増山幹高の発言 (国際経済・外交に関する調査会)

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○参考人(増山幹高君) 政策研究大学院大学の増山と申します。今日は意見を述べさせていただく機会をいただきまして、ありがとうございます。
 こちらの、中身はない分ちょっとカラフルな資料を御用意させていただきましたので、こちらを使ってお話をさせていただきたいと思います。
 今までの方と違いまして、私は外交の専門家でも国際関係の専門家でもございませんので、そういった経験に基づいてお話をすることはできません。今回、事務局からこのお話をいただきましたときに、私なんぞで何かお役に立てるんでしょうかとちゅうちょもしたんですが、これまでのヒアリングでも専門家の方々から実践的、実務的な意見を聞いてこられており、今日のお二人にもありましたように、そういった意見も聞いた上で、補足的なものとして、議会の制度的な観点から、理論的な観点から議会の外交とか政党や議員による外交といったものがどのように捉えられるのかということを説明せよということでございましたので、そういうことであるならば私も何がしかお役に立てるのではないかと参った次第です。
 私の専門は政治学でございまして、特に議会の制度を研究しております。この数年は、国会の審議映像をいかに活用できるのかとか、会議録では分からないような議会の時空間を映像ですとか音声を利用して理解しようと努めてきております。
 一方、政策研究大学院大学、御存じの方は御存じだと思いますが、ミッドキャリアの公務員を対象にした大学院でございまして、主に、三百名ほど修士課程でいいますとおりますが、その三分の二以上は海外からの留学生でありまして、そういった毎年五十か国以上の国々からの公務員が私どもの大学で勉強しておりまして、将来それぞれの母国のリーダーとなるよう励んでいるような大学です。
 そういう意味では、私も、外交とは言えないにしても、日本の国際貢献の何がしか一端を担っているのではないかと思いますので、そういった観点から少しお話をさせていただきたいと思っておりますが、大学の政治学概論のようなお話をさせていただくことにもなりますので、少し実務、実践から距離を置いた制度の理論、デザインの問題としてお聞きいただければ幸いです。
 お手元の資料を一枚おめくりください。余り小難しい話になってもいけませんので簡単なキーワードで申しますと、余りにも一般的かもしれませんが、議院内閣制と大統領制というのが大きな政治制度を分けるものになります。釈迦に説法ではございますが、その本質的な違いとは、権力をいかに分かち持つかというところに懸かってきまして、究極的には、行政権を握る者がどうやって選ばれるのか、またその行政権が誰に対して責任を持って行使されるのかというところに帰着します。
 そういう意味で申しますと、大統領制というのは、行政権をつかさどる大統領が国民に直接選ばれて、大統領が行政権を国民に対して責任を持って行使するという制度と言うことができます。大統領は立法権をつかさどる議会に対しては抑制と均衡の関係にありまして、これを我々は権力の分立と言っておるわけです。一方、議院内閣制というのは、行政権をつかさどる内閣、なかんずく首相が議会の信任に依拠して、議会に対して責任を持って行政権を行使する制度ということになります。
 こうした信任関係が成り立つ限りにおいて立法権と行政権というのは一体不可分となり、権力が融合することによって政治は国民に対して責任を持った権力行使が可能になるという制度でございます。
 また、政治制度の重要な一部として選挙制度がございまして、我々は小選挙区だとか比例代表制ということをよく用いますけれども、こういった選挙制度も大きく分けますと、有権者が投票するときに何を意識して投票するかということで分かれてきます。大きく分ければ、有権者が投票するときに、政権を意識するか、あるいは有権者自らの意見をより良く代弁する代理を選ぼうとするのかというところに帰着していきます。
 そういう意味で申しますと、典型的には、小選挙区というのは、有力候補者二人の競争を促して二大政党制が実現することによって選挙を有権者にとって政権選択の機会とするものです。一方、比例代表制というのは大選挙区における議席配分の方式でして、選択肢が多いほど有権者の意見分布を比例的に反映することが可能となって、それは多党制をもたらし、選挙は有権者にとって代理選択の機会となるものです。
 一枚おめくりください。こちらの図は、一つ目のポイントである立法権と行政権の分離というものと立法権の共有、専有というものを一院制か二院制かの問題として両者を組み合わせて図示しております。権力の融合、集中、権力の分立、分散という問題は左上から右下の対角線上の軸として捉えることができます。
