森田俊和の発言 (内閣委員会)
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○森田委員 国民民主党の森田でございます。
沖縄基地の負担軽減の御担当で菅官房長官、そして、国交の政務官、工藤政務官にも同席をしていただいております。二十七分間の時間をいただいておりますので、よろしくお願いいたします。
まず、米軍基地と、あるいは米軍との関係についてお伺いをしていきたいなというふうに思っております。
戦争が終わってから七十年が経過をしておりますけれども、いろいろなところで占領状態が続いているかのような、あるいは、その後に朝鮮戦争がありましたけれども、その朝鮮戦争のときの特別な協力体制みたいなものが継続しているというような事例というものが、どうもいろいろなところに見受けられるのかなというふうに思っております。
まず、横田空域の関係についてお尋ねをしていきたいと思っております。
まず、横田空域ですけれども、一都八県、この東京もそうですし、それから、埼玉、栃木、群馬、神奈川、静岡、新潟、長野、山梨ということで、ざっと言うと、東京の西側の太平洋から日本海側まで、階段状に二千四百メートルから七千メートルぐらいまでの大きな空域が、今、横田基地の管制の範囲内にあるということでございまして、当然、この中には横田基地があるとか、あるいは米海軍の横須賀の施設があったりだとか、キャンプ座間があったりとかいうことで、米軍の重要な施設も複数あるわけでございます。
せんだっての一月二十九日の、合意ということで聞いておりますけれども、この横田空域を通る羽田空港に行く新ルートが開設するということで合意をされたということで、これについては日本側が管制をするということで伺っております。
ただ、これは空域を返還するということではなくて、あくまで発着に対する管制のところの運用上のことであるということで、空域を返還したわけではない、こういう御説明を今までも答弁の中でいただいております。
第二次大戦の敗戦国であるドイツとかイタリアでも、こういう空域は既に今存在していないということでございまして、政府としても、これまで八回にわたってその空域を削減するということで交渉をされて、実現をされてきたということでございます。
敗戦で制空権をもちろん失って、それから航空機等を飛ばすのを禁じられたという期間がまずありまして、その後にサンフランシスコ講和条約で主権を回復したということで、その後、昭和二十七年の日米合同委員会の決定、合意ということで、全ての航空管制をまず一旦米軍がやるということで合意をした後で、ずっとこの経過をたどって、昭和五十年に航空管制に係る日米合同委員会の合意という中でこの航空管制の問題が決定をされてきたというふうに伺っております。
そもそも、この合同委員会の形そのものが、こちらの代表、日本側の代表は外務省の北米局長がお務めだ、アメリカ側の代表は在日米軍司令部の副司令官がお務めだということでございます。こういう大事な問題がそういう場で決められてしまうということが、果たしてこれが日本にとっていいかどうかというと、大いに疑問があるところでございまして、そこにいらっしゃる方というのは、アメリカ側の構成員というと、主に軍の関係者でいらっしゃいます。
そういったところの中でこういった合意がなされてきているわけなんですけれども、そこでお伺いしたいのは、国同士の、トップ同士のお話の中で、こういう空域の問題が扱われたり、あるいは返還をこちらから求めたりということがあったのかどうなのかということについて、お聞かせをいただければと思っております。