荒井聰の発言 (国土交通委員会)

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○荒井委員 きょうは、この機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 今まで私もアイヌにかかわる施策についていろんな措置で携わってまいりました。その意味では、今回このアイヌ新法の法制定というのは感慨深いものがあるんですね。
 もともとアイヌにかかわる国の政策というのは、一九八五年、随分昔ですけれども、一九八五年、中曽根政権で、中曽根総理が、日本人は単一民族であるという発言をたしかアメリカでしたんだと思いますけれども、それに対してアイヌの方々が、そんなことはないという話から、その年に北海道庁の中にアイヌ対策室というのをつくります。そこを中心にアイヌ新法の検討に入ることになりました。
 私、当時道庁に出向していたこともあって、その責任者になりまして、翌年の一九八六年に、この話はぜひ皆さんに聞いていただきたいんですけれども、その概案を持って東京の永田町に陳情に参りました。中曽根総理に会いたかったんですけれども、そうはいきませんので、当時官房長官をやっていた藤波孝生さん、もうおやめになっていたんですけれども、藤波孝生さんのところに陳情に行きました。
 そのとき、藤波さんがこうおっしゃったんですね。荒井さん、和人はアイヌの人々の鎮魂の祭りをしないといけませんね。鎮魂の祭りということを言われました。つまり、深い謝罪をしなければいけませんよね、そういう意味だと解釈をしました。弱い立場の人にこれだけ心を寄せる政治家っているんだ、そういうことに深く打たれました。
 それだけではなくて、藤波さんは、その場からすぐ電話をしていただいて、自分の後任が小渕恵三さんだ、小渕恵三さんのところにすぐこの陳情書を持って行ってきなさいということを言われまして、アポも何にもなかったんですけれども、そのまま行きました。恐らく小渕さんは何のことか全然わからなかったと思いますけれども、前任者からのそういうお話だったので、丁寧に聞いてくれました。
 それから十年後、村山政権になりまして、官房長官が五十嵐さんでした。五十嵐さんは旭川選出の議員でしたので、アイヌ文化振興法の起案に入り、その年にアイヌ文化振興法ができるんですね。このときに私も携わりました。萱野さんというアイヌの方が参議院でおられて、その方も本会議場で涙を流しながら代表質問をした、その光景が目に浮かびます。
 そのときに初めて、アイヌの人々を対象とする旧土人法という法律を廃止するんですね。今でも、旧土人法という法律が二十年ほど前まで生きていたということを知っている人はそんなに多くないんじゃないかというふうに思います。
 このアイヌ文化振興法をつくるときの最大の課題が、アイヌ人という、アイヌ民族という人たちの定義ができなかった。したがって、その方たちに対する個別の対応とかあるいは権利の回復とか、そういうことにまで話が及ぶことができなくて、結局、文化振興という形でおさまったわけですね。
 それから更に十年たって、国連宣言で先住民族の話が出てきて、この先住民族の国会決議を受けて、新しい法律の検討に入ります。このときのアイヌに関する懇談会の主役というか主導したのが当時の官房長官の町村さんでありました。この方もやはり北海道選出、札幌ですけれども、選出であります。
 そういう意味では、何となく、アイヌにかかわる法案というのは北海道の人が中心になってという、そんな感じができていたんですけれども、今回初めて、北海道の関係者ではない菅官房長官が中心になってこの法案をつくられ、いろいろな形でオール・ジャパンでこの法案の形成を図ったというのは、私は画期的だというふうに思っています。
 これでおおむね文化振興法との違いというのは説明したつもりなんですけれども、大臣から、文化振興法、前の法案と今度の新しい法案の違いというのを端的に説明をしていただけますか。
    〔委員長退席、金子(恭)委員長代理着席〕

発言情報

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発言者: 荒井聰

speaker_id: 20756

日付: 2019-04-10

院: 衆議院

会議名: 国土交通委員会