森松明希子の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
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○参考人(森松明希子君) 森松明希子と申します。
発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。同時に、これまで七年間、全国に散らばる被災者、避難者の御支援に心より感謝申し上げます。
私の避難先の大阪では、先日、大阪府北部地震に見舞われまして、さらには、その一週間後には、西日本全域が大水害に遭い、多くの方々の大切な命が失われてしまいました。哀悼の意をささげますとともに、被災された皆様方におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。被災されている皆様方が平穏な日常の暮らしを取り戻されますよう心から願っています。
私は、東京電力福島第一原発事故から二か月後の二〇一一年五月、ゴールデンウイークの大型連休をきっかけに福島県郡山市から大阪府大阪市に避難をすることになりました。現在、子供たちは二人いますが、大阪市に避難をしています。いわゆる母子避難です。夫は今も福島県郡山市で原発事故前と同じ職場で働き、家族の避難生活を支えています。夫が福島県郡山市に残っているのは、国が指定した強制避難区域に該当しないからです。
ゼロ歳で大阪に連れてきた私の娘は七歳になりました。ゼロ歳のときから父親と一緒に暮らすという生活を知りません。娘の年齢が避難生活の年数と重なります。三歳のときに避難した上の息子も同様に、七年間で随分の苦労を重ねたと思います。二人の子供たちは、福島県民でありながら大阪の小学校に入学をさせていただき、現在は小学二年と五年生になりました。子供たちの父親である私の夫は、そんな二人の子供の日々の成長をそばで見ることができないこの七年間を過ごしてまいりました。
本日、この場で私が最も伝えたいことをお話ししたいと思います。
多くの人たちが、自分の身が危険に直面したら逃げることは当然で、逃げることは簡単にできると思い込み過ぎていると私は思います。でも、東日本大震災、その直後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を経験して、そんな当たり前のことができない社会的状況があることを私は身をもって知りました。そして、全ての国民が現在進行形でそれを目撃し続けていると思うのです。
火事が起きれば、人は熱いから逃げ出します。地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に上って走って逃げます。津波てんでんこという教訓化された言葉によって、どれほどの尊い命が救われたでしょうか。
他方、原子力災害はこれらの自然災害とは異なり、明らかに人災です。漏れ出てくるものは放射能です。放射能は色もありません、においもありません。低線量であれば痛くもかゆくもなく、人間の五感で感じることはできません。
そのような原子力災害、放射能災害がもたらす核被害について、私たち市民社会は、被害の実態をきちんと把握し共有できた七年間だったのでしょうか。放射能てんでんこを教訓としてきたでしょうか。むしろ、逃げずに復興、オール福島、頑張ろう東北、きずなというきれいで美しい言葉に覆い隠され、放射能汚染、被曝という核災害と正面から向き合ってこなかったのではないでしょうか。
原子力を国策として進めている国が、そして原子力産業により莫大な利益を得ている巨大企業である東京電力が、きちんと責任を持って放射線を管理し、管理できない状態になれば速やかにそれを人々に知らせ、状況をつぶさに隠蔽せず公表し、汚染状況を詳細に周知徹底し、環境汚染や人の健康についての危険については警鐘を鳴らし、適切な避難の指示や勧告を行い、そして制度と保障を行わなければ、一般の人々は自分の命の安全を確保することは困難です。ただ逃げるという選択すら容易ではないのです。
福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた人々というのは、国際社会が指摘するとおり、国内避難民に該当します。それは、県境や行政区画で線引きされた強制避難区域とそれ以外とを問いません。国連の国内強制移動に関する指導原則、GPIDと言ったり、国内避難民に関する指導原則とも呼ばれていますが、二〇一七年の国連人権理事会の普遍的定期的人権状況の審査において、原発事故関連について、日本は四か国からの勧告を受けました。そして、日本政府はそれを受け入れ、同意し、フォローアップすると返答をしています。同原則によれば、望まぬ帰還の強要は許されず、また、健康を享受する権利についても警鐘が鳴らされています。
これら国際社会からの指摘に対し、個人の尊厳、基本的人権の尊重をベースに、国家の災害国内避難民に対する保護義務の履行として、国際的視野と視点を持って、どうか国会議員の先生方には真摯に想像力を持って被災者の声に耳を傾けていただきたいと思います。
母子避難を決心するまでの私の二か月間というものは、地震直後の福島での混乱の中、パニックを起こさないように、ただひたすら、収束するから、復興、頑張ろう東北との言葉を信じて、とても違和感のある生活に耐えていました。健康に直ちに影響はございませんと繰り返すばかりの当時の報道とは裏腹に、子供たちを一切公園には出さず、長袖長ズボンで、外出時はマスクを着用させていました。外遊びをさせない、洗濯物を外に干さない、窓を開けない、このようなことが当たり前になっていき、とても普通の暮らしを送ることができる状況ではありませんでした。週末が来れば、家族で車に乗り込み、隣の県の山形県や新潟県まで高速道路をひたすら走り、普通の町中にあるようなブランコとか滑り台があるだけの公園を見付けて、小一時間ほどそこに三歳児の息子を降ろして遊ばせるのです。で、また何時間も掛けて福島に戻ってくる、そんなおかしな生活を続けていました。
