角田由紀子の発言 (厚生労働委員会)
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○参考人(角田由紀子君) 弁護士の角田と申します。今日はお時間をいただきまして、ありがとうございました。
私は、ほぼ三十年近くセクシュアルハラスメントの被害者の側に立って仕事をしてまいりました。そこで、今日は、いろんな問題があるんですけれども、セクシュアルハラスメント被害者への、話題になっております司法的救済というのは本当に機能しているのかというこの論点に絞ってお話をさせていただきたいというふうに思っております。
一九八九年、御存じのように、一人の若い女性が職場での語りにくい女性差別をなくそうと、初めてセクシュアルハラスメントを理由として不法行為による損害賠償請求事件を福岡地裁に提訴しました。それ以前は、それを告発する言葉も法的枠組みも日本にはありませんでした。私は、その裁判の原告代理人の一人でした。それ以来、今日まで多くのセクシュアルハラスメント事件を担当してきましたし、ほぼ三十年間に様々な形態の事案も扱ってきました。
この申し上げました第一号事件は、九二年に不法行為であると認定されて、原告のほぼ全面勝訴で終わりました。私たちは、アメリカでのセクシュアルハラスメント事件の扱いに見習ったのですが、日本にはアメリカと違って職場の性差別禁止法がありません。そこで、私たちはやむなく、せめて違法行為として損害賠償をされるべきと考えて、当時、今もですが、使えそうな法律を含めてたった一つあった民法の不法行為を使いました。判決では、直接の行為者である編集長に加えて、原告と編集長が勤めている会社の不法行為責任が明確に認められました。
原告は、それが不法行為であり慰謝料の支払責任があるということを認定してもらうためには、性差別であるということを強調することが必要だと考えましたので、次のように主張しました。いわゆるセクシュアルハラスメントは、職場で行われる相手方の意思に反する性的な言動であって、労働環境に悪い影響を与えるような行為をいう、それは相手方、とりわけ女性を性によって差別し、性的自己決定の自由等のプライバシーを含む人格権を侵害するものであり、また働く権利を侵害し、ひいては生存権を脅かすものであって、憲法十三条、十四条、民法一条二等に違反する。このような性差別が許されないことは諸外国においても既に広く認識されており、さらに、女性差別撤廃条約、男女雇用機会均等法、労働基準法等々によりセクシュアルハラスメントを受けずに働く権利は法律で保障されているんだと。
つまり、性差別であって、自己決定権を含む人格権侵害であり、その結果、労働する権利が奪われ、挙げ句には生存権が奪われると、こういう三段階にわたる違法行為であることがセクシュアルハラスメントの特徴であります。
働く女性には、セクシュアルハラスメントはまさに死活問題です。私は三十年にわたって被害者に関わってきましたが、加害者からはたったそれだけのことかと言われるような出来事であっても、被害者は心身に大きなダメージを受け、仕事はもちろん、食べたり眠ったりする日常生活すら満足にこなせなくなっているということは決して珍しいことではありません。さらに、行為そのものと周囲の人々の誤った対応などから受ける屈辱感、自尊感情の破壊などがもたらす被害は、傷そのものが身体的な傷のように外部から見えないので理解されませんし、被害者は更に苦しむことになるのです。PTSDのもたらす心身の不調は、それを知らない人には単なる怠け者としてしか見えなかったりするわけです。
この最初の判決は、今まで法律問題とされてこなかった、しかし、働く女性の日常にとって、場合によっては人生を大きく左右する出来事を社会的にも法的にもセクシュアルハラスメントとして認めたものであると理解されています。
しかし、今、三十年を振り返ってみると、セクシュアルハラスメント事件は不法行為のカタログを一つ追加したにすぎない面があったのではないかというふうに思っております。なぜならば、いまだに不法行為の枠を超えられず、本当に被害者が求めているものを獲得できないからです。被害者の求めているものは、先ほどの中に出てきましたが、事実をセクシュアルハラスメントと認めること、それから加害者が謝罪すること、さらに再発防止策を取るというこの三つです。
ところが、セクシュアルハラスメント裁判を不法行為を使ってやってきた、現在ではその限界が私は大きく見えているというふうに思います。今回の改正案でも、法的解決手段としては不法行為裁判しか考えられていないようですけれども、三十年にわたってそのことを行ってきた私の経験からは非常にそれは不十分であるし、結論としては原告の救済になっていないというふうに考えております。
