五百旗頭真の発言 (情報監視審査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○五百旗頭参考人 失礼します。
このような重要な審査会にお招きいただいて、光栄に思い、感謝しております。
私は、学者、歴史家でありまして、インテリジェンスコミュニティーのメンバーではありませんし、情報セキュリティーの専門家でもない。その面では素人でございます。ただ、歴史家として、機密文書の旺盛な利用者、消費者として過ごしてまいりました。
第二次大戦中のアメリカの対日政策について、アメリカ公文書に基づく研究をやっておりましたが、公文書館の資料を見ますと、文書のヘッドに、コンフィデンシャルとかシークレットとかトップシークレットとか、トップシークレットで気が済まなくて、例えば、ロスアラモスの砂漠で一九四五年七月に最初の原爆実験が大成功した、それをポツダムにいるスティムソン陸軍長官に伝える文書には、トップシークレット、そしてアイズオンリー、見るだけですよ、見たら御処分をという指示まで書き加えた文書が、しかし、ちゃんと公文書館に残っていて私が読めるというんですから、これまた微妙な問題ですけれども。というふうなものに親しんで研究をしてまいりました。
つまり、三十年たてば原則全て、どんなトップシークレットであっても国民に帰すんだ、それが民主主義社会のたしなみなんだという考えが前提になって、それに恩恵を受けて研究することができた。そのようなアメリカ、イギリスなどの文書の扱い方に大変敬意を持ってつき合ってきた次第であります。
そういう意味で利用者、消費者なんですが、他方、防大校長として五年八カ月、その際には浜田大臣が私の上司でもあったわけですけれども、安全保障機密の世界に少し近づいた面がありました。二〇〇八年に防衛省改革会議が設立されて、その委員を務めた。その契機になったのが、自衛隊に「あたご」の衝突事件だとかいろいろな不祥事がある、そうしたものにどう対処すべきなのかということで、私はそれの対処の文書の起草役なども仰せつかったことがありました。
とりわけ、アメリカから得たイージス艦についての機密情報を海上自衛隊が内部教育用に用いたんですね。そのことをアメリカが問題視いたしまして、大変厳しい圧力がかかってきたという事案がありまして。
つまり、機密情報の管理が甘かったり、あるいは、これは全く、イージス艦を日本は海上自衛隊の中に導入して、そして運営しなきゃいけないんですから、イージス艦情報は不可欠なんですね。それを教育するというのは、アメリカからもらってきた人がやるのは任務だと思われるんですが、それを第三者に渡したということで大変厄介な問題が起こる。管理制度が不十分であるということがありますと、国際的に信用されない、そして本当に必要な情報すらも得られなくなる危険があるんだということをその事案で痛感させられました。それをちゃんとやらない日本については、日本に伝えることは世界に伝えることだなどというやゆをされて、したがって日本に重要なことを伝えてはならないなどというふうなことを言う政治指導者がアメリカにいたりするというふうなことになるわけであります。
つまり、二つの命題、一方で、公文書は、今、米村さんがおっしゃったことと私も観点を基本的に同じくしているわけですが、国民の共有財産であって、民主主義社会にあってはそれを政治家や公務員が私してはならない、一定のルールに従って公開し、国民、社会に帰すということが行われなければならないというのが基本的な考え方であります。同時に、他方において、国の安全保障、国益を損なうおそれがある情報は、これを管理し秘匿するということがルール化、制度化されていなければならないというのがもう一方の命題であります。この二つの命題をしっかりとやり抜くということが、全ての民主主義社会のジレンマに満ちた課題であり、本審査会が設立されたゆえんであると思う次第です。
イギリス、アメリカなど、国家の安全保障それからプライバシーに触れる文書は非公開とかあるいは一部黒塗りにするというふうな措置を明瞭にルールとしてとりますが、しかし、原則三十年たてば公開する。
