近藤誠一の発言 (国際経済・外交に関する調査会)

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○参考人(近藤誠一君) 近藤でございます。
 私は、四十年間外務省に勤めておりまして、最後にユネスコ大使とデンマーク大使をいたしまして、退官後すぐに文化庁の長官を三年間拝命をいたしまして、退官をしてから五年半になります。本日は、そうした経験を踏まえて私の考えているところを述べさせていただく、このようなすばらしい機会をいただきまして誠にありがとうございます。大変光栄に思っております。
 お手元にレジュメと書いて、横長の九ページほどの資料がございます。これを適宜参照しながら、最初の二十分間の陳述を行いたいと思います。
 本日お話ししたいことは、まず第一に、国際関係というのにはいろいろな行動主体、アクターがおります。国家が最大の力を持っておりますが、それぞれの主体には長所があり、欠点がある。したがって、なかなか安定した秩序というのは継続しない、それが現実だということが第一点でございます。特に、最近はグローバル化、あるいはITがどんどん進んでいるということで、そのリスクがむしろ増幅している感があるように思います。
 第二点は、そうした状況を改善していくためには何が大事かということでございますが、それは今日のテーマであります文化、人的な交流というのが、もう語り伝えられていることではございますが、こういうときこそ人間が人間らしく心と心を通じ合うということがやはり一番大事なんだということを申し上げたいと思います。
 そして、最後に、国家、企業、個人あるいは市民社会といったいろいろなプレーヤーがこれからも国際関係で活躍をいたしますが、それぞれがどういうことをやればこの極めて難しい国際関係が秩序が保たれ信頼が醸成されていくか、私なりの簡単な意見を申し述べさせていただければと思います。
 まず、レジュメの二ページになりますけれども、当然ながら国際関係の主役は国家でございます。世界には国連加盟国百九十三ございます。地球の表面を百九十三の主権国家が完全に分割をしているわけでございます。南極大陸以外は全て国家であるということで、もう国家の存在が当然だという時代になっております。
 国家というのは、目的は国を治めること。安全を守り、繁栄を守り、国民の財産を守る、それが第一の目的だということで重要な役割を果たしておりますが、時として組織にありがちな、逆さの論理というんでしょうか、その自分の目的のためにそれ以外のことに十分に配慮が行かなくなる傾向がある。常に計算をしながら、自分の組織、国なら国にとって何が一番プラスかということを考える。それが時として紛争の原因になるということですね。
 国際司法裁判所には管轄権がございません。それを受け入れる国に対してしかないということで、国内のような秩序をつくる、立てるシステムが国際関係にはないということがなかなか国際関係が安定しない大きな理由になっていると思います。どうしても対立、排除ということになりがちなのが国家の欠点だろうと思います。
 実は、そのことを、一九四五年にできましたユネスコのユネスコ憲章というところにそのことが書いてあるんですね。お手元の資料、恐縮でございます、八ページの一番上にユネスコ憲章からの引用を書いてございます。「政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。」。政治や経済で幾ら合意しても、それは必ずしも永続的に守られるとは限らないということを、早くも国連ができたその年にユネスコの創始者たちが言っていると。したがって、文化というそういう排除の論理がない組織でそういう仕組みをつくってみんなが協力することが大事なんだと、それが本当に平和をつくっていくんだ、秩序をつくっていくんだということを早くもこの年にユネスコが宣言をしたということが大変重要であると思います。
 それから、二つ目のアクターは、当然ながら企業でございますね。企業は、経済力を力の源泉としまして、世界の繁栄そして連帯に役に立っております。しかし、当然ながら利益がどうしても第一になるということで、また再び排除とかそういう対立を招くことがある。と同時に、最近の金融危機に見られますように、思わぬことでコンピューターが勝手にどんどん動き出して、今アルゴリズムと言うようですが、株式市場がとんでもない方向に行ってしまう、そういうリスクがまたどんどん増えている。それもなかなか、企業は利益を追求する余り、悪気はないんですが、結果的にそういうリスクを招いてしまう、そういう存在であると言わざるを得ないと思います。
 それから、三ページに行きまして、個人でございます。個人というのは、力は弱いですが、やはり必ず良心というものがあります。国家にも企業にも、そういう組織には心はございません。組織を運営している人には心はありますが、組織には心はないので、どうしても利益とか権力の方向に進み過ぎてしまう。それに対して、個人には良心、心がありますので、一人一人の力は弱いけれども、それがうまくまとまれば大きな力になる。特に民主国家では個人の、選挙により、あるいは市民社会の活動により、その政治、経済にも影響を与えることができる。それが個人のこれからますます期待される役割であり、だからこそ文化交流、人的交流はこれからもっと大事にしなければいけないというのはそこから来るわけでございます。
