榛葉賀津也の発言 (本会議)
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○榛葉賀津也君 私は、国民民主党・新緑風会を代表して、ただいま議題となりました議長不信任決議案につきまして、賛成の立場から討論いたします。
冒頭、西日本各地を襲った豪雨でお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈り申し上げますとともに、大きな被害に見舞われた方々、避難を余儀なくされている方々に心からお見舞いを申し上げます。
また、政府に対しましても、早期の激甚災害指定や補正予算措置等のあらゆる手段を講じて、全力で災害対応、復旧活動に当たることを強く求めます。
現在、我が国の政治、行政に関する全ての者たちの最優先課題は、この度の平成三十年七月豪雨に関する対応であるべきであります。しかし、政府・与党においては、平成最大とも言われる豪雨災害の被災者、被災地における生命、財産を守るための審議よりも、国民の間に不安が根強いカジノ解禁を含むIR整備法の審議を最優先させています。
三十五度を超える記録的猛暑の中、体育館などで苦しい避難生活を余儀なくされている被災者が大勢いらっしゃいます。炎天下で必死になって行方不明者の捜索や復旧活動に従事している市民の皆様、消防や警察、自衛隊などの関係者、行政担当者、ボランティアの方々などには衷心より敬意と感謝を申し上げます。
政府の初動対応の遅れなどについては、改めて徹底的な検証が必要だと思いますが、今、国会議員がやるべきことは、いかに被災地、被災者に寄り添い、自分に何ができるのかを最大限考え、実行することであるはずです。国民の生命、財産を守ること以上に、カジノを解禁してギャンブルを振興させようとする政府・与党の対応は到底理解できません。
今月十一日の参議院本会議では、平成三十年七月豪雨の災害対策に対する決議を全会一致で可決しました。この決議では、政府に対して、避難所の環境整備やインフラの早期復旧などに全力で取り組むように要請をしています。
本院を代表する議長ならば、この決議を最優先するべく、政府・与党に強く働きかけるべきであったにもかかわらず、伊達忠一議長は何のその労を取りませんでした。なぜ人命を優先するよう働きかけをできなかったのか、しなかったのか。伊達議長は、被災地の方々の流した百万分の一の汗すらもかいていないではないですか。
国民の生命、被災地の人命救助よりもカジノ解禁を優先することが、良識の府の議長、伊達忠一君の良識なのですか。何よりも、カジノを優先する与党の動きを何らいさめることができず、漫然と政府・与党の方針に従うだけの議長なら、伊達議長、即刻参議院議長の職を自ら辞するべきであります。
さらに、参議院選挙制度改革に関する伊達議長の一連の対応にも不適切極まりないものがございました。
そもそも、選挙制度改革に関する議論は、民主主義の土台をつくる重要な問題であり、少数会派を含めて慎重かつ丁寧に合意形成を図らなければならないのは当然であります。これまでも、全会一致には至らなくとも、最後の最後まで各党各会派間で合意を得るための最大限の努力が払われてまいりました。それが参議院の文化であり、伝統でありました。
選挙制度改革については、参議院改革協議会の下に置かれた選挙制度に関する専門委員会で十七回にわたる真摯な議論が交わされました。専門委員会は本年五月七日に報告書を提出し、選挙制度改革に関する議論は親会である参議院改革協議会に舞台が移りました。
ところが、自民党は、突如、専門委員会でも全く議論がされなかった、参議院の定数を六増し、比例代表の一部を拘束特別枠とする公職選挙法改正に関する自民党の考え方と称するものを提示し、六月十四日に公職選挙法改正案を国会に提出しました。
六月十四日に開かれた各派代表者懇談会では、我々は、このような案について、専門委員会などの全会派で構成する協議会で改めて議論すべきと考えるとともに、各会派の隔たりを少しでも縮めるべく、本院の長たる伊達議長による調整に期待をしました。しかし、伊達議長は、自ら汗をかくことを一切拒否し、案があるなら今週中に提出を願うとして一方的に協議を打ち切り、そそくさと議長室に逃げ込んでしまいました。ただただ、各会派が法案を出して、現場の委員会で審議せよとの無責任な姿勢に終始をしたのであります。
七月四日に再開された代表者懇談会でも、公明党や野党は、あっせん、仲裁を要請しましたが、伊達議長は、前回と同様に、またも議論を打ち切ってしまいました。
