佐藤大介の発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○参考人(佐藤大介君) NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク事務局長を務めております東北大学災害科学国際研究所准教授の佐藤大介です。
 本日は、お招きいただき、ありがとうございます。また、この間、東日本大震災被災地の復旧復興に御尽力いただいておりますことに、被災地住民の一人として感謝申し上げます。
 私たちの団体の概要についてはお手元の配付資料のスライド一ページ目を御覧ください。平成十五年七月二十六日に発生した宮城県北部での連続地震をきっかけに発足いたしました。地域の古文書資料を災害その他の消滅の危機から守る活動に参加しています。活動を通じて、資料を守ることはもちろん、地域住民や行政とのネットワークづくり、さらには歴史資料を生かした地域づくりへの取組も行っております。
 本日は、東日本大震災で被災した古文書資料の救済の現状と課題及び今後の復興における可能性についてお話しさせていただきます。余りなじみのない分野ですので、日本列島に残る古文書の意味という前提のお話をしてから、震災後の活動についてお話しさせていただきたいと思います。
 スライド二ページ目は、かつての江戸時代の仙台藩領、これは今の宮城県全域及び岩手県の南部に相当するわけですが、その旧家二軒に残された古文書の保管状態を映したものです。日本の江戸時代に当たる十六世紀から十九世紀中頃までに作成され、今も各地の地域社会に残る古文書の質量は圧倒的なものであって、私はこれを知られざる世界記憶遺産などと呼んでおるのですが、実は、スライド三でも示しましたが、地域社会にこれほどの古文書が残っている国や地域は実はほかにはないのです。
 参考をスライドの三枚目に示しましたが、推計二十億点という試算もあります。これ、一都道府県当たり四千二百五十万点ということになります。参考までに、宮城県の博物館など公的施設に収められている古文書は大体二十万点ほどという、私の方で計算しましたが、それから比べればいかに膨大な史料が手付かずのまま残されているか、御理解いただけるかと存じます。
 これほどの史料が残っているのは、日本の社会が文書のやり取りを前提にして政治や社会を運営していたこと、それから、それに加えて庶民たちが自らの生活を豊かにするために文書や文字を使いこなしたという、そういう歴史的な経緯によるものです。つまり、残っていること自体が日本の歴史、文化的な特徴のあかしであるということになります。
 このような史料を収蔵する公的機関は当然あるわけですが、例えば市町村当たりの文書館の設置数は千六百三十八自治体中三十八自治体であります。それから、自治体の予算や専門職員の不足もあり、大半の古文書には公的な保護が行き届いておりません。
 スライド四ですけれども、地域社会では所蔵者や地域住民により自主的にそれらを継承する仕組みと、公的な財産であるという価値観が継承されてきました。しかし、戦後以来の社会の変化、価値観の変化に伴い、古文書を守り伝える仕組みや意識は急速に薄れています。
 この状況を加速させるのが巨大災害であります。災害による古文書自体の被災や保管場所が被災、例えば旧家の土蔵ですとかそういうことが失われることによって、もはや所蔵者や地域で古文書を継承し続けるのは困難な状況が広く起こり、地元の歴史資料は廃棄という形で一挙に失われるということになるわけです。
 このような問題、スライド五になりますが、このような問題が自覚されるきっかけになったのは、平成七年一月十七日の阪神・淡路大震災でした。その被災地での救出活動をきっかけに、各地で災害が起こるたびに歴史関係者を中心に市民や行政と連携して、被災した歴史資料の救出や失われつつある地域の歴史資料を守ろうとする史料ネットワークが各地にできています。現在、十九の団体が活動しておりますが、今次の西日本豪雨で被災した岡山県と愛媛県でも既にそれぞれの史料ネットが救出活動に入っております。それから、広島県も、活動が中断しておりましたが、史料ネットが再興されて救済に、対応に当たるということを伺っています。
 スライド六、七に行きますが、二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災では、多数の人命、財産、かけがえのないふるさとの風景とともに、各地の歴史的な歩みを証する無数の古文書も失われました。完全な所在の調査というのが行われていませんので、被災地でどれほどの史料が失われたのか知るすべはありません。無数と言わざるを得ません。