 しかし、もちろん個人にも欠点はございます。個人には感情があります。どうしても恨みが残ったり利己主義になる。それが積もり積もると、最近よく言われるポピュリズムという、本来の社会の在り方とは反するような方向に国や社会を導いてしまう、そういう欠点も個人にはあるということでございます。
 その個人が集まった市民社会、これは国とも企業とも違う組織として、良心を代表するものということで、これから更に重要になっていくと思います。しかしながら、ここにもポピュリズムを増幅するというリスクもあると思います。
 そういう意味で、国家、企業、個人、市民社会、それぞれ役割があり、それが時代とともに徐々に変化はしておりますが、それぞれ長所があり、欠点がある。どうすればその長所を生かし合って秩序を保っていくか、そこが大事な鍵になると思います。
 四ページ目に参りますが、現在、非常にリスクが増していると思いますのは、グローバル化により競争がどんどん激しくなる。そうしますと、国家も企業も、ともかく目の前で領土を守り、あるいは自分の会社の利益を確保する、もうそれにきゅうきゅうとしてしまって、中長期的な、あるいは世界全体のことに必ずしも目が向かない。それが、ますますそのリスクが増幅している。グローバル化はいろいろいい点もありますが、そういうマイナスもあるということ。
 あるいは、コンピューターの発達、AIの台頭、登場、これがどういう方向に行くか分かりません。大いにプラスになる面もありますが、逆にそういう各プレーヤーが持っている欠点を増幅してしまう、そういうコンピューターの競争になって、それが結果的に誰もが、にとってマイナスになってしまう、そういうリスクもあるということで、国際関係の秩序のためのリスクはむしろ増しているとさえ言えるかもしれません。おまけに、核兵器、それからサイバー攻撃といったものがどんどん進んで起きます。
 そういう意味では、何かあったときの被害の大きさが甚大なものになる、そのようなリスクが高まっているということで、だからこそ、何とか各プレーヤーが協力をして、それぞれの長所を生かしながら秩序、平和を保っていくようにしなければいけない。その鍵となるのが、五ページに入りますが、自由な文化、人的な交流であるというのが私の考えているところでございます。
 先ほど申し上げましたように、個人の持っている良心というものを思い切って前面に出し、それが連携をすることで、時として政治や経済が犯しがちな間違い、そういったものを、正すことはできないかもしれませんが、そういったものに影響をされずに、信頼関係を個人ベースで、市民ベースでより確たるものにしていくことによって、何か問題が起きてもそれが大きな危機に発展しない、歯止めにすることができる、そのように考えております。
 それから、文化というのは、異なるものにあっても、それを排除、相手を排除することではなくて、一緒に何かやろう、相手からインスピレーションを得、自分もインスピレーションを与えて、お互いに新しいものをつくっていこうという前向きな刺激を与え合うのが文化芸術だと思います。政治、経済が時として、利益が合えば協力しますが、利益が合わなくなると対立、排除に行きがちですが、文化というのは常に異なるものを受け入れ、そして協力の道を探る、そういう力があると思います。
 そういう意味で、個人が文化の力で交流を進めるということは、相互の信頼関係を増し、前向きの姿勢をつくる、国民感情をつくるという面で大変重要であろうと思います。
 ソフトパワーということも今日のテーマですが、恐らく渡邊先生がより詳しくおっしゃると思います。私も、そのソフトパワーをいかに日本として使うか、あるいは、各国がソフトパワーをうまく使うことによって、その文化を通した個人間の信頼関係をお互いに増していくと。自分だけがいい、自国だけがいいということではなくて、地域で、あるいは世界で、それぞれがソフトパワーを学び合い、感動し合って、仲よくなるという、ちょっとナイーブに聞こえるかもしれませんが、やはりその力をもう少し我々は再認識をして取り戻すべきではないか、そしてそういう仕組みをできるだけつくっていくべきではないかと思います。
 アジア太平洋諸国、特に日米中韓、どのようなソフトパワーがあるか。これは、後ほどもし時間がございますれば、御関心があれば私なりの意見は申し上げますし、お手元にございます資料の中で、アジア太平洋の秩序という、私が一論文を書いた本の資料、コピーがございます。御関心があればそれを御参照いただければと思います。
 そして、最終的に、じゃ、誰がどのようなことをやればいいかということになりますが、六ページの後半に書いてございます。やはり国家の役割が一番大きいことは間違いございません。しかしながら、この自由な人的交流には余り国家そのものが介入をしない方がいいんではないか。個人が持っている良心、新しいものを見、文化を通して感動をし、一緒に何かやろうという気持ちをなるべく大切にして、それを促進するような環境をつくる。あるいは、それを阻害するような、入国制限とかいろいろな制約がございます、そういう制約を取り払うと。市民を信じて、市民の良心を信じる、それが国家の一つの大事な役割ではないかと思います。もちろん、テロの防止とか安全保障、富の創造、これはもう引き続き大事でございますけれども、事市民交流に関しましては、なるべく道を整備することに徹するべきではないかと思います。それによって市民交流の持つ力がより顕在化してくるんではないかと思います。
