末松信介の発言 (国土交通委員会)

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○末松信介君 おはようございます。自民党の末松信介でございます。今日は質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。
 昨年の八月まで牧野副大臣の席に座っておりました。したがいまして、石井国土交通大臣始め国交省の皆様方には大変お世話になりました。
 国交省は、国内問題が中心といいましても、海外から大勢の方々が要望に来られたり、意見交換にお見えになります。私も幾つか覚えております。
 ミャンマーのピョー・ミン・テイン・ヤンゴン地域政府首相、東京都知事のような立場の方ですが、都市開発を、インフラの整備について、例えば一階はショッピングセンター、二階は道路、三階は鉄道といった、こうした都市のインフラ整備ができないかという、そういう話もありました。
 また、カンボジアからは、トイ・チャンコサル公共事業運輸省長官がお見えになりまして、下水道分野における覚書を交わしたわけであります。あらゆる要望がその場所で出されました。車検制度まで出たことを覚えてございます。
 一方、アジアから遠く離れましたアフリカへ四回出張させていただきました。少し偏った地域ではありましたけれども、良い勉強になったと思ってございます。
 思い出に残っております一つに、ガーナ共和国がございます。昨年、野口英世博士がガーナに黄熱病の研究に渡航されて九十年でありました。ガーナには野口記念医学研究所という施設がございます。そこに新たに先端感染症研究センターを建設することになりました。二十三億無償供与、日本側が建設することになって、その起工式に出席をしたわけであります。
 野口英世博士は、八か月間研究された後、一九二八年、昭和三年五月二十一日に五十一歳の若さで首都アクラで死去されました。当時使っておられました研究室を訪れましたが、今はもう使われておりません。隣の執務室は小さな書斎で、古ぼけた顕微鏡と記念品が飾っていたわけであります。ここに今資料をお配りさせておりますけれども、壁に忍耐という字で、自分で揮毫されました額が飾ってありました。当時のにおいが伝わってくる思いがいたしました。
 現地の方が、当時ここから海が見えていましたと、野口博士はここから海を眺めるのが大変好きだったようですと話をされておられました。博士の最後の言葉は、アイ・ドント・アンダースタンドと、私には分からないと。病原菌のことが分からない、意味はよく分かりません、そういう言葉でありました。誰でも感慨深くなるわけであります。野口英世博士のような存在は、我々にとっては誇りであります。
 一方、ザンビア共和国に行きましたときには、東京ウエーという日本人が造った道路の名前がございました。やはり、海外へ展開していくには情熱が必要だと思うんです。相手の国をこうしてあげたいとか地図を塗り替えてあげたいとかいう、そういう熱意が必要だと思うんです。
 しかし、一方で、国ごとの風習も違いますし、法制度も違います。それに関係する法律すらない国もたくさんあるわけでございます。厳しい国際環境の中で、受注が必ずしもできないケースもございます。
 こういった意味で、日本ならではの有意義な投資を整備計画立案といった川上から携わっていくには、要はネタ探しから入っていかなきゃいけないという、もうそういう思いでございます。
 そこで、今日のこのインフラシステムの海外展開の政策の必要性と意義につきまして、独立行政法人が一体参画する意義はどういうことなのかということ、このことを質問したいと思います。

発言情報

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発言者: 末松信介

speaker_id: 34239

日付: 2018-05-24

院: 参議院

会議名: 国土交通委員会