後、順次述べさせていただきますが、安倍内閣が不信任に値する理由は枚挙にいとまがありません。大きくくくっても七項目、不信任の理由があります。
ただ、今回、不信任案の提出には若干のちゅうちょの思いがありました。それは、豪雨災害などへの対応が現在進行形であるという現状にあるからであります。
私どもは、野党五党一会派、一致をいたしまして、七月九日の午後、総理大臣宛ての申入れを官房長官へとお伝えをいたしました。
その申入れは、この七月豪雨災害について、最大級の災害であること、救命救助を待っておられる方も多い状況であり、天候によっては更に事態が深刻化する可能性があること、全国各地に被害が及んでいること、こうした事情を挙げまして、行政府、立法府が一体となって取り組む体制を整えることは当然であるといたしまして、政府に対し、この災害対応を最優先に取り組むべきであり、防災担当大臣や国土交通大臣など関係大臣は災害対応に全力で取り組むよう申入れをさせていただきました。同時に、野党としても、可能な限り協力をさせていただく旨も伝達をさせていただきました。
特に、災害対応の中心を担う国土交通省、国土交通大臣は、いわゆるカジノ法案の所掌であります。初動以来大変な御尽力をいただいている消防を所管し、そして、被災地の自治体の皆さんは連日不休の対応に当たっておられる、その自治体を支援するのは総務大臣でありますが、総務大臣は選挙制度を所管しています。
カジノ法案も、参議院の選挙制度についても、今急いで決定をしなければならない案件では到底ありません。我々は両案とも廃案にすべきであるというのが本来の主張ではありますが、せめて継続審議にして、災害対応がある程度の見通しが立った段階で臨時国会を開けば、幾らでも、政府・与党の立場に立ったとしても間に合う法案であります。
にもかかわらず、災害対応を放り出して、この二つの法案審議を優先させたのは何なのか。よほど臨時国会を開くのが嫌なんでしょうか。それとも、総裁選挙の日程の方が大事なのでしょうか。私どもはそう受け取らざるを得ません。
我々野党は、会期末で時間のない中ではありましたが、義援金に対する差押えを禁止するための特例法は、昨日のこの衆議院本会議で、与野党一致協力して成案を得て可決をいたしました。やるべきことは急いでやる、そのことに協力をしてきているところであります。
カジノやお手盛りの選挙制度をやるぐらいであるならば、例えば、野党各党はことしの三月に被災者生活再建支援法と災害弔慰金支給法の一部改正案を国会に提出をしていますが、たなざらしにした上に、この災害の裏側で国会を開いていながらこうした法案の審議に応じていないのは与党であります。
災害時における大臣の役割は大きなものがあります。
緊急な災害時においては、まさにさまざま、前例にないこと、前例の少ないこと、さまざまなことが生じてきます。行政の皆さんだけでは、前例を超えて対応する決断をすることにはなかなか困難があるのが実態であります。だからこそ、災害などの緊急時においては、前例主義にとらわれず、政治責任を持つ政治家がしっかりと役割を果たしていく体制が求められています。
いわゆる赤坂自民亭と言われる問題は、まだ特別警報が出ていなかったなどの言いわけをされている方もいるようでありますが、自衛隊の対応なども動き始めているような状況で、一議員の皆さんがされていたのではありません、指揮すべき立場である総理や防衛大臣、官房副長官まで参加し、しかも、その後、反省の姿勢が全く示されていません。
あえて申し上げますが、一部に、同じような時期に開催された立憲民主党議員の会合を同一視して批判する向きもあります。しかし、緊急時に執行権限を持ち、判断をし、指揮すべき総理や防衛大臣や官房副長官の責任は、野党議員と一緒なんですか。あるいは、野党議員にそうした判断、決断をさせていただけるのですか。ヤジ
大
枝
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枝野幸男#12
○枝野幸男君(続) ちなみに申し上げますが、指摘されている我が党の会合は、議員や政治家の内輪の懇親ではありません。外部の方が参加する会であり、例えば、私も参加いたしましたが、挨拶だけで短時間で退席しております。議員が集まって盛り上がっていたとツイッターされているような会合とは、趣旨も内容も全く異なっております。
それだけではありません。明らかに、この災害に対する対応の初動は大幅におくれています。
七月五日午後二時ごろ、気象庁は異例の記者会見を行っております。そこから六十六時間、八府県に特別警報が発令されるという前例のない事態となり、避難勧告の対象が二十三府県、二百六十四万人に達し、死者・行方不明者の報告も多々入っていた七日の午前零時を起点としても丸一日以上経過した八日の午前八時まで、非常災害対策本部が設置されておりません。空白の六十六時間という指摘もなされています。赤坂自民亭の問題もあわせ、初動のおくれを指摘されてもやむを得ない状況ではないですか。
まだまだ、まだまだ緊急対応の状況が現地では続いています。したがって、詳細な検証は落ちついてから厳しくさせていただきたいと思いますが、少なくとも、こうした批判に対して謙虚な姿勢が全く見られないというのは、深刻な問題ではないでしょうか。ヤジ
この発言だけを見る →それだけではありません。明らかに、この災害に対する対応の初動は大幅におくれています。
七月五日午後二時ごろ、気象庁は異例の記者会見を行っております。そこから六十六時間、八府県に特別警報が発令されるという前例のない事態となり、避難勧告の対象が二十三府県、二百六十四万人に達し、死者・行方不明者の報告も多々入っていた七日の午前零時を起点としても丸一日以上経過した八日の午前八時まで、非常災害対策本部が設置されておりません。空白の六十六時間という指摘もなされています。赤坂自民亭の問題もあわせ、初動のおくれを指摘されてもやむを得ない状況ではないですか。
まだまだ、まだまだ緊急対応の状況が現地では続いています。したがって、詳細な検証は落ちついてから厳しくさせていただきたいと思いますが、少なくとも、こうした批判に対して謙虚な姿勢が全く見られないというのは、深刻な問題ではないでしょうか。ヤジ
大
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枝野幸男#14
○枝野幸男君(続) こうした初動についての指摘を受ける中で、カジノや恣意的な選挙制度の改悪を災害対応に優先をさせた、その一点をもっても不信任に値すると考えます。むしろ、この災害対応を加速させるためにも安倍内閣は不信任すべきである、そういう思いの中で、今回、内閣不信任決議案を提出させていただきました。ヤジ
この発言だけを見る →大
枝
枝野幸男#16
○枝野幸男君(続) それでは、ここから大きく七つ、安倍内閣の不信任に値すべき事項についてお話をさせていただきたいと思います。
まず第一は、過労死をふやすことになる、国民の命を危機にさらす、高度プロフェッショナル制度を強行したことであります。
この問題の本質は、労働時間規制が及ばない労働者をつくるというところにあります。
そもそも、近代労働法制というのはどこから始まったのか。それは、一日八時間労働が原則であるという、その原則を法定し、しっかりと守らせる、これこそが、労働法制の世界における、近代社会としての大前提であります。
高度プロフェッショナル制度は、さまざまな言い方をしていますが、この近代国家においては大前提である、労働者の労働時間はしっかりと把握、管理し、一日八時間労働が原則である、八時間を労働に、八時間を睡眠に、そして残り八時間をそれぞれの自由な時間に、これこそが人間らしく生きるための最低限のベースであるというのが近代社会の大前提である、この制度の外側に置く労働者をつくるというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質であります。結果的に長時間労働させ放題になる。
我々は当初残業ゼロ法案と言っておりましたが、もっとわかりやすく言えば、定額働かせ放題の制度である。
携帯電話やスマートフォンであれば、定額使い放題は大変便利な制度であります。しかし、まさに使い放題だからこそ、どれぐらい使っているかということを気にせずに使えるから、定額使い放題制度は情報通信の世界で大変広く広まり、利用者にとっても便利な仕組みとなっています。
これを労働の分野、人間の働くという分野に持ち込もうというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質、実態であります。どんな言いわけをしても、どんな説明をしても、いや、私も、使用者の立場であるならば、支払う賃金が同じ金額ならば、できるだけ多くの課題をその人間に負荷して、できるだけ長い時間を働いていただいて、できるだけ大きな成果を上げていただこうとするのはむしろ当然のことであり、いや応なく長時間労働につながるということは誰がどう見ても明らかな、問題のある制度であります。
しかも、労働時間管理自体を、従来の労働と違って、しっかりとした管理をしないという仕組みになっています。
したがって、長時間労働の結果、過労死などの残念な事態が生じた場合、現在の仕組みのもとでも、実際の労働時間を立証する、そのことによって過労死であったことを立証する、これは、こうした問題に直面せざるを得なくなった遺族の皆さん、それを支えている弁護士さんにとっては、現状でも大変困難な実は案件であります。
にもかかわらず、そもそも労働時間管理自体を原則取っ払ってしまう高度プロフェッショナル制度のもとで長時間労働による過労死が生じても、それを、過労死である、長時間労働の結果であると証明するということは甚だ困難になってしまいます。しかも、自己管理による自己責任であるという、まあ最近お得意の論法で、労災などの認定を受けられないなどという結果にもつながりかねません。明らかに、過労死、過労自死促進法であることは論をまちません。
安倍総理は、かつて、過労死を防ぐ法律をつくろうというときには、過労死の遺族の皆さんとお会いになり、お話をされました。二度と過労死を出さないという決意を示されました。そうした皆さんが、この法案は問題である、自分たちのような、同じようなつらい思いをする、亡くなってしまった人は戻ってこない、そうした人たちをふやしてしまう法案だという強い危機感を持って、もう一度総理に直接話を聞いてもらいたいということを一顧だにもせず強行したこの姿勢は何なんですか。
褒めてもらえそうな都合のいいときだけ顔を出すけれども、厳しい指摘を受けそうなときには逃げる、まさにひきょう者のやり方ではないでしょうか。
そもそも、高度プロフェッショナル制度には、さまざまなうそが前提になって議論が進められたという大問題があります。
そもそも、この制度は、一千七十五万円以上の年収のある人にしか適用されない、ほとんどの労働者には関係ないんだという前振りのもとに議論が進められました。しかし、野党各党の国会における審議を通じて、そもそも法律には金額の明記がないこと、これは読めばわかる話ですが、この一千七十五万円という金額の算定の中にはさまざまな諸手当も含まれる解釈が成り立つこと、そして、何よりも問題なのは、審議の途中から、いずれこれは引き下げていくんだということが、各界各層、議員の中からも出てきているという話であります。
うそという意味では、指摘をしなきゃならないのは、不適切データの問題であります。
総理御自身が、不適切、むしろ捏造と言ってもいいデータに基づいて、裁量労働制で働く人の労働時間は一般労働者より短いというデータもある、誰が言ったのではありません、総理御自身がおっしゃったんです。撤回をし、厚労省のデータが悪いので俺は責任がないと、例によっての責任逃れをおっしゃっていますが、実は、撤回をした後にも、更に二百件以上の不適切データが発見をされています。衆議院の委員会採決の当日の朝にも新たな不適切データが発見されたということはこの場で何度も指摘をされているところでありますが、にもかかわらず、審議強行し、採決を強行しました。
事実に基づかない誤ったデータに基づいて議論を進める、こんなことも、近代国家ではあり得ないことであります。
行政の内部におけるいきさつはいろいろあるのかもしれませんが、総理自身が、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度などの、いわゆる残業代を残業時間に応じて支払うというわけではない制度を導入するに当たって、この誤ったデータを引用して正当化する発言をしていた以上は、この法案の前提の事実が事実でなかったということでありますから、当然のことながら、今度は正しいデータをとり、そのデータをしっかりと分析した上で議論をし直すのが当たり前のことじゃないですか。
安倍総理は、あるいは政府の皆さんは、この高度プロフェッショナル制度についてニーズがあるのかと問われ、やりたくない企業や労働者はやらなくていいんだ、希望している人もいるんだという答弁をされました。
しかしながら、労働者側のニーズを示す客観的な根拠はありませんでした。ヒアリングは十名程度の事後的なアリバイづくりのようなものにとどまっています。しょせんは企業側の論理に基づく一方的な制度の導入であるということは、既に議論を通じて明らかになっています。
しかも、企業側が導入を求めたとき、残念ながら、今の日本の社会風土、職場風土の中で、本当にこれを拒否できる労働者がどれぐらいいると思っていらっしゃるのでしょうか。残念ながら、会社側から強く求められれば、本人は嫌であっても受け入れざるを得ないというのが現在の現実の日本の職場風土であるということを、総理も厚生労働大臣も御存じないんでしょうか。希望をしない人は制度をとらなければいいという言いわけは全く説明になっていません。
今回の労働法制は、長時間労働の是正という大義のもとに行われました。残念ながら野党各党の強い反対を押し切って成立した後も、長時間労働の是正というこの大義を、総理以下、掲げておられますが、労働者側のニーズもなく、長時間労働につながる高度プロフェッショナル制度を推進するのは、看板に偽りありと言わざるを得ません。
失われた命は戻りません。過労死、過労自死で家族を失われた皆さんからの悲鳴とも言っていいような声は、野党の同僚議員が、この本会議場でも、全ての議員の皆さんに向かってお伝えをさせていただいた。私も目頭が熱くなりました。この高度プロフェッショナル制度で長時間労働を余儀なくされ、命を失う方が出たときに、誰がどう責任をとるんですか。
私たちは、残念ながらこの国会で形式的にこの高度プロフェッショナル制度は成立をしてしまいましたが、人の命にかかわる問題です、決して諦めることはありません。一日も早く衆参両院で高度プロフェッショナル制度に反対する勢力が過半数をとり、一日も早くこの制度を廃止する決意を皆さんに申し伝えたいと思います。
また、この制度が形式的に当分続く間も、我々はさまざまな皆さんと連携をしながら、実際にこの制度を導入する企業が生じないように厳しくウオッチをし、もしそうしたものが見つかった場合には国会内外で厳しく指摘をしていく、そのための監視活動を全力を挙げて取り組んでいくことをこの場で申し上げたいと思っています。
不信任に値する二つ目の大きな理由は、カジノを強行したことであります。
七世紀末、我が国は持統天皇の時代ですが、すごろく禁止令が発令されました。以来、我が国は、千年を超える期間、賭博は違法であるという法制度のもとで歴史と伝統を積み重ねてきました。例外は、公営ギャンブルという、財源確保のためにやむなく行われた非営利目的の特別なものだけであります。
カジノの収益で経済成長を目指す。そもそも、千年以上にわたって違法とされてきたものを使って利益を上げて、そして経済を成長させる、そのこと自体がみっともない政策ではないですか。
持統天皇以来の歴史を一顧だにもせず、こんなばかげた制度を強行する人たちに、保守と名乗ってほしくはありません。
保守と称する皆さんは、保守とは何かとわかって自分たちを保守と名乗っていらっしゃるんですか。
保守という概念は、フランス革命を契機に発生した政治概念です。フランス革命における急進過激な変革に対して、これはやり過ぎだという立場から保守という概念が発生しました。
そして、保守の本質は何か。それは、人間とは不完全な存在であるという謙虚な人間観であります。
人間は、全ての人間が不完全なものであるから、どんな政治家がどんないい政治をやろうとしても、完璧な政治が行われることはあり得ない、常に政治は、社会は未完成、不完全なものである。それが、人間は不完全なものであるという謙虚な姿勢に基づく保守の一丁目一番地です。
このこと自体で、今の自民党安倍政権が保守ではないというのは明確であるというふうに思いますが、こうした謙虚な人間観に基づき、今生きている私たちの判断だけでは間違えることがある、したがって、人類が長年にわたって積み重ねてきた歴史の積み重ねというものに謙虚に向き合い、人類がその中で積み重ねてきた英知というものを生かしながら、それを改善していくに当たっても、間違っているのではないかという常に謙虚な姿勢を持ち、そして、みずからを省みながら、一歩ずつ世の中をよくしていく、これが保守という概念の本質であります。
保守反動という日本語がありますけれども、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会である、しかし過去においても理想的な時代はあり得なかった、未来においても理想は実現できない、でも、今あるものをちょっとずつでもよくしていこう、これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。
一方で、穏健保守という日本語もあり得ません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。反対意見を封殺し、自分が正しい道を信じて邁進する、まさに保守思想が否定をした、フランス革命の急進的な思想であります。したがって、保守とはそもそも穏健なものであり、穏健でない保守が保守を名乗るのは自己矛盾であります。ヤジ
この発言だけを見る →まず第一は、過労死をふやすことになる、国民の命を危機にさらす、高度プロフェッショナル制度を強行したことであります。
この問題の本質は、労働時間規制が及ばない労働者をつくるというところにあります。
そもそも、近代労働法制というのはどこから始まったのか。それは、一日八時間労働が原則であるという、その原則を法定し、しっかりと守らせる、これこそが、労働法制の世界における、近代社会としての大前提であります。
高度プロフェッショナル制度は、さまざまな言い方をしていますが、この近代国家においては大前提である、労働者の労働時間はしっかりと把握、管理し、一日八時間労働が原則である、八時間を労働に、八時間を睡眠に、そして残り八時間をそれぞれの自由な時間に、これこそが人間らしく生きるための最低限のベースであるというのが近代社会の大前提である、この制度の外側に置く労働者をつくるというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質であります。結果的に長時間労働させ放題になる。
我々は当初残業ゼロ法案と言っておりましたが、もっとわかりやすく言えば、定額働かせ放題の制度である。
携帯電話やスマートフォンであれば、定額使い放題は大変便利な制度であります。しかし、まさに使い放題だからこそ、どれぐらい使っているかということを気にせずに使えるから、定額使い放題制度は情報通信の世界で大変広く広まり、利用者にとっても便利な仕組みとなっています。
これを労働の分野、人間の働くという分野に持ち込もうというのが、この高度プロフェッショナル制度の本質、実態であります。どんな言いわけをしても、どんな説明をしても、いや、私も、使用者の立場であるならば、支払う賃金が同じ金額ならば、できるだけ多くの課題をその人間に負荷して、できるだけ長い時間を働いていただいて、できるだけ大きな成果を上げていただこうとするのはむしろ当然のことであり、いや応なく長時間労働につながるということは誰がどう見ても明らかな、問題のある制度であります。
しかも、労働時間管理自体を、従来の労働と違って、しっかりとした管理をしないという仕組みになっています。
したがって、長時間労働の結果、過労死などの残念な事態が生じた場合、現在の仕組みのもとでも、実際の労働時間を立証する、そのことによって過労死であったことを立証する、これは、こうした問題に直面せざるを得なくなった遺族の皆さん、それを支えている弁護士さんにとっては、現状でも大変困難な実は案件であります。
にもかかわらず、そもそも労働時間管理自体を原則取っ払ってしまう高度プロフェッショナル制度のもとで長時間労働による過労死が生じても、それを、過労死である、長時間労働の結果であると証明するということは甚だ困難になってしまいます。しかも、自己管理による自己責任であるという、まあ最近お得意の論法で、労災などの認定を受けられないなどという結果にもつながりかねません。明らかに、過労死、過労自死促進法であることは論をまちません。
安倍総理は、かつて、過労死を防ぐ法律をつくろうというときには、過労死の遺族の皆さんとお会いになり、お話をされました。二度と過労死を出さないという決意を示されました。そうした皆さんが、この法案は問題である、自分たちのような、同じようなつらい思いをする、亡くなってしまった人は戻ってこない、そうした人たちをふやしてしまう法案だという強い危機感を持って、もう一度総理に直接話を聞いてもらいたいということを一顧だにもせず強行したこの姿勢は何なんですか。
褒めてもらえそうな都合のいいときだけ顔を出すけれども、厳しい指摘を受けそうなときには逃げる、まさにひきょう者のやり方ではないでしょうか。
そもそも、高度プロフェッショナル制度には、さまざまなうそが前提になって議論が進められたという大問題があります。
そもそも、この制度は、一千七十五万円以上の年収のある人にしか適用されない、ほとんどの労働者には関係ないんだという前振りのもとに議論が進められました。しかし、野党各党の国会における審議を通じて、そもそも法律には金額の明記がないこと、これは読めばわかる話ですが、この一千七十五万円という金額の算定の中にはさまざまな諸手当も含まれる解釈が成り立つこと、そして、何よりも問題なのは、審議の途中から、いずれこれは引き下げていくんだということが、各界各層、議員の中からも出てきているという話であります。
うそという意味では、指摘をしなきゃならないのは、不適切データの問題であります。
総理御自身が、不適切、むしろ捏造と言ってもいいデータに基づいて、裁量労働制で働く人の労働時間は一般労働者より短いというデータもある、誰が言ったのではありません、総理御自身がおっしゃったんです。撤回をし、厚労省のデータが悪いので俺は責任がないと、例によっての責任逃れをおっしゃっていますが、実は、撤回をした後にも、更に二百件以上の不適切データが発見をされています。衆議院の委員会採決の当日の朝にも新たな不適切データが発見されたということはこの場で何度も指摘をされているところでありますが、にもかかわらず、審議強行し、採決を強行しました。
事実に基づかない誤ったデータに基づいて議論を進める、こんなことも、近代国家ではあり得ないことであります。
行政の内部におけるいきさつはいろいろあるのかもしれませんが、総理自身が、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度などの、いわゆる残業代を残業時間に応じて支払うというわけではない制度を導入するに当たって、この誤ったデータを引用して正当化する発言をしていた以上は、この法案の前提の事実が事実でなかったということでありますから、当然のことながら、今度は正しいデータをとり、そのデータをしっかりと分析した上で議論をし直すのが当たり前のことじゃないですか。
安倍総理は、あるいは政府の皆さんは、この高度プロフェッショナル制度についてニーズがあるのかと問われ、やりたくない企業や労働者はやらなくていいんだ、希望している人もいるんだという答弁をされました。
しかしながら、労働者側のニーズを示す客観的な根拠はありませんでした。ヒアリングは十名程度の事後的なアリバイづくりのようなものにとどまっています。しょせんは企業側の論理に基づく一方的な制度の導入であるということは、既に議論を通じて明らかになっています。
しかも、企業側が導入を求めたとき、残念ながら、今の日本の社会風土、職場風土の中で、本当にこれを拒否できる労働者がどれぐらいいると思っていらっしゃるのでしょうか。残念ながら、会社側から強く求められれば、本人は嫌であっても受け入れざるを得ないというのが現在の現実の日本の職場風土であるということを、総理も厚生労働大臣も御存じないんでしょうか。希望をしない人は制度をとらなければいいという言いわけは全く説明になっていません。
今回の労働法制は、長時間労働の是正という大義のもとに行われました。残念ながら野党各党の強い反対を押し切って成立した後も、長時間労働の是正というこの大義を、総理以下、掲げておられますが、労働者側のニーズもなく、長時間労働につながる高度プロフェッショナル制度を推進するのは、看板に偽りありと言わざるを得ません。
失われた命は戻りません。過労死、過労自死で家族を失われた皆さんからの悲鳴とも言っていいような声は、野党の同僚議員が、この本会議場でも、全ての議員の皆さんに向かってお伝えをさせていただいた。私も目頭が熱くなりました。この高度プロフェッショナル制度で長時間労働を余儀なくされ、命を失う方が出たときに、誰がどう責任をとるんですか。
私たちは、残念ながらこの国会で形式的にこの高度プロフェッショナル制度は成立をしてしまいましたが、人の命にかかわる問題です、決して諦めることはありません。一日も早く衆参両院で高度プロフェッショナル制度に反対する勢力が過半数をとり、一日も早くこの制度を廃止する決意を皆さんに申し伝えたいと思います。
また、この制度が形式的に当分続く間も、我々はさまざまな皆さんと連携をしながら、実際にこの制度を導入する企業が生じないように厳しくウオッチをし、もしそうしたものが見つかった場合には国会内外で厳しく指摘をしていく、そのための監視活動を全力を挙げて取り組んでいくことをこの場で申し上げたいと思っています。
不信任に値する二つ目の大きな理由は、カジノを強行したことであります。
七世紀末、我が国は持統天皇の時代ですが、すごろく禁止令が発令されました。以来、我が国は、千年を超える期間、賭博は違法であるという法制度のもとで歴史と伝統を積み重ねてきました。例外は、公営ギャンブルという、財源確保のためにやむなく行われた非営利目的の特別なものだけであります。
カジノの収益で経済成長を目指す。そもそも、千年以上にわたって違法とされてきたものを使って利益を上げて、そして経済を成長させる、そのこと自体がみっともない政策ではないですか。
持統天皇以来の歴史を一顧だにもせず、こんなばかげた制度を強行する人たちに、保守と名乗ってほしくはありません。
保守と称する皆さんは、保守とは何かとわかって自分たちを保守と名乗っていらっしゃるんですか。
保守という概念は、フランス革命を契機に発生した政治概念です。フランス革命における急進過激な変革に対して、これはやり過ぎだという立場から保守という概念が発生しました。
そして、保守の本質は何か。それは、人間とは不完全な存在であるという謙虚な人間観であります。
人間は、全ての人間が不完全なものであるから、どんな政治家がどんないい政治をやろうとしても、完璧な政治が行われることはあり得ない、常に政治は、社会は未完成、不完全なものである。それが、人間は不完全なものであるという謙虚な姿勢に基づく保守の一丁目一番地です。