三十年原則で、私もその微妙なところで、一九七四年に初めてアメリカの公文書館を使う研究に出かけたときに、三十年であれば、三十年前は一九四四年で、第二次大戦の終戦までいっていないんですが、アメリカが非常によく仕事をしてくれて、終戦まで全部の文書が見られるようになっていたんですね。そのことは非常に幸運でありましたけれども。
原則三十年で公開する、ただし、特別のインテリジェンス、情報については、五十年の場合も、百年の場合も、期限を設定しない場合もある。それもまた、英米などで運用として了解されているところであります。
日本で五年前にこの特定秘密保護法が施行されまして、日本もインテリジェンスを国際的に共有し得る制度を持つに至った非常に重要な一歩であった、画期的だと思います。ただ、初めての本格的な一歩ゆえに、米村さんもおっしゃいましたけれども、まだまだ不十分なところ、あるいは試行錯誤が不可避である。であるだけに、法律を一つつくって放置するのではなくて、改善、修正を視界に入れて、衆参両院にこの情報監視審査会を設けまして、特定秘密という微妙な二面性を帯びる問題について立法府が大きな方向性を示す、そして行政府がそれを行う、その行いようをしっかりと見守って、そぐわないところがあるならば指摘して修正を求める、そういう制度をつくったのは大変立派で、しばしば、法律を一つつくったら後は担当省庁にお任せというふうなことが少なくないと思いますが、これはなかなかよくやっていると思います。
事実、五年にわたり、鋭意問題点を洗い出して提案を重ねられ、本来あるべき姿を明らかにせんと尽力してこられたことに敬意を表するものであります。
そうした努力にもかかわらず、どうしたことか、最近、世上をにぎわせる公文書をめぐる事案というのが次々に出てくる。この審査会が直接担当する問題とも言えないんですけれども、日本の統治の伝統の中に、よらしむべし、知らしむべからずという古い伝統がありますね、家康の言葉だとも言われますけれども。公文書を廃棄したり隠蔽したり改ざんしたりするということは統治者の自由である、それが統治に役立つのならば、そして国益に沿うのであればというふうな感覚というのはこの社会に案外根強いのではないかと心配されるような事案が、近年、世上を騒がせたところであります。
そして、その二つの要請、全ての文書は国民に帰さなければいけない、公開するというのと、しかし、国家、必要のためにしっかりと管理、秘匿するというその両立が大事でありますが、一方を見失うと他方も崩れるという例が南スーダンPKOの日報問題ではないかと思います。
内戦状態の自衛隊現地部隊の日報というのは、極めて貴重な情報源であります。これを、まだ現在進行形の紛争が続いている中で公開するということは、国家安全保障上、考えられない問題だと思うんですね。今はまだ、日本自身は引き揚げたとしても、一緒に戦った国連PKOの部隊は向こうにいるわけですね。それで、日本が洗いざらい出しちゃいますと、友軍といいますか、一緒に参加した他のPKO部隊にも迷惑がかかり得る、そういう微妙な問題。外交交渉ですら、進行中のときには、それをオープンにせよなんてことは誰も言わない。全部あけすけに見えたトランプなんて、トランプ大統領じゃなくてカードゲーム、何のおもしろみもない。進行中のときには、最大限そこで上手な駆け引きをするというのが国益に必要であるわけで、ましてや、安全保障にかかわる自衛隊部隊の活動については、公開については極めて慎重でなければ。
したがって、あの問題で情報公開をされたときに、今はまだできませんと、まず、だんと言うべきだったんですね。これは、そういうふうに、部隊の安全のみならず国際関係、あるいは生々しい、部隊について、固有名詞も出てまいります、そういうプライバシーの問題もあるわけで、これを今直ちに出すことはできない、将来は必ず出しますがというふうにすべきだったんですね。それを言えずに、全部出さなきゃいけないという強迫観念と、しかし実際問題として出したらいけないんじゃないかという思いとの中で揺れ動いて、あるのないの、隠蔽するのしないのというふうな不幸な袋小路に入ってしまったのではないかと思うわけです。貴重な歴史公文書を毀損、廃棄しかねないことに、つまり、国家の安全のために、今は管理するということができないために公文書そのものを廃棄しかねないという、両方失うという危険にさらした。