 一枚おめくりください。こちらの図は二つ目のポイントをやはり図示しておるものなんですが、選挙制度と議会制度の分権度というものを組み合わせております。選挙を通じた代表と議会を通じた立法とにおけるそれぞれの権力の融合と分立というものを表現しているものでございまして、左上の政権選択受動議会というのは、選挙制度としましては小選挙区制を採用し、選挙が政権選択の機会となると。内閣に権限を集約させて、議会は集権的な制度を採用すると。この場合、議会の役割というのは、極端に申せば内閣を誕生させる瞬間で役割は果たされるわけです。したがって、議会ですべきことというのは内閣が主導する立法を実現させることでして、それを通じて与党は現政権の存続を有権者にアピールする、野党は代替的な政権構想を有権者にアピールするということになります。
 一方、右下の代理選択能動議会というのは、選挙制度としては比例代表制を採用し、選挙が代理選択の機会となるとともに、議会制度は比較的に自立的な委員会制度といった分権的な制度を採用しまして、議会で繰り広げられる政党間の交渉というのは、議院内閣制といえども、与野党にかかわりなく、立法のあらゆる段階において可能な限りの権限を行使し、政策的な実利を勝ち取っていくというゲームになります。
 これらの二つのポイントを更に組み合わせますと、原点に権力が一元化された小選挙区制による一院制の議院内閣制がありまして、そこから権力の多元化によって立体的な空間が広がって、その一方の極に比例代表による二院制という分権的な議会制度が採用されて、また別に行政権をつかさどる大統領が国民から直接選ばれるといった政治制度が位置付けられることになります。
 こうした権力の融合、分立度に応じて、政治家の皆様の当選、再選というものも、政権の命運とともにあるべきなのか、あるいは政治家個人の資質、能力、活動といったものが重視されるのかということに関わってまいりまして、それに応じて政党の凝集性というものもおのずと異なってきます。権力の多元化が進めば、議員の皆様のその黒子としての舞台回しの能力だけではなくて、舞台に上がって見せる部分の役割も重要になってきます。有権者の方もそうした政治的環境の下に順応して議員や政党を評価するようになってくる、こういうのが政治制度の在り方だということでございます。
 一枚おめくりください。では、こうした政治制度の権力融合、分立という観点において日本はどこに位置するのかということです。御案内のように、現行の選挙制度で申しますと、小選挙区制というのは衆参の議席でいいますと約半分ぐらいになりますので、先ほどの政権選択か代理選択かというと中間的な位置付けになるわけです。
 一枚おめくりください。もちろん、言うまでもなく憲法は衆議院と内閣においてのみ信任関係を求めておりますので、日本の議院内閣制における権力の融合というのは衆議院においてのみ作用すると言えます。
 したがって、政治制度の比較という観点でいいますと、まさしくこの参議院が日本の議院内閣制を位置付けて特徴付けているのでありまして、首相指名、予算、条約、会期といったことを除けば衆参は対等に位置付けられておりまして、憲法は、釈迦に説法ではございますが、立法における両院の一致というものを求めております。
 内閣との関係におきましては、例えばイタリアの上院などとは異なりまして、日本の参議院は解散もなく半数改選で、継続の院としての特徴付けがなされております。内閣とは信任関係もなく、むしろ大統領制のような権力分立の関係にあるというのが参議院の制度的な位置付けです。
 さらに、衆参両院とも比較的に分権的な委員会制度というのを採用しておりますので、議会制度という観点でいいましても日本は中間的な位置付けになってまいります。
 そこで、三ページの図の方に戻っていただきますと、じゃ、日本の議院内閣制はどこに位置付けられるかということでありますが、縦軸においては、二院制ですので相対的に言えば下側にありまして、横軸で、立法権と行政権の分立の問題でいいますと、参議院がありますのでかなり中央寄りということになります。
 さらに、四ページの図で申しますと、選挙制度的にも議会制度的にも中間的なものと捉えられますので、この両者のポイントを重ね合わせますと、この権力融合、分立の政治制度的な空間において日本はほぼ真ん中にあるというのが日本の政治制度的な特徴です。
