江島潔の発言 (文教科学委員会)
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○江島潔君 それでは、次の質問に移らさせていただきます。
十一月の八日の日に、今年度の南極観測船「しらせ」の出港の壮行会というものが開催をされまして、私も出席をさせていただきました。今回は第六十次ということで、随分と日本もこの南極観測に関しましては様々な知見、実績、業績を上げてきたんだなということを振り返って、感慨深いものがございます。
私は昭和三十二年生まれなんですけれども、その前年の昭和三十一年から日本は既にこの南極観測を始めていたということで、池田勇人総理がもはや戦後ではないと言ったこの頃から、もう日本は既に南極という未踏の地にこの研究開発を進めていたんだなということは、本当に、日本はやはりこの技術立国、科学技術立国ということを意識をしながらこの戦後の歩みを来たんだなということも実感をしております。
その中で、たくさん成果を上げているわけでありますけれども、特に私にとってもやはり印象深いのは、この南極のオゾンホールの発見を日本チームが南極の観測を通じて世界で最初に報告をしたという事象でありまして、これはこのオゾンホールの発見ということが、紫外線の量で大変なことになると、それがいろいろなフロン対策とかそういうものを世界を挙げて対策を取り組んでいくきっかけになったわけでありますから、決して大げさな表現でなく、日本の発見がある意味この地球の危機の一つの種類を救ったとも言えるのではないかと思います。
このオゾンホールに関しましては、世界的な取組の結果、一時期は本当にどんどん広がっていったものが今また再び縮まる傾向にあって、大体二十一世紀の中頃には一九八〇年代の広がる前のレベルにまで収まっていくだろうというような予測も立っているわけでありまして、この昭和基地における文科省チームの研究というのは、もっともっと世界に本当評価されてもいいんじゃないかなと思います。
恐らくまだまだほかにもこの南極に関する様々な知見を文科省チームが上げてこられたと思いますんですけれども、我が国のこの長い長い六十二年間にわたる南極地域の観測の意義、それからこれまでの成果、そして、併せましてこの今後の展開等も大臣からお聞かせいただければと思います。