私の住んでいた郡山市は、福島第一原子力発電所からは六十キロメートルほど離れていますが、当時は同心円状に避難指示、屋内退避命令が広げられていき、徐々に放射能汚染地域が広がっていく恐怖におびえる毎日でした。それでも、国はより危険な地域から順次人を避難させてくれるものだと私は信じていました。
私が一番衝撃を受けた出来事は、避難所で、福島の避難所です、原発事故から一か月近くたとうとする頃、テレビのニュースで、東京の金町浄水場の水道水から放射性物質が検出されたとの報道でした。福島第一原発から二百キロメートルも離れている東京で放射性物質が検出されて、六十キロメートルの郡山の水が汚染されていないはずはありません。実際、翌日には、福島市や郡山市などの水も汚染されていると報じられました。
しかし、報道がなされても、地域住民全てにペットボトルの水が行政から配られるわけではないのです。この国の多くの人が、福島第一原子力発電所の事故により水道水が放射能により汚染されたという事実は知っています。しかし、私たち周辺地域の住民が、放射性物質が直ちに、たとえ直ちに影響はない程度であるとはいえ、放射性物質が検出された水を飲まざるを得ない状況に追い込まれ、それを飲むという苦渋の決断をしたということは知られていません。また、その水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという過酷な決断を迫られたことも知られていません。
あのとき、どれだけの放射線を浴びたのかも分からない上、私たちは汚染された水を飲み、たとえ直ちに影響はなかったとしても、一生涯自分や子供たちに出てくるかもしれない健康被害の可能性と向き合っていかなければならないという現実がここにあるのです。それは、不安とか心配とか、そのような軽微な形容で表現されるものではありません。私たちは、被曝という事実、それから被曝による健康影響という恐怖とあの日から向き合わされ続けているというのも一つの事実なのです。
避難して初めの一年間は、いつ福島に戻れるか、いつになったら家族四人でまた再び一緒に暮らせるのか、そればかりを考えていました。これほど長期にわたり見通しの立たない避難生活を送り続けることになるとは、避難した当初は考えてもいませんでした。避難生活は、苦痛以外の何物でもありません。ですが、七年たち、次々と明らかになっていく客観的事実から考えれば、子供の健康被害のリスクを高めることになるという、戻る、帰還という選択は、少なくとも今の私には考えられません。
当然のことながら、放射能汚染は強制避難区域や福島県境などの行政区域で止まるわけではありません。風向きや降雨、地形などによってホットスポットが避難元には至る所に点在することが分かっています。七年たった今でも、私の避難元には、自宅の目の前に除染で出た放射能の袋詰めのフレコンバッグが何百個も並んでいます。その環境に幼い我が子を戻そうとは私には考えられません。それと同時に、そのフレコンバッグを目の前にして、同じように、この国では、同じ母親が、子供が、人々が暮らしているという現実にどれだけの方々が思いをはせ、対策を講じた事実がこの七年間であったでしょうか。
七年前、震災直後から、長崎から放射線の専門家という方が福島にやってきて、にこにこ笑っていれば大丈夫と触れて回りました。鼻血は放射能を心配し過ぎるお母さんの気のせいです、小児甲状腺がんは百万人に一人か二人とかしかならない希有な病気ですから、チェルノブイリの事故と福島の事故は違うのだ、避難をするなんて神経質過ぎる、ナーバスだという風潮が次々につくり上げられていきました。ですが、七年たって、百万人に一人か二人しかならないはずの小児甲状腺がんは、福島県内の十八歳未満の子供たち、子供たちは百万人もいません、三十七万人近くしかいませんが、を調べただけでも、年々増加し、現在二百人を超える人たちにがん又はがんの疑いと多発しています。
日本国憲法の前文には、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると書かれています。私は、東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、放射線被曝の恐怖から免れ、平和のうちに生存していると思えたことは一日たりともありません。あの日、福島の空気を吸い、福島の水を飲んだ私たちにとって、被曝は現実の恐怖以外の何物でもなく、避難できたからそれで終わりではないのです。私たちはずっと、この被曝という事実とその恐怖を抱えたまま、健康被害が発症しないことを祈ることしかできないのです。それは具体的に言うと、健康調査を丁寧に追跡していき、いつでも医療機関にアクセスできるという、そういう制度が保障されているという意味です。
子供たちに甲状腺の検査を受けさせるたび、胸が押し潰される思いがします。検査結果の通知を開封するたび、手は震えます。それは、避難しているお母さんも外に出たお母さんも同じだと私は思います。だからこそ、原子力災害による被曝という命や健康に関わる事実からは目をそらすことなく、経過をより慎重に、これ以上の無用な被曝をできる限り避けるという被曝防護の対策を実施し、健康被害のリスクを少しでも取り除く努力が必要なのではないでしょうか。