 そして、特に、実は昨年の夏に、日韓関係は今相当ぎくしゃくをしておりますが、河野外務大臣の御依頼もございまして、日韓の文化・人的交流の促進に関する有識者会合というのが持たれまして、私がその座長を仰せ付かりまして、その結果としての提言もこの資料の中にございますが、この提言で申し上げていることの一番の肝は、政治はどうしても、特に隣国関係では紛争は避けられない、したがって、起こるのを防ぐのは大事ですが、一旦起こってもそれを何とか合理的に処理するとともに、その政治的な対立が国民感情とか市民交流に影響を与えちゃいけないということをはっきりと認識をし、政府としては、今、隣の国とこういう問題がある、これは合理的に処理するから、あなた方は、市民は引き続き民間交流やりなさい、お互いをもっと知りなさい、それが中長期的な友好関係、秩序の基礎になるんだということをはっきりと政府は言うべきだというのがこの提言の一番の肝でございます。
 さもないと、どうしても、国の体制にもよりますが、こんなに政治がぎくしゃくしているのに文化交流を続けていいんだろうかとか、あるいはいろいろなヘイトスピーチ的なものが飛び交いますと何となく手控えてしまう。自分自身も何か不愉快に思ってしまう。それは人間だから仕方はありませんが、それはあくまで短期的にはそういう利害が対立することはあり得るんで、もうそれはそれだと。言葉は良くないかもしれませんが、もう主権国家同士のゲームとして問題を扱っているんで、自分たちは関係ないんだと、俺たちは隣の国のキムさんとパクさんと仲いいんだからそれを続けるんだという、それを継続することが大事であるということだろうと思います。これは言うはやすく行うは難しいと思いますが、ここが今後、文化交流、人的交流がその役割を果たしていく上で、国家の役割として、そして市民交流の中心になるものとして大事なことではないかと思います。
 七ページに、「「顔の見える」友人関係」という表現が括弧三にございます。何か問題が起きた、政治的な問題がまた復活したと。またかと思って暗い気持ちになりがちですが、いや、でもあの国には何とかちゃんがいる、ああ、あの人はこんなことを考えているはずがない、これはまあメディアがちょっと報じているだけでというふうにすぐに顔が浮かんでくる。そういう関係になればなるほど、そういう時として起こる政治問題は、あるいは歴史問題は、合理的に最小限の労力で処理することができる、国民間の信頼関係は徐々に増していく、そういうことを目指すべきではないかというふうに考えております。
 そういうことで、日本の魅力という点で、八ページの注二というところに、二〇〇二年ですが、ダグラス・マグレイというアメリカのジャーナリストがフォーリン・ポリシーというアメリカの外交の雑誌に書いた論文で、グロス・ナショナル・クールというのがございます。もう御案内と思いますが、GDPという、経済で物を測る時代ではもはやない、プロダクションで国力を測る時代ではない、クールであるかどうかが大事なんだという論文で、日本の文化のすばらしさ、それが、ずっと近代主義が来て、今、欧米は近代の次を探し求めている、ポスト近代を求めているときに、それは日本の文化こそポスト近代なんだと。欧米の方々がポスト近代ということを語り始める前から日本はポスト近代だったという面白い言い方をしておりますが、日本がずっと続けてきた日本の文化のすばらしさ、それを、明治のときに西欧からの文明が入って、それをうまく処理、消化しながら維持してきた、その維持してきた日本の文化が実は欧米が今探し求めているものに極めて近いんだという、そういう趣旨のことを言ってくれまして、これは本当に私どもが言いたいことをジャーナリストとしてうまくレトリックを使って言ってくれていると思いましたので、こういう意味で、自信を持って私どもは日本文化のすばらしさを我々自身が認識していくべきではないかと思います。
 それから、一番最後に、言論NPOというNPOがございまして、そこが毎年やっている日韓、日中の世論調査の中から一つ取ってまいりました。
 人間交流が大事だという一つの証拠としまして、日本においても韓国においても、相手の国に行ったことがある人とない人とではこれだけ相手に対する好感度が違うということ。一度でも行っておけば、その国を知る、メディアとかステレオタイプ的な伝聞のイメージとは違う。やっぱり現実を見、実際に人と会うことが大事だと。そういう意味で、人的交流というのはそういう意味でも大事なんだということを示す一つの証左ではないかということで、最後に付け加えておきます。
 以上でございます。ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 近藤誠一

speaker_id: 9916

日付: 2019-02-27

院: 参議院

会議名: 国際経済・外交に関する調査会