熊本美彌子の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(熊本美彌子君) 避難の協同センターの世話人、熊本と申します。
私は、原発事故で、田舎暮らしをしていた福島県田村市から東京に避難しました。私の福島の家は原発から三十・五キロのところにあります。二〇一一年の九月末まで緊急時避難準備区域とされて、除染も済んだとされているところですけれども、二〇一五年十二月に玄関先三メートルのところの土の放射性セシウムの量を測りましたら平米当たり八万ベクレルありました。これは、放射線管理区域の基準が平米当たり四万ベクレルなので、二倍の量です。
除染されたのですけれども、有機農業、無農薬で栽培をして豊かな土にしていたのですけれども、その土を剥いでしまって砂を入れられたので、それから有機農業をするという、そういう希望がなくなりました。
阿武隈山地の山中ですので、除染をしていない林からガンマ線が飛んできて、私の土地は除染してあっても一メートル高さの方が一センチ高さよりも高いところがあります。例えば、一メートル高さのところで一時間当たり〇・四六マイクロシーベルト、一センチ高さのところでは〇・三六マイクロシーベルトというふうになっております。
それから、田村市の基準では屋根は除染していないので、二階の寝室は一時間当たり〇・三六マイクロシーベルトです。二階のベランダから一階の屋根を測りましたら、一時間当たり〇・六〇マイクロシーベルトでした。除染の基準は一時間当たり〇・二三マイクロシーベルトとされております。
放射性物質は公平に飛散したのではありません。二十キロ、三十キロのところで放射能の雲はとどまりませんでした。それから、県境でとどまったわけでもありません。あちこちにホットスポットが存在しております。線を引くということの不合理性というのを政治は認識すべきではないかというふうに思っております。
昨年度、帰宅困難区域を除く避難指示区域が次々と解除されました。避難指示は、年間ですが、二十ミリシーベルトを超えるから避難しろということだったのですが、解除は二十ミリシーベルトを下回るからということでした。これはICRP二〇〇七年勧告に基づくというふうに説明されています。つまり、二十ミリシーベルト以下ならば健康に害が出ないと、それが証明されたからではありません。
二十ミリシーベルトという数字は、科学、サイエンスの問題ではなく政治の問題だと思います。政治の問題であるならば、当事者たちの意見を聞く、当事者たちが納得できる仕組みをつくることが前提になければならないと思います。しかし、私たち当事者が意見を聞かれることはありませんでした。この場は七年ぶりの参考人招致だそうですけれども、このまれな機会にお呼びいただきまして意見を言わせていただくのは大変有り難いと思っております。しかし同時に、意見は聞きましたという形だけになるのではないかということを危惧しております。
避難指示の解除の説明会もそうでした。当事者たちは納得していません。区域外避難者の住宅打切りは昨年三月末でしたが、この決定は福島県知事が決めたことで、県議会で検討、議決されたわけではありません。国会でも何もなされませんでした。
生活の基本は住まいです。住まいが安定することが大切だと思います。原発事故で避難した人は全国で十六万人、県外に避難した人は十万人を超えると言われています。住まいは災害救助法によって提供されました。県外は全て建設型仮設ではなくて恒久的な建物だったのですけれども、みなし仮設とされて、二年経過後は一年たびの更新でした。そして、二〇一七年三月で打切りを福島県知事が決めたのです。理由は、応急救助の時期を過ぎたからだということでした。でも、原子力災害は長い時間が掛かる災害です。大量に放出された放射性セシウム137の半減期は三十年です。事故から六年で消えるものではありません。
原発事故後、全国会議員の賛成で成立した子ども・被災者支援法という法律があります。皆様のお手元にお配りしてあります資料の最後のページにその被災者支援法の条文が書かれております。七ですね。放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分解明されていない、国がこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任について明記し、居住、避難、帰還の選択を被災者が自らの意思で行うことができるよう、医療、移動、移動先における住宅の確保、就業、保養などを国が支援するというふうに書かれておる法律です。住宅の確保は国が支援すると定めてあるということは、これは国の責務であるということですよね。しかし、対応はなされませんでした。