私は、子供の命や健康、そして未来を守るために、ただ避難を続けたいだけなのです。それは、避難という選択が放射線被曝から最も直接的に身を守る行為だからです。たとえ圧倒的多数の人が避難するという選択肢を選ばなかったとしても、無用な被曝に対して絶対的に被曝を拒否する権利は一人一人にあるはずです。その選択をすることによって尊厳が踏みにじられることもあってはならないと私は考えます。
放射能は目に見えません。でも、少なくとも、全国四十七都道府県に実在する避難者の存在、国際社会はこれを国内避難民と認識していますが、その存在は誰の目にも見えているはずです。たとえ正確な避難者の人数が調べられもせず、実態が把握もされていなかったとしても、避難をした人々の存在そのものが福島事故による放射能被害を見える形で映し出しているのです。
何度でも繰り返します。避難の権利、すなわち、放射線被曝から免れ、健康を享受する権利は、人の命や健康に関わる最も大切な基本的人権にほかなりません。誰にでもひとしく認められなければいけない権利です。そして、これは避難した人たちだけの正当性を主張するものでもないのです。少しも被曝をしたくないと思うことは、人として当然であり、誰もが平等に認められるべきだと私は思います。また、これから先、将来のある子供たちに健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは親として当然の心理であり、子供の健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。そこに、一点の曇りもなく放射線被曝の恐怖があってはならないと思うのです。
たまたま運よく条件が、様々な条件に恵まれた人たちだけが被曝から遠ざかることができたというようなことで本当によいのでしょうか。今、次々になされる施策、法律で定められている年間一ミリシーベルトを超える放射線量が確認されても、そして将来にわたる累積被曝量には目を向けることなく、強制避難区域をどんどんと解除し、人を戻す、帰還させるという政策にだけ心血を注いでいるように見えます。他方で、避難者にとっての命綱である支援住宅の打切りなど、これらの非道な施策により、幼い子供の被曝量を少しでも避け、避難を続けていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということは、極めて不均衡かつ不平等だと私は思います。
そもそも、避難するという選択肢を選び、安心して避難を続けるという道筋が示される制度は、この七年間、七年以上経過しても何一つ確立されていません。原発事故当初から避難したくてもできない世帯もまた苦しんでいるという事実、その声はいずれの施策や制度に反映されているのでしょうか。放射線量の高い地域にとどまり、日々放射線と向き合う暮らしに対して、いつからでも被曝を回避し、被曝からの防護の手段を講じるような施策や制度は実施されたのでしょうか。例えば、保養の制度は、チェルノブイリ原発事故の場合は国策で実施されていますが、日本ではどうでしょうか。
モニタリングポストというものは、目に見えない放射能を数値化して見える化し、被曝防護の視点からも自身が被曝量を知る権利というものに資するものですが、それを撤去するという動きは、人権擁護の観点からも逆行をしていると指摘できます。
一方で、避難という選択をした人たちも、また国内避難民として、国家の人権に基づく保護の対象であることに変わりありません。原子力災害が一たび起きたときに、現実に存在する国内避難民が、存在するのになかったものとして扱われるということは、翻って言うならば、次また原子力発電所を持っているこの国で原子力災害が起きたときに、何の被曝防護の策も取られることなく保護も救済もなされないということとそれは同じであり、それはひいては国民の権利が将来にわたって侵害されることになると私は危惧しています。
最後に、特に、人は、ひとしく自らの命を守り、健康を享受する権利があるはずです。そして、特に被曝に対して脆弱な子供たちにとっては、その子供たちの未来と健康を最優先に考えてほしいと私は思います。子供たちはこの国の未来です。国会議員の先生方、人の命や健康よりも大切にされなければならないものはほかにあるのでしょうか。私は、放射線被曝から免れ、命を守る行為が原則であると考えます。
原発避難を続けながら、今回の大阪の地震そして災害で、地震、洪水のために更に避難をするという過酷な状況に置かれている原発国内避難民の方もおられます。この災害大国日本で、災害はいつ何度でも、誰の身の上にも起こり得ることです。国内避難民に関する指導原則に対応する立法は、原発事故被害者だけを対象にするものだけではなく、あらゆる自然災害の避難者を対象にするものです。国家の国民に対する人権に基づく保護措置としての国内避難民に関する指導原則に対応する国内立法化は、私は必須だと今回の災害を通してもまた思いました。自然災害時における人々の保護に関するIASCガイドラインや被災地におけるスフィア基準が整備、充足化されることも希望いたします。
今後の災害時における人権が守られますよう、これからも被災、避難当事者としての経験に基づく気付きや教訓を提言し、参画の機会に是非主権者としてもその役割を果たさせていただきたいと私は希望しています。
先生方には、本当に放射線被曝から免れ健康を享受する権利、それを指して避難の権利と私は呼んでおります。どうかそれを具体化する立法、きちんと手当てする立法をお願いしたいと思い、私からは発言を以上とさせていただきます。
発言の機会、ありがとうございました。