このこと自体で、今の自民党安倍政権が保守ではないというのは明確であるというふうに思いますが、こうした謙虚な人間観に基づき、今生きている私たちの判断だけでは間違えることがある、したがって、人類が長年にわたって積み重ねてきた歴史の積み重ねというものに謙虚に向き合い、人類がその中で積み重ねてきた英知というものを生かしながら、それを改善していくに当たっても、間違っているのではないかという常に謙虚な姿勢を持ち、そして、みずからを省みながら、一歩ずつ世の中をよくしていく、これが保守という概念の本質であります。
保守反動という日本語がありますけれども、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会である、しかし過去においても理想的な時代はあり得なかった、未来においても理想は実現できない、でも、今あるものをちょっとずつでもよくしていこう、これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。
一方で、穏健保守という日本語もあり得ません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。反対意見を封殺し、自分が正しい道を信じて邁進する、まさに保守思想が否定をした、フランス革命の急進的な思想であります。したがって、保守とはそもそも穏健なものであり、穏健でない保守が保守を名乗るのは自己矛盾であります。ヤジ
大
枝
枝野幸男#18
○枝野幸男君(続) そもそも、今のような保守概念からすれば、日本における保守とは何を大事にしなければならないのか。
明治維新以来の百五十年も確かに日本の歴史であります。しかし、日本の歴史は、文字に残っているものだけでも千五百年を超える歴史を持っています。明治維新以降の歴史だけを見て、それが日本の歴史と伝統だと勘違いしている人たちが、特にこの辺には多いんじゃないですか。だから、持統天皇以来の日本の歴史と伝統も知らないで、カジノだなんという、我が国の伝統に反するばかげたことを進めているんじゃないですか。
そもそもが、我が国の歴史と伝統を考えたときに、明治維新というのは、それまで千五百年近くにわたって、少なくとも文字に残る歴史だけでも積み重ねられてきた我が国の歴史が、西欧近代化文明の流入によって急激に変更を余儀なくされた、その結果として、それまで積み重ねられた歴史と伝統が大きく変更させられた百五十年であります。
今我が国が直面をしている時代認識は、明治維新以来百五十年間歩んできた、この歩みというものが大きな転換点を迎えている、私は、今の日本はそういう状況にあると思っています。
イギリスにおいて産業革命が起こって以来始まった近代化の歩み、これは、規格大量生産によって経済を急激に発展させる、そのことによって、私たちも、物質的に豊かな文明の中で暮らしてくることができました。私は、これまでの歩みは、世界史的においても日本史においても、それはさまざまな、その間に問題のある時代というのはあったにしても、大きな人類の前進であったというふうに思っています。
しかし、今、先進国が、特に我が国は、第二次世界大戦以降、日中、日米戦争以降、急激な近代化、つまり経済成長したがゆえに、その壁に最も早く急激に直面をしていますけれども、先進国が共通して大きな壁にぶつかっている。それは、従来の規格大量生産によって安いものをたくさん、いいものをつくれば、そのことによって経済は発展し、そのことによって一人一人の暮らしがよくなっていくという、これが現実に機能しなくなっている、そういう時代に入っている。だからこそ、社会の格差、分断というものが、日本だけではありません、先進国共通して深刻な問題になっています。
そのときに、日本の歴史と伝統を大事にするのであれば、こうした近代欧米文明、産業革命以来の規格大量生産型の文明が入ってくる前からある我が国の歴史と伝統こそをもう一度見詰め直す、それこそが私は真っ当な保守のあり方だというふうに思います。
もちろん、人権意識、そのことによる男女平等を始めとして、あるいは先ほど申し上げました労働法制もそうかもしれません、さまざまなものが欧米から流入したことによって進化をしたものもたくさんあります。それをもとに戻せというのではありません。しかし、それまで積み重ねてきた我が国の社会のあり方のよい部分を、そうした人権問題などについての意識が大きく前進をした中でどう取り入れて、それを生かして、今先進国が共通して直面している壁にどう立ち向かっていくのか。私は、本来の保守のとるべき道はそういう道であるというふうに思っています。
ちなみに、きょうは五党一会派を代表しての趣旨説明をさせていただいておりますが、趣旨説明の担当者ということでお許しをいただいて、立憲主義について一言述べさせていただきたいと思います。
立憲主義というのは、言うまでもなく、権力も自由ではあり得ない、どんな権力も憲法というルールに基づいて運用されなければならない、そういう考え方であり、近代社会の大前提であります。
そして、その憲法とは何なのか。まさにこれこそ、歴史と、そしてさまざまなその中での苦難の中から先人たちが積み重ねてきた社会の大前提となるべきルール、権力が従わなければならないルール、さまざまな苦難の歴史を乗り越えて先人たちが積み重ねてきたルールが結集されている、それが憲法であります。
だからこそ、多くの国において、憲法を変える手続においては、今生きている有権者の半分だけでは簡単には変えられないという仕組みを多くの国で採用しているのは、まさに憲法というのは、歴史に基づいた人類の英知の積み重ねの結集であり、それによってどんな権力も拘束されなければならない、こういう考え方に立っているからにほかなりません。
まさに、立憲主義とは保守思想そのものであります。積み重ねられてきた先人たちの知恵というものに基づいて、それを動かすときには、急進的な理想に邁進をするのではなくて、今あるところからより改善、一歩ずつ改善していくにはどうしたらいいのかを考える。まさに、立憲主義も保守主義も同じ考え方である。
私は、であるので、私こそが保守本流であるということを、自信を持って、日ごろから皆様方にお訴えをさせていただいているところであります。
こうした保守……ヤジいいですか、しゃべって。こうした保守の本質を全く勉強せずに自称保守を名乗っている人たちを相手にしてもしようがないんですが。
各論だけを申し上げても、カジノ法案はギャンブル依存症をふやす。ギャンブル依存症は、まさにこれに陥った当人だけの問題ではありません。家族や地域社会を含めて、多くの人たちがそのことによって社会的、経済的に大きなダメージを受けます。カジノの収益で経済成長する側面が百歩譲って存在するとしても、カジノ依存症による社会的、経済的なマイナスの方が圧倒的に大きいと言わざるを得ません。
しかも、今強行されようとしているこのカジノ法案は、カジノ事業者が金を貸せる、とんでもない貸金業法の事実上の例外まで盛り込んでいます。まさに、ギャンブル依存症になろうとしている人たちに金を貸しまくって、ますますギャンブル依存症、ギャンブルによる多重債務につながっていく仕組みではありませんか。
外資に対する規制も十分ではありません。残念ながらと言うべきか、当然のことながら、我が国ではカジノ事業の運営をした経験はありません。どう考えても、外資規制を十分に行わなければ、カジノ運営の経験、ノウハウの高い人たちが資本流入という形をもってこの事業による収益をかすめ取っていくのは目に見えているじゃないですか。日本人がギャンブルで損をした金で海外のカジノ業者を潤わせる、まさに国を売るようなことではないですか。
私は、裏づけのないことで直截な批判をしようと思いませんが、しかしながら、安倍総理とトランプ大統領との会合の席に、アメリカを代表するようなカジノ業者の方が御一緒していたというようなことも伝えられています。まさに、アメリカに我が国を売るための法律を今強行しているんだと言われても仕方がないんじゃないでしょうか。
大体、カジノのために日本に来る外国人観光客がいる、あるいは、そのことによって外国人観光客を集めなければ外国人観光客が来てくれない、そんなに日本は情けない国なんですか、保守と称している皆さん。
我が国には、特に世界の多くの国々の皆さんから見れば、そうした皆さんとは違った歴史、風土、文化あるいは生活様式、そして自然、我が国にはさまざまな、観光資源として魅力あるものがあります。まだまだそうしたものが世界の皆さんに十分に伝えられていない部分も山ほどあります。あるいは、受入れの体制が十分でないために、魅力ある観光資源を持ちながら外国人観光客がなかなか来ていただけていないところも少なからずあります。
まさにやるべきは、そうした観光資源をいかに魅力的なものとして世界に売り出し、そして、まさに日本本来のよさを見ていただくために日本に来ていただく、これこそ、日本の歴史と伝統を大事にする人たちの立場の意見ではないかと私は思うんですけれども。
いずれにしても、災害復旧の中心を担うべき国土交通大臣が災害対応よりも優先させて急がなければならない法案でないのははっきりとしています。今からでも遅くはありません。まだ参議院の本会議は開かれていません。今からでも考え直して、一旦立ちどまり、まずは国土交通大臣を中心に災害復旧に、この間、カジノにうつつを抜かしていたことの反省も含めて、全力を挙げていただいて、仕切り直しをされるべきであるということを強く申し上げたいと思います。
安倍内閣を信任できない三つ目の理由は、アベノミクスの行き詰まり、限界の露呈であります。
そのアベノミクスの結果として生じたさまざまな副作用のみが、ますます顕著なものとなっています。このままでは、国民生活と、そして日本社会の分断によって、社会そのものを崩壊に至らせかねないぎりぎりのところに来ていると思っています。
確かに、アベノミクスの成果なのかどうかは別として、株価あるいは輸出企業を中心とした企業収益にはよい数字も見られていますが、実質賃金や個人消費には全くつながっていません。アベノミクスが始まって五年半になっています。もはや、まだ始めたばかりだから結果にはつながりませんという言いわけが許される時期ではありません。
そもそも、経済を活性化させることで税収をふやし、財政再建を実現すると称していた財政再建目標は、五年たっても全く実現できず、五年先送りをした。どういうことだかわかりますか。五年やって成果が上がらず、五年先送りをした。成果がゼロだから、これまでの期間と同じ期間が必要なんですよね。半分進んでいるなら、二年半で済みますよね。全く進んでいないということです。
二%の物価上昇目標、それは一義的な責任は日銀かもしれませんが、この物価上昇目標は、当初、二年程度とおっしゃっていました。今、何年でしょうか。五年半です。六度の先送りです。もはや、この目標自体が達成できなかった、失敗だったというのが当然じゃないでしょうか。
あえて申し上げますが、徹底した金融緩和、円安を目的としていたとは言えないにしても、そのことによる円安。財政出動。確かに、かつては正しい経済刺激策だったと私は思います。今回も、輸出企業の収益増など、一定の部分的な成果は上がっていることを認めます。
しかし、先ほど申しましたとおり、そもそも、こうした手法が通用するこの百五十年間の状況と、我が国の置かれている状況が、根本的に変化をしているのではないか、そのことが問われているのではないでしょうか。だから、本来効果が上がるはずの金融緩和をとことんアクセルを踏み、財政出動にとことんアクセルを踏んでも、個人消費や実質賃金という、国民生活をよりよくするという経済政策の本来の目的にはつながらないところでとまっているのではないでしょうか。
私は、政治的な言い方としては、こうした金融緩和などによるアベノミクス、いわば強い者、豊かな者をより強く豊かにする政策であるという言い方をしてきました。御異論はあるかもしれませんが、結果的に、大きな輸出企業などを中心として、強い者がより強く、豊かな者がより豊かになったというのは、先ほど来部分的な成果として挙げたものの言いかえとして、決して間違ってはいないと思います。
これもあえて申し上げます。
そのこと自体は、ある時期までは私は正しかったと思います。日本の戦後復興、高度成長の時代、日本が貧しかった時代は、まさに貧しい日本が豊かになるためには、海外に物を売ってお金を稼がなければ豊かになれませんでした。海外に物を売って豊かになる。しかし、貧しい国ですから、高品質、高性能、あるいは新製品の開発、そうしたところで、時の先進国、主にアメリカでありましたが、そうした国と互角に競争できるような力はまだまだありませんでした。
したがって、安い労働力を武器として、安いものをたくさんつくる。安いからたくさん売れる。そうしたことによって、世界にメード・イン・ジャパンを売り、そのことによって得た利益によって国内を豊かにしていく。
したがって、まず、国内を豊かにする前に、輸出によって稼ぐために輸出企業を育てる。輸出企業が育つために何をやっていくのかというところに経済運営の力を注力する。
私は、自民党がまともだった時代のこうした政策というのは決して間違っていなかった、時代に合致をしていたと思っています。問題は、特にバブル崩壊以降の我が国の状況がこうしたやり方の通用している時代状況にあるのか、世界経済の状況にあるのかということだというふうに思っています。
実は、多くの皆さん、勘違いをされているんじゃないかと思いますが、バブル崩壊以降の日本経済の低迷、これは、部分的な数字はよくなったと自民党の皆さんが幾らおっしゃっても、実質経済成長率などの数字を見れば、バブル崩壊以降、一貫して、せいぜい一%前後の低成長が続いている。バブル崩壊前は平均をすると四、五%の経済成長をしていたところから、大きく我が国の成長力が落ちた。これは否定のできない、そして、これは民主党政権の時代も含めて、この三十年近くの間、一貫している我が国の状況であります。こうした状況の原因が外需にある、輸出にあると勘違いをしているんじゃないでしょうか。
確かに、日本を代表する輸出企業は、そして輸出産業は、新興諸国の追い上げ、グローバル化の進展などによって、大変厳しい競争環境の中に置かれています。実際、その結果として、日本を代表する輸出企業が経営危機に陥るなどというニュースが年に何社も出てくるというような状況もあります。「サザエさん」のスポンサーがかわったのは大変残念です。
問題は、では、輸出産業全体がこの三十年近く経済成長していないのかということです。
実は、バブル崩壊の前と後で、日本の輸出に関しての成長力はほとんど下がっていません。大変厳しい経済環境のもとでありますが、日本の輸出企業、輸出産業は、この競争の中でも実は着実な経済成長を遂げているんです。
もちろん、こうした経済成長を遂げてきた背景には、我が国のそうした企業を支援する、バックアップするという政策の支えがあったことも否定はしません。しかしながら、厳しい環境の中でもバブル崩壊前と比べて大差ない成長を遂げている輸出産業に、もっと頑張って成長して国内を引っ張れといっても、それは無理な相談なんです。今の成長力をどう維持していくのかということが、この厳しい環境の中、三十年頑張ってきた日本の輸出産業と輸出企業に対して、政府のできることなのではないでしょうか。
本当にやらなければならないのは、実は、バブルの前と後で大きく変わったのは、個人消費が大きく落ち込み、落ち込んだままであるということであります。個人消費がふえない限り日本の経済の安定的な成長が実現できないのは、もう自明の理であると私は考えます。
問題は、この三十年近くの間進めてきた政策が、個人消費を着実にふやしていくという観点から見たときにどういう意味を持ってきたのかということであります。
例えば、労働法制、今回の高度プロフェッショナル制度も問題でありますが、実は、この三十年の間に派遣法が逐次改悪をされて、学校を卒業して就職をするというのは、私は今五十四歳ですが、私が学校を卒業する時代には正社員になるというのは当たり前のことでありましたが、今、若い人たち、必ずしも、超一流大学を卒業される方は別かもしれませんが、正社員になれたら、よかったね、正社員じゃないけれども、就職があって、まあまあしようがないね、こういう実態があるということを皆さん御存じでしょうか。
そして、非正規の方が異様に数が多かった、いわゆるロストジェネレーションと言われる世代の皆さんは、仕事をしながらのオン・ザ・ジョブ・トレーニングの機会にも恵まれることなく、今なお非正規で低収入という状況の中で年を重ねておられます。
我が国は、ただでさえ少子化、人口減少の中にあります。人口が減少すれば、もちろん、一人当たりの消費量をふやすということで個人消費の全体量をふやしていくということは可能ではありますけれども、しかし、まさに消費者の数が減れば消費がマイナスの方向に向かう、そういう大きな要素となることは間違いありません。
そうした構造の中で、政治がやらなければならないことは何なんでしょう。実は、やらなければならない第一のことは、格差の是正であります。格差の是正は、今やらなければならない経済政策です。景気対策です。
日本では、当たり前の経済についての大原則、その中で、なぜかどなたもおっしゃらない、ほとんどの方はおっしゃらない大原則があります。それは、金持ちほど金を使わないという大原則です。
これは、例えば価格は需要と供給のバランスで決まるのと同じように、経済の大原則です。消費性向という、手にした所得の中でどれぐらいが消費に回るのかという比率、これは所得が大きいほど低くなる、これは経済の大原則です。したがって、格差が拡大をすれば消費が落ち込むのは、経済のイロハのイです。その中で、結果的かもしれませんが、強い者、豊かな者をより強くする、そうした政策の結果として、格差が拡大し、固定化をしてしまっている、その結果として消費が拡大をしない、これが今の日本の置かれている状況であります。
格差の是正は、貧しい人たちが気の毒だからというだけではありません。格差を是正し、低所得の人たちの賃金、所得を底上げすれば、低所得であれば、消費性向はほぼ一〇〇%です。したがって、この人たちの手にした所得、収入は、ほぼ全額が消費に回ります。しかも、低所得、低賃金ですから、こうした方が、例えば、海外のブランド品を買うとか、海外旅行に行くとか、海外に投資をするとか、そうしたところにお金が使われる比率は、どう考えてもほとんどありません。国内におけるまさに内需の拡大に直接つながる、それが、所得の低い人たちの所得を底上げする政策の持っている、経済政策としての意味であります。
したがって、いかに格差を拡大させずに、そして格差を是正していくのか、所得の低い人たちから中間の人たちの所得をどう底上げしていくのか、このことが、国内における消費を拡大させる、日本経済を立ち直らせる王道であると私は考えます。
あえてつけ加えれば、労働法制などを、むしろ規制を強化することによって、働いた賃金に応じて、所得を得る、そうしたことがすきっと回っていく社会をつくっていかなければなりません。
例えば、我が国では、トラック運送などに携わるドライバーの方が大変な人手不足です。低賃金で人手不足です。後で申し上げる介護や保育の皆さんと同様です。おかしいんです。先ほど申しました、価格は需要と供給のバランスで決まるんです。それが、資本主義社会であるならば大原則です。人手不足であるのに低賃金というのは、マーケットがどこかでゆがんでいるからです。そのゆがみを正すのは政治の役割です。
低賃金であるならば、賃金が上がる、そのことによって、賃金が高いなら、重労働かもしれないけれども頑張ってやろう、そういう方がふえて、市場は機能して、必要な人員が確保されることにつながるんですが、残念ながら、例えば今回の長時間労働を規制する働かせ方改悪法案の中の数少ない改善部分である長時間労働の規制も、低賃金、重労働、長時間労働であるトラックドライバーの皆さんなどに対する部分については、先送りをされてしまいました。
もちろん、どんな産業に携わっている皆さんでも、過労死、過労自死などに至れば、先ほど申しましたとおり、家族を含めて大変、残された人たちに大きな傷を残しますし、何よりも御本人がやりきれないものでありますが、交通事故などにつながれば、それ以外の方々にも影響が及ぶような仕事の人たちの長時間労働規制を後回しにせざるを得ない。それだけこうした人たちの人手不足が、低賃金を背景に行われているこの市場のメカニズムのゆがみを正すことこそが、実は格差の是正につながり、低賃金の人たちの賃金の底上げにつながり、経済、消費の拡大につながっていくということを申し上げたいと思います。
更に申し上げると、経済、消費をふやすために、あと二つ大事なことがあります。一つは高齢者の老後であります。
今の日本の高齢者の皆さんは、まさに日本の右肩上がりの高度成長をつくってくださった世代の皆さんです。もちろん、同じ世代だからといって、皆が同じような生活環境にいるわけではありません。高齢者でも、貯蓄もなく、大変厳しい生活をされている方も少なからずいらっしゃいます。そして、人によって、持っていらっしゃる資産の規模には大きな違いはあるでしょう。しかしながら、まさに老後のためにこつこつお金をためよう、そしてそのことが可能であった高度成長をつくってこられた世代の皆さんですから、実は、日本の高齢者の皆さんは、老後のために蓄えた貯蓄が、それぞれに若干ずつでも持っていらっしゃる方がほとんどです。
問題は、こうしたお金が老後になってもほとんど使われていないという現実であります。あの世に預金通帳は持っていけない、講演会などでは、よく高齢者の皆さんに向かってこう言うと、笑っていただきます。皆さん、わかっておられます。にもかかわらず、老後のためにと思って蓄えたお金が老後になって使えない。なぜでしょうか。それは、元気なうちはいいけれども、病気や、あるいは介護が必要な状況になったときに、せめてわずかな預貯金でも残しておかないと心配だという意識に、多くの高齢者の皆さんが陥ってしまっているからであります。その結果、一千五百兆を超えるとも言われている国民金融資産、そのうちの多くの部分を占めている高齢者の皆さんの貯蓄が消費に回りません。
こうした皆さんの貯蓄が、全部を一気に使ってくださいと言っても、やはり将来不安が一気になくなるわけではありません。例えば、今持っている貯蓄の半分を二十年かけて使いませんかと。それだけでも数兆円単位の消費の拡大に確実につながります。御本人にとっても、自分が若いころ稼いでためてきたお金で充実した老後を過ごすことができる、そして、お金を使っていただくことによって現役世代の経済が回っていく、一石二鳥です。それができないのは、介護のサービスが不足をしていること、年金や医療などを含めた老後の不安が大きいからです。老後の安心を高めることこそが経済政策です。景気対策です。
子供を持たないという選択をされたり、子供を持ちたいと思いながら持てなかった人たちに対する心ない発言が、残念ながら自民党議員の方々から何度となく繰り返されました。子供を産むか産まないかという選択は、まさに自己決定です。それぞれのカップルがみずから決めることです。あるいは、持ちたくても持てなかった人たちもたくさんいらっしゃいます。
その一方で、持ちたいと希望する人たちが希望をかなえることができて、そうすれば、必ず我が国の出生率は大きく高まります。子供の数はふえます。そのことは、結果として消費をふやし、経済を活性化させることにつながります。
したがって、産む、産まないの選択を迫るのではなくて、産みたいと希望しながらそれをできていない人たちを、どうやってその希望をかなえていただけるのか、そのことこそが政治のやっていくべき役割だと思います。
なぜ、産み育てたいと希望する人たちがそのことを実現できないのか。まさに、子育てと教育と雇用の、この三つの大きな問題があるからにほかなりません。
一つは、保育所の不足に代表される子育て支援が不足であること。そして、教育の問題。
教育、かつて、私の時代も、奨学金をもらって頑張っているんだね、あの人はねという同級生もいましたが、非常に数が限られていました。しかし、今や奨学金をもらわないと進学できないという人たちの比率は圧倒的に高まっています。
私は国立大学の出身ですが、某私立大学を受けたいと言ったら、学費は最低限出せるけれども、なかなか、いろいろなことを含めて、全体の大学時代の金は出せないねと言われて、国立大学を選択しました。その当時と比べて国立大学の授業料はべらぼうに上がってしまっていて、国立なら行かせられるけれどもというような、そうした状況ではなくなってしまっています。
こうしたことなどを背景にして、せっかく子供を産み育てるならばちゃんとした教育を受けさせたい、子育て支援は不十分、教育には金がかかる、産み育てたいと思っても断念している、あるいは二人、三人、産み育てたいけれども一人で断念をしている人たちが山ほどいらっしゃいます。そうした人たちが安心して子供を産み育てることができるようにする、まさに教育の格差の是正や保育所の増設は景気対策、経済対策です。
失われた世代、ロストジェネレーションという言葉を先ほど申しましたが、そうした象徴的な世代の皆さんに限らず、若い人たちの間には、例えば、結婚し、家庭を持ち、子供を産み育てたいという希望すら持てないような低所得、不安定な働き方を余儀なくされている人たちが山ほどいます。そうした人たちが安定的な仕事を得、そして安定的な収入を得ることができたときには、その中の一定比率の人たちは、家族を持ち、そして子供を産み育てたいという希望を持つことができ、そこにつながっていくでありましょう。
結果的に消費を拡大させることにつながる、少子化に歯どめをかける、希望する人たちにその希望をかなえていただけることを実現するためには、まさにこうした子育てや教育や雇用の政策を打つことこそが景気対策、経済対策であるという時代に入っているのです。
立憲民主党は、こうした観点から、景気対策として、保育士の賃金の底上げを、そして介護職員の賃金の底上げを急いで行うということを提起し続けてきています。他の野党の皆さんにも御協力をいただき、共同して国会に法案も提出をさせていただいています。
これは、一義的には景気対策という側面を持っている経済政策です。確かに、こうした長期的な財源を必要とする政策のためには安定財源が必要だという理屈はわからないわけではありません。しかし、景気対策として効果があるならば、建設国債は、財政規律のある意味別枠という扱いでばんばん発行されています。今や、いわゆる従来型大型公共事業と比べてこうした社会保障関連の投資の方が経済波及効果が大きい、それこそそういうデータも存在をしている時代に入っています。
経済波及効果の大きい、しかも、我が国が今直面している消費不況をどう脱却するか、老後の安定、そして子育ての支援、そして、そこに携わっている所得の低い人たちの所得の底上げにつながる介護職員や保育士への賃金の底上げという政策は、ここに集中的に財源を投資するということこそが、まさに、どこに向けて景気対策を進めていくのかという象徴的な姿であり、少なくとも、カジノを進めるよりは百万歩経済に効果のある政策だと私は確信をいたしております。
所得の低い人、所得の不安定な人たちの所得を下支えすることは景気対策、経済対策という側面があるということを申し上げましたが、そうした側面もあわせて、特に地方の活性化のための経済政策としてこの国に必要なのは、一次産業に従事する人たちの所得の安定を図ることであるというふうに思います。
それぞれの地方において、地域の社会と経済を支えているのは一次産業に従事する皆さんです。その人たちの比率はかなり低下をしている地域はあるかもしれませんが、しかし、基幹となる産業として一次産業がしっかりと回っていく、そこで仕事をしている人たちが地域の中心を担って、あるいは消費を促していく中心を担っていく、こうしたことが必要な地域が日本じゅうの圧倒的に広い面積を占めているというふうに思っています。
米作農家の経営安定に大きく貢献してきた米の直接支払い制度について、安倍政権は平成三十年産米から廃止をしました。我々が推進した農業の戸別所得補償制度は、それに先立って廃止をされています。