打切り後の実態調査を福島県に対して、被害者の団体、三つの団体が共同して、きちんと調査をするように、実態調査をするようにという要請を昨年から何度も何度もしておりますけれども、福島県は一度もそれに応じてくれていません。
福島県がやらないのに、ほかの自治体がその調査をやっています。例えば、新潟県では、全国の自治体に、民間賃貸住宅に入っていた区域外避難者が打切り後どこに生活しているのかという調査をしました。これは皆様のお手元にある資料の一番最初のページに書かれてある円グラフです。すると、七九%が福島に帰らずに避難を継続しています。帰ったのは一七%です。東京都も、みなし仮設として提供していた都営住宅の入居者が一七年四月以降どこに生活をしているのか調べました。その結果、都内に引き続き生活している世帯が約七〇%ありました。
放射線の健康被害というのは、低線量だと、例えば累積で十ミリシーベルトに達すると〇・〇五五%のがん死になる、しかし喫煙などほかの要因に隠れてしまうほど小さいとICRP二〇〇七年勧告は言います。しかし、自発的な喫煙と自発性などない、便益など全くない私たちが浴びた放射線、その被曝を自発性のあるものと同列に置くという比較については、私ども避難者は納得できないと思います。
山形の避難者から聞いたことがあるんですけれども、避難はお父さんとお母さんで決めたよね、だけど帰るときは自分たち子供の意見も聞いてよねって母親が言われたというんですね。だから、事故から七年もたって、子供たちにとっては避難先がふるさとになっているということだと思います。このような実態からすれば、帰還政策というのは綻び出していると言えるのではないでしょうか。
私たち避難の協同センターは、三月末から区域外避難者の方々にヒアリングを行っています。東京都内で二回、それから新潟県、昨日は福島県でやりました。
昨日の川俣町山木屋の人は、千二百名の人がいたけれども、帰ったのは三百十人だと。みんな後期高齢者、七十五歳以上の人で、二十代や三十代の人は一人も帰っていない。自分も、家族が大家族で生活していたのに、今は四つに分かれている、放射能から逃れることができない生活だと。この苦労を何で自分たちがしなければならないのか、いつになったら平穏に暮らせるんだろうかと言いました。それから、一度避難して戻った母親も、安心した暮らしがしたいのにと涙ぐみました。
新潟では、公的住宅になかなか入れない。民間賃貸住宅に入っているけれども、来年度から福島県の家賃補助がなくなってしまう。そうすると、収入が十万円減っているのでとても不安だと訴えました。そして、子供が障害を持っていて医療費が掛かるので、自分が体調が悪くても医者に行くのを我慢してしまうんだと言いました。
東京では、国家公務員宿舎に福島県と契約して入居している人が、住まいと駐車場で一万円近い値上げを四月の二日になって通告されました。この契約をすると、来年三月で出なければならない、出ていかないと使用料の二倍が請求される。しかし、都営住宅に応募してもなかなか当選できない。一体どうしたらいいのかと言いました。
そこで、私たち避難の協同センターでは、今まで二回、今年に入ってからですが、二回、復興庁、財務省、国交省、福島県に来ていただいて交渉する場を持ちました。しかし、まだ解決に至っていません。私たちが把握している区域外避難者の実情と政府、福島県の認識がずれているということを実感しています。今ある問題をきちんと捉えて真摯に対応していただきたいと思います。区域内避難者も、来年三月で住宅の無償提供を打ち切られるのではないかと恐れています。区域内の人は賠償を受け取っていると言われますけれども、元々賃貸に住んでいらした方は賠償を受け取っておりません。
資料の一ページの一の括弧三に精神的なダメージの問題が書いてありますけれども、身体的、精神的に問題を抱えている人々も多くいます。子ども・被災者支援法の理念に立ち返り、被害者の人権を守る取組を国会議員の皆様にお願いいたします。
具体的には、資料の六にあります。
六、避難の協同センターからの提起。一、区域外避難者が安心して生活できる居住の保障をしてください。二、民間賃貸家賃補助の継続をしてください。三、希望する避難者の公営住宅特定入居を対象としてください。これは優先入居だと非常に外れる人が多いので、優先入居ではない形で入居させてくださいということです。それから、四番は、安心して生活できる居住の保障が実現するまで国家公務員住宅の継続居住期間の延長をお願いしますということです。皆様、よろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。