門博文の発言 (法務委員会)
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○門委員 自由民主党の門博文でございます。
きょうは、質問の機会を頂戴いたしまして、ありがとうございました。
主には、先ほど松田委員も御質問されておりましたけれども、部落差別の問題についてお聞きしたいと思うんですけれども、その前に一問、判事の政治的活動について質問させていただきたいと思います。
先日の委員会で、串田委員より、ある判事の政治的活動についての質問がありました。私も、そのとき初めてこのことをお聞きしまして、強い関心を抱きました。週末、自分なりに少し資料を当たってみまして、報道などの資料が主ではありますけれども、判事という職業が政治的活動を厳に慎むべきとされている中で、これが事実であるとすれば大変重大なことだと思いました。
日本国憲法第十九条で、思想及び良心の自由が保障されております。思想、良心の自由は尊重されても、それはあくまでも個人としてさまざまな思想、信条を持ち、また表現するのは自由ということであると思います。その一方で、憲法第九十九条で、天皇、摂政、国務大臣、国会議員、そして裁判官その他の公務員に、憲法を尊重し擁護する義務を課しています。
個人と職業人としての判事、それぞれの権利と義務、どちらが尊重されるべきなのでしょうか。
私が調べた限りでは、当事者は、この場合、匿名で意見表明をしております。後ろめたさを感じている証左であり、身分を秘匿して天皇制について異論を展開しているということであります。
こういう政治的なみずからの心情を主張するのであれば、例えば職を辞して、若しくは正々堂々とみずからを名乗り出て行うべきではないかと思います。その上で、憲法を尊重し擁護する責任を負う職業人として、この矛盾にどう向き合えるのか。憲法を尊重して擁護する義務を負う判事が、いかに個人的な心情とはいえ、憲法にある象徴としての天皇を否定するということは、その判事が下す判決に信頼が寄せられるはずがないと私は思います。個人的な思想と、職業として求められる判断基準、政治的中立を上手に区別して使い分け、職務が行われているのか、甚だ疑問に思わざるを得ません。
そこで、この件について、当局はこの事実を、真実を、どのように確認、把握しているのか、お聞かせいただきたいと思います。