一次産業の中においては、市況やあるいは天候によって大きな利益を上げる年もありますが、逆に、そうした状況によって翌年の再生産も不可能なぐらい所得が得られないときもあります。どんな年でも最低限、翌年の再生産が可能な安定的な一次産業の経営を担っていただく、そのためにいわゆる所得補償制度をとることは、先進国の農業政策などにおいては今や常識となっています。
私たちは、これはまさに農業を守る、食の安全を守る、緑を守ると同時に、まさに、特に過疎地域などにおける経済を回していく最低限の前提条件として必要なことだと思っていますが、安倍政権はこれに逆行する政策を今のようにとっているわけです。
そもそも、卸売市場法改正を始め農政関連改革法を成立させましたが、農業を他産業と同一視し、目先の経済効率のみを過度に追求するのみで、多面的機能を評価し維持するための方向性に逆行をしています。
いわゆる土地改良予算は一方で大幅に伸びており、安倍農政は、小規模農家、つまり地域社会を経済の面も含めて支えている人たちを切り捨てる一方で、従来型の農業土木を推進している。誰のための農政なのかと申し上げたいし、まさに土地改良などの農業土木はいつまで継続するかわからないわけです。
それぞれの地域において、これから長期にわたってそこに暮らし続ける、住み続ける、営みを続ける、そのためには、一次産業で最低限食べて再生産をしていけるという基盤を整えなければ、過疎地域に暮らす人たちはいなくなります。
安倍政権は、こうした、暮らしを、社会を下から支えて押し上げるという、今我が国がとらなければならない経済政策の方向とは逆行し、強い者をより強くする、豊かな者をより豊かにする、そうすれば世の中全体がそこに引っ張られてよくなる、あるいは豊かさが滴り落ちるという、全く時代おくれになった政策に拘泥をし、社会の分断と貧困を招き、そして、思ったとおりの経済の安定的な成長をもたらすことができないという結果をもたらしています。逆行しているのは明確です。
例えば、この国会でも、生活保護費の母子加算を縮小しました。私は、この国会の一番最初の本会議でこの点について指摘をしましたら、六割の人はふえるんだという答弁にとどまりました。まさに安倍政権の姿勢を私は象徴していると思います。
確かに、母子加算等については、六割の方がふえるというのは客観的な事実です。その方はふえるんだから結構なことです。しかし、六割はふえるというのは、四割は減るということを認めていらっしゃるわけです。せめて、四割は減るけれども、こういう人たちだから減っても大丈夫なんだという説明をしなければ、この四割を切り捨てていることにほかならないじゃないですか。
保育所の数をふやすことも、努力をしているとおっしゃっていますが、おっしゃっているだけで、保育士の賃金増による待機児童対策よりも無償化を優先する政策をいまだに推進をしています。
確かに、無償化が実現できるなら結構なことです。我々も将来の方向として目指したいと思っています。しかしながら、限られた財源とおっしゃっているのは、いつも政府・与党じゃないですか。限られた財源を無償化に回すことが本当に合理的なんですか。
今、何よりも手を差し伸べなければならないのは、保育所に入りたいと思っているのに入れていない人。その人たちに保育所を提供することこそが、無償化よりも優先度は圧倒的に高いんじゃないですか。
しかも、現在の保育料の仕組みも、所得に応じて段階をつけていますから、実は、無償化されて一番恩恵を受けるのは、高額の所得を得ていながら保育所に子供を預けることができている人たちです。私は、その人たちも、財源があるならば、無償で安心してお子さんを預けていただける、そこを目指すべきだと思いますが、優先順位は、所得が低いのに保育所にも入れないような、そちらの人たちを救うことなのは当たり前じゃないですか。
こんなちぐはぐなことをやっておいて、先ほど来、やっているじゃないかというやじが飛んでいますけれども、やっているんですか。やっていないじゃないですか。逆行しているじゃないですか。
税だってそうです。これは低所得者ではありませんが、一部の中堅層の給与所得者を狙い撃ちする控除の見直しをしたのは誰ですか。国際観光旅客税なども含めて、取りやすいところから取るという税制の改悪を進め、例えば金融所得課税などは先送りをしているじゃないですか。
強い者、豊かな者には優しく、厳しい環境にある人たちには厳しく。それは、繰り返しますが、そうした皆さんが気の毒だからにとどまりません。こうした皆さんの所得を底上げして消費をしていただかない限り、従来型の経済政策を幾ら打っても、消費が伸びない限り、我が国の安定的な経済の再生はあり得ません。
経済についてはあと三十分ぐらい話したいことがあるんですが、最後に安倍総理の典型的な勘違いを申し上げて、次のテーマに移りたいと思います。
一月三十一日の参議院予算委員会で安倍総理は、国民生活の困窮化の一例としてエンゲル係数の上昇が見られることを質問され、物価変動のほか、食生活や生活スタイルの変化が含まれていると場違いな答弁をされています。
こんな認識なんですから、所得の低い人たちの所得を底上げしなければ景気を回復させることはできないという今の社会において、日本経済を立ち直らせることは到底できないということを最後に強く指摘をしておきたいと思います。
四番目に、政治と社会のモラルを崩壊させる、いわゆるモリカケ問題等にも触れておかなければならないと思います。
まず、このモリカケ問題には、第一に、約九億円の国有地が八億円ほど値引きして売られようとしていたという問題があるという本質を忘れてはならないというふうに思います。まさに、国民の皆さんからは、常に税金の使い道について厳しい声が上がっています。そうした状況の中で国有地が八億円もダンピングされたとすれば、その分の税金が食い物にされたのと意味は一緒です。
本来であれば……ヤジ黙らせていただけますか。
この発言だけを見る →明治維新以来の百五十年も確かに日本の歴史であります。しかし、日本の歴史は、文字に残っているものだけでも千五百年を超える歴史を持っています。明治維新以降の歴史だけを見て、それが日本の歴史と伝統だと勘違いしている人たちが、特にこの辺には多いんじゃないですか。だから、持統天皇以来の日本の歴史と伝統も知らないで、カジノだなんという、我が国の伝統に反するばかげたことを進めているんじゃないですか。
そもそもが、我が国の歴史と伝統を考えたときに、明治維新というのは、それまで千五百年近くにわたって、少なくとも文字に残る歴史だけでも積み重ねられてきた我が国の歴史が、西欧近代化文明の流入によって急激に変更を余儀なくされた、その結果として、それまで積み重ねられた歴史と伝統が大きく変更させられた百五十年であります。
今我が国が直面をしている時代認識は、明治維新以来百五十年間歩んできた、この歩みというものが大きな転換点を迎えている、私は、今の日本はそういう状況にあると思っています。
イギリスにおいて産業革命が起こって以来始まった近代化の歩み、これは、規格大量生産によって経済を急激に発展させる、そのことによって、私たちも、物質的に豊かな文明の中で暮らしてくることができました。私は、これまでの歩みは、世界史的においても日本史においても、それはさまざまな、その間に問題のある時代というのはあったにしても、大きな人類の前進であったというふうに思っています。
しかし、今、先進国が、特に我が国は、第二次世界大戦以降、日中、日米戦争以降、急激な近代化、つまり経済成長したがゆえに、その壁に最も早く急激に直面をしていますけれども、先進国が共通して大きな壁にぶつかっている。それは、従来の規格大量生産によって安いものをたくさん、いいものをつくれば、そのことによって経済は発展し、そのことによって一人一人の暮らしがよくなっていくという、これが現実に機能しなくなっている、そういう時代に入っている。だからこそ、社会の格差、分断というものが、日本だけではありません、先進国共通して深刻な問題になっています。
そのときに、日本の歴史と伝統を大事にするのであれば、こうした近代欧米文明、産業革命以来の規格大量生産型の文明が入ってくる前からある我が国の歴史と伝統こそをもう一度見詰め直す、それこそが私は真っ当な保守のあり方だというふうに思います。
もちろん、人権意識、そのことによる男女平等を始めとして、あるいは先ほど申し上げました労働法制もそうかもしれません、さまざまなものが欧米から流入したことによって進化をしたものもたくさんあります。それをもとに戻せというのではありません。しかし、それまで積み重ねてきた我が国の社会のあり方のよい部分を、そうした人権問題などについての意識が大きく前進をした中でどう取り入れて、それを生かして、今先進国が共通して直面している壁にどう立ち向かっていくのか。私は、本来の保守のとるべき道はそういう道であるというふうに思っています。
ちなみに、きょうは五党一会派を代表しての趣旨説明をさせていただいておりますが、趣旨説明の担当者ということでお許しをいただいて、立憲主義について一言述べさせていただきたいと思います。
立憲主義というのは、言うまでもなく、権力も自由ではあり得ない、どんな権力も憲法というルールに基づいて運用されなければならない、そういう考え方であり、近代社会の大前提であります。
そして、その憲法とは何なのか。まさにこれこそ、歴史と、そしてさまざまなその中での苦難の中から先人たちが積み重ねてきた社会の大前提となるべきルール、権力が従わなければならないルール、さまざまな苦難の歴史を乗り越えて先人たちが積み重ねてきたルールが結集されている、それが憲法であります。
だからこそ、多くの国において、憲法を変える手続においては、今生きている有権者の半分だけでは簡単には変えられないという仕組みを多くの国で採用しているのは、まさに憲法というのは、歴史に基づいた人類の英知の積み重ねの結集であり、それによってどんな権力も拘束されなければならない、こういう考え方に立っているからにほかなりません。
まさに、立憲主義とは保守思想そのものであります。積み重ねられてきた先人たちの知恵というものに基づいて、それを動かすときには、急進的な理想に邁進をするのではなくて、今あるところからより改善、一歩ずつ改善していくにはどうしたらいいのかを考える。まさに、立憲主義も保守主義も同じ考え方である。
私は、であるので、私こそが保守本流であるということを、自信を持って、日ごろから皆様方にお訴えをさせていただいているところであります。
こうした保守……ヤジいいですか、しゃべって。こうした保守の本質を全く勉強せずに自称保守を名乗っている人たちを相手にしてもしようがないんですが。
各論だけを申し上げても、カジノ法案はギャンブル依存症をふやす。ギャンブル依存症は、まさにこれに陥った当人だけの問題ではありません。家族や地域社会を含めて、多くの人たちがそのことによって社会的、経済的に大きなダメージを受けます。カジノの収益で経済成長する側面が百歩譲って存在するとしても、カジノ依存症による社会的、経済的なマイナスの方が圧倒的に大きいと言わざるを得ません。
しかも、今強行されようとしているこのカジノ法案は、カジノ事業者が金を貸せる、とんでもない貸金業法の事実上の例外まで盛り込んでいます。まさに、ギャンブル依存症になろうとしている人たちに金を貸しまくって、ますますギャンブル依存症、ギャンブルによる多重債務につながっていく仕組みではありませんか。
外資に対する規制も十分ではありません。残念ながらと言うべきか、当然のことながら、我が国ではカジノ事業の運営をした経験はありません。どう考えても、外資規制を十分に行わなければ、カジノ運営の経験、ノウハウの高い人たちが資本流入という形をもってこの事業による収益をかすめ取っていくのは目に見えているじゃないですか。日本人がギャンブルで損をした金で海外のカジノ業者を潤わせる、まさに国を売るようなことではないですか。
私は、裏づけのないことで直截な批判をしようと思いませんが、しかしながら、安倍総理とトランプ大統領との会合の席に、アメリカを代表するようなカジノ業者の方が御一緒していたというようなことも伝えられています。まさに、アメリカに我が国を売るための法律を今強行しているんだと言われても仕方がないんじゃないでしょうか。
大体、カジノのために日本に来る外国人観光客がいる、あるいは、そのことによって外国人観光客を集めなければ外国人観光客が来てくれない、そんなに日本は情けない国なんですか、保守と称している皆さん。
我が国には、特に世界の多くの国々の皆さんから見れば、そうした皆さんとは違った歴史、風土、文化あるいは生活様式、そして自然、我が国にはさまざまな、観光資源として魅力あるものがあります。まだまだそうしたものが世界の皆さんに十分に伝えられていない部分も山ほどあります。あるいは、受入れの体制が十分でないために、魅力ある観光資源を持ちながら外国人観光客がなかなか来ていただけていないところも少なからずあります。
まさにやるべきは、そうした観光資源をいかに魅力的なものとして世界に売り出し、そして、まさに日本本来のよさを見ていただくために日本に来ていただく、これこそ、日本の歴史と伝統を大事にする人たちの立場の意見ではないかと私は思うんですけれども。
いずれにしても、災害復旧の中心を担うべき国土交通大臣が災害対応よりも優先させて急がなければならない法案でないのははっきりとしています。今からでも遅くはありません。まだ参議院の本会議は開かれていません。今からでも考え直して、一旦立ちどまり、まずは国土交通大臣を中心に災害復旧に、この間、カジノにうつつを抜かしていたことの反省も含めて、全力を挙げていただいて、仕切り直しをされるべきであるということを強く申し上げたいと思います。
安倍内閣を信任できない三つ目の理由は、アベノミクスの行き詰まり、限界の露呈であります。
そのアベノミクスの結果として生じたさまざまな副作用のみが、ますます顕著なものとなっています。このままでは、国民生活と、そして日本社会の分断によって、社会そのものを崩壊に至らせかねないぎりぎりのところに来ていると思っています。
確かに、アベノミクスの成果なのかどうかは別として、株価あるいは輸出企業を中心とした企業収益にはよい数字も見られていますが、実質賃金や個人消費には全くつながっていません。アベノミクスが始まって五年半になっています。もはや、まだ始めたばかりだから結果にはつながりませんという言いわけが許される時期ではありません。
そもそも、経済を活性化させることで税収をふやし、財政再建を実現すると称していた財政再建目標は、五年たっても全く実現できず、五年先送りをした。どういうことだかわかりますか。五年やって成果が上がらず、五年先送りをした。成果がゼロだから、これまでの期間と同じ期間が必要なんですよね。半分進んでいるなら、二年半で済みますよね。全く進んでいないということです。
二%の物価上昇目標、それは一義的な責任は日銀かもしれませんが、この物価上昇目標は、当初、二年程度とおっしゃっていました。今、何年でしょうか。五年半です。六度の先送りです。もはや、この目標自体が達成できなかった、失敗だったというのが当然じゃないでしょうか。
あえて申し上げますが、徹底した金融緩和、円安を目的としていたとは言えないにしても、そのことによる円安。財政出動。確かに、かつては正しい経済刺激策だったと私は思います。今回も、輸出企業の収益増など、一定の部分的な成果は上がっていることを認めます。
しかし、先ほど申しましたとおり、そもそも、こうした手法が通用するこの百五十年間の状況と、我が国の置かれている状況が、根本的に変化をしているのではないか、そのことが問われているのではないでしょうか。だから、本来効果が上がるはずの金融緩和をとことんアクセルを踏み、財政出動にとことんアクセルを踏んでも、個人消費や実質賃金という、国民生活をよりよくするという経済政策の本来の目的にはつながらないところでとまっているのではないでしょうか。
私は、政治的な言い方としては、こうした金融緩和などによるアベノミクス、いわば強い者、豊かな者をより強く豊かにする政策であるという言い方をしてきました。御異論はあるかもしれませんが、結果的に、大きな輸出企業などを中心として、強い者がより強く、豊かな者がより豊かになったというのは、先ほど来部分的な成果として挙げたものの言いかえとして、決して間違ってはいないと思います。
これもあえて申し上げます。
そのこと自体は、ある時期までは私は正しかったと思います。日本の戦後復興、高度成長の時代、日本が貧しかった時代は、まさに貧しい日本が豊かになるためには、海外に物を売ってお金を稼がなければ豊かになれませんでした。海外に物を売って豊かになる。しかし、貧しい国ですから、高品質、高性能、あるいは新製品の開発、そうしたところで、時の先進国、主にアメリカでありましたが、そうした国と互角に競争できるような力はまだまだありませんでした。
したがって、安い労働力を武器として、安いものをたくさんつくる。安いからたくさん売れる。そうしたことによって、世界にメード・イン・ジャパンを売り、そのことによって得た利益によって国内を豊かにしていく。
したがって、まず、国内を豊かにする前に、輸出によって稼ぐために輸出企業を育てる。輸出企業が育つために何をやっていくのかというところに経済運営の力を注力する。
私は、自民党がまともだった時代のこうした政策というのは決して間違っていなかった、時代に合致をしていたと思っています。問題は、特にバブル崩壊以降の我が国の状況がこうしたやり方の通用している時代状況にあるのか、世界経済の状況にあるのかということだというふうに思っています。
実は、多くの皆さん、勘違いをされているんじゃないかと思いますが、バブル崩壊以降の日本経済の低迷、これは、部分的な数字はよくなったと自民党の皆さんが幾らおっしゃっても、実質経済成長率などの数字を見れば、バブル崩壊以降、一貫して、せいぜい一%前後の低成長が続いている。バブル崩壊前は平均をすると四、五%の経済成長をしていたところから、大きく我が国の成長力が落ちた。これは否定のできない、そして、これは民主党政権の時代も含めて、この三十年近くの間、一貫している我が国の状況であります。こうした状況の原因が外需にある、輸出にあると勘違いをしているんじゃないでしょうか。
確かに、日本を代表する輸出企業は、そして輸出産業は、新興諸国の追い上げ、グローバル化の進展などによって、大変厳しい競争環境の中に置かれています。実際、その結果として、日本を代表する輸出企業が経営危機に陥るなどというニュースが年に何社も出てくるというような状況もあります。「サザエさん」のスポンサーがかわったのは大変残念です。
問題は、では、輸出産業全体がこの三十年近く経済成長していないのかということです。
実は、バブル崩壊の前と後で、日本の輸出に関しての成長力はほとんど下がっていません。大変厳しい経済環境のもとでありますが、日本の輸出企業、輸出産業は、この競争の中でも実は着実な経済成長を遂げているんです。
もちろん、こうした経済成長を遂げてきた背景には、我が国のそうした企業を支援する、バックアップするという政策の支えがあったことも否定はしません。しかしながら、厳しい環境の中でもバブル崩壊前と比べて大差ない成長を遂げている輸出産業に、もっと頑張って成長して国内を引っ張れといっても、それは無理な相談なんです。今の成長力をどう維持していくのかということが、この厳しい環境の中、三十年頑張ってきた日本の輸出産業と輸出企業に対して、政府のできることなのではないでしょうか。
本当にやらなければならないのは、実は、バブルの前と後で大きく変わったのは、個人消費が大きく落ち込み、落ち込んだままであるということであります。個人消費がふえない限り日本の経済の安定的な成長が実現できないのは、もう自明の理であると私は考えます。
問題は、この三十年近くの間進めてきた政策が、個人消費を着実にふやしていくという観点から見たときにどういう意味を持ってきたのかということであります。
例えば、労働法制、今回の高度プロフェッショナル制度も問題でありますが、実は、この三十年の間に派遣法が逐次改悪をされて、学校を卒業して就職をするというのは、私は今五十四歳ですが、私が学校を卒業する時代には正社員になるというのは当たり前のことでありましたが、今、若い人たち、必ずしも、超一流大学を卒業される方は別かもしれませんが、正社員になれたら、よかったね、正社員じゃないけれども、就職があって、まあまあしようがないね、こういう実態があるということを皆さん御存じでしょうか。
そして、非正規の方が異様に数が多かった、いわゆるロストジェネレーションと言われる世代の皆さんは、仕事をしながらのオン・ザ・ジョブ・トレーニングの機会にも恵まれることなく、今なお非正規で低収入という状況の中で年を重ねておられます。
我が国は、ただでさえ少子化、人口減少の中にあります。人口が減少すれば、もちろん、一人当たりの消費量をふやすということで個人消費の全体量をふやしていくということは可能ではありますけれども、しかし、まさに消費者の数が減れば消費がマイナスの方向に向かう、そういう大きな要素となることは間違いありません。
そうした構造の中で、政治がやらなければならないことは何なんでしょう。実は、やらなければならない第一のことは、格差の是正であります。格差の是正は、今やらなければならない経済政策です。景気対策です。
日本では、当たり前の経済についての大原則、その中で、なぜかどなたもおっしゃらない、ほとんどの方はおっしゃらない大原則があります。それは、金持ちほど金を使わないという大原則です。
これは、例えば価格は需要と供給のバランスで決まるのと同じように、経済の大原則です。消費性向という、手にした所得の中でどれぐらいが消費に回るのかという比率、これは所得が大きいほど低くなる、これは経済の大原則です。したがって、格差が拡大をすれば消費が落ち込むのは、経済のイロハのイです。その中で、結果的かもしれませんが、強い者、豊かな者をより強くする、そうした政策の結果として、格差が拡大し、固定化をしてしまっている、その結果として消費が拡大をしない、これが今の日本の置かれている状況であります。
格差の是正は、貧しい人たちが気の毒だからというだけではありません。格差を是正し、低所得の人たちの賃金、所得を底上げすれば、低所得であれば、消費性向はほぼ一〇〇%です。したがって、この人たちの手にした所得、収入は、ほぼ全額が消費に回ります。しかも、低所得、低賃金ですから、こうした方が、例えば、海外のブランド品を買うとか、海外旅行に行くとか、海外に投資をするとか、そうしたところにお金が使われる比率は、どう考えてもほとんどありません。国内におけるまさに内需の拡大に直接つながる、それが、所得の低い人たちの所得を底上げする政策の持っている、経済政策としての意味であります。
したがって、いかに格差を拡大させずに、そして格差を是正していくのか、所得の低い人たちから中間の人たちの所得をどう底上げしていくのか、このことが、国内における消費を拡大させる、日本経済を立ち直らせる王道であると私は考えます。
あえてつけ加えれば、労働法制などを、むしろ規制を強化することによって、働いた賃金に応じて、所得を得る、そうしたことがすきっと回っていく社会をつくっていかなければなりません。
例えば、我が国では、トラック運送などに携わるドライバーの方が大変な人手不足です。低賃金で人手不足です。後で申し上げる介護や保育の皆さんと同様です。おかしいんです。先ほど申しました、価格は需要と供給のバランスで決まるんです。それが、資本主義社会であるならば大原則です。人手不足であるのに低賃金というのは、マーケットがどこかでゆがんでいるからです。そのゆがみを正すのは政治の役割です。
低賃金であるならば、賃金が上がる、そのことによって、賃金が高いなら、重労働かもしれないけれども頑張ってやろう、そういう方がふえて、市場は機能して、必要な人員が確保されることにつながるんですが、残念ながら、例えば今回の長時間労働を規制する働かせ方改悪法案の中の数少ない改善部分である長時間労働の規制も、低賃金、重労働、長時間労働であるトラックドライバーの皆さんなどに対する部分については、先送りをされてしまいました。
もちろん、どんな産業に携わっている皆さんでも、過労死、過労自死などに至れば、先ほど申しましたとおり、家族を含めて大変、残された人たちに大きな傷を残しますし、何よりも御本人がやりきれないものでありますが、交通事故などにつながれば、それ以外の方々にも影響が及ぶような仕事の人たちの長時間労働規制を後回しにせざるを得ない。それだけこうした人たちの人手不足が、低賃金を背景に行われているこの市場のメカニズムのゆがみを正すことこそが、実は格差の是正につながり、低賃金の人たちの賃金の底上げにつながり、経済、消費の拡大につながっていくということを申し上げたいと思います。
更に申し上げると、経済、消費をふやすために、あと二つ大事なことがあります。一つは高齢者の老後であります。
今の日本の高齢者の皆さんは、まさに日本の右肩上がりの高度成長をつくってくださった世代の皆さんです。もちろん、同じ世代だからといって、皆が同じような生活環境にいるわけではありません。高齢者でも、貯蓄もなく、大変厳しい生活をされている方も少なからずいらっしゃいます。そして、人によって、持っていらっしゃる資産の規模には大きな違いはあるでしょう。しかしながら、まさに老後のためにこつこつお金をためよう、そしてそのことが可能であった高度成長をつくってこられた世代の皆さんですから、実は、日本の高齢者の皆さんは、老後のために蓄えた貯蓄が、それぞれに若干ずつでも持っていらっしゃる方がほとんどです。
問題は、こうしたお金が老後になってもほとんど使われていないという現実であります。あの世に預金通帳は持っていけない、講演会などでは、よく高齢者の皆さんに向かってこう言うと、笑っていただきます。皆さん、わかっておられます。にもかかわらず、老後のためにと思って蓄えたお金が老後になって使えない。なぜでしょうか。それは、元気なうちはいいけれども、病気や、あるいは介護が必要な状況になったときに、せめてわずかな預貯金でも残しておかないと心配だという意識に、多くの高齢者の皆さんが陥ってしまっているからであります。その結果、一千五百兆を超えるとも言われている国民金融資産、そのうちの多くの部分を占めている高齢者の皆さんの貯蓄が消費に回りません。
こうした皆さんの貯蓄が、全部を一気に使ってくださいと言っても、やはり将来不安が一気になくなるわけではありません。例えば、今持っている貯蓄の半分を二十年かけて使いませんかと。それだけでも数兆円単位の消費の拡大に確実につながります。御本人にとっても、自分が若いころ稼いでためてきたお金で充実した老後を過ごすことができる、そして、お金を使っていただくことによって現役世代の経済が回っていく、一石二鳥です。それができないのは、介護のサービスが不足をしていること、年金や医療などを含めた老後の不安が大きいからです。老後の安心を高めることこそが経済政策です。景気対策です。
子供を持たないという選択をされたり、子供を持ちたいと思いながら持てなかった人たちに対する心ない発言が、残念ながら自民党議員の方々から何度となく繰り返されました。子供を産むか産まないかという選択は、まさに自己決定です。それぞれのカップルがみずから決めることです。あるいは、持ちたくても持てなかった人たちもたくさんいらっしゃいます。
その一方で、持ちたいと希望する人たちが希望をかなえることができて、そうすれば、必ず我が国の出生率は大きく高まります。子供の数はふえます。そのことは、結果として消費をふやし、経済を活性化させることにつながります。
したがって、産む、産まないの選択を迫るのではなくて、産みたいと希望しながらそれをできていない人たちを、どうやってその希望をかなえていただけるのか、そのことこそが政治のやっていくべき役割だと思います。
なぜ、産み育てたいと希望する人たちがそのことを実現できないのか。まさに、子育てと教育と雇用の、この三つの大きな問題があるからにほかなりません。
