宇野和博の発言 (国民生活・経済に関する調査会)

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○参考人(宇野和博君) 筑波大学附属視覚特別支援学校の宇野和博と申します。
 本日は、このような場を与えていただき、ありがとうございます。
 今日は、視覚障害の現場から、また一人の視覚障害者として、格差をなくしていくために五点お話しさせていただきます。
 一点目は、弱視生徒の受験上の配慮に関する格差についてです。
 視覚に障害があっても、進路を切り開くために入学試験を突破していかなくてはなりません。一方、視覚に障害があると情報入手に困難が生じますので、どうしても文字の読み取りに時間が掛かります。よって、受験上の配慮として、時間延長が認められています。
 大学入試センター試験においても時間延長は認められていますが、それが認められる条件として、良い方の目の視力が〇・一五以下という基準があります。視覚障害の認定基準では、例えば〇・二の視力があっても、もう片方の目の視力が〇・〇二以下であれば視覚障害五級に該当します。また、盲学校の就学基準も、学校教育法施行令に規定がありますが、おおむね〇・三未満とされています。つまり、盲学校に在籍して障害者手帳を持っていても、視力が〇・一六以上あれば、試験において時間延長が受けられないという現実があります。
 実際の教育現場では、たとえ視力が〇・二あっても、視野などの関係でなかなかすらすら文字が読めないという弱視生徒は少なからずいるのが現実です。病院の眼科においても、視力〇・一以下の場合は小数点二桁まで測定していますが、〇・一から二・〇の間は小数点一桁までしか測定していません。よって、〇・一の視力の場合、果たして〇・一五以下なのか、〇・一六以上なのかは病院では分からないという実態もあります。
 大学入試センター試験の基準はその他の大学入試や高校入試にも大きな影響を与えていますので、合理的な基準、つまり盲学校の就学基準や視覚障害の認定基準にそろえていただきたいと考えています。
 また、試験時間の延長の幅についても格差があります。大学入試センター試験においては、点字は一・五倍、弱視は一・三倍と格差があります。一方、実用英語技能検定、いわゆる英検においては点字、弱視とも一・五倍が認められていますし、私どもの盲学校の入学試験においても点字と弱視の間に時間延長の差はありません。司法試験においても弱視に対して一・五倍が認められていますので、大学入試センター試験においても点字と同様に一・五倍の時間延長を認めていただきたいと考えています。
 次に、高等学校における拡大教科書の費用負担についてです。
 弱視児が必要とする拡大教科書につきましては、二〇〇八年に教科書バリアフリー法を制定していただき、その後、教科書出版社が義務教育段階の拡大教科書を発行するようになりましたので、弱視児は小中学校に在籍しても盲学校に在籍しても安定的に無償で拡大教科書が入手できるようになりました。
 しかし、義務教育段階ではない高等学校ではまだ課題が残っています。高額な拡大教科書を自己負担しなければならないという問題です。高校の拡大教科書を出版社が作るということはほとんどありませんので、事実上、ボランティアに製作を依頼します。ボランティアに製作を依頼したとしても、製作実費だけでも一教科数万円掛かってしまいます。全教科そろえるとなると数十万円に及びます。これが大きな負担となって、ある県では、保護者がこの額を知って拡大教科書の製作の依頼を諦めてしまったという事例も出ています。
 盲学校では就学奨励費制度がありますので、高額な拡大教科書や点字教科書は自己負担なく無償で給与されています。この就学奨励費制度は、二〇一二年度までは特別支援学校や特別支援学級だけが対象でしたが、二〇一三年度からは小中学校の通常の学級の障害児にも適用されるようになりました。しかし、このときも高等学校段階まで広げられることはありませんでした。
 国連障害者の権利条約は、障害がある子もない子も共に学ぶというインクルーシブ教育を推奨しています。また、この四月からは高校の通級指導の制度もスタートしています。言うまでもありませんが、日本国憲法には教育の機会均等や法の下の平等ということが書かれています。それから、今から十二年前になりますが、二〇〇六年、参議院文教科学委員会の附帯決議でも、高校段階の拡大教科書の自己負担の軽減について検討するよう決議がなされているところであります。
 是非、高校段階にも就学奨励費制度を適用していただき、せめて検定教科書と拡大教科書の価格差だけでも国又は自治体の予算で保障していただけますようお願いいたします。
