山口壯の発言 (予算委員会)
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○山口(壯)委員 このアメリカの日本を守るというコミットメント、あるいは義務という表現が当たるかもしれません、これは一九六〇年の日米安保改定によって成り立ったわけですけれども、実は、一九五一年に当時の吉田茂総理兼外務大臣が結ばれた旧の日米安保条約にはこのことが入っていなかったんですね。
その意味では、我々は、つい日本はアメリカに守ってもらえるんだということを当然視する嫌いがあるんですけれども、経緯を振り返ると、必ずしもそれが当然のことではないということが実はわかると思うんです。
日米安保条約の起源はもちろん吉田茂さんです。
占領後の安全保障について、当時の吉田茂兼外務大臣は、占領が終わってアメリカ軍とかみんなが帰った後、どうやって日本を守るんだということで、外務省に作業を命じたんですね。相当長い間をかけて出した外務省の結論が、当時は国際連合に守ってもらおうという結論だったようです。
それを見た吉田当時の外務大臣兼総理は激怒したというんですね。それが、今配付資料でお配りさせていただいた中に、極秘となっていますが、これは当時極秘で、今は文書が公開されていますので極秘ではありません。外務省の出した報告書の表紙に吉田茂さんの書いた直筆が残っているんですけれども、書いてあるのは、野党の口ぶりのごとし、無用の議論一顧の値なし、経世家的研究につき一層の工夫を要す、SY、シゲル・ヨシダです。
その意味で、吉田総理的には、当時、単独講和、要するに、アメリカ等との、単独講和かあるいは全面講和かで揺れていた世論の中で、基地を提供することによってアメリカに守ってもらうんだということをほぼ構想されて、それからその交渉に入っていかれるわけですね。その際の最大のポイントは、条約の文言上、対日防衛のコミットメントを取り付けるということでした。
ただ、今から思うと若干意外な感もあるんですけれども、当時のアメリカは、条約上の対日防衛コミットメントをゼロにしたいという思いがどうも本音としてあったようです。それは、アメリカの当時の軍部としては、次の大きな戦争はヨーロッパで起こるだろうから、極東の日本に回す戦力、そういうコミットする戦力に余力がないということだったようです。
それでも、吉田茂としては、基地提供によって何としても条約文言上のコミットを取り付けるんだということをしたわけですけれども、何とかいきそうな気配もあった中で、最後は土壇場で、日本側の事務当局のミスで、条約文言上のアメリカの対日防衛のコミットメントが入らなかった。失敗してしまいました。
これは、交渉の最終段階、当時は、一九五一年の七月の三十日なんですけれども、アメリカ側からいわゆる極東条項というものが提案されてきたんです。これは、何度も何度も交渉でお互いに修文案を出す中で、このときは、たくさん修文案、ある意味で細かい修文案がほとんどだったんですけれども、その中にぽこっとこれが紛れていたんです。そこには、結局、日本に駐留する米軍というのは極東の平和と安定のために使用することができるという文言を入れていたんですね。
これを見た当時の外務省、条約局長は西村さんという人で、それから条約課長は藤崎さん、前の大使のお父さんですけれども、彼らは、当時、朝鮮戦争の真っ最中だったわけです、ですから、日本に駐留している米軍が極東のために使用することができる、原文はメイ・ビー・ユーティライズドなんですけれども、それを見て、しようがないな、当たり前だなというふうに思ってしまった。
これが実は、吉田総理的には物すごくつらいところですね。何とかこれをとろうと思って頑張ってきて、葉巻も断って頑張ってきたのが、最後の最後に。多分、ホウレンソウが抜けていたんだと思うんです。最後に吉田総理兼外務大臣に、こういうことを言ってきましたけれども、いいでしょうかねと相談があれば、多分彼は、それが一番大事なことじゃないか、だめだというふうに言ったと思うんですけれども、多分それが抜けていたんだと思うんです。
この趣旨というのは、もちろん国防総省、要するにペンタゴンの対日防衛コミットメントをゼロにしたいというふうな意向によるものでした。
旧の安保条約、国民の皆さんにもこの辺の経緯をよく理解していただければありがたいと思って、パネルを用意させてもらいました。