一つは、保育所の不足に代表される子育て支援が不足であること。そして、教育の問題。
教育、かつて、私の時代も、奨学金をもらって頑張っているんだね、あの人はねという同級生もいましたが、非常に数が限られていました。しかし、今や奨学金をもらわないと進学できないという人たちの比率は圧倒的に高まっています。
私は国立大学の出身ですが、某私立大学を受けたいと言ったら、学費は最低限出せるけれども、なかなか、いろいろなことを含めて、全体の大学時代の金は出せないねと言われて、国立大学を選択しました。その当時と比べて国立大学の授業料はべらぼうに上がってしまっていて、国立なら行かせられるけれどもというような、そうした状況ではなくなってしまっています。
こうしたことなどを背景にして、せっかく子供を産み育てるならばちゃんとした教育を受けさせたい、子育て支援は不十分、教育には金がかかる、産み育てたいと思っても断念している、あるいは二人、三人、産み育てたいけれども一人で断念をしている人たちが山ほどいらっしゃいます。そうした人たちが安心して子供を産み育てることができるようにする、まさに教育の格差の是正や保育所の増設は景気対策、経済対策です。
失われた世代、ロストジェネレーションという言葉を先ほど申しましたが、そうした象徴的な世代の皆さんに限らず、若い人たちの間には、例えば、結婚し、家庭を持ち、子供を産み育てたいという希望すら持てないような低所得、不安定な働き方を余儀なくされている人たちが山ほどいます。そうした人たちが安定的な仕事を得、そして安定的な収入を得ることができたときには、その中の一定比率の人たちは、家族を持ち、そして子供を産み育てたいという希望を持つことができ、そこにつながっていくでありましょう。
結果的に消費を拡大させることにつながる、少子化に歯どめをかける、希望する人たちにその希望をかなえていただけることを実現するためには、まさにこうした子育てや教育や雇用の政策を打つことこそが景気対策、経済対策であるという時代に入っているのです。
立憲民主党は、こうした観点から、景気対策として、保育士の賃金の底上げを、そして介護職員の賃金の底上げを急いで行うということを提起し続けてきています。他の野党の皆さんにも御協力をいただき、共同して国会に法案も提出をさせていただいています。
これは、一義的には景気対策という側面を持っている経済政策です。確かに、こうした長期的な財源を必要とする政策のためには安定財源が必要だという理屈はわからないわけではありません。しかし、景気対策として効果があるならば、建設国債は、財政規律のある意味別枠という扱いでばんばん発行されています。今や、いわゆる従来型大型公共事業と比べてこうした社会保障関連の投資の方が経済波及効果が大きい、それこそそういうデータも存在をしている時代に入っています。
経済波及効果の大きい、しかも、我が国が今直面している消費不況をどう脱却するか、老後の安定、そして子育ての支援、そして、そこに携わっている所得の低い人たちの所得の底上げにつながる介護職員や保育士への賃金の底上げという政策は、ここに集中的に財源を投資するということこそが、まさに、どこに向けて景気対策を進めていくのかという象徴的な姿であり、少なくとも、カジノを進めるよりは百万歩経済に効果のある政策だと私は確信をいたしております。
所得の低い人、所得の不安定な人たちの所得を下支えすることは景気対策、経済対策という側面があるということを申し上げましたが、そうした側面もあわせて、特に地方の活性化のための経済政策としてこの国に必要なのは、一次産業に従事する人たちの所得の安定を図ることであるというふうに思います。
それぞれの地方において、地域の社会と経済を支えているのは一次産業に従事する皆さんです。その人たちの比率はかなり低下をしている地域はあるかもしれませんが、しかし、基幹となる産業として一次産業がしっかりと回っていく、そこで仕事をしている人たちが地域の中心を担って、あるいは消費を促していく中心を担っていく、こうしたことが必要な地域が日本じゅうの圧倒的に広い面積を占めているというふうに思っています。
米作農家の経営安定に大きく貢献してきた米の直接支払い制度について、安倍政権は平成三十年産米から廃止をしました。我々が推進した農業の戸別所得補償制度は、それに先立って廃止をされています。
一次産業の中においては、市況やあるいは天候によって大きな利益を上げる年もありますが、逆に、そうした状況によって翌年の再生産も不可能なぐらい所得が得られないときもあります。どんな年でも最低限、翌年の再生産が可能な安定的な一次産業の経営を担っていただく、そのためにいわゆる所得補償制度をとることは、先進国の農業政策などにおいては今や常識となっています。
私たちは、これはまさに農業を守る、食の安全を守る、緑を守ると同時に、まさに、特に過疎地域などにおける経済を回していく最低限の前提条件として必要なことだと思っていますが、安倍政権はこれに逆行する政策を今のようにとっているわけです。
そもそも、卸売市場法改正を始め農政関連改革法を成立させましたが、農業を他産業と同一視し、目先の経済効率のみを過度に追求するのみで、多面的機能を評価し維持するための方向性に逆行をしています。
いわゆる土地改良予算は一方で大幅に伸びており、安倍農政は、小規模農家、つまり地域社会を経済の面も含めて支えている人たちを切り捨てる一方で、従来型の農業土木を推進している。誰のための農政なのかと申し上げたいし、まさに土地改良などの農業土木はいつまで継続するかわからないわけです。
それぞれの地域において、これから長期にわたってそこに暮らし続ける、住み続ける、営みを続ける、そのためには、一次産業で最低限食べて再生産をしていけるという基盤を整えなければ、過疎地域に暮らす人たちはいなくなります。
安倍政権は、こうした、暮らしを、社会を下から支えて押し上げるという、今我が国がとらなければならない経済政策の方向とは逆行し、強い者をより強くする、豊かな者をより豊かにする、そうすれば世の中全体がそこに引っ張られてよくなる、あるいは豊かさが滴り落ちるという、全く時代おくれになった政策に拘泥をし、社会の分断と貧困を招き、そして、思ったとおりの経済の安定的な成長をもたらすことができないという結果をもたらしています。逆行しているのは明確です。
例えば、この国会でも、生活保護費の母子加算を縮小しました。私は、この国会の一番最初の本会議でこの点について指摘をしましたら、六割の人はふえるんだという答弁にとどまりました。まさに安倍政権の姿勢を私は象徴していると思います。
確かに、母子加算等については、六割の方がふえるというのは客観的な事実です。その方はふえるんだから結構なことです。しかし、六割はふえるというのは、四割は減るということを認めていらっしゃるわけです。せめて、四割は減るけれども、こういう人たちだから減っても大丈夫なんだという説明をしなければ、この四割を切り捨てていることにほかならないじゃないですか。
保育所の数をふやすことも、努力をしているとおっしゃっていますが、おっしゃっているだけで、保育士の賃金増による待機児童対策よりも無償化を優先する政策をいまだに推進をしています。
確かに、無償化が実現できるなら結構なことです。我々も将来の方向として目指したいと思っています。しかしながら、限られた財源とおっしゃっているのは、いつも政府・与党じゃないですか。限られた財源を無償化に回すことが本当に合理的なんですか。
今、何よりも手を差し伸べなければならないのは、保育所に入りたいと思っているのに入れていない人。その人たちに保育所を提供することこそが、無償化よりも優先度は圧倒的に高いんじゃないですか。
しかも、現在の保育料の仕組みも、所得に応じて段階をつけていますから、実は、無償化されて一番恩恵を受けるのは、高額の所得を得ていながら保育所に子供を預けることができている人たちです。私は、その人たちも、財源があるならば、無償で安心してお子さんを預けていただける、そこを目指すべきだと思いますが、優先順位は、所得が低いのに保育所にも入れないような、そちらの人たちを救うことなのは当たり前じゃないですか。
こんなちぐはぐなことをやっておいて、先ほど来、やっているじゃないかというやじが飛んでいますけれども、やっているんですか。やっていないじゃないですか。逆行しているじゃないですか。
税だってそうです。これは低所得者ではありませんが、一部の中堅層の給与所得者を狙い撃ちする控除の見直しをしたのは誰ですか。国際観光旅客税なども含めて、取りやすいところから取るという税制の改悪を進め、例えば金融所得課税などは先送りをしているじゃないですか。
強い者、豊かな者には優しく、厳しい環境にある人たちには厳しく。それは、繰り返しますが、そうした皆さんが気の毒だからにとどまりません。こうした皆さんの所得を底上げして消費をしていただかない限り、従来型の経済政策を幾ら打っても、消費が伸びない限り、我が国の安定的な経済の再生はあり得ません。
経済についてはあと三十分ぐらい話したいことがあるんですが、最後に安倍総理の典型的な勘違いを申し上げて、次のテーマに移りたいと思います。
一月三十一日の参議院予算委員会で安倍総理は、国民生活の困窮化の一例としてエンゲル係数の上昇が見られることを質問され、物価変動のほか、食生活や生活スタイルの変化が含まれていると場違いな答弁をされています。
こんな認識なんですから、所得の低い人たちの所得を底上げしなければ景気を回復させることはできないという今の社会において、日本経済を立ち直らせることは到底できないということを最後に強く指摘をしておきたいと思います。
四番目に、政治と社会のモラルを崩壊させる、いわゆるモリカケ問題等にも触れておかなければならないと思います。
まず、このモリカケ問題には、第一に、約九億円の国有地が八億円ほど値引きして売られようとしていたという問題があるという本質を忘れてはならないというふうに思います。まさに、国民の皆さんからは、常に税金の使い道について厳しい声が上がっています。そうした状況の中で国有地が八億円もダンピングされたとすれば、その分の税金が食い物にされたのと意味は一緒です。
本来であれば……ヤジ黙らせていただけますか。
大
枝
大
枝
枝野幸男#22
○枝野幸男君(続) ミズタ議員、黙っていていただけますか。
この八億円もの値引きがどうしてされようとしていたのか。
財務省の皆さんは、それには批判もあるかもしれませんが、国民の皆さんから、納めるべき税金は一円とも間違いなく、落ちなく納めていただくために努力をされています。国有財産などを売るに当たっては、一円でも高く売るために努力をされています。
私は、そうした財務省の基本的な姿勢は、それは、少しでも税金を安くしてほしい、少しでも安く国有財産を手にしたいという皆さんには残念なことであるかもしれませんけれども、正しい姿勢だと思っていますが、その財務省がなぜ八億円も値引きを認めようとしたのか、一旦は認めたのかという、これは深刻な問題であります。こんなことが日常茶飯に起きたとしたら、まさに我が国の財政は、どんなに国民から税金をいただいても回るはずがありません。
したがって、なぜこんなことが起こったのか、その原因、本質を明確にすること、そしてそのことに基づいて再発防止策をとること。原因もわかっていないのに、全貌も解明されていないのに、再発防止を打てるはずがありません。
後で述べる改ざん問題なども含めて、責任を痛感していますとか、真摯な反省とか、再発防止とか、言葉だけは躍っていますが、全貌解明の妨害をし続けてきているのは誰なんですか。全貌解明に抵抗しているのは誰なんですか。全貌解明に協力をしない政府・与党の姿勢こそが、まさに税金の無駄遣いを生み出すうみそのものではありませんか。
そもそも、これだけでも問題なのでありますが、第二に申し上げなければならないのは、安倍総理の昭恵夫人が、夫人付の公務員である谷査恵子氏を通じて行政に問い合わせるという関与をしていました。このことは既に明らかになっています。このことだけで大問題じゃないですか。
ほかに、こんなおかしな値引きをしたことについての合理的な説明が一切なされていない以上は、このことが影響を与えていたという以外、現状では推認しようがないじゃないですか。
安倍総理は、関係していたら総理も議員もやめるという発言をされました。この発言があろうとなかろうと、この事実をもってしてだけでも、まさに権力の公私混同の問題として深刻な問題であることは明らかであります。にもかかわらず、昭恵夫人も谷氏も、国会はおろか、記者会見などの場も含めて全く説明をしておられません。
財務省が改ざん、隠蔽してきた文書の多くを、この国会で野党の協力によって公開にまで持ち込むことができました。野党各党が粘り強く追及してきた成果であると思っていますが、そもそも、本来であれば総理や政府自身あるいは自民党が積極的に真相解明に努力すべきであると思いますが、全くそうした姿勢は一貫して示されませんでした。
そして、非常にわかりやすいのは、関連する文書の多くがようやく野党の追及に応じて出てきましたが、なぜか昭恵夫人や谷査恵子氏が関与していたとされる時期の文書だけ、いまだに出てきておりません。
更に言うと、びっくりしましたが、これは共産党さんが指摘をされました、最高裁まで争ってでも公開はしないとされる打合せ文書が出てきました。こうした文書が本物でないという否定もできていません。本物かどうかわからないというか、答えないという状況であります。まあ、本物だから否定できないんですよね。
最高裁まで争ってでも公開しないというそんな姿勢、まさに総理が指導力を発揮して、公開できるものは全部公開しろと言うべきじゃないですか。こんな姿勢で、自分の配偶者は関与していないと幾ら言い張ったって、誰も信用しないのは当たり前のことじゃないですか。
モリカケ問題に関連しては三つ目、加計学園問題であります。
国家戦略特区に至るプロセス、獣医学部の設置認可に至るプロセス、まさに行政の中立性、公平性を損ないかねない疑惑であります。これに全く真摯に対応していないどころか、真実に目を向けぬ姿勢がもはや明確であります。
何度も指摘をされていますが、改めて申し上げたいと思います。
公開された愛媛県の文書、平成二十七年の三月付の文書には、三月三日の打合せ会において加計学園のした報告が記載をされています。二月二十五日に加計理事長が総理と面談し、いいねと言われた。公文書であるのかどうかということはいろいろな議論がありますが、愛媛県の地域政策課がつくり保管していた文書において、加計理事長が総理と面談し、いいねと言われたということが明確に書かれているところであります。
すごいのは、加計理事長などが、事務局長がその場の雰囲気で作り話をしたと釈明をされたことであります。愛媛県の一連の記録と照らし合わせれば、明らかにこの加計理事長の説明は矛盾をしており、この理事長の、雰囲気で作り話をしたという釈明こそが虚偽であるのは明らかであります。
一つには、当該その三月の文書の冒頭に何と書いてあったか。「加計学園から、理事長と安倍首相との面談結果等について報告したいとの申出があり、」というのが冒頭の記載です。
つまり、この会合そのものが、打合せ結果、安倍総理との面談結果を報告したいという申出に基づいてこの会合がセットされているんですから、その場の思いつきで安倍総理との会談の話がしゃべられたわけではないというのは記録上明々白々じゃないですか。これだけでも加計学園は大うそつきだということがはっきりしています。
一つだけではなんなので。
愛媛県の公表文書、一つ前の文書は二月付の文書です。その二月付の文書にはどう書いてあったか。理事長が安倍総理と面談する動きもあると明記されているんです。
二月の会合で、理事長が安倍総理と面談する動きもあるという報告をし、三月の会合は、理事長と安倍総理との面談結果等を報告したいとの申出でセットされ、そこでいいねと言われたと報告をした、これが全部、記録上明確に残っているんです。これが作り話、あり得ないですね。
まだあります。
この三月付の文書、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったとの加計学園からの報告が記載をされています。そして、次の文書で、資料提出指示を受けて、柳瀬秘書官と加計学園が協議の日程を調整しているとの加計学園からの報告内容が記載をされていて、実際にこの流れの中で、いわゆる問題となっている柳瀬秘書官との面談が実現をされているわけでありまして、総理と加計理事長との面談からこの一連の流れが進んでいるということは記録上はっきりとしているんじゃないでしょうか。
そもそも、学校の設立認可という公権力の行使、行政行為の選択に当たって、こうした形で政治家が関与をしていたとすれば、そのこと自体大きな問題でありますが、県や市も多額の金をこの加計学園に出していますが、学校を設立されてしまった以上は、ここには毎年、私学助成金という形で国費も出ていくんです。
獣医学部のような実験などを多々行う学部が、私学助成金の中で、経営が回っていくというのは、これは現実的にあり得ません。学校が存続する限り、私学助成金がない限りは経営は成り立たない。これもまた税金の使われ方、使い方の問題であり、しかも、愛媛県や今治市だけではない、国費の問題でもあるんです。
安倍総理は、国家戦略特区のワーキンググループのプロセスに瑕疵がないことを繰り返し強調していますが、全くピント外れの言いわけだと言わざるを得ません。
仮にワーキンググループの手続本体には瑕疵がなかったとしても、総理との関係を背景にして総理秘書官から特別な指導助言を受けていれば、行政の中立性、公平性を損ねるものになります。あるいは、国家戦略特区としての正式な申請の前段階のプロセスであったとしても、それこそ加計理事長の言いわけのように、総理の名をかたって県や市をだますなどという決定的な瑕疵があるならば、設立認可そのものに瑕疵があると言わざるを得ません。
そもそも、申し上げたいんですが、この柳瀬秘書官というのは、私も経済産業大臣をやらせていただいたので存じ上げていますが、経済産業省から総理秘書官に出ていらっしゃるんですよね。
この国家戦略特区は、その結果、学校の設立の問題という意味では文部科学省に影響する話です、獣医師さんという話では農林水産省に影響する話でありますが、内閣府の所管であります。私立の大学の学部を設置する、しかも一次産業系の学部を設置するということについて、そもそも柳瀬秘書官は知見もなければ所掌したこともないんです。何で柳瀬秘書官が関与して指導助言をしているのか。それはまさに総理秘書官だからにほかならないじゃないですか。
総理秘書官が関与しているから、内閣府を始め各省庁はそれをそんたくするなり、私は事実上の指示が出ていたと思っていますが、それは断定はしません。
しかしながら、まさに、なぜ所掌ではない経済産業省出身の秘書官が関与をしていたのかということ一点をもって、まさに官邸としての影響力を行使させようとしていたということは、これだけで私は明々白々だというふうに思いますけれども。
これらだけでも内閣が三回ぐらい吹っ飛んでもおかしくないんですが、この問題は、更に言うと、このまま放置をすればとんでもないことになる、そういう問題であります。
総理のような権力者と友人であるなら、あるいは権力者の配偶者に取り入ることができれば、行政的に有利に取り計らってくれるかもしれないという認識を世の中に生じさせているということであります。行政の中立性、公平さに対する信頼が、急激、著しく、今、劣化をしています。こうした状況を放置したら、見逃したら何が起こるか。有利に取り計らってもらおうとして、権力に取り入る、すり寄る人間が増加をします。
その一方で、そうした機会はつくろうと思ってもとてもできないよねと、多くの皆さんはそう考えるでありましょう。そうした皆さんは、どうせ一部の人だけがいい思いをするのでしょうという意識に陥り、モラルとモチベーションが低下することになります。これは、まさに日本社会を崩壊させる危機です。
したがって、多くの国民の皆さんに、ああ、やはり行政は中立公正なんだという納得感を得させなければ社会のモラルを崩壊させる、その責任は、こうした疑念を生じさせた安倍総理にあるということは間違いないじゃないですか。
森友、加計学園問題に関連をして、五番目に指摘をしなければならないのは、これ単独でも七つのうちの一項目立てたいぐらいの話でありますが、この真相解明を妨害するような、そうしたプロセスの中で出てきた公文書の改ざん問題であります。
これは、行政の末端のごくごく一部の数人が個人的な不祥事を隠すために文書を改ざんしたなどという、過去にも残念ながら時々生じている不祥事とは全く本質的には違っています。公文書の改ざんを、しかも国会との関係で、中央官庁の中枢部が大がかりに実施をしたというところが本質的な問題です。
国会から求められている資料提供や報告を求められている案件について、公文書を改ざんしたということはどういうことか。国会をだましたということであり、国会を通じて国民をだましたということにほかなりません。
この問題は、与党の皆さんも、そうだと言わないとおかしいんですよ。だまされたのは皆さんも一緒なんです。その本質的な意味を理解されていないことに、今の自民党の劣化が象徴されていると私は思います。
行政が国会に改ざんしたうその文書を出したら、国会は成り立ちません。本来であれば、後で申し上げますが、国会の内外で虚偽答弁が繰り返されていて、それ自体も問題です。でも、残念ながら、過去も国会などで事実と違う答弁がなされたりということはありました。
だから、国会では、特に野党は、文書を出せということに力を注いできているんです。さすがに公文書は正しいことが書いてあるはずだ、だから、残っているはずの文書は何なのか、それを探り出し、それを公開させることによって、口先ではごまかそうとしても真実を突きとめる。そのことのために努力をしてきたし、そのことによって成果も上がってきているんです。
にもかかわらず、その国会に出す文書を改ざんする、国会をだますために改ざんするなどということを認めてしまったら、国会をだますんですから、与党の部会をだますかもしれませんよ。与党の部会にも、うそを書いた文書を出してくるかもしれませんよ。そうした状況を許すということを、本当に危機感を持っていらっしゃらない与党議員の皆さんを、私は大変残念に思います。
こんなとんでもない改ざんが行われたにもかかわらず、残念ながら、誰も刑事責任を問われていません。検察審査会に国会議員は介入することはできませんが、検察審査会に期待をしたいというふうに申し上げるにとどめておきたいというふうに思っております。
加えて、最も重い処分が停職三カ月。後で話が出てきますが、外務省で停職九カ月の方が相前後して生じました。そっちはよっぽど重かったんですね、これよりも、三倍なんですからねということを後で申し上げたいと思いますが、国会をだますようなことをして停職三カ月。それぐらいの停職で済むということで、こういうことをやっていいんですねと認めているようなものじゃないですか。
いや、あえて言えば、主観的意図はわかりませんが、まさに、経緯からすれば、安倍総理を守るために改ざんをしたと受け取られても仕方がないようなプロセスなのははっきりしているわけですから、総理を守るためだったら、こんなとんでもないことをしてもこんな軽い処分で済むんだ。ここでもモラルハザードを生じさせるんじゃないでしょうか。
佐川前国税庁長官は理財局長当時にこうしためちゃくちゃな改ざんを行っていた中心にいたのは、これはもう政府としても認めているわけです。その方を、野党の指摘、こんな人、していいんですかという指摘を払いのけて適材適所と国税庁長官にしたのは、安倍総理です。
確かに財務大臣かもしれませんが、後で申し上げるとおり、今や、幹部公務員の人事は一元化をして、総理自身、適材適所と繰り返しておられました。いまだに適材適所とおっしゃっているようなんですが、信じられません。総理のために、停職処分も恐れず、公文書を改ざんして国会をだますような人は、総理にとっては適材適所なのかもしれませんね。
公文書が信用できないということになれば、これは国会としても、役所が出してくる文書を、いつも、改ざんされているかもしれないという疑念の目を持ちながら、審議、議論しなければなりません。
そして、多くの一般の国民の皆さんの国民生活だって、役所から来る公文書は正しいものだという前提でほとんどの国民の皆さんは暮らしています。役所から、例えば納税の通知書が来れば、自分で一々計算し直してみて、自分の税額が合っているかどうかなんて調べる人は余りいません。役所からあなたの年金額は幾らですという通知が来れば、年金何とか便というのをつくって過去の支払いの実績がチェックできるようにはなっていますが、毎回毎回きちっとチェックする人はそういらっしゃいません。
役所は、そうはいったって、役所のつくる文書は正しいんだという信頼関係のもとに社会というのは成り立っています。この公文書改ざんを、このままで、臭い物にふたをしてしまったのでは、この社会全体の公文書に対する信頼が揺らいだ状況を放置するということにほかなりません。これも、社会そのものを壊してしまうことにつながっていくと私は強く危惧をしているところであります。
公文書に対する扱いは、財務省にとどまりません。後に防衛省・自衛隊の日報問題についても述べさせていただく予定になっておりますが、そもそも、よらしむべし、知らしむべからずという、江戸時代以来、あるいはもっと古いかもしれません、まさに我が国の間違った意識が残ってしまっているのではないでしょうか。
先ほど申しましたとおり、私は、明治維新以前の、西欧近代文明が入ってくるより前からの日本の歴史と伝統の中には、再評価すべきもの、しっかりと引き継ぎ、それを現代社会に合わせて応用をして生かすべきものが多々あると思っています。
しかしながら、まさにこのよらしむべき、知らしむべからずという意識を、行政にかかわる人間、それは政治家も含めてですが、わずかなりとも持っていてはいけないと私は思います。そうした意識を持っているのではと疑わざるを得ない、大本営発表にもつながったようなこうした意識を払拭させる責任は総理にあるにもかかわらず、総理自身がうみのうみになっているという状況では、とても内閣を信任することはできません。
森友、加計問題についての六点目は、森友学園は、理事長は学園の経営から退かれました。加計学園の加計理事長は今も理事長のままでおられます。
全く矛盾に満ちた、まさに出任せとも言っていい説明を繰り返し、逆に、百歩譲って、もしこの加計理事長の言っていることが本当だとすれば、総理の、腹心の友という日本語、余り私は聞いたことないんですが、相当親しい御友人がトップである法人が、総理の名をかたって、かたったわけですからね、愛媛県や今治市に対しては、しかも勝手にかたって、獣医学部の設置を有利に進めようとしたことになるわけですね。
総理との御友人だったのは事務局長じゃありませんね。事務局長が言ったと、百歩譲って言ったとしても、総理と加計理事長が御友人だったことを奇貨としてやっているわけですね。
何らの責任も感じる姿勢も示さず、説明責任を全く果たしていない。もう記者会見はやらないなんて言っているわけですよ。こんな方が、教育機関のトップをやらせていいんですか。
この認可過程に決定的な問題がありました。ありましたが、学校として現にでき上がってしまい、そこに学んでいる学生さんたちがいらっしゃいます。そうした現実を踏まえるならば、やるべきことは、加計理事長は、加計学園の少なくとも獣医学部の経営から手を引かれ、第三者に経営権を移譲すべきであると思いますし、友人であるならば、安倍総理はそれを促す責任があると私は思います。そうでなければ、こんないいかげんな、無責任な人間が教育機関のトップをやっているという、教育におけるモラルの崩壊につながっていくと私は思います。
民間に口出すなとかとやじっている人がいますから、私の話をちゃんと聞いてくださいね。総理、友人として促すべきだと私は申し上げました。それが日本の社会の秩序、モラルを維持すべき責任を持っている日本の政治のリーダーとしての、御友人に対する真摯な姿勢ではないでしょうか、皆さん。