 次に、障害者の読書環境の整備についてです。これはまさに、今、国会でマラケシュ条約の承認や著作権法の改正案が審議されている問題でもあります。
 私たちにとって紙の本は、著作権を制限されただけでは紙の束にすぎません。誰かに点字、音声、拡大にしてもらう必要があるわけです。そのことがマラケシュ条約の前文に書かれています。四枚目の資料の裏面を御覧いただけますでしょうか。条約の前文に、著作権法で著作権を制限しても、引き続き障害者が利用可能な著作物は不足している、利用可能な著作物を増やしていくためには相当の資源が必要であるということが書かれています。まさにこの理念を実現していくために、私は、国内の障害者のための読書環境を総合的に整備していく、仮に読書バリアフリー法というような法制度をお考えいただきたいと考えています。
 読書のバリアフリー化に必要なポイントは二つあります。一つは買う自由、もう一つは借りる権利を確立していただきたいということです。
 買うことについては、近年、スマホやタブレットで読み上げ可能な電子書籍も配信されていますし、本の後ろにテキスト請求券が付いていることもあります。しかし、これらの動きはまだ全体のごく一部にしかすぎません。利用可能なデータがあれば、私たちでも本の発売日当日に情報にアクセスすることができます。もっとも、これは著者や出版社にとっても私たちにとってもウイン・ウインのことですので、是非後押ししていただけるような施策をお願いしたいと思います。
 借りることにつきましては、図書館の役割が大きいと思います。これまで、主に視覚障害者のために点字図書館が整備され、大きな役割を果たしてきました。しかし、マラケシュ条約の批准に伴い、寝たきりや上肢に障害のある方々も受益者となります。ところが、この寝たきりや上肢に障害のある方々の読書を保障する機関、図書館がはっきりしません。私は、この解決策として、国立国会図書館関西館が核となり、全国の障害者が利用可能なデータを収集し、そしてさらに、公共図書館、学校図書館、大学図書館とネットワークをつなぐことが基礎的環境整備として必要なことだろうと考えています。
 また、これまで、主に視覚障害者のために録音図書が製作され、それはインターネット上のサピエという電子図書館にアップされています。ここにある七万タイトルの録音図書も、現在は国会図書館からは閲覧ができませんが、それらも国会図書館を通して全国の公共図書館等に提供できるような仕組みが必要だと思っています。
 ほかにも読書バリアフリーに資する施策はあると思いますが、それらをまとめて法制度につなげていっていただけますよう、お願いいたします。
 次に、障害者への差別や偏見をなくしていくための施策についてです。
 近年、国の文書の中にも心のバリアフリーという言葉を見かけるようになりました。これはハード面のバリアフリーと異なり、一朝一夕にできることではありません。場合によっては十年、二十年掛かるかもしれません。それでも、人の心の中に潜む差別や偏見というものをなくしていくためにはどうしていったらよいのか。
 一つ問題提起ですが、私は、行政用語の中にある特別支援教育又は特別支援学校の言葉の中にある特別という言葉がどうなのかなと疑問に感じています。現に、私どもの特別支援学校の卒業生には、卒業した後に自分の出身校の名前を言いたがらない卒業生もいます。また、日本では、障害者施策の理念として、ノーマライゼーションという言葉を使ってきました。特別、スペシャルというのはこのノーマライゼーションの理念にも反するのではないかと思います。
 資料の二枚目に全国の視覚障害特別支援学校の一覧がありますので、御覧ください。今でも盲学校の名前を使っている学校もたくさんありますし、視覚特別支援学校と改名した学校もあります。一方、札幌や宮城、大阪のように、視覚支援学校とし、あえて特別という言葉を学校名に盛り込んでいないところもあります。障害者への差別や偏見を助長しかねない特別という文言については見直していただきたいと考えております。
 障害者の障害という言葉にも様々な議論があります。障害の害という字に別の漢字を当てたり、平仮名で表記されることもあります。しかし、私は、そもそも障害という言葉がどうなのかなと疑問に感じています。といいますのは、日常的に障害という言葉は、システム障害とか交通障害というようにネガティブな意味で使われることが多いからです。また、健常者、障害者と言いますと、まるで国民を二分しているかのように聞こえてしまいます。
