麻生太郎の発言 (財務金融委員会)
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○麻生国務大臣 プラザ、一九八五年なんですけれども、いわゆる当時一ドル二百四十円まで、ぐらいだったと思いますが、この一九八五年九月のプラザというホテルでやった、当時はドナルド・トランプがあれは持っていたんだっけな、プラザホテルというところで合意して、二百四十円が一年少々で百二十円までドルが暴落、円が暴騰したというので、簡単に言えば、世界的には日本の資産が倍になったということですかね。二百四十円が百二十円になったんだから、倍になったので。当時は、円高不況なんという言葉がえらく言われた時代でしたよ。自国通貨が高くなって何で不況になるんだよという御意見も随分あったんですが、当時はそういった調子でしたね、私の記憶ですけれども。
しかし、結果として、日本は、円高になって輸出が極めて厳しいことになりましたけれども、その金を持って、今度は海外でいろいろ、工場をつくったり、資産を買ったり、会社を買ったり、いろいろすることによって、だんだんその円高を利用した経営、商売というのがうまくいって、わあっと大きくなっていったんですが、同時に、その多くの資産というものが土地と株に流れていったというのがあのときの実態だったと思うので、それが結果としてバブルというものにつながっていったのではないかということで、これは、そういった見方があるというのは事実だと、それが全てとは思いませんけれども、そういうのが事実だと思いますが、円高不況とか言われたものがありますけれども、プラザ合意がバブルの発生の原因とまでは私は言い切れないんだと思いますが。
その後、景気拡張面において、大規模な経済対策をあのときやっております、一九八七年に、いわゆる不況だとかいうので。また、金融の緩和も、八六年、七年、八八年、ずっとやらせていただいておりますので。これも一つの素地になったことは、私はこれは否定できないだろうと思いますが。
その後、バブルが崩壊して、日本は経済成長率が下がりましたし、そういった意味では、長引くデフレ、正確には、資産のデフレによる停滞というのを二十年近く経験したということだと思いますが、その発端は、何といってもこれは資産のデフレーションです。もう土地と株がぼんと下がっていますので。
そういった意味では、初めてこういった資産デフレを経験したので、財務省も日本銀行も、総じて財政支出の拡大とか金融政策とかそういったものに取り組んだものの、この対応が十分であったかといえば、デフレーションというのを経験したことが、我々少なくとも敗戦のころからやったことがありませんので、デフレがない以上、デフレ対策をやった人もおりませんので。世界じゅう、一九三〇年以来デフレーションというのは起きたことがありませんので、不況はいずれもインフレだったので。
そういった意味では、資産デフレーションによって、企業は、土地、株等々の資産が暴落していますので、企業のバランスシートでいけば債務が超過した形になります。金融機関も同様だったと思いますが。そういった意味で、企業に対しては、当然のこととして、金融機関が、自分のところが債務超過ですから、企業に対しても、債務超過の分について返せというので、いわゆる貸し剥がしとか貸し渋り、ああいった言葉があのとき随分出たので。新規借入金というのを企業側も抑制しますし、当然のことで設備投資も控えますし、いろんなことが起きて、結果としてデフレ不況を長期化させていくということになったというのが反省しなきゃいかぬところなのかなと。あのときはやはり逆なことをやっておかなきゃいかぬかったのかなと。こういった反省を踏まえて、この政権になりまして、この六年間の間いろいろ取り組ませていただいたおかげで、デフレではないという状況はつくり出すことができたんだと思っていますけれども。
いずれにしても、政府とか日銀とかそういうところの金融を担当させていただいているところとしては、そういった連携をきちんとしながら成長を更にさせていかないかぬというのが、これからも常に心がけておかねばならぬところだと思っております。