まあ、総理のおっしゃる友人というのは、同じような高い志を持って、違う道だけれども頑張っていこうねというのを私は友人というものの定義だと思っていますが、一緒に楽しくゴルフをやるというのがお友達なのかなと思いますので、しようがないのかもしれませんね。
モリカケ問題の七番目の問題点、これは、検察捜査への介入の疑惑まで生じているということです。
大阪航空局作成とされる文書、これもこの国会の中で指摘がされました。官邸も早くということで、法務省に何度も巻きを入れているが、刑事処分が五月二十五日夜という話はなくなりそうでと、調査することすら否定しています。
検察庁法十四条は、法務大臣は、個々の事件の取調べ又は処分については、検事総長のみを指揮することができると明記をしています。法務大臣ですら検事総長のみを指揮することができるんですから、法務省の役人や、ましてや法務省以外の行政機関の役人が検察に関して関与することがあってはならないのは、この検察庁法十四条が前提としていることです。
指揮権発動以外の手続で、官邸を含めた行政機関が法務省を通じて個別事件の捜査に関連して巻きを入れていれば、明らかに検察庁法に違反した、捜査への不当介入であります。
当該文書は、行政の当事者でなければ到底つくれない内容になっており、怪文書では到底ありません。そもそも、昨年のモリカケ問題発覚以来、怪文書と最初称していた文書が実は本物だったことの繰り返しではないですか。財務省、会計検査院、これだけでも問題です。検察捜査にまで官邸が影響力を行使して行政をゆがめているとの疑念をこのまま放置したのでは、この国は何物も信用できない国になってしまう。法治国家とは到底言えない状況になってしまいます。
私は、現時点で、この文書が本物だったと言うつもりはありません。しかし、政府みずから積極的に調査をして、真実を明らかにする必要があります。巻きを入れた事実があったのかなかったのか、しっかりと調査をすべきでありますが、その調査すら放棄をして開き直っている姿勢は、到底許しがたいものがあります。
以上申し上げてきたとおり、一連の森友学園問題、加計学園問題は、いわゆるスキャンダルではありません。行政の公平性、廉潔性を損ね、放置をすればモラルハザードを招く社会と国家の危機であります。
今なお多くの国民が総理や政府などの説明に納得できないという状況であります。このこと自体が危機であります。丁寧な説明、うみを出し切ると繰り返しましたが、実態は逃げ回る一方であります。
確かに、我々に対しては、いつまでモリカケばかりやっているのだという声があります。そもそも、ばかりでないというのは客観的な事実として申し上げておきたいと思いますが、同時に、モリカケ問題の追及は、真相解明まで、どんな声があっても諦めずにやり続けます。
総理は、いずれ時間がたてば多くの国民が忘れてくれると思っているかもしれません。そもそも昨年秋の総選挙がモリカケ隠しの意図があったのではないかという声もありますが、何度解散されようと、どれぐらい時間がたとうと、真相解明がなされない限り、このことを追及していくのは、行政の中立性、国会答弁や公文書に関する信頼性を守るための野党としての責務であると考えています。
総理を始めとして政府・与党が真相解明のために積極的に対応すれば、そもそもこんな大きな問題になっていなかったかもしれません。安倍昭恵夫人、谷査恵子氏、加計理事長、愛媛県知事、再度の佐川氏など、後ろめたいことがないならば、与党から積極的に国会での招致などを求めるのが当たり前じゃないですか。行政の内部文書と思われるような文書が明らかになったら、積極的に調査し、報告すべきではないですか。後ろめたいと思っているからやらないんでしょう。
そもそも、公文書も、総理を始めとする行政による国会での説明も信用ができない、中立性、公平性に信用ができないという状況では、内政、外交とも、まともに進むはずはないじゃないですか。国会などでさまざまな答弁を引き出し、政府の認識を明らかにしても、後になって、発言が、文書の内容が簡単にひっくり返されたのでは、論争自体が意味がないじゃないですか。多くの国民の皆さんが政府に対する信用、信頼を持っていない中で、強力な政策推進ができるはずがないじゃないですか。
私たちは、全貌解明に至るまで追及を続けることをここで申し上げるとともに、与党の皆さんに対しては、国会は、明後日、通常国会は再延長はありませんので閉会をしますが、臨時国会を開き、あるいは、臨時国会を開かなくても閉会中審査でも、幾らでも、先ほど申し上げました関係者を、国会に来て説明をしていただくことはできますので、ぜひ、しっかりと国民の信頼を取り戻す、本気でうみを出し切る姿勢を示していただきたいと、この場をかりて強く求めておきたいと思います。
五番目のテーマについて申し上げます。
森友、加計学園についてもそうでありますが、それにとどまらず、ごまかし、いいかげんな国会答弁の数々、そもそも民主主義の履き違えが著しい、このことをもって、安倍内閣は到底信任することはできません。
審議不十分の声を押し切った強行採決は数知れません。冒頭のカジノについて、災害の中、強行してきていること。高度プロフェッショナル制度の問題、後ほど述べますが、参議院選挙制度の問題等、まさに時間が来たからどころではない、参議院の選挙制度に至っては、ろくな審議もせずに採決をしています。
御飯論法とか信号無視話法という言葉がこの国会を通じてちまたに出回りました。聞かれたことに答えるから議論になるんです。聞かれたことに答えないではぐらかすというのは、目先の論争では一瞬勝った気になって、言った人は気分がいいかもしれませんが、見ている人はみんな見ています。結果的に、聞かれたことに答えない、全部ずらした、ごまかした答弁をしているということで、加藤厚生労働大臣そして安倍総理、御飯論法と世の中からあざ笑われる結果となっています。
聞かれたことに正面から答えないだけにはとどまらず、聞かれてもいないことを、だらだらだらだら、だらだらだらだら、だらだらだらだらしゃべり続ける安倍総理の姿勢。
私は、安倍内閣がいかに不信任に値するかということを発言する機会をいただいてここで発言をし、安倍内閣がいかに不信任に値するかということを一貫して述べさせていただいています。少なくとも、国会における予算審議や法案審議などにおける行政府の皆さんの仕事は、自説を述べることではありません。国会で問われたことに行政府を代表してお答えになる、聞かれたことに答えるのは、予算、法案審議における大臣の仕事、役割、責任であって、聞かれたことを、だらだら話している安倍総理と、みそとくそを一緒にしないでいただきたい。
そもそも、この聞かれたことに答えずに聞かれてもいないことを答えている姿勢だけで不信任に値すると思いますが、それにとどまらず、平然とうそをつき、開き直る姿勢がますます顕著になっています。
一個一個挙げようと思って調べたんですが、余りにも多過ぎて、それだけで五、六時間分になりそうなので、最近の顕著なものだけ指摘をしておきたいと思います。
小野寺防衛大臣、いわゆる赤坂自民亭の件で、当初は、報告を受け指示をしていたと発言をされていました。そうしたら、飲みながら指示していたのかと指摘を受けたので、慌てて撤回をしました。慌てて、会合は終わってからだと撤回をしたら、その後も指示は受けていないというような発言も防衛省から出てきたんです。要するに口から出任せを言っていたということがもう明らかになっています。
赤坂自民亭に関しては、西村官房副長官が、災害発生時に会合していたかのような誤解を与えと開き直りました。何が誤解なんですかね。災害は発生していなかったんですかね。
しかも、総理は西村副長官を注意したらしいですが、情報発信について注意されただけ。西村副長官について言えば、実は、大雨は山を越えたとのツイートをしているんですね。結果的にこのことを信じて被害に遭われた方は今のところ聞いておりませんが、自己正当化のために被害を拡大させかねない不適切な発言だと言わざるを得ません。
情報発信について注意するならこちらですし、災害のときの官房長官、官房副長官、まさに多くの国民の皆さんが、こここそがまさにさまざまな国家の情報を集約されていて、実は最新の最も広範な情報を持っていると多くの国民の皆さんが思っていらっしゃいます。私も実はみずからの経験で必ずしもそうでないことを知っているんですが、しかし、多くの国民の皆さんがそう思っている中で、大雨は山を越えたというツイートは、これだけで私は辞職に値すると思います。
閣僚ではありませんが、私はこの話はいまだに信じられないんですが、河村予算委員長、総理との会食直後に、総理が集中審議は勘弁してほしい旨発言していたと明言をされています。これは翌日撤回をされています。
自民党は、うそつき、ほら吹きを予算委員長にしているんですか。前の日に堂々と記者の前で明言しているんですよ。これは何か勘違いをしそうな話ですか。日付を間違えたとか、総理の発言をどなたか別の議員の発言と間違えませんよね。明らかに撤回がうそであるか、もしこれを、撤回が本当だとすれば、記者の前で総理が言っていないようなことをほらを吹く、そういう方を予算委員長にしているんですか。
私は河村委員長を知らないわけではありませんので、河村委員長がほら吹きだという印象を持ったことは一度もありませんから、撤回がうそだとしか思いようがないんですが、どちらにしても河村委員長はうそつきだということになりますね。
古屋議運委員長については昨日の本会議で同僚議員等が厳しく指摘をいたしましたが、せめて説明ぐらいしろよと、説明もできない状況なら身を引かれたらどうですかということを改めて申し上げておきたいというふうに思います。
民主主義の履き違えという意味でここで厳しく指摘をしておかなければならないのは、参議院選挙制度のことであります。
定数をふやす、意味がわかりません。確かに、議員の数をただ減らしていくことだけが本当にいいことなのかという疑問の声が最近出てきていることを私は承知をしています。しかしながら、来年の十月に、国民の皆さんに、自公の皆さんは消費税を一〇に上げるということを押し切るんでしょう。その直前に国会議員の定数をふやす選挙をやるという、その発想が私には理解ができません。
百歩譲ります。一票の格差と関係のない、何で参議院の比例定数をふやすんですか。全く意味不明です。
特定拘束枠も意味不明です。一県一代表にすべきでないかという声は非常に強く思います。抜本改革が必要だと思います。抜本改革が間に合わないからといって、その地域の人たちを比例で優遇する。百歩譲ってそこまでわかるとしたら、何で二じゃないんですか。
合区で一県一代表を出せない地域というのは、合区になっているところは二つあるわけですから、四県ですから、そのうち、四県から二人しか出せないわけですから、二つ特定枠があればその解消にはなるんじゃないですか、とりあえず当面の策として。
そもそもが、非拘束名簿の中に拘束名簿を入れるという、全くむちゃくちゃなことでありますが、先ほど来言っています、百歩譲っても、定数をふやしてまでやることは意味がわからないし、そして、その合区対策だと称するなら、二より多い数にしているのは意味がわからない。いろいろな意味がわからないことを今申し上げているので、意味がわからないからといって違うことに賛成するという意味ではないのは、子供でもわかる理屈だと思いますけれども、いかがでしょうか、皆さん。
しかも、選挙制度は民主主義の根幹であります。平時においても、与党だけで、十分な議論もなく、十分な議論もないとはどういうことかというと、実は、国民も知らないうちに決まるということです。国会の中で時間をかけて議論をするということがあれば、国民の皆さんの間でも、ああ、こういうふうに変わろうとしているんだ、それはおかしいじゃないかとか、ああ、それならいいじゃないかとかという、国民の皆さんも、まあ、実態は御関心のある方だけかもしれませんが、でも、知ろうと思えば知ることになるわけですが、全く審議の時間もとらずに、あっという間に成立をさせてしまった今回のプロセスでは、ほとんどの国民の皆さんがどう変わるのか知らないままに、あれよあれよ。しかも、災害対応に多くの皆さんが大変な力を注いでおられる中で、どさくさ紛れと言わざるを得ません。
まさに、こうしたプロセスも含めて、この選挙制度の改悪というものは到底容認することはできませんし、形式は議員立法でありますが、時々、安倍総理は総理大臣と自民党総裁を便利に使い分けていますが、議院内閣制においては、議会の多数派と行政府が一体となる、議会の多数政党の党首と内閣総理大臣が一体となるという仕組みの中ででき上がっているので、それは議員立法で勝手にやっただなんという言いわけは、もしなさるとすれば、議院内閣制の基本をわかっていない理屈だということを申し上げておきたいと思います。
そもそも、民主主義とは単純な多数決とイコールではありません。そこを履き違えておられるのではないかと私は強く危惧をいたしております。選挙で勝って多数があるんだから何をしてもいいわけではありません。そもそもが、現在の衆議院の議席数は、投票した人の相対得票すら反映していません。自民党と公明党、与党の皆さんで、さきの衆議院選挙の得票は過半数の相対得票を得ていませんからね。その上で申し上げますが、多数決と民主主義はイコールではなく、多数決とは必ずしも正義ではありません。
既に言われている話ですが、いわゆるエレベーターのパラドックスという話があります。老朽化した分譲マンションにエレベーターをつける。みんなで一致をしてエレベーターをつくることには賛成をした。エレベーターの費用分担をどうするのか。
実は、こうしたマンションの区分所有の決定のあり方は単純過半数ではありませんが、そこを少し省略して説明をすると、例えば、二階以上の住人が結束をすれば、エレベーターの費用負担を一階の住民だけに押しつけるという決をとることが可能になる。ヤジ似たようなことをしているんですよ、高橋ひなこさん。民主主義というのは、必ずしも多数決とイコールではない、多数決をもってしてもやってはいけないことがある、多数決をやる前には、やらなければならないことがある。
私は、みんなでどこに御飯を食べに行こうかという例を時々申し上げています。仲間内でどこかに御飯を食べに行こう、魚を……ヤジ余り物をわかっていない方がこの議場には多いのでわかりやすく説明をさせていただいていますので、ぜひ聞いていただきたいと思います。聞いていただきたい方がうるさい状況ではしゃべりにくいんですけれども。
いいですか。仲間内で御飯を食べに行こう、すしにしようか肉にしようか。意見が分かれたら多数決で物を決める、みんながそう言っているから、じゃ、きょうはそうしようというのはわかります。しかし、例えば、その中に足が不自由で車椅子の方がいらっしゃれば、ほかの皆さんが、あの店がうまいからここにしようとみんな思っていたとしても、車椅子の方ではなかなか入れない、バリアフリーになっていない店は除いて、その中でみんなの多数意見はどこだろうかと聞くのは当たり前じゃないですか。
つまり、多数の意見だからといって押し切っていいわけではなくて、その中で、みんながお互いに譲り合う、配慮し合うことの中で、理不尽ではない、不合理ではない、その範囲の中で多数の意見で決めていこうということでなければ物事はいけない、それが民主主義であります。
そもそもが、民主主義は多数決ではないんですよ。民主主義というのは、主権者である国民みんなで物を決めて国を動かそうというのが民主主義なんです。
民主主義で、みんなで決めたいんですが、残念ながら、一億二千万を超える国民の皆さんがみんなで集まって相談をすることができないので、やむなく、仕方なく、それを補う手段の一つとして、選挙という多数決が使われます。そして、国会の中でみんなで意見が一致して物が決まるのが本来の民主主義の望ましい形でありますが、残念ながら全ての件で全員が一致することはありません。その場合の手段として多数決が使われることがあります。しかし、多数決だから正しいわけではありませんし、正当な手続なわけではありません。
なぜ、民主主義において多数決という手段が使われるのか。それは、多数の言っていることが正しいからではありません。熟議を繰り返した結果として、多数の意見であるならば、少数の意見の人たちも納得するからです。多数決というのは、少数意見の人たちも納得するための手段として多数決が使われるんです。少数意見を納得させようという意思もない多数決は、多数決の濫用です。
多数決が少数の人たちを納得させる手段として正当性を持つためには、多数決の前提として、正しい情報が開示されなければいけません。
例えば、先ほどの俗な例に引き寄せてお話をすれば、じゃ、肉屋にしようか魚にしようかというときに、例えば、肉屋は五万円です、魚屋は五千円です、その情報を何も言わずに、どっちにすると聞いてどちらかに答えても、その結果で、私は五万円の肉だったら五千円の刺身でも魚の方がいいとかというような話になるわけで、少数意見も納得する多数決の物の決め方というのは、判断するに必要な情報、材料がきちっと公開、提示をされた中でそれぞれが判断をする。そうしたことの中で、ああ、こういう前提の中で多くの皆さんがそうおっしゃるのならば、自分は違う意見だけれども、それはみんながおっしゃるなら仕方がない、これが真っ当な民主主義における多数決が正義である大前提であります。
その大前提を欠いて、つまり、国会でうそをつき、国会に改ざん文書を出し、提示を求めていた資料も出さず、そして十分な議論の時間も与えず拙速に物を決めていくプロセスを重ねているというのは、まさに民主主義の履き違えであります。
民主主義の履き違えという観点からは、先ほど足の不自由な方の車椅子の話を申し上げました。あるいは、エレベーターのパラドックスの話を申し上げました。どんなに数を持っていても、理不尽なことはやってはいけない。その理不尽なこととは何なのかをあらかじめ決めているルールを、民主主義の国における立憲民主主義として憲法というルールで定めているんです。
あらかじめ、いっときの多数決では変えてはいけないこと、いっときの多数決をもってもやってはいけない理不尽なこと、それが何なのかを決めて、こういう理不尽なことはやってはいけませんよという枠の中でしっかりと熟議をして、情報を公開して、少数意見も、それは政治ですから、建前としては、それは今さら賛成とは言えないよね、でも、ここまで議論をして、これだけ情報開示をして、理不尽でないならば、意見は違うけれども仕方がないね、これが本来の真っ当な民主主義の姿である。その手続をこの国会で全く踏んでいない上に、安倍政権は立憲主義そのものの破壊工作を今も進めています。
ここは余り長く繰り返しませんが、集団的自衛権は憲法違反である。誰が言ったわけでもありません、歴代自民党政権が積み重ねてきた憲法の解釈を一方的に変える。憲法という、どんな数を持っていてもこういう理不尽なことをやってはいけませんよと決めているルールを、憲法改正の手続もとらずに、勝手に無視して集団的自衛権の一部行使容認を進めた。まさに立憲主義も立憲民主主義もわきまえない姿勢である。
そうしたことの中で、こうした理不尽な、民主主義の本質をわきまえない、数さえあれば何でもいいんだという議会運営、政治運営が進んでいるということは、ある意味で必然かもしれませんが、到底許されることではないということを申し上げたいと思っています。
そもそも、多くの国民の皆さんは誤解をされているかもしれませんが、よく与党の皆さんなどが、野党は何でも反対と言っているのは、これは大うそつき、デマですからね。成立している法律等の約半数は全会一致であるということは、議場にいる皆さんならば、一回生議員の皆さんも十分御承知だと思います。
自民党から共産党の皆さんまで、全会一致で約半数の法律がつくられています。野党第一党、現状では、私ども立憲民主党に限れば、今国会では八割の法案に、実は政府提出法案、賛成をしています。実は、二割の反対についても、多くの場合は審議に協力をしています。
例えば、この議場で我が党から非常に品格の高い反対討論をしていただきましたが、十八歳成人については、審議については協力をいたしました。しかしながら、対応、しっかりとした手当てが不十分だということで反対をいたしましたが、審議には一定の協力をいたしましたし、あるいは、相続法の改正などについても、明確な反対の姿勢を示しましたが、審議にも協力をいたしました。
野党が徹底的に反対をしているのは、安倍内閣になって急にふえてきていますが、従来、言えば一年間に一本、二本あるかどうか。この国会でも、決して両手で数えなきゃならないほどの数はありません。何でも反対をしているというのはデマです。
そもそもが、立法過程というものを御存じない方が、野党は何でも反対だなんというデマを流すんです。
そもそも、与党の皆さんはよく野党に対案を出せと言いますが、与党で対案を出したことがありますか。国会に出て成立している法律のほとんどは政府提出法案です。当たり前です。なぜならば、与党の皆さんは事前審査をして、政府が法案をつくるプロセスの中で与党の皆さんの意見を取り入れさせています。
国会でなぜ法案の二分の一が全会一致になっているのか、法案の八割が野党第一党は賛成するような形になっているのか、冷静にお考えになってください。
与党の皆さんは、確かに手続としての与党審査で、そこをパスしなければ国会に法案が出てこないという、そういうプロセスを我々も与党のとき踏みました。そのことがいいのかどうかという議論は中長期的な課題としてあると思いますが、そういう前提です。
同時に、法案の制定プロセスにおいては、野党も、さまざまな政策テーマについて、さまざまな意見、提案を申し上げてきています。自民党の皆さんは、民主党政権の時代にそういうことをしなかったんですか。野党だから、国会に法案が出てくるまで自分たちの意見を役所に言わなかったんですか。違いますよね。
どの政党であっても、国会議員は、国会審議などを通じて、党によって呼び方は違いますが、部会などを通じて、さまざまな形を通じて、自分たちの意見、考え方、現場の声などを、法案提出前に各役所などに伝えています。提起をしています。要請をしています。
そうしたことの中で、本来の民主主義をわきまえるならば、できるだけ幅広い人たちに賛同される、それは国会の中ではありません、国民の皆さんの幅広い皆さんに、いい法律ができたねと思っていただけるように、本来、政府、官僚の皆さんも仕事をしているし、私は、与党の政治家の皆さんも本来はそういう思いで国会議員になられたんだと思います。
したがって、与党の皆さんの意見は、事前審査があるから必ず取り入れるか、党内の圧力で封じ込めるか何かしないと前に進みませんが、野党の意見の中でも取り入れられるものは取り入れていただいている。だから、政府提出法案の半分は全会一致なんですよ。政府提出法案の八割は野党第一党も賛成するんですよ。
国会の、我々の役割というのは、国会に法案が出てきてからだけではない。与党の皆さんがまさに日々されているとおり、野党も含めて、法案提出前に、いかに現場の暮らしの声を、国会審議その他を通じて政府に届け、それを反映させるかということを与野党を超えてやっているんです。
ですから、自民党が与党である政府の提出法案だからといって、自民党だけの法案だと思っていること自体は、全く前提、事実を履き違えているということであるし、そもそも民主主義とは何なのかという理解が不十分だからそういう勘違いになるんです。
ちなみに言いますと、安倍内閣、そして今の与党の、まさに民主主義を履き違えている姿勢、それは、野党提出の議員立法などに対する姿勢にもあらわれているというふうに思っています。
申しわけありません、共同提案していただいている他の野党の分まで細かく数を調べることができませんでしたので、代表して立憲民主党だけ数字を申し上げますが、総選挙後に対案的法案を四本提出しています。政策推進のための法案を三十三本、この合わせて三十七本については、野党の皆さんと連携して議員立法で提出をしている法案であります。
超党派で、時々、一国会に数本、与野党を超えた超党派の議員立法がありますが、これには計算に入れていません。
文書改ざんに対応する公文書管理法等の改正案、これについては、今回の公文書の改ざん問題が明らかになる前から、実は、公文書管理法、このままではおかしなことになるということで、改正案を国会に提出しています。
そして、この水害等が起こる前から、先ほど冒頭に申し上げましたとおり、被災者生活再建支援法の改正案など、こうした大規模災害に備えて、支援の体制が不十分だということの法案も急いでいます。
こうしたものを一顧だにもせず審議に応じてこなかったのは与党の皆さんであります。
現状では、まずは政府提出法案を優先してやりたい、与党の皆さんの立場としてはそういう立場であるのは、認めるわけではありませんが、理解はします。そうであるならば、経済産業委員会はどうなんでしょう。政府提出の審議案件がとっくの昔になくなっています。
我々は、いわゆる原発ゼロ法案を提出して、審議を求めています。政府提出法案がまだまだたくさん残っていて、そちらの審議をやらざるを得ないので野党提出の議員立法の審議ができないのではなくて、政府提出の案件がなくなって、空っぽ、すかすかでやることがないのに、野党の議員立法の審議にすら応じない。誰が審議拒否をしているんですか。
国民の皆さんが、表に見える国会の審議だけで、野党が審議に応じられない場面について御批判をされるのはわかります。しかし、国会の中に籍を置いている者同士であるならば、自分たちに都合の悪い法案は、幾ら日程がすかすかであっても審議に応じないことをしておきながら、国会運営に抗議をして出席できない状況を、サボっているだなんてデマを吐くようなことはやめていただきたいと思います。
ちなみに、議会のあり方について申し上げましたので、先ほどのモリカケ問題などもあわせて申し上げておきたいと思います。
国会は立法府と、中学校か小学校で教わったんだと思いますが、国会が立法府というのは間違っていませんが、国会の役割は法律をつくることだけではありません。
国会の我々の役割は、大きく三つあります。確かに、一つは法律をつくることです。二つ目は内閣総理大臣を選挙することです。もう一つは行政を管理することです、監視することです、チェックすることです。まさに議会には行政の監視という大変重要な役割があります。政府、行政がおかしなことをしていたら、それを厳しく指摘をすることにエネルギーを注ぐのは、法律をつくることと同じようにやらなければならない議会の責務であります。
しかも、残念ながらと言うべきか、これは当然のことなんですが、議院内閣制ですから、政府と与党一体ですから、与党の皆さんが政府の問題点を厳しく指摘をするということについては、そもそも制度として予定されていません。だから、与党の皆さんが行政監視の力を十分注げていないのは、制度的な前提として半分やむを得ないところがあります。
だからこそ、野党は、行政監視、行政のおかしなことがあったら厳しく指摘をするということに責任を持って力を注がなければならないのは、議会の役割から当然のことであり、したがって、モリカケ問題について、いつまでやっているんだと与党が野党に対してやじるのは、全く議院内閣制を理解していないことだということを申し上げておきたいと思います。
大きな六番目の不信任の理由として、行き詰まる外交と混乱する安全保障政策について申し上げたいと思います。
安倍総理は、日ロ関係に力を注ぎ、プーチン大統領と何度も会談を重ねて友好関係を強調してこられました。下関での首脳会談もありました。
しかし、それ以降、共同経済活動で何か目立った活動はあったでしょうか。北方領土問題は前向きな進展があったでしょうか。
繰り返しますが、安倍政権が発足して五年半になります。どうも、ロシアだけは日ロ関係の進展によっていろいろいいことはあるようですが、我が国にとって重要な北方領土問題の進展は全く見られず、行き詰まっていると指摘をせざるを得ません。