 スライド六、七は、一九九九年から二〇一〇年まで、宮城県北上町、現在の石巻市北上町の町史編さん事業で調査した旧家の事例です。古文書が収められていた土蔵は津波で跡形もなく消滅いたしました。北上町史で調査した旧家十三軒のうち七軒、約一万五千点の古文書が津波で消滅しましたが、震災前に撮影した画像は残りました。災害前に防災のためにこういう古文書の調査を行っていくことの重要性を示す最も悲しい実証となってしまいました。
 一方、津波で被災しながら辛うじて消滅を免れた地域の歴史資料について、宮城では私ども宮城資料ネットが、先ほど示しました各地の史料ネットワークや市民ボランティア、また文化庁による文化財レスキュー事業というものが立ち上がりまして、それと相互に連携しながら救出活動を行いました。
 スライド九は、平成二十三年四月八日に実施した石巻市の本間家でのレスキューの様子です。江戸時代から石巻で海運や醸造業を営んできた旧家で、周辺の住宅が津波で押し潰される中、この土蔵のみが奇跡的に倒壊を免れました。
 スライド十ですが、被災した史料は仙台など安全な場所に一時搬出し、その後、津波で海水や泥をかぶった史料への応急処置を施します。どういうことをやるかというと、本当に紙を真水で洗うという、そういう作業などを繰り返して、ひたすら行っていくということになります。
 スライド十一が、私どもが震災発生後から対応した活動の範囲と件数を表したものですが、百件を超える所蔵者から約十万点の文書を救出し、一時保管をしています。震災から七年以上経過した現在でも復興事業に伴う家屋解体などに伴う救出依頼が散発的に続いております。
 今後の課題、スライドの十二に示しましたが、震災から七年以上が経過しましたが、活動に終わりは見えません。
 一方、今後の復興への取組に古文書を活用していくということも含め、多くの課題が残されております。実は、初動の一時搬出もまだ続いています。散発的な事案、宮城や茨城などでも同様で、これは復興事業の進展に伴う家屋の解体というのが進んでおりますので、そうしたことによるものです。福島では原子力災害がございまして、その被災地での活動がようやく途に就いたばかりという、そういう状況であります。
 第二に、救出した史料を今後中長期的に保存し、受け継いでいくための先行きは不安です。
 約十万点の史料を救出、処置しましたが、多くの被災史料は大学や自治体が用意した保管場所に一時的に置いてあるだけです。所蔵者が土蔵を再建したり、個人で保管場所を用意するというのは難しいわけです。ここはもう公的な支援をお願いしたいところですが、博物館は平時において収蔵品の保管場所がもうないという状態もありますし、さらに被災自治体には元々そういう公的施設がないという自治体も多いという、そういう現状がございます。また、応急処置はもうあくまで当座の危機をしのいだだけですので、物理的に安定した形で中長期に保存するには本格的な修復、修理が必要となる場合も多数あり、そこには経費が当然必要になってきます。
 最後に、史料を復興に活用していくには救出した史料の調査研究が必須です。その専門的な知識を持った人員というのは市民ボランティアに比しても圧倒的に不足しておりまして、もう本当に長期間地域に根差して継続して取り組む専門知識を持った人員の配置が不可欠だというふうに考えております。
 では、そういう巨大災害においてそうした古文書や歴史資料を救うということにどんな意味があるのかということを最後に御紹介したいと思います。
 一つは、スライドの十三から十五までお示ししました。これは、震災後に津波や地震を古文書から復元するということで、報道など御覧になった先生方も多いと思うのですが、私自身は江戸時代の飢饉の研究をしておりまして、気象現象の復元ということで、西暦一八三六年八月に宮城県を襲った台風の進路の復元と被害状況を古文書から復元したものであります。
 台風の進路の復元などは、全国にある多数の古文書記録を調査することで、日本だと恐らく百年分の、江戸時代に限って百年分の進路の復元などができると思いまして、これは太平洋高気圧の勢力など当時の地球環境を明らかにするというそういうことにつながる活動です。これは実はむしろ海外の研究者には注目をされているという現実がありますが、古文書の可能性というのはもちろん災害の歴史を調べ、これはもう災害対策の基本だと私どもは思っているのですが、それだけにとどまるものでは、災害という一分野にとどまるものではございません。
