河合弘之の発言 (文部科学委員会)
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○河合参考人 弁護士の河合でございます。
私は、脱原発弁護団全国連絡会の代表といたしまして、日本全国の原発の差止めの裁判に直接、間接にかかわっており、損害賠償請求業務についてもかかわっておる実務家であります。
意見を述べます。
損害賠償額を一千二百億円に据え置くことについて。
損害賠償額は、一次的責任主体である電力事業者が損害賠償義務の履行を確実にできるように定められています。それは原賠法第七条です。したがって、物価の上昇、実際に起きた事故によって発生した損害額の算定など、事情の変化によって逐次増額されてきました。現在の千二百億円という金額は、平成十一年のジェー・シー・オー事故の経験等を踏まえ、平成二十一年に六百億円から倍増されたものであります。一事故につき千二百億円を用意しておけば大体カバーできるという認識がありました。そして、万一それをオーバーしたときは、例外的に国が同法十六条により資金支援するというたてつけになっています。
ところが、東京電力福島第一原発事故、以下福一事故と言いますが、それでは、損害賠償既払い額は既に八・六兆円になっています。これは東京電力のホームページによります。
同法第六条は、原子力損害の賠償責任者は電力事業者だから、予想される原子力損害を賠償できる体制をとっておかなければ原発を運転してはならないとしております。したがって、賠償措置額は、福一事故によって現実に発生した八兆六千億円という金額に合わせることが当然であり、損害賠償額は少なくとも八兆六千億円とすべきであります。我々は福一事故に学ばなければなりません。
賠償措置額を一千二百億円に据え置くと、現実に福島原発事故で発生した既払い額八・六兆円の一・四%しか電力事業者は用意しなくてよいことになります。これは、九八・六%、すなわち一千二百億円を八・六兆円で割った場合の割合ですが、要するに九九%です、九九%は国が面倒を見ると言っているのと同じであります。これは、原賠法の基本精神、すなわち、事故の損害賠償責任は電力事業者に負わせる、国の支援は例外的とするという基本精神に反します。資本主義経済、自由主義経済の大原則、自己責任原則に明らかに反するものであります。原則と例外を逆にしてしまうのであります。
このようなことにすると、モラルハザードが必ず起きます。事故を起こしても国が面倒を見てくれる、それなら安全対策はなるべく低コストで最低限でいこうということになります。
よって、賠償措置額は、少なくとも八兆六千億円にすべきであります。
以上の論については、それでは保険料、補償料が高くなり過ぎて原発が採算に合わなくなるとの反論が考えられます。しかし、我が国の憲法が定める資本主義経済、自由主義経済のもとでは、それもやむを得ないのであって、電力事業者は、その条件のもとで企業努力によって採算が合うように努力すればよいのであります。それができない電力事業者は原発を断念すればよいのであります。国は、電力会社に原発の運転を強制することはできないのであります。現に、沖縄電力は原子力発電をしておりません。
また、千二百億円に据え置いても、最終的には国が面倒を見るので、被害者救済には支障がないから据え置いてもよいのだという主張があり得ます。しかし、それは間違いであります。国民の被害救済にのみ着目するならば、原子力損害については電力事業者も免責し、国が全て賠償すると法律に定めればよいのであります。しかし、それでは、憲法が定める資本主義経済、自由主義経済の原則に反するので、原賠法は、一、被害者救済の確保、二、事業者の自己責任、すなわち事業を営む者はその事業によって発生する損害を賠償する責任を負うという、この二つの原則を法の主眼としているのであります。
損害賠償額を千二百億円に据え置くことは、電力会社に対して九九%の責任を免除してやるのと同義であります。
この議論に対しては、電力事業者は政府機関からの支援金については返済しなければならないのだから自己責任を負っているとの反論があり得ます。しかし、福一事故後の東電救済立法を見ても、その返済は、事実上の特別負担金によって長期的に薄く長くされるようになっており、いわば、あるとき払いの催促なしになっております。現に、東電はその恩恵により、毎年の決算において巨大な利益を計上しています。したがって、他電力会社も、事故を起こしても自己責任で倒産することはないと考えています。これこそモラルハザードであります。見直し立法担当者は、福島原発事故に学ぶことを忘れていると思います。
立法担当事務局は以下のように言っております。
損害賠償額を高くすると保険会社の損害保険を引き受ける意欲、能力に問題が出ると言っています。そうだとすれば、資本主義的に合理的な確率計算を本旨とする損害保険の物差しに合わないということであるからやむを得ません。国が考えて対策をとれることであります。
二番目に、総括原価方式の見直しなど事業環境の変化があるので、千二百億円据置きもやむを得ないと事務局は言っております。しかし、事業環境が変化しようと、原発重大事故によって八・六兆円以上の損害賠償債務の発生が強く予想されることには変わりないのですから、理由になりません。
三番として、事務当局は、新規制基準により事故発生確率が減少したのだから千二百億円で据え置いてもよいと言っています。しかし、それは余りに定性的な話であって、科学的、定量的ではありません。新規制基準によって従来より何%重大事故確率が低下したのだから措置額は何%低くしてよいというのでしょうか。千二百億円を増額するか否かという定量的な問題を論ずる場合、理由は定量的でなければなりません。しかも、田中俊一前原子力規制委員会委員長は、適合性審査に合格したからといって安全とは申し上げないと数回も明言しております。
次に、原賠ADRの改善について申し上げます。
事務当局の案は、原賠ADRがよく機能しているので改善の必要性はないと言っていますが、間違いであります。
私は、飯舘村の村民約六千人の半分のおよそ三千人の住民のADRの代理人をしていますが、初期被曝慰謝料十五万円から五十万円というADRからの和解案を東電は拒否しました。また、浪江町の一万五千人の避難慰謝料月五万円増額も拒否され、今月末には訴訟提起となります。
ADRパネル側は、東電が受諾する見込みのない和解案は出せないと弱腰になっており、東電はそれにつけ込んで賠償金の出し渋りをするようになっています。これでは被害者の泣き寝入りがふえるばかりです。それを解決するには、パネルの和解案は東電に対して強制力を持つ、すなわち一定期間に東電が訴訟を提起しないのであれば和解案に服するという法改正をすべきであります。
次に、原発メーカーの免責について申し上げます。
原賠法のこの規定は廃止すべきであります。この規定のせいで、福一事故におけるメーカー、GEと東芝の行動は極めて無責任であり、他人事のようでありました。今や、メーカーを免責して原発製造に邁進させるという立法理由は消滅したのですから、資本主義の原則に戻って、メーカーにも事故の責任を負わせるべきであります。
なお、賠償責任を電力事業者に絞ることにより、損害賠償請求の相手方が明確になるから被害者救済に役立つというのは詭弁であります。被害者からすれば、電力事業者、メーカー、建設業者をまとめて共同不法行為で訴える方が、ずっと確率、回収額においてプラスであります。
次に、原発重大事故を起こした電力会社に最後まで責任をとらせ、かつ停電を起こさせない方法を述べます。
これは極めて簡単であります。
その電力会社の電力事業を他の電力会社に譲渡させ、残った旧会社は、原子力損害賠償債務がある限り破産、民事再生、会社更生の申立ての手続をとってはならないという立法をし、その旧会社に対して国が資金援助をすればよいのであります。そうすれば、電力供給につき不安はなくなりますし、被害者救済にも不安はなくなります。
以上でございます。