私が広島大学の先生をしていたときに、女性のゼミ生の一人が、自分のお父さんは、インパール作戦で部隊の中のたくさんの人が死んだのに生きて帰ってきた、なぜ父は生きて帰れたのかということを卒論に書きたいと大変変わった提案をしたので、それはぜひやりなさいと。お父さんから話を聞くだけじゃなくて、防衛庁戦史室の資料とあわせて、なかなかいい論文を書いている。中国新聞でそれが記事になったほどだったですね。これはやはり国民の財産でもあるんですね、どのようにして部隊がと。
彼女のお父さんの場合には大変おかしくて、馬をインパール戦に連れていったわけですね。馬の世話をすることによって安全を得たというんですね。つまり、戦闘が始まる前に、馬を連れて安全なところへ逃げなきゃいけないんですね。そのお世話をするということによって自分は生き延びたんだというふうなそういうケースもありましたが、そういうことを将来、国民が、自分の親なり祖先なりがあの作戦に参加した、そのときにどういうことをやったのかということがちゃんと使えるというのは、これは国民の公共財としてのだいご味の一つだというふうに思います。
報告書を拝見している中で、保存期間一年未満の特定秘密文書中、平成二十九年度中に廃棄されたものが四十三万件あるというのを見て、驚愕いたしました。しかし、内訳を見てみますと、そのうち四十万件は、原本が保管されているものの写しであって、写しにすぎないからというので廃棄したんだ、それから、全部又は一部の転記したものでしかないというので廃棄したと。それから、二万弱は、決定の途中段階のものであって最終決定にまで生かされたわけではないのでと言ってしまう。これは、私たち歴史家にして、そんなことをしてもらっては困る。
いろいろなオプションはあるんですね。そのオプションの中で、例えばアメリカの場合だったら、国務省がつくった案は軍の方に回されてきます。軍がそれに対して批判を言うわけです。賛成したり、反対したりするわけです。逆もまた真で、軍のものについて国務省がだめだと言ったりするわけです。
もとが、向こうに原本があるから、こちらでそれをどう扱ったかということを捨てていいわけじゃない。政府機関の諸組織の連携の中で最終的な決定に向かっていくわけで、それのもとがあるからといって消しちゃいけない。特に転記だとか抜粋とかいう場合には、それが非常に意味を持っている。どこをポイントとして受けとめて反応したかということは非常に大事なのであって、したがって、異論とか採用されなかった考えにも、最終案の理由が、逆に反映されていることが少なくない。結論だけではなくて全プロセス、その理由というのが非常に大事であるということから、安易に、もとのもの、原本があるからといって消すということを許してはいけないと思います。
それから、三千件余りは、日程、日常業務などの形式的なものであって、これはどうでもいいから捨てたというんですが、それは違うと思うんですね。
例えば、きょう誰と会ったとかは、どうでもいいといえばどうでもいい、政策決定に余り関係ないと思われるかもしれないけれども、実は非常に大事な意味を持つ。「佐藤榮作日記」というのが、七巻ですかね、出ていますけれども、「佐藤榮作日記」は鉄道員の報告書じゃないかと。何時何分発とか、そういう非常に形式的事実の列記がほとんどで、自分の思想とか考えなんかはめったに出てこない。でも、調べていくと、ああ、この日にこの人がやってきたのかというので、非常に、相手側の状況なんか入れると大きな歴史的意味を持ってくることがあるんですね。ですから、形式的な日程だけのことだからといって、それを軽視してはいけない。総理の一日はやはり大事なんですよね。
というので、四十三万件無造作に廃棄するということは考え直すべきではないかというふうに思います。
国の安全と国益のために機密文書をしっかり管理して、その運用手続を築き、そして研究し、作案、制度と、担い手が非常に大事でありますので、米村さんの主張と同じですけれども、これをしっかり強化、整備していくということが大事で、行政側にあって、特定秘密文書、それを動かす、管理する中心として独立公文書管理監を設け、情報保全監察室、そしてアーキビスト等による助言制度が必要だ。それぞれ非常に大事で、これを強化していかなければ、形骸化すれば危うい。それだけ難しく重要な問題だと思っております。
どうもありがとうございました。(拍手)