谷田川元の発言 (決算行政監視委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○谷田川委員 私は、専権という言葉の意味を辞書で調べてみました。デジタル大辞泉、「好き勝手に権力をふるうこと。」「その物事を思いのままにできる権利。」広辞苑、「権力をほしいままにすること。思うままに権力をふるうこと。」
 ちょっとこれは、総理の専権事項という言葉を使うこと自体、私は、世論操作じゃないか、そう思うんです。
 憲法論争に発展した解散というのを振り返ってみますと、昭和二十三年十二月に吉田内閣によるなれ合い解散というのがありました。
 この背景を簡単に説明しますと、吉田内閣は二十三年十月に少数内閣で発足し、政権基盤を安定させるために、吉田さんは、すぐにでも解散したいということで、解散しようとしたんだけれども、しかし、当時はGHQの施政下でした。GHQは、当時、解散は憲法六十九条のみしか認められない、そういう見解だったんですね。七条解散でやるというのは、これは天皇制の復活になる、けしからぬ、そういう見解だったんです。しかし、当時、片山政権、芦田政権という、どちらかというと革新的な政権が短命に終わって、マッカーサー元帥は、もう吉田さんに頼るしかないと。そういう中で、救いの手を差し伸べました。それが、憲法六十九条に基づいて、野党から内閣不信任案を出しなさい、それを可決した上で衆議院解散にしましょうと。
 ですから、なれ合い解散と言うんですね。
 吉田さんは勝ちました。そして、ずっとずっと、GHQの見解どおり、任期は四年ですと言い続けてきたんです。
 当時の国会記録を見ると、おもしろいんですね。あの当時は金権選挙がはびこっていたんですね。このまま解散をほっておくと、どんどんどんどんお金が使われて、公明正大な選挙でなくなる、早く解散をしましょうという決議までやっている、そういう時代だったんですね。
 ところが、あの当時の新聞を見ますと、八月というのは、お盆が終わった後、一番金がないときだそうなんです、政治家にとって。ですから、お盆が終わった後、今やれば野党の準備が整っていないということで解散を断行した、それが抜き打ち解散と言われたんですね。
 それに対して、当時、改進党の苫米地義三さんが、これは憲法違反だと訴えたんですけれども、最高裁は憲法の是非を判断する立場にないといって、それで苫米地さんは、あと四カ月任期があったから歳費を四カ月損したと損害賠償を提起したんです。そして、何と一審は苫米地さん勝訴なんですよ、解散無効判決が出た。直ちに政府は控訴をしまして、逆転敗訴になって。最後は、昭和三十五年、最高裁判決で、高度の政治的判断が伴うので司法の審査になじまないということで、棄却されてしまいました。ですから、解散自体、合憲か違憲かの判断はされていない、そう私は思っています。
 私はこの質問を書いていて感じたんですけれども、よく、自民党政権が長く続いた、野党がだらしないからだと言われるんですけれども、考えてみれば、有利なときに選挙をやれるということを放置してきた、ここに野党の力不足があったんじゃないか、私はそう思っているんです。
 そこで、菅官房長官にお尋ねしたいんですが、三月三十一日放送のラジオ日本の番組で、長官はこうおっしゃっています。衆参同日選の可能性について、それは総理大臣の専権事項であり、私もないと一〇〇%は言えないが、九九%ないとは言えるかもしれない。これを聞いたとき、私は、勝手な推量で申しわけありませんが、菅長官は解散に反対なのかな、そう思いました。
 ところが、ついこの間の金曜日、記者会見で、記者から、不信任案提出は時の政権が衆議院解散を行う大義になるかとの質問に対して、それは当然なるんじゃないでしょうか、そうおっしゃったんですね。
 昔から、衆議院の解散と公定歩合はうそをついてもいいと言われたそうでございますけれども、ぜひここでは正直に、五月十七日の発言の真意をお聞かせいただき、長官自身は解散に反対か賛成なのか、教えていただきたいと思います。

発言情報

speech_id: 119804127X00320190520_010

発言者: 谷田川元

speaker_id: 21282

日付: 2019-05-20

院: 衆議院

会議名: 決算行政監視委員会