 このような政治制度的な環境において繰り広げられてきたのが日本の政党政治でありまして、比較的に代理選択的要素の強い選挙制度を通じて、緩やかな連合体としての与党が長く政権の座にあり、立法に関しましてはそうした与党の了承を得るということが政府・与党関係の焦点となってまいります。国会では、与党は内閣主導の立法の実現を目指そうとし、野党の先生方がいる前でなんですけれども、野党としては政権の受皿としてまとまることは少なく、また一方で政策的な交渉を制度化するにも至っていないというのが日本の政党政治の現状だろうと思われます。
 一枚おめくりください。こういった政党政治の状況を視覚的に表現するものとして御用意しましたのがこのグラフでありまして、これは、衆議院の総選挙における自民党と自民党でない最大の政党の全国総得票数を時系列で示しております。破線は並立制が導入されてからの比例代表部分を示すものでして、青の実線が自民党の総得票数、赤の実線が自民党でない最大政党の全国総得票数ということになります。
 したがって、この図から明瞭だと思いますけれども、両勢力が拮抗するのは二〇〇〇年代に入ってからということで、せいぜい、目で見ていただければ分かるんですけど、二〇〇五年か二〇〇九年ぐらいしかないわけです。二〇〇九年に政権交代が起こったというのも、その非自民党勢力が初めて、それも日本においては一回だけになってしまうんですけれども、政権の受皿としてまとまったということが唯一の要因なわけです。それ以外の時期におきまして、日本の有権者は政権選択の機会を提供されたことがないというのが日本の政党政治であります。
 一枚おめくりください。同様のものを参議院について見ましたのがこのグラフでして、二大勢力の参議院通常選挙における全国総得票数の推移というものを示しております。
 参議院におきましては、この二大勢力の拮抗というのは、衆議院に先立ち、一九八九年の選挙で起きております。一九八九年の選挙というのは、御案内のように、消費税、リクルート、総理の女性問題という、日本では珍しいことなんですけれども、が起きまして、自民党が初めて参議院の過半数を失うということになった選挙です。これ以降、単独で参議院の過半数を占めるという政党がいないという状況が長く続きまして、これが連立政権時代の端緒になったとも言えます。
 ですから、政治制度的な観点から申しますと、参議院というのは、本来は内閣と信任、不信任の関係にあるわけではないんですけれども、制度的に、憲法の求めるところによって立法権を衆議院と共有し、立法においてほぼ対等な関係にあるがゆえに、内閣としては議会の基盤を盤石とするために衆議院と同様の政党化を参議院にも求めてこざるを得ないわけです。
 ですから、逆説的ではありますけれども、参議院の権限が強いがために政党化の圧力にさらされるということで、それによって政党政治というのは、政権選択のアピールをすることもなく、分権的な議会制度や権力分立的な政治制度で起こり得るであろう政策的な実利交渉も定着しないまま、参議院の皆様は直接政権の批判と関係のないようなもので選挙で御苦労されているというところが参議院の制度的ジレンマとも言えます。
 少し時間も押しておりますので次のグラフははしょらせていただいて、質問のときなどで時間があればお話ししたいと思いますけれども、るる制度論をお付き合いいただきましたけれども、最後に少し国際的なことに触れさせていただいて終わろうと思います。
 政治学者として近年個人的に驚いたというか興味深いと思いましたのは、二〇一六年のイタリアにおける憲法改革の失敗という事例です。この憲法改革というのは、参議院の皆様は特に関心がおありかもしれませんが、改革案としては上院の権限、議員数を大幅に削減するというものでして、御案内のように憲法改正案は国民投票で否決されて、実現しておりません。
 私にとって興味深かったのは、そういった上院にとっては自滅的な法案というのがなぜ上院自身が支持したのかということです。国民投票というので否決された理由は、アンチ既成とかアンチエスタブリッシュメントを標榜するいわゆる五つ星運動というものの影響が指摘されておりますけれども、こういった潮流には政府や政治に対する全般的な不満、不信というものが背景にあったのだと考えられます。
 このイタリアの憲法改革につきまして、私が編集に関わっている専門誌で、実はこちらにいらっしゃいます猪口先生が名付け親でもある専門誌なんですけれども、それにイタリア人の友人に小論を寄稿してもらっておりまして、そこでは彼はコンスティチューショナルデマゴギーとコンスティチューショナルペダゴギーということを申しておりまして、私はそれをそれぞれ憲法の大衆扇動、憲法の市民教育と訳しております。昨今憲法論議が盛んになっておりますところ、私はこの指摘はとても重要だと思っておりまして、特に日本の政治制度とか参議院の在り方を考えるに当たっては重要だと思っております。