日本語の文言で、最後に、「使用することができる。」と。何かいかにも「使用することができる。」とやわらかい書き方なんですけれども、原文では、下に書いてあるように、メイ・ビー・ユーティライズドです。メイ・ビー・ユーティライズドというのは、要するに、使われるかもしれないということなんですね。それを、使用することができるというのは、苦肉の策というか、翻訳的に非常に苦渋の念がにじみ出ているんだと思いますけれども。したがって、これがアメリカの当時の本音だったということだと思うんです。
こういうことを経てアメリカの対日防衛コミットメントというのが、アメリカは拒否したわけですけれども、我々は、これは事実として、やはり心のどこかで、アメリカとのすり合わせというのは物すごく大事なんだ、少し油断するとやはりいろいろなことが起こりかねないということをよくわかっておくべきだと思います。
吉田茂としては本当に悔しかったと思うんですね。画竜点睛を欠くという格好で、本当に努力して努力して、サンフランシスコ講和条約もまとめ、そして最後に安保条約ということにいったわけですけれども、この条約が実は画竜点睛を欠いていたということは、自分にとって本当につらかったと思うんです。だけれども、世の中になかなかそういうことは言えない。
結局、安保条約に署名するときには、アメリカ側はディーン・アチソンという国務長官、あるいはジョン・フォスター・ダレスという人たち、四人署名するんですけれども、吉田茂は一人だけで署名した。それは多分、側近の池田勇人さんも連れていっていたんだけれども、この条約については自分で責任を負うしかないと、はっきり言えないけれども、そういうことだったと思うんですね。
だから、その意味で、我々、対日防衛コミットメントというのはその後十年かかるわけですね、取り付けるのに。一九六〇年の、岸信介総理によって安保改定がなされる、そのことによって初めて取り付けることができた。
当時の安保改定の意味について、そのことだったんだと、理解はなかなか難しかったんだと思うんですね。これは六十年以上前のことです。六十年たってもなかなかその理解ができていないというのが、この安保法制の理解が難しいということの一つの大きなあらわれだと思うんです。
多分、岸信介総理としたら、心中察するに、吉田総理がそのときにこうだったから自分はこうだったとは言えなかったと思うんですよ、あるいは言わなかったと思う。そこはもう武士の心構えみたいなものだと思うんです。だけれども、そのことによって岸信介さんは退陣を余儀なくされた。そういう大きな、ある意味で代償を払いながらのアメリカの対日防衛コミットメントのまず取付けだったんだと思います。
この辺について、実は、西村条約局長は正直に告白しているんですね。
配付資料を配らせていただいた中で、彼の「日本外交史 二十七」という著書があるんですけれども、私がアンダーラインというか傍線をつけさせていただいた部分を読みますと、
最も重要なのは、いわゆる「極東条項」の挿入である。その結果、それまでの案文では在日アメリカ軍隊は外部からの攻撃に対して日本の安全に寄与するためにあるとされていて、在日アメリカ軍隊による日本防衛に疑問はなかった。ところが「極東における国際の平和と安全の維持」という一句が新たに加わり、しかも、末尾の文言が「……寄与するために使用することができる」となったために、在日アメリカ軍隊による日本防衛の確実性が条約文面から消えてしまった。
次のページをあけていただいて、彼が脚注で言っているところが一番大事なんですね。
充分考慮を払わないで「同意あって然るべし」との結論を総理に上申したことは、今日に至ってなお事務当局として汗顔の至りである。
これらすべては一九六〇年一月十九日の日米相互協力及び安全保障条約で是正された。せめてもの慰めである。
この辺が事の真髄だと思うんですけれども、なかなか、このことを知っている人は日本の中でも少ないと思います。
こういうことで我々はアメリカとのつき合いをやっているわけで、アメリカの大統領的にはいろいろなタイプの方もおられますから、それぞれの歴代の総理というのは本当に苦労されていると思うんです。総理も今非常にいろいろな意味で努力されて、トランプ大統領とがっちりすり合わせをされていると思うんですけれども、片やトランプ大統領、アメリカ・ファーストと言い、あるいは駐留米軍経費の問題をめぐって、これは選挙当時ですけれども、同盟に対して後ろ向きともとられかねないことをよく言われておられました。
そういう意味で、このアメリカの対日防衛コミットメントに現在揺るぎがないかということで質問を一つさせてください。