 スライド十六、これは市民ボランティアの活動の様子でございます。もう本当に無償ボランティアでございまして、退職者や高齢者の方に支えていただいているという状況です。
 昨年一年も三百三十三人の延べの協力者を得ているのでありますが、参加した方の声として、力仕事はできないし、車がないので津波被災地でのボランティアも参加できず、まあ仙台の方ですけれども、被災地にいながら被災者ではないということに後ろめたさを感じていたというそういう女性が、とにかく何か人のためになる、そういう場を与えてもらったということを述べております。また、日常的にそういう古文書、歴史資料に触れることにより、参加者が歴史への興味を高め、ボランティアを対象とした古文書解読の講座といいますか、ボランティアの方が自分たちで教えてくださいと言ってきて、その古文書の講座を、サークルを開いたり、歴史探訪、史跡探訪の会などを開かれるようになっております。そういう対応が高齢者にとっての災害ボランティアを通じた社会参加の場ともなり、心理的な回復をも促しているということになります。
 スライド十七ですが、被災地の古文書保全活動には大学生も多数参加しております。
 このスライド十七の宮城県丸森町の事例では、五年で六十名ほどの学生が参加して、古文書の調査、それから年度末一回展示会をやりまして、町内外から毎回百名前後が来場しています。丸森町も原発の放射性物質の被害ですとか、その風評被害に苦しんでおるところで、こうした歴史の掘り起こしが復興支援でもあり、また地域の活性化につながるのではないかと考えております。学生四名ほどが自治体学芸員や自治体の文化財担当官に就職しましたが、今次の文化財保護法改正で求められている地域の歴史、文化を活用できる人員を育てるという、そういう役割も果たしておるということになります。
 最後に、被災地、被災者にとっての意味でございますけれども、スライド十八は、そのレスキューを行った石巻の本間家土蔵が地域の交流拠点として再生したという事例です。
 明治三十八年、一九〇五年に建てられた土蔵については、一度解体を所有者が決断しましたが、建築調査や地元内外の支援によって保存が実現し、現在では、各種の行事の拠点、結婚式を挙げたりとか、そのボランティアの方が挙げたりとか、中は史料館として救出した古文書や震災後の資料が活用されています。こちらには現在、三年で二千人ほど訪れているということですが、震災前後の歴史を語りつなぎ、人々が交流する場となっております。
 被災者にとっての古文書やふるさとの歴史、レスキューを契機に、古文書が語るふるさとの歴史を通じて、自分が生きる意味や価値を見出したとか、歴史を知って地域の発展に活動していこうという前向きな反応が寄せられています。これは、古文書の語る歴史が精神的に打ちひしがれた人の心理的回復を促し、さらに、そこから立ち上がっていこうというレジリエンスを涵養させられるという可能性を示すものでして、この点については、今、臨床心理学者との共同研究で研究しており、間もなく論文も公表される予定になっております。
 被災地では、今後、心の復興が求められる段階だと考えられます。被災者からは、建物の復興だけではなくて、歴史や文化の復興についても大事にしてもらいたいといった声も寄せられております。残って再建に取り組む人々、やむなくそこを去る人にとって、ふるさとの歴史は大きな歴史を果たすと考えております。もちろん、人命や社会基盤の整備といった優先順位というものがあると存じますが、こういう歴史、文化の再生、復興が軽んじられていいとは私は思いません。まさに人間が人間であるその根本がそういう歴史や文化であるというふうに考えております。
 今後、多数の課題がございますが、是非そうした公的な支援というものもお願いしたいということを申し上げまして、私からの意見陳述を終わります。
 御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 佐藤大介

speaker_id: 19412

日付: 2018-07-11

院: 参議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会