朝鮮半島をめぐる問題は更に深刻であります。安倍総理や河野外務大臣は最大限の圧力のみを唱え続けました。北朝鮮との国交断絶を他国に求める発言まで河野外務大臣はなさいました。
ところが、南北首脳会談、米朝首脳会談が実現をしました。もちろん、北朝鮮のこれまでの経緯を考えれば、このまま平和に向かって着実に進んでいくかどうかということは、私も一概に言える問題ではないというふうに思います。再び緊張する可能性も十分に高いと思っています。
しかしながら、まさにここまでに至る経緯は、日本外交に主体的な姿勢は全く見られず、北朝鮮と、そしてトランプ大統領の動きに振り回されているとしか言えません。
加えて、安倍総理がある意味で一丁目一番地で力を込めてこられた、私はこのことにこだわり続ける安倍総理の姿勢、最優先の課題として頑張ろうとする姿勢そのものは高く評価をしますが、その拉致問題について何か進展があったんでしょうか。五年半たっています。
北朝鮮情勢が大きく変化をしている中、一基一千億円とも言われるイージス・アショアの配備、本当に続けていくのでありましょうか。
防衛予算は六年連続の増大で、過去最大の五兆一千九百十一億円に上っています。その中には、安全性に疑問が更に高まっているオスプレイの配備も含まれています。
米国の対外有償軍事援助、いわゆるFMS、これに基づく購入額がふえていますが、これは、圧倒的にアメリカ有利のいわゆる契約内容になっていると言われています。防衛装備の調達について、我が国の安全保障上の必要性よりも、アメリカが売りたいものを言い値で買っているという見られ方をしても仕方がない状況にあります。
北朝鮮情勢が今大きく変動している中、完全に白紙撤回しろとまでは言いません、少なくとも、米朝の今後の進展を見ながら慎重に物事を進めていくぐらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか。
安全保障だけではなく、なし崩し的な日米FTAへの流れが加速していると危惧せざるを得ません。一方で、米国の復帰の見通しなきTPP11を強引に進めています。
総理は、日米FTAについて念頭にないとおっしゃっています。当然のことだと思います。現状で二国間FTAを進めていけば、我が国にとっては到底のむことができない、我が国の一次産業なり、場合によっては第二次産業も含めて、我が国が受け入れがたい条件をアメリカにのまされかねない、そういう状況だというふうなことは理解をしています。
したがって、念頭にないという考え方は支持するところでありますが、四月十八日の日米首脳会談では、日米二国間での新たな協議の創設で合意をさせられました。二国間FTAに向けた協議や米国産農産物の輸入拡大の圧力を受ける場へとなし崩し的に追い込まれつつあるという危惧は杞憂でありましょうか。
他方で、TPP協定について、安倍総理は、米国抜きでは意味がないとおっしゃっておられました。
米国復帰の見込みのないままTPP11を推進しているのは何なんでしょうか。TPP11協定では、セーフガード基準や輸入枠などについて、米国の参加を前提に設定されたオリジナルのTPPの水準について何ら調整することなく、そのまま維持されています。
私どもは、そもそもTPPのオリジナルの水準についても交渉の敗北だと思っておりますが、そのオリジナルのTPPよりも更に深刻な影響を、米国の復帰がない中で国内農業がこうむることになる、これを放置して推進をしているという状況は、全く支離滅裂の状況にあります。
外交、安全保障について更に危惧をしなければならないのは、シビリアンコントロールの空洞化であります。
言うまでもなく、イラクや南スーダンでの、ないとされていた日報を始めとして、これまで不存在とされていた自衛隊・防衛省の文書が相次いで発見されていますが、その経緯や原因はいまだ明らかになっていません。組織的な隠蔽を言葉では否定しているものの、客観的な経緯からすれば、組織的な隠蔽がなければこんなことできない、そんなプロセスになっていますが、そうではないことについての合理的な説明は全くなされておりません。
大臣や国会に適切な情報が提示をされなければ文民統制は成り立ちません。実は、財務省の改ざん以上に、まさに自衛隊という組織の文民統制にかかわる問題でありますので、深刻であるとも言えます。
多くの皆さんが、いわゆる大本営発表が、第二次世界大戦に至るプロセスの中で、あるいは第二次世界大戦を通じて、結果的にいかに日本の国益を損なったのかということについては、これは立場を超えて共有していただけると思うんですが、まさに大本営発表という大きな過ちをした我が国は、こうしたことに陥らないようにしっかりとした情報の管理と公開を進めていかなければならない、そのことを通じて文民統制を機能させなければならないことは当然のことであります。
そして、大本営発表という苦い教訓を、過去にしている中であるからこそ、自衛隊や防衛省こそこうした問題に敏感でなければならないと思っています。
加えて、現職の幹部自衛官が、現職参議院議員に向かって、おまえは国民の敵だとの暴言を吐きました。懲戒に至らない訓告処分であります。
一般の国民の皆さんからいろいろな御批判を受けることについては、それは与野党を超えて、我々の役割、仕事として、それをしっかりと真摯に受けとめる姿勢が必要だと思いますが、現職の幹部自衛官がそのことを表明しながら、国会議員に対して国民の敵だとの暴言を吐いた、これは文民統制の観点から許されることではありません。
意見が異なっておったとしても、自衛隊という実力組織の、まして幹部の方でありますから、国民の代表である国会議員に対して国民の敵とレッテル張りする姿勢は許されず、こんなことでは文民統制は成り立つはずがありません。
文民統制に関連して言えば、沖縄県の米軍ヘリコプター不時着に関して、当時の松本文明内閣府副大臣は、それで何人死んだというやじを飛ばし、事実上の更迭をされました。先ほどの小野寺防衛大臣の赤坂自民亭問題への右往左往する言いわけ、稲田前防衛大臣が事実上の更迭に追い込まれたことなど、範をすべき政治がいいかげんな姿勢では、自衛隊という実力組織の統治が十分になし得ないのも必然であります。
我が国では、シビリアンコントロールを文民統制と訳してしまいました。その結果として、残念ながら、シビリアンコントロールは背広組が制服組をコントロールすることだと大きな間違いをしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。違います。シビリアンコントロールは、むしろ、本当に正しい意味で日本語に近い日本語にするならば、民主的統制であります。
実力組織については、まずは内閣が、そして議院内閣制であるこの議会がしっかりとコントロールする、それこそが本来のシビリアンコントロールであります。
その本質をわきまえているならば、国会議員に向かって現職幹部自衛官が国民の敵と暴言を浴びせることはあり得ないし、そんなことがあったら厳しい懲戒処分がなされるのは当たり前であるし、そして、国会などに対して日報等を隠し、ごまかすなどということがあったら、厳しい処分がなされ、全貌解明をしなければならない。シビリアンコントロールを全く理解していない体制の中で、これ以上自衛隊に対する指揮権を持たせるわけにはいかないというふうに考えます。
そもそも、安倍総理は、この自衛隊に関して、こんな国会答弁をされました。自衛隊員たちに、君たちは、憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれというのは余りにも無責任だという国会答弁であります。
集団的自衛権の行使については議論があります。しかし、自衛隊の存在が憲法違反でないことは、既に明確であり、定着をしています。安倍総理は、憲法違反かもしれないと思いながら自衛隊を指揮していらっしゃるんですか。憲法違反かもしれないと思いながら予算を計上しているんですか。私も含め、自衛隊予算を含む予算に賛成したことのある者は、自衛隊は合憲であるとの前提に立たなければ論理矛盾になります。
確かに、私が子供のころは、自衛隊は憲法違反であるという意見も少なからず存在をしていたことを知っていますが、そして、ある時期までは、国会における野党第一党が自衛隊違憲論に立っていたのも知っていますが、念のため申し上げますが、野党第一党である立憲民主党は、自衛隊は合憲であるという明確な立場に立っております。
安倍総理の頭の中は……ヤジ
この発言だけを見る →この八億円もの値引きがどうしてされようとしていたのか。
財務省の皆さんは、それには批判もあるかもしれませんが、国民の皆さんから、納めるべき税金は一円とも間違いなく、落ちなく納めていただくために努力をされています。国有財産などを売るに当たっては、一円でも高く売るために努力をされています。
私は、そうした財務省の基本的な姿勢は、それは、少しでも税金を安くしてほしい、少しでも安く国有財産を手にしたいという皆さんには残念なことであるかもしれませんけれども、正しい姿勢だと思っていますが、その財務省がなぜ八億円も値引きを認めようとしたのか、一旦は認めたのかという、これは深刻な問題であります。こんなことが日常茶飯に起きたとしたら、まさに我が国の財政は、どんなに国民から税金をいただいても回るはずがありません。
したがって、なぜこんなことが起こったのか、その原因、本質を明確にすること、そしてそのことに基づいて再発防止策をとること。原因もわかっていないのに、全貌も解明されていないのに、再発防止を打てるはずがありません。
後で述べる改ざん問題なども含めて、責任を痛感していますとか、真摯な反省とか、再発防止とか、言葉だけは躍っていますが、全貌解明の妨害をし続けてきているのは誰なんですか。全貌解明に抵抗しているのは誰なんですか。全貌解明に協力をしない政府・与党の姿勢こそが、まさに税金の無駄遣いを生み出すうみそのものではありませんか。
そもそも、これだけでも問題なのでありますが、第二に申し上げなければならないのは、安倍総理の昭恵夫人が、夫人付の公務員である谷査恵子氏を通じて行政に問い合わせるという関与をしていました。このことは既に明らかになっています。このことだけで大問題じゃないですか。
ほかに、こんなおかしな値引きをしたことについての合理的な説明が一切なされていない以上は、このことが影響を与えていたという以外、現状では推認しようがないじゃないですか。
安倍総理は、関係していたら総理も議員もやめるという発言をされました。この発言があろうとなかろうと、この事実をもってしてだけでも、まさに権力の公私混同の問題として深刻な問題であることは明らかであります。にもかかわらず、昭恵夫人も谷氏も、国会はおろか、記者会見などの場も含めて全く説明をしておられません。
財務省が改ざん、隠蔽してきた文書の多くを、この国会で野党の協力によって公開にまで持ち込むことができました。野党各党が粘り強く追及してきた成果であると思っていますが、そもそも、本来であれば総理や政府自身あるいは自民党が積極的に真相解明に努力すべきであると思いますが、全くそうした姿勢は一貫して示されませんでした。
そして、非常にわかりやすいのは、関連する文書の多くがようやく野党の追及に応じて出てきましたが、なぜか昭恵夫人や谷査恵子氏が関与していたとされる時期の文書だけ、いまだに出てきておりません。
更に言うと、びっくりしましたが、これは共産党さんが指摘をされました、最高裁まで争ってでも公開はしないとされる打合せ文書が出てきました。こうした文書が本物でないという否定もできていません。本物かどうかわからないというか、答えないという状況であります。まあ、本物だから否定できないんですよね。
最高裁まで争ってでも公開しないというそんな姿勢、まさに総理が指導力を発揮して、公開できるものは全部公開しろと言うべきじゃないですか。こんな姿勢で、自分の配偶者は関与していないと幾ら言い張ったって、誰も信用しないのは当たり前のことじゃないですか。
モリカケ問題に関連しては三つ目、加計学園問題であります。
国家戦略特区に至るプロセス、獣医学部の設置認可に至るプロセス、まさに行政の中立性、公平性を損ないかねない疑惑であります。これに全く真摯に対応していないどころか、真実に目を向けぬ姿勢がもはや明確であります。
何度も指摘をされていますが、改めて申し上げたいと思います。
公開された愛媛県の文書、平成二十七年の三月付の文書には、三月三日の打合せ会において加計学園のした報告が記載をされています。二月二十五日に加計理事長が総理と面談し、いいねと言われた。公文書であるのかどうかということはいろいろな議論がありますが、愛媛県の地域政策課がつくり保管していた文書において、加計理事長が総理と面談し、いいねと言われたということが明確に書かれているところであります。
すごいのは、加計理事長などが、事務局長がその場の雰囲気で作り話をしたと釈明をされたことであります。愛媛県の一連の記録と照らし合わせれば、明らかにこの加計理事長の説明は矛盾をしており、この理事長の、雰囲気で作り話をしたという釈明こそが虚偽であるのは明らかであります。
一つには、当該その三月の文書の冒頭に何と書いてあったか。「加計学園から、理事長と安倍首相との面談結果等について報告したいとの申出があり、」というのが冒頭の記載です。
つまり、この会合そのものが、打合せ結果、安倍総理との面談結果を報告したいという申出に基づいてこの会合がセットされているんですから、その場の思いつきで安倍総理との会談の話がしゃべられたわけではないというのは記録上明々白々じゃないですか。これだけでも加計学園は大うそつきだということがはっきりしています。
一つだけではなんなので。
愛媛県の公表文書、一つ前の文書は二月付の文書です。その二月付の文書にはどう書いてあったか。理事長が安倍総理と面談する動きもあると明記されているんです。
二月の会合で、理事長が安倍総理と面談する動きもあるという報告をし、三月の会合は、理事長と安倍総理との面談結果等を報告したいとの申出でセットされ、そこでいいねと言われたと報告をした、これが全部、記録上明確に残っているんです。これが作り話、あり得ないですね。
まだあります。
この三月付の文書、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったとの加計学園からの報告が記載をされています。そして、次の文書で、資料提出指示を受けて、柳瀬秘書官と加計学園が協議の日程を調整しているとの加計学園からの報告内容が記載をされていて、実際にこの流れの中で、いわゆる問題となっている柳瀬秘書官との面談が実現をされているわけでありまして、総理と加計理事長との面談からこの一連の流れが進んでいるということは記録上はっきりとしているんじゃないでしょうか。
そもそも、学校の設立認可という公権力の行使、行政行為の選択に当たって、こうした形で政治家が関与をしていたとすれば、そのこと自体大きな問題でありますが、県や市も多額の金をこの加計学園に出していますが、学校を設立されてしまった以上は、ここには毎年、私学助成金という形で国費も出ていくんです。
獣医学部のような実験などを多々行う学部が、私学助成金の中で、経営が回っていくというのは、これは現実的にあり得ません。学校が存続する限り、私学助成金がない限りは経営は成り立たない。これもまた税金の使われ方、使い方の問題であり、しかも、愛媛県や今治市だけではない、国費の問題でもあるんです。
安倍総理は、国家戦略特区のワーキンググループのプロセスに瑕疵がないことを繰り返し強調していますが、全くピント外れの言いわけだと言わざるを得ません。
仮にワーキンググループの手続本体には瑕疵がなかったとしても、総理との関係を背景にして総理秘書官から特別な指導助言を受けていれば、行政の中立性、公平性を損ねるものになります。あるいは、国家戦略特区としての正式な申請の前段階のプロセスであったとしても、それこそ加計理事長の言いわけのように、総理の名をかたって県や市をだますなどという決定的な瑕疵があるならば、設立認可そのものに瑕疵があると言わざるを得ません。
そもそも、申し上げたいんですが、この柳瀬秘書官というのは、私も経済産業大臣をやらせていただいたので存じ上げていますが、経済産業省から総理秘書官に出ていらっしゃるんですよね。
この国家戦略特区は、その結果、学校の設立の問題という意味では文部科学省に影響する話です、獣医師さんという話では農林水産省に影響する話でありますが、内閣府の所管であります。私立の大学の学部を設置する、しかも一次産業系の学部を設置するということについて、そもそも柳瀬秘書官は知見もなければ所掌したこともないんです。何で柳瀬秘書官が関与して指導助言をしているのか。それはまさに総理秘書官だからにほかならないじゃないですか。
総理秘書官が関与しているから、内閣府を始め各省庁はそれをそんたくするなり、私は事実上の指示が出ていたと思っていますが、それは断定はしません。
しかしながら、まさに、なぜ所掌ではない経済産業省出身の秘書官が関与をしていたのかということ一点をもって、まさに官邸としての影響力を行使させようとしていたということは、これだけで私は明々白々だというふうに思いますけれども。
これらだけでも内閣が三回ぐらい吹っ飛んでもおかしくないんですが、この問題は、更に言うと、このまま放置をすればとんでもないことになる、そういう問題であります。
総理のような権力者と友人であるなら、あるいは権力者の配偶者に取り入ることができれば、行政的に有利に取り計らってくれるかもしれないという認識を世の中に生じさせているということであります。行政の中立性、公平さに対する信頼が、急激、著しく、今、劣化をしています。こうした状況を放置したら、見逃したら何が起こるか。有利に取り計らってもらおうとして、権力に取り入る、すり寄る人間が増加をします。
その一方で、そうした機会はつくろうと思ってもとてもできないよねと、多くの皆さんはそう考えるでありましょう。そうした皆さんは、どうせ一部の人だけがいい思いをするのでしょうという意識に陥り、モラルとモチベーションが低下することになります。これは、まさに日本社会を崩壊させる危機です。
したがって、多くの国民の皆さんに、ああ、やはり行政は中立公正なんだという納得感を得させなければ社会のモラルを崩壊させる、その責任は、こうした疑念を生じさせた安倍総理にあるということは間違いないじゃないですか。
森友、加計学園問題に関連をして、五番目に指摘をしなければならないのは、これ単独でも七つのうちの一項目立てたいぐらいの話でありますが、この真相解明を妨害するような、そうしたプロセスの中で出てきた公文書の改ざん問題であります。
これは、行政の末端のごくごく一部の数人が個人的な不祥事を隠すために文書を改ざんしたなどという、過去にも残念ながら時々生じている不祥事とは全く本質的には違っています。公文書の改ざんを、しかも国会との関係で、中央官庁の中枢部が大がかりに実施をしたというところが本質的な問題です。
国会から求められている資料提供や報告を求められている案件について、公文書を改ざんしたということはどういうことか。国会をだましたということであり、国会を通じて国民をだましたということにほかなりません。
この問題は、与党の皆さんも、そうだと言わないとおかしいんですよ。だまされたのは皆さんも一緒なんです。その本質的な意味を理解されていないことに、今の自民党の劣化が象徴されていると私は思います。
行政が国会に改ざんしたうその文書を出したら、国会は成り立ちません。本来であれば、後で申し上げますが、国会の内外で虚偽答弁が繰り返されていて、それ自体も問題です。でも、残念ながら、過去も国会などで事実と違う答弁がなされたりということはありました。
だから、国会では、特に野党は、文書を出せということに力を注いできているんです。さすがに公文書は正しいことが書いてあるはずだ、だから、残っているはずの文書は何なのか、それを探り出し、それを公開させることによって、口先ではごまかそうとしても真実を突きとめる。そのことのために努力をしてきたし、そのことによって成果も上がってきているんです。
にもかかわらず、その国会に出す文書を改ざんする、国会をだますために改ざんするなどということを認めてしまったら、国会をだますんですから、与党の部会をだますかもしれませんよ。与党の部会にも、うそを書いた文書を出してくるかもしれませんよ。そうした状況を許すということを、本当に危機感を持っていらっしゃらない与党議員の皆さんを、私は大変残念に思います。
こんなとんでもない改ざんが行われたにもかかわらず、残念ながら、誰も刑事責任を問われていません。検察審査会に国会議員は介入することはできませんが、検察審査会に期待をしたいというふうに申し上げるにとどめておきたいというふうに思っております。
加えて、最も重い処分が停職三カ月。後で話が出てきますが、外務省で停職九カ月の方が相前後して生じました。そっちはよっぽど重かったんですね、これよりも、三倍なんですからねということを後で申し上げたいと思いますが、国会をだますようなことをして停職三カ月。それぐらいの停職で済むということで、こういうことをやっていいんですねと認めているようなものじゃないですか。
いや、あえて言えば、主観的意図はわかりませんが、まさに、経緯からすれば、安倍総理を守るために改ざんをしたと受け取られても仕方がないようなプロセスなのははっきりしているわけですから、総理を守るためだったら、こんなとんでもないことをしてもこんな軽い処分で済むんだ。ここでもモラルハザードを生じさせるんじゃないでしょうか。
佐川前国税庁長官は理財局長当時にこうしためちゃくちゃな改ざんを行っていた中心にいたのは、これはもう政府としても認めているわけです。その方を、野党の指摘、こんな人、していいんですかという指摘を払いのけて適材適所と国税庁長官にしたのは、安倍総理です。
確かに財務大臣かもしれませんが、後で申し上げるとおり、今や、幹部公務員の人事は一元化をして、総理自身、適材適所と繰り返しておられました。いまだに適材適所とおっしゃっているようなんですが、信じられません。総理のために、停職処分も恐れず、公文書を改ざんして国会をだますような人は、総理にとっては適材適所なのかもしれませんね。
公文書が信用できないということになれば、これは国会としても、役所が出してくる文書を、いつも、改ざんされているかもしれないという疑念の目を持ちながら、審議、議論しなければなりません。
そして、多くの一般の国民の皆さんの国民生活だって、役所から来る公文書は正しいものだという前提でほとんどの国民の皆さんは暮らしています。役所から、例えば納税の通知書が来れば、自分で一々計算し直してみて、自分の税額が合っているかどうかなんて調べる人は余りいません。役所からあなたの年金額は幾らですという通知が来れば、年金何とか便というのをつくって過去の支払いの実績がチェックできるようにはなっていますが、毎回毎回きちっとチェックする人はそういらっしゃいません。
役所は、そうはいったって、役所のつくる文書は正しいんだという信頼関係のもとに社会というのは成り立っています。この公文書改ざんを、このままで、臭い物にふたをしてしまったのでは、この社会全体の公文書に対する信頼が揺らいだ状況を放置するということにほかなりません。これも、社会そのものを壊してしまうことにつながっていくと私は強く危惧をしているところであります。
公文書に対する扱いは、財務省にとどまりません。後に防衛省・自衛隊の日報問題についても述べさせていただく予定になっておりますが、そもそも、よらしむべし、知らしむべからずという、江戸時代以来、あるいはもっと古いかもしれません、まさに我が国の間違った意識が残ってしまっているのではないでしょうか。
先ほど申しましたとおり、私は、明治維新以前の、西欧近代文明が入ってくるより前からの日本の歴史と伝統の中には、再評価すべきもの、しっかりと引き継ぎ、それを現代社会に合わせて応用をして生かすべきものが多々あると思っています。
しかしながら、まさにこのよらしむべき、知らしむべからずという意識を、行政にかかわる人間、それは政治家も含めてですが、わずかなりとも持っていてはいけないと私は思います。そうした意識を持っているのではと疑わざるを得ない、大本営発表にもつながったようなこうした意識を払拭させる責任は総理にあるにもかかわらず、総理自身がうみのうみになっているという状況では、とても内閣を信任することはできません。
森友、加計問題についての六点目は、森友学園は、理事長は学園の経営から退かれました。加計学園の加計理事長は今も理事長のままでおられます。
全く矛盾に満ちた、まさに出任せとも言っていい説明を繰り返し、逆に、百歩譲って、もしこの加計理事長の言っていることが本当だとすれば、総理の、腹心の友という日本語、余り私は聞いたことないんですが、相当親しい御友人がトップである法人が、総理の名をかたって、かたったわけですからね、愛媛県や今治市に対しては、しかも勝手にかたって、獣医学部の設置を有利に進めようとしたことになるわけですね。
総理との御友人だったのは事務局長じゃありませんね。事務局長が言ったと、百歩譲って言ったとしても、総理と加計理事長が御友人だったことを奇貨としてやっているわけですね。
何らの責任も感じる姿勢も示さず、説明責任を全く果たしていない。もう記者会見はやらないなんて言っているわけですよ。こんな方が、教育機関のトップをやらせていいんですか。
この認可過程に決定的な問題がありました。ありましたが、学校として現にでき上がってしまい、そこに学んでいる学生さんたちがいらっしゃいます。そうした現実を踏まえるならば、やるべきことは、加計理事長は、加計学園の少なくとも獣医学部の経営から手を引かれ、第三者に経営権を移譲すべきであると思いますし、友人であるならば、安倍総理はそれを促す責任があると私は思います。そうでなければ、こんないいかげんな、無責任な人間が教育機関のトップをやっているという、教育におけるモラルの崩壊につながっていくと私は思います。
民間に口出すなとかとやじっている人がいますから、私の話をちゃんと聞いてくださいね。総理、友人として促すべきだと私は申し上げました。それが日本の社会の秩序、モラルを維持すべき責任を持っている日本の政治のリーダーとしての、御友人に対する真摯な姿勢ではないでしょうか、皆さん。
まあ、総理のおっしゃる友人というのは、同じような高い志を持って、違う道だけれども頑張っていこうねというのを私は友人というものの定義だと思っていますが、一緒に楽しくゴルフをやるというのがお友達なのかなと思いますので、しようがないのかもしれませんね。
モリカケ問題の七番目の問題点、これは、検察捜査への介入の疑惑まで生じているということです。
大阪航空局作成とされる文書、これもこの国会の中で指摘がされました。官邸も早くということで、法務省に何度も巻きを入れているが、刑事処分が五月二十五日夜という話はなくなりそうでと、調査することすら否定しています。
検察庁法十四条は、法務大臣は、個々の事件の取調べ又は処分については、検事総長のみを指揮することができると明記をしています。法務大臣ですら検事総長のみを指揮することができるんですから、法務省の役人や、ましてや法務省以外の行政機関の役人が検察に関して関与することがあってはならないのは、この検察庁法十四条が前提としていることです。
指揮権発動以外の手続で、官邸を含めた行政機関が法務省を通じて個別事件の捜査に関連して巻きを入れていれば、明らかに検察庁法に違反した、捜査への不当介入であります。
当該文書は、行政の当事者でなければ到底つくれない内容になっており、怪文書では到底ありません。そもそも、昨年のモリカケ問題発覚以来、怪文書と最初称していた文書が実は本物だったことの繰り返しではないですか。財務省、会計検査院、これだけでも問題です。検察捜査にまで官邸が影響力を行使して行政をゆがめているとの疑念をこのまま放置したのでは、この国は何物も信用できない国になってしまう。法治国家とは到底言えない状況になってしまいます。