 日本の有権者が長く置かれてきた政権選択でも代理選択でもないというフラストレーションはかなりたまっていると思っておりまして、何かをきっかけにそれが一挙に反理性主義的な傾向を強める可能性はなくはないと思っております。その中で、政治制度について冷静な議論、理解がないままに、勢いや単なる批判だけで我が国の行方が左右されるのではないかということを非常に懸念しております。
 外交につきまして私は専門的なことは何も申せませんが、こういったこれまでの調査でも諸外国における議会内外の取組を検討されてきたと伺っておりますが、そういった取組も、それぞれの国の制度、社会経済、歴史、文化的な環境の上に成り立って機能しているものだと思います。諸外国の取組を学ぶこと自体は大変結構なことだと思うんですけれども、その部分的にいいところだけを異なる環境に接ぎ木しても、機能すべきものも機能しないというのが私の見解です。
 例えば、アメリカ的な権力分立の環境で二大政党が対峙する中において、例えばシンクタンクといったものも、それが政策的なアイデアの源泉となり、資金的にも競合するがゆえに成り立っていくのがシンクタンクの在り方であり、これはシンクタンクにとどまらず、ほかの準公的な組織的な取組にも当てはまろうかと思います。
 また、ヨーロッパであればEUの枠組みを度外視するわけにもいきませんし、先ほどASEANといった指摘がございましたように、そういう環境の中でどういった取組ができるのかを考えるべきだと思います。
 また、例えばドイツにつきましては、例えばですけれども、議会、政党、行政というのが非常に密な社会でありまして、例えば公務員の立場を維持したまま議会職員になったり政党職員になったりという雇用関係が成り立っておるわけですね。そういう環境において機能する組織というものは、そういう環境にないところに移植しても機能しないのではないかと思っております。
 今朝のニュースでもございましたけれども、例えば韓国の議員が竹島の問題で何かをするというのも、これももちろん文化や彼らの主義主張にも関わっておりますが、韓国の大統領制ということを考えれば分からなくもない行動というふうに理解できるのかもしれません。
 こういった外交の外縁ということを拡充していくこと自体は大変結構なことだと思いますけれども、それは単に交流レベルのものなのか、何がしか政府間の関係であるのかといったこと、また、それを通じて何を目指すのかといったことの議論があって、その上で人道支援や経済支援といったものが成り立ち得て、それぞれに応じた組織形態といったものも考えていけるんだろうと思います。制度環境によっては機能する場合もしない場合もあろうかと思います。
 政治制度についてるる申してまいりましたのも、この日本の政治が政権選択を志向していくのか、代理選択をして志向していくのかがまさしく参議院の皆様に懸かっておりまして、この世の中で文書の書換えだとか首相案件だとか騒いでいるときにこういう調査会をやられるというのも参議院の見識だと思うのですが、そういった環境にあるということが参議院が参議院たるゆえんであって、その中でどちらの方向性を示していくのかが、日本の有権者に対してどういう政治を提示していけるかの参議院の皆様の見識の在り方かと思います。
 議会独自の活動ですとか議会の外交といったものも、そういった権力の多元化の志向の中においては機能するものでありますでしょうし、そういう中においては参議院の独自性、組織的な活動というのは奨励されるべきものだと思います。しかし、もし日本の政治制度が政権選択といったものを目指すべきなのであれば、むしろそういった多元的な取組というのは責任所在の不明確化につながるかもしれません。
 最後に、言わば交通ルールと同じですけれども、何らかの規制、制約を受け入れるがために我々は公共的な利益としての交通の安全ですとか安心を得るわけです。それと同様に、参議院も立法権の共有という権限に固執すればするほど政党化の圧力にさらされることは変わりません。ですから、参議院の永遠のテーマかもしれませんけれども、参議院独自の活動、議員独自の活動というものが評価されるには、何らかの権限の放棄なり制約というものを同時に考えていただくのが必要かと思います。
 長々となりましたが、どうも御清聴ありがとうございました。

発言情報

speech_id: 119614305X00420180411_007

発言者: 増山幹高

speaker_id: 6276

日付: 2018-04-11

院: 参議院

会議名: 国際経済・外交に関する調査会