森松明希子の発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○参考人(森松明希子君) 山本議員、御質問ありがとうございます。
 そうなんです、避難の権利と私が言っているのは、先ほど来申し上げているとおり、避難をした人たちだけの正当性を言っているわけではないのですね。避難の権利は、今回の原発事故に対しては、放射線被曝から免れ健康を享受する権利、自らの健康を享受する権利であります。
 避難の権利とは、具体的に言いますと、三つ考えられると思います。被曝拒否権、一つ目が被曝拒否権、そして二つ目が選択的被曝回避権、先生方にお配りしているレジュメにも書いていますが、選択的被曝回避権、それから三つ目が被曝情報コントロール権というふうな形で、これは、名称はともかくとして、私は、この七年間そういうふうに分類できるのではなかろうかと考えました。
 それは、もちろん憲法や、それから国際人権法に基づいて編み出したといいますか、被曝拒否権というのは、大多数の人が被曝を受忍しているとしても、個々人には無用な被曝を絶対的に避ける権利がある、これは誰も否定しないと思います。健康に関する権利で、必要な被曝は、医療被曝とかは必要だから被曝するわけですよね。だけれども、無用な被曝を絶対的に拒否する権利はまず個々人誰にでもある権利だと、人権だと。
 そして、選択的被曝権とは、私はよくこういうふうに表現しているんですが、知って被曝することと何も知らされずに被曝をさせられることは全く意味が違うんだと。要するに、原発事故に象徴されますように、ある日突然、原発の事故で、それは大災害が原因でもヒューマンエラーが原因でも老朽化が原因でも、原因は関係ないんです、この場合は。何か、ある日突然、福島県を中心とする汚染地に放射能災害が来たときに、何も知らされずにそれは被曝をさせられたということです。知らされずに水が汚染されて、分からないまま飲んでしまった水。それに対して、知ってしまった以上、知って被曝することはやはり避ける。知ったときには、人はいつでも自由に、いつからでも被曝を拒否する、回避するという選択肢を選べることができるんじゃないか、そういうふうに考えています。
 被曝そのものが、さっきも申し上げたとおり、被曝拒否権があるけれども、被曝を避けることのほかにも守るべき権利があるのであれば、それはその個々人が選択できる。これが憲法に保障されている個人の尊厳であり、憲法十三条の基本的人権の中でも、個人が尊重されるという条文のまさにその理解なのでは、この事故の場合における理解なのではないかと私は考えています。
 個々人の選択は誰からも押し付けられるものではなく、被曝回避権を行使しない、つまり、逃げない、避難をしないとか、元々避難していたけれども、戻ったからといって、最初に申し上げた一つ目の被曝拒否権が何もなくなるわけではないのです。例えば、幼児とか未成年者はどうでしょうか。親が被曝回避の選択をしなければ逃げることはできませんよね。でも、大きくなって、やっぱり自分は離れたいと思ったり、そういうことと、翻って考えると、先ほど大西参考人が言ったとおり、復興のためとか廃炉作業に行くためとか、それからその地域の医療をするためであったりとかですね。
 まさに、私の夫は福島で医師をしています。住んでいる人がいる以上、医師の倫理といいますか、地域住民の医療を守りたくて福島県民をやっておりまして、今も私たち夫婦、家族は福島県が大好きです。汚染さえなければ、そして私たちの子供は幼いわけですから、帰れるものなら帰りたい。でも、家族の中でも、家長制度とか、明治時代とか昔ではないわけですから、今は家族の中でも一人一人の尊厳が守られる。子供は未成年ですから今判断はできないけれども、そういうことがあって、被曝回避権。
 それから最後に、被曝情報コントロール権というのは、自己が被曝をするとき若しくはさせられるとき、その量や期間の情報を自分で知ってコントロールする権利というのは当然出てくると思います。プライバシー権とかが、自己に関する情報を自分でコントロールする権利という人権として新しく認められましたが、似たような、私は法律家ではないので分かりませんが、被曝情報を自分でコントロールするためには、例えば先ほど陳述もしたとおり、モニタリングポストの設置があって、放射線は低線量では浴びているかどうかさえ分からないのです。
 空間線量だけでなく、土壌の汚染があるわけですから、地面の汚染も測らなければ、ちゃんとした公的機関がきっちりと示さなければ、情報は私たちには知らされないということをこの七年間経験してきたわけです。そうすると、空間線量一辺倒だけでやるのではなくて、土壌も測ってほしいというのが、市民の、そして避難した人たちの、そして、今は残っている人たちもやはり被曝量を自分でコントロールしたいという権利があると思います。その三つの権利が少なくともきちんと確立されるべきだというのが私の主張でございます。
 そうすると、例えば避難者の実態が把握されていないとか、中にとどまっている人は定期的に、先ほど申し上げたとおりチェルノブイリでは保養という制度があって、保養庁という省庁までできているんですね、国家的にそういうふうに子供たちを守ろうということで。そうであるとするならば、私はよく言っているのは、避難というのは、長期、すごい長い保養と同じじゃないかと。避難保養庁とかあってもいいのになというか、できている七年後を想像していたんですが、法律もなければ、そういう省庁もないけれども、それができるかできないかは別にして、このような考え方ができるのではないかというふうに私は考えています。
 つまり、残った人や、とどまっている人や、もちろん避難した人も、それぞれに対して被曝拒否権とそれから選択的被曝回避権、それから自己に関する情報で被曝情報のコントロール権というものは、少なくともこの原子力災害を経験したこの国はきちんと確立しておかなければ、いつ何どき身近の原子力発電所が事故を起こしたときに、一つもその被曝防護の対策が取られないということに等しいということだと思います。

発言情報

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発言者: 森松明希子

speaker_id: 22753

日付: 2018-07-11

院: 参議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会