先ほど大塚代表もおっしゃったように、かつての斎藤十朗議長は、まさに自らや一部の政党の利益を顧みず選挙制度改革の調整に御尽力され、結果としてその職を辞することになりました。伊達議長、そのくらい選挙制度改革の議論は重たいものなのです。
また、西岡武夫議長は、自ら独自の抜本的改革案を提起され、更に議論が進むにつれて修正案も示されました。最終的に西岡議長案で合意するには至りませんでしたが、投票価値の平等性を高めるために強いリーダーシップを発揮されました。
残念ながら、伊達議長には、このお二人のような気概は全く見られませんし、実際、紙を読み上げるだけで一方的に席を立つという、およそ議長の振る舞いとは思えない態度に終始されました。結局、伊達議長のなさったことは、議院運営委員会と倫理選挙特別委員会への単なる丸投げだったのであります。こんな差配なら子供にでもできます。責任感もリーダーシップのかけらもない伊達議長の下では、参議院の権威を保つことはおよそ不可能なのであります。
伊達議長、くしくも、あなたと私は十七年前の二〇〇一年初当選の同期です。当時、あなたは六十二歳、私は三十四歳で野党最年少議員でした。昭和十四年生まれ、北海道の芦別出身で、党派を超えて忠さんの愛称で親しまれていた伊達議長は、私にとっては特別な存在でありました。
誰よりも私が国会議員になるのを楽しみにしてくれていた私の父は、私が参議院選挙に当選する半年前に腎臓がんで他界しました。父は議長と同じ昭和十四年生まれ。しかも、出生地は、伊達議長のお生まれになった芦別の隣の北海道は富良野でありました。戦争遺児の私の父はぜいたくが苦手で、食事のときは、空腹は最大の調味料だが口癖でした。私は、父と同い年で同郷の伊達議長のお姿に亡き父を重ね合わせ、議長と酒を酌み交わしたときは、おやじが生きていればこんな感じかなと思ったりもしました。
そんな議長と私の距離が更に急接近したのが、五年前の第百八十四国会です。伊達議長が参議院自民党の国会対策委員長で、私が野党第一党の民主党の国会対策委員長になったときでした。しかし、それは同時に、私にとって試練の始まりでありました。国会対策委員長会談をやっても会話がかみ合わないのです。同じ日本語を話し、理解し合って与野党合意を得たはずなのに、十分後には合意内容が変わっているのです。以来、国対委員長会談には委員長代理が陪席するようになりました。
その後、私は、吉田国対委員長、松山国対委員長と三年間で三人の自民党の国会対策委員長とお仕事をさせていただきましたが、国対委員長会談にそごがないよう委員長代理が陪席するなどという珍事は、後にも先にもあのときだけでした。おかげさまで、私は随分と鍛えられ、その件につきましては伊達議長に感謝を申し上げます。その節は本当にお世話になりました。
夏のゴーヤと伊達忠は成長が早いは、今や永田町の格言であります。与党の先生方がそれぞれのお立場で四苦八苦されているときに、なぜか伊達忠一君だけはすいすいと出世をされ、ついに三権の長である議長にまでなられました。
しかし、問題はこれからであります。
就任早々に、伊達議長の政治団体による支援者へのゴルフコンペ代負担疑惑が発覚する。議長席から、隣の郷原事務総長を全議員の前で叱責する。与党議員の山陰や四国にも新幹線のネットワークをという質問に、事もあろうか議長席から、北海道が入っていないじゃないかと不規則発言をする。投票結果の投票数を言い間違えるなどなど、議長の不適切な振る舞いは枚挙にいとまがございません。
そんな伊達議長でございますから、与野党から敬愛されている白眞勲先生を白クンシン君と二度も三度も呼び間違えたり、矢田わか子先生をヤダわか子君と言い間違えたりするのは朝飯前であります。加えて、伊達議長は、三十一代目にして初めての北海道から誕生した議長でありますが、議長就任以来、毎年、議長不信任決議案を突き付けられている極めて希有な議長であるということも忘れてはなりません。
最後に、改めて自民党の皆さんに問いたいと思います。
そもそも、二年前に、なぜ伊達忠一君を議長候補に御推挙されたのでしょうか。当選三期目で三権の長の座に就くのは極めて異例であります。本会議場の与党席の最後列を見れば分かるように、伊達議長よりも経験豊富ではるかに議長にふさわしい与党の先輩議員はたくさんいらっしゃるではありませんか。今からでも遅くはありません。与野党が協力して、より良い議長を選出し、共に参議院に良識を取り戻そうではありませんか。
伊達議長の言動は、本院議長の権威を著しく失墜させるものであり、断じて容認できません。民主主義を守り、また良識の府である参議院の権威を守るためにも、議長不信任決議への御賛同を心からお願い申し上げて、私の賛成討論といたします。(拍手)