 アメリカではかつて、障害者のことをハンディキャップドピープルと呼んでいました。しかし、ピープルの前にハンディキャップド、これはまるでレッテルのようになるということで、最近、ピープル・ウイズ・ディスアビリティーという言葉も出てきています。まずは人なんだ、ピープルを前面に出し、そしてその後にウイズ・ディスアビリティー、障害があるということを付加しています。
 日本語は言語の構造上同じようなことはできませんが、災害時の避難行動においては要支援者とか要援護者という言葉も使われています。よくよく考えてみると、人は生きていく中で誰もが助け合っている、お互いに支援し合っているとも言えるわけです。障害を個性や差異、生きていくための条件と捉え、様々な多様性を包摂できるような理念、用語をお考えいただければというふうに思います。
 最後に、ホーム転落事故の対策についてです。
 私どもの盲学校の生徒でも通学途中にホームから転落したこともあります。また、一昨年八月には、銀座線青山一丁目駅で盲導犬を連れた視覚障害男性がホームから転落し、大きな社会問題となりました。その後も視覚障害者のホーム転落事故は相次ぎ、東京や大阪で四人の命が失われています。
 どうしたら事故は防げるのでしょうか。最善の策はホームドアです。国土交通省によると、二〇二〇年度において全国の八百八十二の駅でホームドアが整備されるとのことです。しかし、全国には駅はおよそ一万あります。一日の利用客三千人以上の駅に絞ったとしても三千五百、一万人以上としても二千百の駅があります。八百八十二と比べると、半分以下です。
 ここで考えなくてはいけないのは、たとえホームドアがなくてもホームから転落しないようにするにはどうしたらよいのかということです。
 国土交通省は警告ブロックの内側に内方線を敷設することを進めていますが、残念ながら、現実には内方線があるホームでも転落事故は起こっています。駅員による声掛けや見守りも推奨されていますが、全国の無人駅の数は四千四百を超え、年々増えています。駅員がいる駅においても、朝のラッシュ時にしかホームに出場していないということもあります。
 ここで、資料三、三枚目の写真を御覧いただけますでしょうか。
 一番上の写真は、ホームの中央に誘導ブロックが引かれています。この誘導ブロックがあれば視覚障害者もホームの中央を歩いていくことができますので、安全で理想的なデザインと言えます。しかし、実はこのデザインは国土交通省のガイドラインに違反しています。国土交通省が求めている誘導ブロックというのは、真ん中の写真にあるように、最短経路により敷設する、よって、最も近くの車両のドアに誘導しているのがガイドラインです。
 これは、乗る駅と降りる駅でドアが一致していればよいのですが、実際にはそうでないことが多々あります。よって、自分が便利なドアまでホーム上を移動することになります。しかし、このときに何を頼りにするかというと、ホームの端にある警告ブロックです。本来、警告ブロックは止まれを意味するものであって、それに沿って歩くものではありません。ホームの端から八十センチから一メートルのところに敷設されていますので、数歩間違えれば転落するという危険な場所にあります。
 過去の調査で、ホーム転落の七三%は慣れた駅で起こっているという結果があります。なぜ慣れた駅でも事故が起こるのか。視覚障害者は、つえの先や足裏から伝わってくる情報、耳からの聴覚情報で頭の中に地図を描きます。しかし、どうしても人間ですので、錯覚や誤認識ということが起こり得ます。しかし、私は、たとえ錯覚や誤認識、ヒューマンエラーがあっても、これがヒヤリ・ハットとならない、事故につながらないようなホームのデザインを考えていただきたいと思っています。具体的には、一番上の写真にあるように、ホームの中央に動線を確保していただきたいと思っています。
 写真の一番下は、現に事故のあった蕨駅と青山一丁目駅の写真です。警告ブロックのすぐ脇に柱があるのがお分かりいただけるかと思います。また、視覚障害者は、人ともぶつからないようにするために、時に警告ブロックの外側を歩くこともあります。これはヒヤリ・ハットであると思っています。この誘導ブロックを敷設することは、ホームドアを設置するように数億円掛かることではありません。恐らく数十万円でできることであります。
 ちょうど今の国会でバリアフリー法の改正案が審議されると伺っています。東京オリンピック・パラリンピックに向け、これ以上犠牲者が出ないことを願いつつ、私の話を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 宇野和博

speaker_id: 31316

日付: 2018-04-11

院: 参議院

会議名: 国民生活・経済に関する調査会