私は、現時点で、この文書が本物だったと言うつもりはありません。しかし、政府みずから積極的に調査をして、真実を明らかにする必要があります。巻きを入れた事実があったのかなかったのか、しっかりと調査をすべきでありますが、その調査すら放棄をして開き直っている姿勢は、到底許しがたいものがあります。
以上申し上げてきたとおり、一連の森友学園問題、加計学園問題は、いわゆるスキャンダルではありません。行政の公平性、廉潔性を損ね、放置をすればモラルハザードを招く社会と国家の危機であります。
今なお多くの国民が総理や政府などの説明に納得できないという状況であります。このこと自体が危機であります。丁寧な説明、うみを出し切ると繰り返しましたが、実態は逃げ回る一方であります。
確かに、我々に対しては、いつまでモリカケばかりやっているのだという声があります。そもそも、ばかりでないというのは客観的な事実として申し上げておきたいと思いますが、同時に、モリカケ問題の追及は、真相解明まで、どんな声があっても諦めずにやり続けます。
総理は、いずれ時間がたてば多くの国民が忘れてくれると思っているかもしれません。そもそも昨年秋の総選挙がモリカケ隠しの意図があったのではないかという声もありますが、何度解散されようと、どれぐらい時間がたとうと、真相解明がなされない限り、このことを追及していくのは、行政の中立性、国会答弁や公文書に関する信頼性を守るための野党としての責務であると考えています。
総理を始めとして政府・与党が真相解明のために積極的に対応すれば、そもそもこんな大きな問題になっていなかったかもしれません。安倍昭恵夫人、谷査恵子氏、加計理事長、愛媛県知事、再度の佐川氏など、後ろめたいことがないならば、与党から積極的に国会での招致などを求めるのが当たり前じゃないですか。行政の内部文書と思われるような文書が明らかになったら、積極的に調査し、報告すべきではないですか。後ろめたいと思っているからやらないんでしょう。
そもそも、公文書も、総理を始めとする行政による国会での説明も信用ができない、中立性、公平性に信用ができないという状況では、内政、外交とも、まともに進むはずはないじゃないですか。国会などでさまざまな答弁を引き出し、政府の認識を明らかにしても、後になって、発言が、文書の内容が簡単にひっくり返されたのでは、論争自体が意味がないじゃないですか。多くの国民の皆さんが政府に対する信用、信頼を持っていない中で、強力な政策推進ができるはずがないじゃないですか。
私たちは、全貌解明に至るまで追及を続けることをここで申し上げるとともに、与党の皆さんに対しては、国会は、明後日、通常国会は再延長はありませんので閉会をしますが、臨時国会を開き、あるいは、臨時国会を開かなくても閉会中審査でも、幾らでも、先ほど申し上げました関係者を、国会に来て説明をしていただくことはできますので、ぜひ、しっかりと国民の信頼を取り戻す、本気でうみを出し切る姿勢を示していただきたいと、この場をかりて強く求めておきたいと思います。
五番目のテーマについて申し上げます。
森友、加計学園についてもそうでありますが、それにとどまらず、ごまかし、いいかげんな国会答弁の数々、そもそも民主主義の履き違えが著しい、このことをもって、安倍内閣は到底信任することはできません。
審議不十分の声を押し切った強行採決は数知れません。冒頭のカジノについて、災害の中、強行してきていること。高度プロフェッショナル制度の問題、後ほど述べますが、参議院選挙制度の問題等、まさに時間が来たからどころではない、参議院の選挙制度に至っては、ろくな審議もせずに採決をしています。
御飯論法とか信号無視話法という言葉がこの国会を通じてちまたに出回りました。聞かれたことに答えるから議論になるんです。聞かれたことに答えないではぐらかすというのは、目先の論争では一瞬勝った気になって、言った人は気分がいいかもしれませんが、見ている人はみんな見ています。結果的に、聞かれたことに答えない、全部ずらした、ごまかした答弁をしているということで、加藤厚生労働大臣そして安倍総理、御飯論法と世の中からあざ笑われる結果となっています。
聞かれたことに正面から答えないだけにはとどまらず、聞かれてもいないことを、だらだらだらだら、だらだらだらだら、だらだらだらだらしゃべり続ける安倍総理の姿勢。
私は、安倍内閣がいかに不信任に値するかということを発言する機会をいただいてここで発言をし、安倍内閣がいかに不信任に値するかということを一貫して述べさせていただいています。少なくとも、国会における予算審議や法案審議などにおける行政府の皆さんの仕事は、自説を述べることではありません。国会で問われたことに行政府を代表してお答えになる、聞かれたことに答えるのは、予算、法案審議における大臣の仕事、役割、責任であって、聞かれたことを、だらだら話している安倍総理と、みそとくそを一緒にしないでいただきたい。
そもそも、この聞かれたことに答えずに聞かれてもいないことを答えている姿勢だけで不信任に値すると思いますが、それにとどまらず、平然とうそをつき、開き直る姿勢がますます顕著になっています。
一個一個挙げようと思って調べたんですが、余りにも多過ぎて、それだけで五、六時間分になりそうなので、最近の顕著なものだけ指摘をしておきたいと思います。
小野寺防衛大臣、いわゆる赤坂自民亭の件で、当初は、報告を受け指示をしていたと発言をされていました。そうしたら、飲みながら指示していたのかと指摘を受けたので、慌てて撤回をしました。慌てて、会合は終わってからだと撤回をしたら、その後も指示は受けていないというような発言も防衛省から出てきたんです。要するに口から出任せを言っていたということがもう明らかになっています。
赤坂自民亭に関しては、西村官房副長官が、災害発生時に会合していたかのような誤解を与えと開き直りました。何が誤解なんですかね。災害は発生していなかったんですかね。
しかも、総理は西村副長官を注意したらしいですが、情報発信について注意されただけ。西村副長官について言えば、実は、大雨は山を越えたとのツイートをしているんですね。結果的にこのことを信じて被害に遭われた方は今のところ聞いておりませんが、自己正当化のために被害を拡大させかねない不適切な発言だと言わざるを得ません。
情報発信について注意するならこちらですし、災害のときの官房長官、官房副長官、まさに多くの国民の皆さんが、こここそがまさにさまざまな国家の情報を集約されていて、実は最新の最も広範な情報を持っていると多くの国民の皆さんが思っていらっしゃいます。私も実はみずからの経験で必ずしもそうでないことを知っているんですが、しかし、多くの国民の皆さんがそう思っている中で、大雨は山を越えたというツイートは、これだけで私は辞職に値すると思います。
閣僚ではありませんが、私はこの話はいまだに信じられないんですが、河村予算委員長、総理との会食直後に、総理が集中審議は勘弁してほしい旨発言していたと明言をされています。これは翌日撤回をされています。
自民党は、うそつき、ほら吹きを予算委員長にしているんですか。前の日に堂々と記者の前で明言しているんですよ。これは何か勘違いをしそうな話ですか。日付を間違えたとか、総理の発言をどなたか別の議員の発言と間違えませんよね。明らかに撤回がうそであるか、もしこれを、撤回が本当だとすれば、記者の前で総理が言っていないようなことをほらを吹く、そういう方を予算委員長にしているんですか。
私は河村委員長を知らないわけではありませんので、河村委員長がほら吹きだという印象を持ったことは一度もありませんから、撤回がうそだとしか思いようがないんですが、どちらにしても河村委員長はうそつきだということになりますね。
古屋議運委員長については昨日の本会議で同僚議員等が厳しく指摘をいたしましたが、せめて説明ぐらいしろよと、説明もできない状況なら身を引かれたらどうですかということを改めて申し上げておきたいというふうに思います。
民主主義の履き違えという意味でここで厳しく指摘をしておかなければならないのは、参議院選挙制度のことであります。
定数をふやす、意味がわかりません。確かに、議員の数をただ減らしていくことだけが本当にいいことなのかという疑問の声が最近出てきていることを私は承知をしています。しかしながら、来年の十月に、国民の皆さんに、自公の皆さんは消費税を一〇に上げるということを押し切るんでしょう。その直前に国会議員の定数をふやす選挙をやるという、その発想が私には理解ができません。
百歩譲ります。一票の格差と関係のない、何で参議院の比例定数をふやすんですか。全く意味不明です。
特定拘束枠も意味不明です。一県一代表にすべきでないかという声は非常に強く思います。抜本改革が必要だと思います。抜本改革が間に合わないからといって、その地域の人たちを比例で優遇する。百歩譲ってそこまでわかるとしたら、何で二じゃないんですか。
合区で一県一代表を出せない地域というのは、合区になっているところは二つあるわけですから、四県ですから、そのうち、四県から二人しか出せないわけですから、二つ特定枠があればその解消にはなるんじゃないですか、とりあえず当面の策として。
そもそもが、非拘束名簿の中に拘束名簿を入れるという、全くむちゃくちゃなことでありますが、先ほど来言っています、百歩譲っても、定数をふやしてまでやることは意味がわからないし、そして、その合区対策だと称するなら、二より多い数にしているのは意味がわからない。いろいろな意味がわからないことを今申し上げているので、意味がわからないからといって違うことに賛成するという意味ではないのは、子供でもわかる理屈だと思いますけれども、いかがでしょうか、皆さん。
しかも、選挙制度は民主主義の根幹であります。平時においても、与党だけで、十分な議論もなく、十分な議論もないとはどういうことかというと、実は、国民も知らないうちに決まるということです。国会の中で時間をかけて議論をするということがあれば、国民の皆さんの間でも、ああ、こういうふうに変わろうとしているんだ、それはおかしいじゃないかとか、ああ、それならいいじゃないかとかという、国民の皆さんも、まあ、実態は御関心のある方だけかもしれませんが、でも、知ろうと思えば知ることになるわけですが、全く審議の時間もとらずに、あっという間に成立をさせてしまった今回のプロセスでは、ほとんどの国民の皆さんがどう変わるのか知らないままに、あれよあれよ。しかも、災害対応に多くの皆さんが大変な力を注いでおられる中で、どさくさ紛れと言わざるを得ません。
まさに、こうしたプロセスも含めて、この選挙制度の改悪というものは到底容認することはできませんし、形式は議員立法でありますが、時々、安倍総理は総理大臣と自民党総裁を便利に使い分けていますが、議院内閣制においては、議会の多数派と行政府が一体となる、議会の多数政党の党首と内閣総理大臣が一体となるという仕組みの中ででき上がっているので、それは議員立法で勝手にやっただなんという言いわけは、もしなさるとすれば、議院内閣制の基本をわかっていない理屈だということを申し上げておきたいと思います。
そもそも、民主主義とは単純な多数決とイコールではありません。そこを履き違えておられるのではないかと私は強く危惧をいたしております。選挙で勝って多数があるんだから何をしてもいいわけではありません。そもそもが、現在の衆議院の議席数は、投票した人の相対得票すら反映していません。自民党と公明党、与党の皆さんで、さきの衆議院選挙の得票は過半数の相対得票を得ていませんからね。その上で申し上げますが、多数決と民主主義はイコールではなく、多数決とは必ずしも正義ではありません。
既に言われている話ですが、いわゆるエレベーターのパラドックスという話があります。老朽化した分譲マンションにエレベーターをつける。みんなで一致をしてエレベーターをつくることには賛成をした。エレベーターの費用分担をどうするのか。
実は、こうしたマンションの区分所有の決定のあり方は単純過半数ではありませんが、そこを少し省略して説明をすると、例えば、二階以上の住人が結束をすれば、エレベーターの費用負担を一階の住民だけに押しつけるという決をとることが可能になる。ヤジ似たようなことをしているんですよ、高橋ひなこさん。民主主義というのは、必ずしも多数決とイコールではない、多数決をもってしてもやってはいけないことがある、多数決をやる前には、やらなければならないことがある。
私は、みんなでどこに御飯を食べに行こうかという例を時々申し上げています。仲間内でどこかに御飯を食べに行こう、魚を……ヤジ余り物をわかっていない方がこの議場には多いのでわかりやすく説明をさせていただいていますので、ぜひ聞いていただきたいと思います。聞いていただきたい方がうるさい状況ではしゃべりにくいんですけれども。
いいですか。仲間内で御飯を食べに行こう、すしにしようか肉にしようか。意見が分かれたら多数決で物を決める、みんながそう言っているから、じゃ、きょうはそうしようというのはわかります。しかし、例えば、その中に足が不自由で車椅子の方がいらっしゃれば、ほかの皆さんが、あの店がうまいからここにしようとみんな思っていたとしても、車椅子の方ではなかなか入れない、バリアフリーになっていない店は除いて、その中でみんなの多数意見はどこだろうかと聞くのは当たり前じゃないですか。
つまり、多数の意見だからといって押し切っていいわけではなくて、その中で、みんながお互いに譲り合う、配慮し合うことの中で、理不尽ではない、不合理ではない、その範囲の中で多数の意見で決めていこうということでなければ物事はいけない、それが民主主義であります。
そもそもが、民主主義は多数決ではないんですよ。民主主義というのは、主権者である国民みんなで物を決めて国を動かそうというのが民主主義なんです。
民主主義で、みんなで決めたいんですが、残念ながら、一億二千万を超える国民の皆さんがみんなで集まって相談をすることができないので、やむなく、仕方なく、それを補う手段の一つとして、選挙という多数決が使われます。そして、国会の中でみんなで意見が一致して物が決まるのが本来の民主主義の望ましい形でありますが、残念ながら全ての件で全員が一致することはありません。その場合の手段として多数決が使われることがあります。しかし、多数決だから正しいわけではありませんし、正当な手続なわけではありません。
なぜ、民主主義において多数決という手段が使われるのか。それは、多数の言っていることが正しいからではありません。熟議を繰り返した結果として、多数の意見であるならば、少数の意見の人たちも納得するからです。多数決というのは、少数意見の人たちも納得するための手段として多数決が使われるんです。少数意見を納得させようという意思もない多数決は、多数決の濫用です。
多数決が少数の人たちを納得させる手段として正当性を持つためには、多数決の前提として、正しい情報が開示されなければいけません。
例えば、先ほどの俗な例に引き寄せてお話をすれば、じゃ、肉屋にしようか魚にしようかというときに、例えば、肉屋は五万円です、魚屋は五千円です、その情報を何も言わずに、どっちにすると聞いてどちらかに答えても、その結果で、私は五万円の肉だったら五千円の刺身でも魚の方がいいとかというような話になるわけで、少数意見も納得する多数決の物の決め方というのは、判断するに必要な情報、材料がきちっと公開、提示をされた中でそれぞれが判断をする。そうしたことの中で、ああ、こういう前提の中で多くの皆さんがそうおっしゃるのならば、自分は違う意見だけれども、それはみんながおっしゃるなら仕方がない、これが真っ当な民主主義における多数決が正義である大前提であります。
その大前提を欠いて、つまり、国会でうそをつき、国会に改ざん文書を出し、提示を求めていた資料も出さず、そして十分な議論の時間も与えず拙速に物を決めていくプロセスを重ねているというのは、まさに民主主義の履き違えであります。
民主主義の履き違えという観点からは、先ほど足の不自由な方の車椅子の話を申し上げました。あるいは、エレベーターのパラドックスの話を申し上げました。どんなに数を持っていても、理不尽なことはやってはいけない。その理不尽なこととは何なのかをあらかじめ決めているルールを、民主主義の国における立憲民主主義として憲法というルールで定めているんです。
あらかじめ、いっときの多数決では変えてはいけないこと、いっときの多数決をもってもやってはいけない理不尽なこと、それが何なのかを決めて、こういう理不尽なことはやってはいけませんよという枠の中でしっかりと熟議をして、情報を公開して、少数意見も、それは政治ですから、建前としては、それは今さら賛成とは言えないよね、でも、ここまで議論をして、これだけ情報開示をして、理不尽でないならば、意見は違うけれども仕方がないね、これが本来の真っ当な民主主義の姿である。その手続をこの国会で全く踏んでいない上に、安倍政権は立憲主義そのものの破壊工作を今も進めています。
ここは余り長く繰り返しませんが、集団的自衛権は憲法違反である。誰が言ったわけでもありません、歴代自民党政権が積み重ねてきた憲法の解釈を一方的に変える。憲法という、どんな数を持っていてもこういう理不尽なことをやってはいけませんよと決めているルールを、憲法改正の手続もとらずに、勝手に無視して集団的自衛権の一部行使容認を進めた。まさに立憲主義も立憲民主主義もわきまえない姿勢である。
そうしたことの中で、こうした理不尽な、民主主義の本質をわきまえない、数さえあれば何でもいいんだという議会運営、政治運営が進んでいるということは、ある意味で必然かもしれませんが、到底許されることではないということを申し上げたいと思っています。
そもそも、多くの国民の皆さんは誤解をされているかもしれませんが、よく与党の皆さんなどが、野党は何でも反対と言っているのは、これは大うそつき、デマですからね。成立している法律等の約半数は全会一致であるということは、議場にいる皆さんならば、一回生議員の皆さんも十分御承知だと思います。
自民党から共産党の皆さんまで、全会一致で約半数の法律がつくられています。野党第一党、現状では、私ども立憲民主党に限れば、今国会では八割の法案に、実は政府提出法案、賛成をしています。実は、二割の反対についても、多くの場合は審議に協力をしています。
例えば、この議場で我が党から非常に品格の高い反対討論をしていただきましたが、十八歳成人については、審議については協力をいたしました。しかしながら、対応、しっかりとした手当てが不十分だということで反対をいたしましたが、審議には一定の協力をいたしましたし、あるいは、相続法の改正などについても、明確な反対の姿勢を示しましたが、審議にも協力をいたしました。
野党が徹底的に反対をしているのは、安倍内閣になって急にふえてきていますが、従来、言えば一年間に一本、二本あるかどうか。この国会でも、決して両手で数えなきゃならないほどの数はありません。何でも反対をしているというのはデマです。
そもそもが、立法過程というものを御存じない方が、野党は何でも反対だなんというデマを流すんです。
そもそも、与党の皆さんはよく野党に対案を出せと言いますが、与党で対案を出したことがありますか。国会に出て成立している法律のほとんどは政府提出法案です。当たり前です。なぜならば、与党の皆さんは事前審査をして、政府が法案をつくるプロセスの中で与党の皆さんの意見を取り入れさせています。
国会でなぜ法案の二分の一が全会一致になっているのか、法案の八割が野党第一党は賛成するような形になっているのか、冷静にお考えになってください。
与党の皆さんは、確かに手続としての与党審査で、そこをパスしなければ国会に法案が出てこないという、そういうプロセスを我々も与党のとき踏みました。そのことがいいのかどうかという議論は中長期的な課題としてあると思いますが、そういう前提です。
同時に、法案の制定プロセスにおいては、野党も、さまざまな政策テーマについて、さまざまな意見、提案を申し上げてきています。自民党の皆さんは、民主党政権の時代にそういうことをしなかったんですか。野党だから、国会に法案が出てくるまで自分たちの意見を役所に言わなかったんですか。違いますよね。
どの政党であっても、国会議員は、国会審議などを通じて、党によって呼び方は違いますが、部会などを通じて、さまざまな形を通じて、自分たちの意見、考え方、現場の声などを、法案提出前に各役所などに伝えています。提起をしています。要請をしています。
そうしたことの中で、本来の民主主義をわきまえるならば、できるだけ幅広い人たちに賛同される、それは国会の中ではありません、国民の皆さんの幅広い皆さんに、いい法律ができたねと思っていただけるように、本来、政府、官僚の皆さんも仕事をしているし、私は、与党の政治家の皆さんも本来はそういう思いで国会議員になられたんだと思います。
したがって、与党の皆さんの意見は、事前審査があるから必ず取り入れるか、党内の圧力で封じ込めるか何かしないと前に進みませんが、野党の意見の中でも取り入れられるものは取り入れていただいている。だから、政府提出法案の半分は全会一致なんですよ。政府提出法案の八割は野党第一党も賛成するんですよ。
国会の、我々の役割というのは、国会に法案が出てきてからだけではない。与党の皆さんがまさに日々されているとおり、野党も含めて、法案提出前に、いかに現場の暮らしの声を、国会審議その他を通じて政府に届け、それを反映させるかということを与野党を超えてやっているんです。
ですから、自民党が与党である政府の提出法案だからといって、自民党だけの法案だと思っていること自体は、全く前提、事実を履き違えているということであるし、そもそも民主主義とは何なのかという理解が不十分だからそういう勘違いになるんです。
ちなみに言いますと、安倍内閣、そして今の与党の、まさに民主主義を履き違えている姿勢、それは、野党提出の議員立法などに対する姿勢にもあらわれているというふうに思っています。
申しわけありません、共同提案していただいている他の野党の分まで細かく数を調べることができませんでしたので、代表して立憲民主党だけ数字を申し上げますが、総選挙後に対案的法案を四本提出しています。政策推進のための法案を三十三本、この合わせて三十七本については、野党の皆さんと連携して議員立法で提出をしている法案であります。
超党派で、時々、一国会に数本、与野党を超えた超党派の議員立法がありますが、これには計算に入れていません。
文書改ざんに対応する公文書管理法等の改正案、これについては、今回の公文書の改ざん問題が明らかになる前から、実は、公文書管理法、このままではおかしなことになるということで、改正案を国会に提出しています。
そして、この水害等が起こる前から、先ほど冒頭に申し上げましたとおり、被災者生活再建支援法の改正案など、こうした大規模災害に備えて、支援の体制が不十分だということの法案も急いでいます。
こうしたものを一顧だにもせず審議に応じてこなかったのは与党の皆さんであります。
現状では、まずは政府提出法案を優先してやりたい、与党の皆さんの立場としてはそういう立場であるのは、認めるわけではありませんが、理解はします。そうであるならば、経済産業委員会はどうなんでしょう。政府提出の審議案件がとっくの昔になくなっています。
我々は、いわゆる原発ゼロ法案を提出して、審議を求めています。政府提出法案がまだまだたくさん残っていて、そちらの審議をやらざるを得ないので野党提出の議員立法の審議ができないのではなくて、政府提出の案件がなくなって、空っぽ、すかすかでやることがないのに、野党の議員立法の審議にすら応じない。誰が審議拒否をしているんですか。
国民の皆さんが、表に見える国会の審議だけで、野党が審議に応じられない場面について御批判をされるのはわかります。しかし、国会の中に籍を置いている者同士であるならば、自分たちに都合の悪い法案は、幾ら日程がすかすかであっても審議に応じないことをしておきながら、国会運営に抗議をして出席できない状況を、サボっているだなんてデマを吐くようなことはやめていただきたいと思います。
ちなみに、議会のあり方について申し上げましたので、先ほどのモリカケ問題などもあわせて申し上げておきたいと思います。
国会は立法府と、中学校か小学校で教わったんだと思いますが、国会が立法府というのは間違っていませんが、国会の役割は法律をつくることだけではありません。
国会の我々の役割は、大きく三つあります。確かに、一つは法律をつくることです。二つ目は内閣総理大臣を選挙することです。もう一つは行政を管理することです、監視することです、チェックすることです。まさに議会には行政の監視という大変重要な役割があります。政府、行政がおかしなことをしていたら、それを厳しく指摘をすることにエネルギーを注ぐのは、法律をつくることと同じようにやらなければならない議会の責務であります。
しかも、残念ながらと言うべきか、これは当然のことなんですが、議院内閣制ですから、政府と与党一体ですから、与党の皆さんが政府の問題点を厳しく指摘をするということについては、そもそも制度として予定されていません。だから、与党の皆さんが行政監視の力を十分注げていないのは、制度的な前提として半分やむを得ないところがあります。
だからこそ、野党は、行政監視、行政のおかしなことがあったら厳しく指摘をするということに責任を持って力を注がなければならないのは、議会の役割から当然のことであり、したがって、モリカケ問題について、いつまでやっているんだと与党が野党に対してやじるのは、全く議院内閣制を理解していないことだということを申し上げておきたいと思います。
大きな六番目の不信任の理由として、行き詰まる外交と混乱する安全保障政策について申し上げたいと思います。
安倍総理は、日ロ関係に力を注ぎ、プーチン大統領と何度も会談を重ねて友好関係を強調してこられました。下関での首脳会談もありました。
しかし、それ以降、共同経済活動で何か目立った活動はあったでしょうか。北方領土問題は前向きな進展があったでしょうか。
繰り返しますが、安倍政権が発足して五年半になります。どうも、ロシアだけは日ロ関係の進展によっていろいろいいことはあるようですが、我が国にとって重要な北方領土問題の進展は全く見られず、行き詰まっていると指摘をせざるを得ません。
朝鮮半島をめぐる問題は更に深刻であります。安倍総理や河野外務大臣は最大限の圧力のみを唱え続けました。北朝鮮との国交断絶を他国に求める発言まで河野外務大臣はなさいました。
ところが、南北首脳会談、米朝首脳会談が実現をしました。もちろん、北朝鮮のこれまでの経緯を考えれば、このまま平和に向かって着実に進んでいくかどうかということは、私も一概に言える問題ではないというふうに思います。再び緊張する可能性も十分に高いと思っています。
しかしながら、まさにここまでに至る経緯は、日本外交に主体的な姿勢は全く見られず、北朝鮮と、そしてトランプ大統領の動きに振り回されているとしか言えません。
加えて、安倍総理がある意味で一丁目一番地で力を込めてこられた、私はこのことにこだわり続ける安倍総理の姿勢、最優先の課題として頑張ろうとする姿勢そのものは高く評価をしますが、その拉致問題について何か進展があったんでしょうか。五年半たっています。
北朝鮮情勢が大きく変化をしている中、一基一千億円とも言われるイージス・アショアの配備、本当に続けていくのでありましょうか。
防衛予算は六年連続の増大で、過去最大の五兆一千九百十一億円に上っています。その中には、安全性に疑問が更に高まっているオスプレイの配備も含まれています。
米国の対外有償軍事援助、いわゆるFMS、これに基づく購入額がふえていますが、これは、圧倒的にアメリカ有利のいわゆる契約内容になっていると言われています。防衛装備の調達について、我が国の安全保障上の必要性よりも、アメリカが売りたいものを言い値で買っているという見られ方をしても仕方がない状況にあります。
北朝鮮情勢が今大きく変動している中、完全に白紙撤回しろとまでは言いません、少なくとも、米朝の今後の進展を見ながら慎重に物事を進めていくぐらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか。