いろんな問題があるんですが、まず一つは、理論的な問題があります。不法行為法という法的枠組みは、性差別が本質であるセクシュアルハラスメントの事案に適しているのだろうかということです。問題の性質からこれは適さないのではないか、不法行為という枠組みはふさわしくないのではないかということを民法学者からも言われております。
例えば、立命館大学の木村和成さんです。不法行為法は、財産権の侵害に対する損害の填補を目的とするものとして形成、構成されてきた。人格権侵害に基づく損害賠償請求の多くは、不法行為法の機能である損害の填補を目的とするものではなく、他者の行為によって自身の人格が侵害されたことに対する個人の尊厳を守るための闘いであると言ってもよい。財産権の侵害と決定的に異なるのはこの部分であって、それを抽象的に権利侵害として不法行為法上の保護法益として論じることは、人格権の保護にとって適切であるとは言えないというふうに述べられております。つまり、本来、財産権侵害に対する金銭による填補を目的とするこの法律からははみ出してしまうのではないかということなんですね。
次に、被害者と加害者に平等な位置付けを与える司法手続、つまり民事訴訟はそういうものですが、という、しかし、これは非常に時間の掛かる手続はこの事案に対して適切かという問題があります。
不法行為は、御存じのように、元々個人間の利益調整手段ですから、被害者の権利と加害者の権利を比較考量を行うことは当然に起きるわけです。裁判になるのは事前の話合いが付かなかった事案ですから、事案としては非常にシビアな対立事件です。そこでは、加害者は、裁判になれば、支払わなければいけない賠償金を減らすために必死の抵抗をします。ありとあらゆる自分に役に立つと思われる主張、立証をします。不法行為であるわけですので、過失相殺という抵抗の場が与えられるわけなんですね。これは、民法七百二十二条が、「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」というふうに定めていることからも当然の扱いになってきます。
第一号の事件も、実は原告の過失相殺がされました。これらの事情やその他前記認定に現れた諸般の事情を考慮し、という決まり文句で、原告の請求した慰謝料は三百万だったんですけれども、認められたのは百五十万でした。
裁判は原告と被告とが攻撃、防御を繰り返す場ですが、過失相殺が許されることで、そのための主張、立証のために裁判期間は必然的に長引きます。これは、被害者から見れば、改めて加害者側の攻撃にさらされ、心身の負担が激しくなる二次被害の期間でもあるわけです。
過失相殺との関係で、セクシュアルハラスメント被害者の権利は理解できますが、加害者の権利というのは一体考えられるんでしょうか。仮に加害者の権利があり得るとしても、それは被害者の侵害された権利と並べて比較考量できるものなのでしょうか。更に言えば、過失相殺が許されても、交通事故裁判で百対ゼロということはあるわけですね。被害者の過失ゼロというのは当然認定することは可能なんですが、ジェンダー教育をほとんど受けていない裁判官にそれができるんでしょうかという問題です。
多くの裁判官は、男性原理に基づく経験則や曖昧な社会通念や世間の常識と決別できてはいません。自動車事故での過失の割り振りとは異なる困難がこの事件にはあります。ここが、同じ不法行為法による解決でも、自動車事故の解決とは根本的に違うという問題ですね。
そもそも、性暴力被害における被害者の過失責任、つまり何が注意義務違反かということですが、それは、性暴力に遭わないために被害者が取るべき言動があるということを前提にしている考え方だと思います。
それから、三番目の困難な問題は、不法行為法を基にして裁判を行いますと、ゴールは金銭賠償でしかないということですね。その上に、日本では賠償金額が非常に低いという問題があります。
セクシュアルハラスメントは、最初に申し上げましたように三段階にわたる人権侵害であって、しかもそれは性差別の結果です。しかし、そういう認識が明確にないものですから、裁判所に、被害は往々にして非常に低く見積もられてしまいます。性差別との認識は極めて低いわけなので、人によっては、さっき申し上げましたように、一生引きずるような被害を賠償してもらうことにはなっていないということなんですね。
現状の法案では、司法的救済としては相変わらず不法行為というものが期待されているようなんですけれども、それでは不十分であって、とても被害者の救済には役に立たないというのが三十年間これをやってきた私の結論でございます。
どうもありがとうございました。