安全保障だけではなく、なし崩し的な日米FTAへの流れが加速していると危惧せざるを得ません。一方で、米国の復帰の見通しなきTPP11を強引に進めています。
総理は、日米FTAについて念頭にないとおっしゃっています。当然のことだと思います。現状で二国間FTAを進めていけば、我が国にとっては到底のむことができない、我が国の一次産業なり、場合によっては第二次産業も含めて、我が国が受け入れがたい条件をアメリカにのまされかねない、そういう状況だというふうなことは理解をしています。
したがって、念頭にないという考え方は支持するところでありますが、四月十八日の日米首脳会談では、日米二国間での新たな協議の創設で合意をさせられました。二国間FTAに向けた協議や米国産農産物の輸入拡大の圧力を受ける場へとなし崩し的に追い込まれつつあるという危惧は杞憂でありましょうか。
他方で、TPP協定について、安倍総理は、米国抜きでは意味がないとおっしゃっておられました。
米国復帰の見込みのないままTPP11を推進しているのは何なんでしょうか。TPP11協定では、セーフガード基準や輸入枠などについて、米国の参加を前提に設定されたオリジナルのTPPの水準について何ら調整することなく、そのまま維持されています。
私どもは、そもそもTPPのオリジナルの水準についても交渉の敗北だと思っておりますが、そのオリジナルのTPPよりも更に深刻な影響を、米国の復帰がない中で国内農業がこうむることになる、これを放置して推進をしているという状況は、全く支離滅裂の状況にあります。
外交、安全保障について更に危惧をしなければならないのは、シビリアンコントロールの空洞化であります。
言うまでもなく、イラクや南スーダンでの、ないとされていた日報を始めとして、これまで不存在とされていた自衛隊・防衛省の文書が相次いで発見されていますが、その経緯や原因はいまだ明らかになっていません。組織的な隠蔽を言葉では否定しているものの、客観的な経緯からすれば、組織的な隠蔽がなければこんなことできない、そんなプロセスになっていますが、そうではないことについての合理的な説明は全くなされておりません。
大臣や国会に適切な情報が提示をされなければ文民統制は成り立ちません。実は、財務省の改ざん以上に、まさに自衛隊という組織の文民統制にかかわる問題でありますので、深刻であるとも言えます。
多くの皆さんが、いわゆる大本営発表が、第二次世界大戦に至るプロセスの中で、あるいは第二次世界大戦を通じて、結果的にいかに日本の国益を損なったのかということについては、これは立場を超えて共有していただけると思うんですが、まさに大本営発表という大きな過ちをした我が国は、こうしたことに陥らないようにしっかりとした情報の管理と公開を進めていかなければならない、そのことを通じて文民統制を機能させなければならないことは当然のことであります。
そして、大本営発表という苦い教訓を、過去にしている中であるからこそ、自衛隊や防衛省こそこうした問題に敏感でなければならないと思っています。
加えて、現職の幹部自衛官が、現職参議院議員に向かって、おまえは国民の敵だとの暴言を吐きました。懲戒に至らない訓告処分であります。
一般の国民の皆さんからいろいろな御批判を受けることについては、それは与野党を超えて、我々の役割、仕事として、それをしっかりと真摯に受けとめる姿勢が必要だと思いますが、現職の幹部自衛官がそのことを表明しながら、国会議員に対して国民の敵だとの暴言を吐いた、これは文民統制の観点から許されることではありません。
意見が異なっておったとしても、自衛隊という実力組織の、まして幹部の方でありますから、国民の代表である国会議員に対して国民の敵とレッテル張りする姿勢は許されず、こんなことでは文民統制は成り立つはずがありません。
文民統制に関連して言えば、沖縄県の米軍ヘリコプター不時着に関して、当時の松本文明内閣府副大臣は、それで何人死んだというやじを飛ばし、事実上の更迭をされました。先ほどの小野寺防衛大臣の赤坂自民亭問題への右往左往する言いわけ、稲田前防衛大臣が事実上の更迭に追い込まれたことなど、範をすべき政治がいいかげんな姿勢では、自衛隊という実力組織の統治が十分になし得ないのも必然であります。
我が国では、シビリアンコントロールを文民統制と訳してしまいました。その結果として、残念ながら、シビリアンコントロールは背広組が制服組をコントロールすることだと大きな間違いをしていらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。違います。シビリアンコントロールは、むしろ、本当に正しい意味で日本語に近い日本語にするならば、民主的統制であります。
実力組織については、まずは内閣が、そして議院内閣制であるこの議会がしっかりとコントロールする、それこそが本来のシビリアンコントロールであります。
その本質をわきまえているならば、国会議員に向かって現職幹部自衛官が国民の敵と暴言を浴びせることはあり得ないし、そんなことがあったら厳しい懲戒処分がなされるのは当たり前であるし、そして、国会などに対して日報等を隠し、ごまかすなどということがあったら、厳しい処分がなされ、全貌解明をしなければならない。シビリアンコントロールを全く理解していない体制の中で、これ以上自衛隊に対する指揮権を持たせるわけにはいかないというふうに考えます。
そもそも、安倍総理は、この自衛隊に関して、こんな国会答弁をされました。自衛隊員たちに、君たちは、憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれというのは余りにも無責任だという国会答弁であります。
集団的自衛権の行使については議論があります。しかし、自衛隊の存在が憲法違反でないことは、既に明確であり、定着をしています。安倍総理は、憲法違反かもしれないと思いながら自衛隊を指揮していらっしゃるんですか。憲法違反かもしれないと思いながら予算を計上しているんですか。私も含め、自衛隊予算を含む予算に賛成したことのある者は、自衛隊は合憲であるとの前提に立たなければ論理矛盾になります。
確かに、私が子供のころは、自衛隊は憲法違反であるという意見も少なからず存在をしていたことを知っていますが、そして、ある時期までは、国会における野党第一党が自衛隊違憲論に立っていたのも知っていますが、念のため申し上げますが、野党第一党である立憲民主党は、自衛隊は合憲であるという明確な立場に立っております。
安倍総理の頭の中は……ヤジ
大
枝
枝野幸男#24
○枝野幸男君(続) 安倍総理の頭の中は、二十年以上時間がとまっておられるんだと心配をせざるを得ません。
七つ目の問題点を申し上げます。それは、官僚システムの崩壊です。
日本は、政治は二流とか三流とかやゆされても、官僚システムが一流だからしっかりしているんだということが言われていた時期がありましたが、安倍内閣はこの官僚システムを破壊しています。
森友、加計問題や、自衛隊日報の改ざんや隠蔽の問題、厚生労働省の働き方データの捏造問題など、既に述べてきた官僚の皆さんの不祥事は言うに及びませんが、こういうところで使う言葉ではありませんが、本当に省庁横断的に、さまざまな役所で考えられないような不祥事が相次いでおります。
福田財務事務次官は女性記者にセクハラ発言をしたと報道され、音声も公表されました。しかし、次官はセクハラを認めないまま辞任をされました。財務省の対応も、被害者に二次被害を生じさせかねない不適切なものでありました。セクハラということでは、厚生労働省局長による、厚生労働省女性職員に対する、セクハラと疑われるようなメールを複数回送付していた問題もありました。
厚生労働省という点では、私はこれが深刻な問題だと思っていますが、東京労働局長が記者会見の場で取材記者に対し、皆さんの会社に行って是正勧告をしてもいいんだけどと発言し、十二日後に、局長職は更迭されましたが、軽い処分で済んでいます。報道機関の皆さんの労働条件というものの実態も、しっかりと各種労働法制を守ってやっていただきたい。厳しい状況であることも知らないわけではありませんが、公権力が恣意的な運用を公言したんです。考えられない不祥事です。
労働行政において是正勧告をするというのは相当強い公権力の行使ではありませんか。税務署が、例えば財務省の言うことを聞かなければ税務調査に入るぞと公言したらどうなりますか。警察が、言うことを聞かないんだったら逮捕するぞと言ったら、犯罪を犯してもいないのに、家宅捜査に入るぞと言ったらどうなりますか。これに匹敵するような公権力の行使を恣意的に使うぞということを記者に向かって公言をする。私は、公務員失格であり、やめていただかなければならない、それぐらいに匹敵する処分をすべきである問題だったと思います。
外務省では、先ほど申しましたが、公表されているのは、国家公務員として信用を損なう行為があったということで停職九カ月の処分がなされた職員がいらっしゃいます。セクハラ疑惑は報道されていますが、詳細は未公表のままです。
セクハラについては二次被害の防止というのが大変重要であり、被害者保護の見地から詳細を公表できない場合があることは私は理解をいたします。とはいいながら、公文書を組織的とも言えるような形で改ざんした佐川前理財局長が停職三カ月です。その三倍の停職九カ月です。よっぽどひどいセクハラをしたんでしょうね。セクハラじゃないなら、よっぽどひどい信用を損なう行為について、一定の説明があってしかるべきではないですか。
会期末になって、文部科学省の局長が裏口入学という受託収賄容疑で逮捕をされました。森友、加計問題も学校にまつわる問題です。学校用地を裏口で安く取得しようとした問題であり、設置認可を裏口で受けようとした疑惑でありますので、魚は頭から腐るという言葉もあるように、総理を見習って裏口入学をしようとしたのかなと疑わざるを得ません。
あまたいる国家公務員の中に、残念ながら不祥事を犯す者がいるからといって、内閣の政治責任を問うものではありません。確かに、たくさんいる国家公務員の中にある不祥事に対して一々政治責任をとろうとしていたら、どの内閣も一週間もたないかもしれません。
今回はそういう問題ではありません。安倍内閣発足から五年半、内閣人事局制度を悪用し、官僚人事を専断し、官の世界にも安倍一強体制を築いてきた中での相次ぐ不祥事であります。
そもそも、モリカケや自衛隊の改ざん、隠蔽は、幹部公務員の組織的とも言える大規模な不祥事です。そして、今申し上げた一例を並べるだけでも、末端の公務員の中に不届きな人間がいたという案件ではありません。内閣人事局制度に基づく一元管理下のもとに置かれるような幹部の人たちだけでも、これだけの相次ぐ問題を生じさせているのであります。
まさに、魚は頭から腐るという話の中で、官僚システムが崩壊をしているのではないか。こうした状況を一日も、とめなければならない。官僚の皆さんが、官邸をそんたくするのではなくて、国民の皆さんの思いをそんたくする、それが本来の公務員の皆さんの仕事、役割であり、官邸や与党をそんたくせざるを得ないような今の政治状況を変える。その中で、官僚の皆さんが入省時に思ったであろう、国家国民のために働きたいという本来の思いを実現できるような官僚システムを実現するために、一刻も早く安倍内閣には退陣していただきたいと思っています。
以上、七項目挙げました。まだまだ、不信任の理由は数え切れないほどあります。
いずれにしても、この国会は、民主主義と立憲主義の見地から……ヤジ大丈夫です。さすがに、売り言葉に買い言葉はやりませんので。この国会は、民主主義と立憲主義の見地から、憲政史上最悪の国会になってしまったと言わざるを得ません。
それでも、災害対応の見地から、不信任の提出にはためらいがあったことを冒頭に申し上げましたが、災害よりもギャンブル解禁、災害よりも党利党略の定数六増を優先する内閣を信任して災害対応させるよりも、そして、うそとごまかしと開き直りを重ねる内閣を信任して災害対応をさせるよりも、よりましな内閣のもとで再出発して災害対応に当たる方が適切であると考えます。
民主主義の本質を理解しない皆さんには何とかに念仏かもしれませんが、最後に申し上げたいと思います。
今のような姿勢で政権運営を続けることは、もし政治が与党対野党の戦いというものであるならば、目先の野党との戦いという意味では成功してきたし、これからも一定期間は成功するかもしれません。そして、政治に権力闘争という側面があり、与党が野党との戦いに勝とうとする、そういう思いを持つことは否定しません。
私も、権力闘争という側面が政治にあることは否定しないし、そうした側面から、与党に勝つために全力を挙げてまいりましたし、更に全力を挙げてまいりたいと考えています。
しかし、それは一側面でしかありません。
政治の本質は、与党と野党の戦いではありません。それは、目的ではなく、あくまでも手段であります。権力闘争に勝つという目的のために、社会のモラルや秩序を壊してしまう。本来、民主主義の前提としてなされなければならない、国会でうそをつかない、国会には正しい文書を出す、情報を隠し、ごまかしはしない、こうしたことを壊してしまったのでは、国民生活の、より豊かな暮らし、生活をつくり上げていくという本来の目的に反することになってしまいます。
これ以上、目先の権力闘争ばかりを重視して、国民生活の将来に禍根を残し、うそやごまかしや開き直りを蔓延させてモラルハザードを生じさせれば、必ずや歴史に断罪されると私は確信をしています。
第二次世界大戦、日中、日米戦争に至る経緯の中でも、目先の権力闘争には勝ったけれども、結果的に我が国を破滅的な状況に追い込んだ政治リーダーが、残念ながら少なからずいらっしゃいました。このまま安倍政権の横暴を許していけば、残念ながらそういった道へ入り込んでしまい、後戻りができなくなってしまうのではないかということを強く危惧をいたしています。
安倍総理も、せっかく五年半も総理をやられたんですから、後の歴史に断罪されるようなことがないように、一刻も早く身を引かれることをお勧め申し上げます。
良識ある議員の皆さんが、次の内閣改造で大臣になれるか、副大臣になれるか、政務官になれるか、次の選挙で公認されるかとか、そういうことを頭から取っ払って、みずからの信念と歴史への謙虚な姿勢、その歴史というのは未来の歴史に対する謙虚な姿勢であり、保守を称するならば、我が国の過去の失敗の歴史も含めた我が国の長い歴史に謙虚に向かい合い、この内閣不信任決議案に賛同されることをお願い申し上げ、提案理由の説明とさせていただきます。
ありがとうございました。拍手
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この発言だけを見る →七つ目の問題点を申し上げます。それは、官僚システムの崩壊です。
日本は、政治は二流とか三流とかやゆされても、官僚システムが一流だからしっかりしているんだということが言われていた時期がありましたが、安倍内閣はこの官僚システムを破壊しています。
森友、加計問題や、自衛隊日報の改ざんや隠蔽の問題、厚生労働省の働き方データの捏造問題など、既に述べてきた官僚の皆さんの不祥事は言うに及びませんが、こういうところで使う言葉ではありませんが、本当に省庁横断的に、さまざまな役所で考えられないような不祥事が相次いでおります。
福田財務事務次官は女性記者にセクハラ発言をしたと報道され、音声も公表されました。しかし、次官はセクハラを認めないまま辞任をされました。財務省の対応も、被害者に二次被害を生じさせかねない不適切なものでありました。セクハラということでは、厚生労働省局長による、厚生労働省女性職員に対する、セクハラと疑われるようなメールを複数回送付していた問題もありました。
厚生労働省という点では、私はこれが深刻な問題だと思っていますが、東京労働局長が記者会見の場で取材記者に対し、皆さんの会社に行って是正勧告をしてもいいんだけどと発言し、十二日後に、局長職は更迭されましたが、軽い処分で済んでいます。報道機関の皆さんの労働条件というものの実態も、しっかりと各種労働法制を守ってやっていただきたい。厳しい状況であることも知らないわけではありませんが、公権力が恣意的な運用を公言したんです。考えられない不祥事です。
労働行政において是正勧告をするというのは相当強い公権力の行使ではありませんか。税務署が、例えば財務省の言うことを聞かなければ税務調査に入るぞと公言したらどうなりますか。警察が、言うことを聞かないんだったら逮捕するぞと言ったら、犯罪を犯してもいないのに、家宅捜査に入るぞと言ったらどうなりますか。これに匹敵するような公権力の行使を恣意的に使うぞということを記者に向かって公言をする。私は、公務員失格であり、やめていただかなければならない、それぐらいに匹敵する処分をすべきである問題だったと思います。
外務省では、先ほど申しましたが、公表されているのは、国家公務員として信用を損なう行為があったということで停職九カ月の処分がなされた職員がいらっしゃいます。セクハラ疑惑は報道されていますが、詳細は未公表のままです。
セクハラについては二次被害の防止というのが大変重要であり、被害者保護の見地から詳細を公表できない場合があることは私は理解をいたします。とはいいながら、公文書を組織的とも言えるような形で改ざんした佐川前理財局長が停職三カ月です。その三倍の停職九カ月です。よっぽどひどいセクハラをしたんでしょうね。セクハラじゃないなら、よっぽどひどい信用を損なう行為について、一定の説明があってしかるべきではないですか。
会期末になって、文部科学省の局長が裏口入学という受託収賄容疑で逮捕をされました。森友、加計問題も学校にまつわる問題です。学校用地を裏口で安く取得しようとした問題であり、設置認可を裏口で受けようとした疑惑でありますので、魚は頭から腐るという言葉もあるように、総理を見習って裏口入学をしようとしたのかなと疑わざるを得ません。
あまたいる国家公務員の中に、残念ながら不祥事を犯す者がいるからといって、内閣の政治責任を問うものではありません。確かに、たくさんいる国家公務員の中にある不祥事に対して一々政治責任をとろうとしていたら、どの内閣も一週間もたないかもしれません。
今回はそういう問題ではありません。安倍内閣発足から五年半、内閣人事局制度を悪用し、官僚人事を専断し、官の世界にも安倍一強体制を築いてきた中での相次ぐ不祥事であります。
そもそも、モリカケや自衛隊の改ざん、隠蔽は、幹部公務員の組織的とも言える大規模な不祥事です。そして、今申し上げた一例を並べるだけでも、末端の公務員の中に不届きな人間がいたという案件ではありません。内閣人事局制度に基づく一元管理下のもとに置かれるような幹部の人たちだけでも、これだけの相次ぐ問題を生じさせているのであります。
まさに、魚は頭から腐るという話の中で、官僚システムが崩壊をしているのではないか。こうした状況を一日も、とめなければならない。官僚の皆さんが、官邸をそんたくするのではなくて、国民の皆さんの思いをそんたくする、それが本来の公務員の皆さんの仕事、役割であり、官邸や与党をそんたくせざるを得ないような今の政治状況を変える。その中で、官僚の皆さんが入省時に思ったであろう、国家国民のために働きたいという本来の思いを実現できるような官僚システムを実現するために、一刻も早く安倍内閣には退陣していただきたいと思っています。
以上、七項目挙げました。まだまだ、不信任の理由は数え切れないほどあります。
いずれにしても、この国会は、民主主義と立憲主義の見地から……ヤジ大丈夫です。さすがに、売り言葉に買い言葉はやりませんので。この国会は、民主主義と立憲主義の見地から、憲政史上最悪の国会になってしまったと言わざるを得ません。
それでも、災害対応の見地から、不信任の提出にはためらいがあったことを冒頭に申し上げましたが、災害よりもギャンブル解禁、災害よりも党利党略の定数六増を優先する内閣を信任して災害対応させるよりも、そして、うそとごまかしと開き直りを重ねる内閣を信任して災害対応をさせるよりも、よりましな内閣のもとで再出発して災害対応に当たる方が適切であると考えます。
民主主義の本質を理解しない皆さんには何とかに念仏かもしれませんが、最後に申し上げたいと思います。
今のような姿勢で政権運営を続けることは、もし政治が与党対野党の戦いというものであるならば、目先の野党との戦いという意味では成功してきたし、これからも一定期間は成功するかもしれません。そして、政治に権力闘争という側面があり、与党が野党との戦いに勝とうとする、そういう思いを持つことは否定しません。
私も、権力闘争という側面が政治にあることは否定しないし、そうした側面から、与党に勝つために全力を挙げてまいりましたし、更に全力を挙げてまいりたいと考えています。
しかし、それは一側面でしかありません。
政治の本質は、与党と野党の戦いではありません。それは、目的ではなく、あくまでも手段であります。権力闘争に勝つという目的のために、社会のモラルや秩序を壊してしまう。本来、民主主義の前提としてなされなければならない、国会でうそをつかない、国会には正しい文書を出す、情報を隠し、ごまかしはしない、こうしたことを壊してしまったのでは、国民生活の、より豊かな暮らし、生活をつくり上げていくという本来の目的に反することになってしまいます。
これ以上、目先の権力闘争ばかりを重視して、国民生活の将来に禍根を残し、うそやごまかしや開き直りを蔓延させてモラルハザードを生じさせれば、必ずや歴史に断罪されると私は確信をしています。
第二次世界大戦、日中、日米戦争に至る経緯の中でも、目先の権力闘争には勝ったけれども、結果的に我が国を破滅的な状況に追い込んだ政治リーダーが、残念ながら少なからずいらっしゃいました。このまま安倍政権の横暴を許していけば、残念ながらそういった道へ入り込んでしまい、後戻りができなくなってしまうのではないかということを強く危惧をいたしています。
安倍総理も、せっかく五年半も総理をやられたんですから、後の歴史に断罪されるようなことがないように、一刻も早く身を引かれることをお勧め申し上げます。
良識ある議員の皆さんが、次の内閣改造で大臣になれるか、副大臣になれるか、政務官になれるか、次の選挙で公認されるかとか、そういうことを頭から取っ払って、みずからの信念と歴史への謙虚な姿勢、その歴史というのは未来の歴史に対する謙虚な姿勢であり、保守を称するならば、我が国の過去の失敗の歴史も含めた我が国の長い歴史に謙虚に向かい合い、この内閣不信任決議案に賛同されることをお願い申し上げ、提案理由の説明とさせていただきます。
ありがとうございました。拍手
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大
金
金田勝年#26
○金田勝年君 自由民主党の金田勝年でございます。
私は、自由民主党を代表し、ただいま議題となりました安倍内閣不信任決議案に対し、断固反対の立場から討論を行うものであります。拍手
まず冒頭、西日本を中心とした豪雨災害により多くの方が亡くなられ、また、安否不明の方々の懸命な捜索が今も続けられております。心から哀悼の意をささげますとともに、被災されました方々にお見舞いを申し上げます。
長い避難生活も続いておりますが、自民党は、政府とともに、生活やなりわいの再建、そして必要なインフラの整備に全力を尽くす決意であります。
さて、今国会、大変残念なことに、財務省を始めとする行政のモラルが問われる事態がありました。国会を軽視するような行為は断じて許されるものではなく、今後このようなことが二度と起きないよう、再発防止と信頼回復に全力で取り組まなければなりません。
そこで、議題となりました内閣不信任案であります。
未曽有の大災害に多くの国民が悲しみ、国民一丸となってこの困難を乗り越えなければならない最も大切なときに、しかも、国会は全ての重要法案の審議を終えようとするこのタイミングで、なぜ提出しなければならないのでしょうか。ヤジ
この発言だけを見る →私は、自由民主党を代表し、ただいま議題となりました安倍内閣不信任決議案に対し、断固反対の立場から討論を行うものであります。拍手
まず冒頭、西日本を中心とした豪雨災害により多くの方が亡くなられ、また、安否不明の方々の懸命な捜索が今も続けられております。心から哀悼の意をささげますとともに、被災されました方々にお見舞いを申し上げます。
長い避難生活も続いておりますが、自民党は、政府とともに、生活やなりわいの再建、そして必要なインフラの整備に全力を尽くす決意であります。
さて、今国会、大変残念なことに、財務省を始めとする行政のモラルが問われる事態がありました。国会を軽視するような行為は断じて許されるものではなく、今後このようなことが二度と起きないよう、再発防止と信頼回復に全力で取り組まなければなりません。
そこで、議題となりました内閣不信任案であります。
未曽有の大災害に多くの国民が悲しみ、国民一丸となってこの困難を乗り越えなければならない最も大切なときに、しかも、国会は全ての重要法案の審議を終えようとするこのタイミングで、なぜ提出しなければならないのでしょうか。ヤジ
大
金
金田勝年#28
○金田勝年君(続) 立憲民主党の辻元国対委員長は、以前、不信任案の提出について、一番嫌なときに出さないと気が済まないと発言されておりましたが、復旧復興に全力を尽くしているこの時期の提出は、本当に信じられない思いでいっぱいであります。
国民の皆さんは、永田町を冷静に見ており、二度の政権交代から多くのことを学んでおります。そうした現実を直視し、野党の諸君は、本案を提案したみずからの行動を改めて考え直してもらいたいと思います。
野党六会派の皆さんは、今国会、実にやりたい放題をやってきたのではないでしょうか。
全く合理性のない行動の最たるものは、四月下旬から十八日間も国会を欠席したことであります。
五月の連休が終わり、世の中が動き始めたにもかかわらず、国会での議論に復帰しようとしない態度は、世間一般に照らしても理解不能であり、この間、マスコミフルオープンの会議で多くの官僚に無理難題を突きつけていたことは、パフォーマンス以外の何物でもありません。
また、衆議院に提出をされた多くの大臣不信任案は、全く理解できるものではない。
五月には、内閣委員会での審議途中に、強引に茂木大臣不信任案を出されたことは、まさに経済そっちのけであります。世界経済や自由貿易体制を論ずる資格はありません。加藤厚労大臣や石井国交大臣への不信任案も、時間の浪費を目的とするものでありました。
正当な理由と国民的な理解が得られない中で、次から次へと大臣不信任案を繰り出してくるその姿は、反対のための反対と言わざるを得ません。ヤジ
この発言だけを見る →国民の皆さんは、永田町を冷静に見ており、二度の政権交代から多くのことを学んでおります。そうした現実を直視し、野党の諸君は、本案を提案したみずからの行動を改めて考え直してもらいたいと思います。
野党六会派の皆さんは、今国会、実にやりたい放題をやってきたのではないでしょうか。
全く合理性のない行動の最たるものは、四月下旬から十八日間も国会を欠席したことであります。
五月の連休が終わり、世の中が動き始めたにもかかわらず、国会での議論に復帰しようとしない態度は、世間一般に照らしても理解不能であり、この間、マスコミフルオープンの会議で多くの官僚に無理難題を突きつけていたことは、パフォーマンス以外の何物でもありません。
また、衆議院に提出をされた多くの大臣不信任案は、全く理解できるものではない。
五月には、内閣委員会での審議途中に、強引に茂木大臣不信任案を出されたことは、まさに経済そっちのけであります。世界経済や自由貿易体制を論ずる資格はありません。加藤厚労大臣や石井国交大臣への不信任案も、時間の浪費を目的とするものでありました。
正当な理由と国民的な理解が得られない中で、次から次へと大臣不信任案を繰り出してくるその姿は、反対のための反対と言わざるを得ません。ヤジ
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