白波瀬佐和子の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(白波瀬佐和子君) よろしくお願いいたします。
本日はこのような機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。現在進行形で考えていることを含めて、今日お話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
題は、これからの日本の在り方ということで、最初に会長の方からありましたけれども、あらゆる人々が参加できる社会を目指してどのような具体的な考え方なり政策の展開の仕方があるのかということで、その検討の際の少し参考になればというふうに考えております。
全体の話の流れということなんですけれども、実は、最初の高田先生のデータは、私の、どちらかというとその前提条件というか非常に基礎的なデータで若干重なっていますので、私としては大変有り難いなというふうに考えております。実態把握ということで幾つかデータをお見せして、それはできるだけ早くお見せして、考えていることを中心に話をしたいというふうに思います。
これまでから、少し、奇跡的と言われた経済成長ということで、六〇年代、高度経済成長、実は若年層の中にもそういう価値観というのがまだ残っているんじゃないかという話もあったんですけれども、平等社会日本という言説ですね、特に七〇年代終わりから八〇年代にかけてということがあったんですけれども、九〇年代に入る頃になって格差議論が出てきます。
ただ、ここでは大きく二つの流れというか異なる言説がありまして、最初の一億総中流社会の基礎になっているデータは意識調査です。社会を例えば五つに分けるとすると、あなたはどこにいるでしょうかという調査です。その質問に対して大体真ん中ほどという結果をもって、日本の人たちは大体真ん中にいるみたいだというふうに思っていて、不平等を考えていない、感じていないよという、こういう言説が生まれたわけです。
九〇年代に入る頃、格差議論があったのは、これはジニ係数、いわゆる最初の高田先生からもありましたように、全く平等な社会を想定した場合から実際の世の中はどれだけずれていますかというのがある意味のジニ係数の意味なんですね。そのずれをもって比較をして日本というのはどれぐらい平等ですかといったときに、橘木先生の方から、実はそんなに平等じゃなくてアメリカと同じぐらい、あるいは高い不平等だよと、こういう話です。実は、その背景にあったのが急激な人口変動、特によく聞かれるのが少子高齢化ということです。
未来の社会の構想ということになりますと、この社会を構成する人々の年齢構成、この年齢構成が人個人のライフステージの位置と連動していますので、六〇年代とは違った多くの人々のライフステージのありようと制度との関係をこれからどういうふうに考えていくかと、こういう議論になってきます。結論から申し上げると、今日強調したいのは、ダイバーシティーという考え方がいかに大切かということであります。
これもよく授業の方でも見せるんですけれども、急激な人口変動ということで、一九六〇年代と、それから四半世紀近くになった二〇一五年の、いわゆる中間年と言われている国勢調査の結果なんですけれども、高度経済成長、政策がうまくいった、産業政策がうまくいったというような議論もありますけど、足下のところで非常に潤沢な労働者がいたということ、非常に質の高い労働者がいたということと、社会的に面倒を見るべき高齢者層がこういう形で、赤いところなんですけど、非常に少なかった。それがメタボになりまして、これから現役層に入っていく人たちがすごい小さくなって、上の社会的にも支えなきゃいけない人たちがこんなに多くなりましたよということであります。視覚的に見ても、このような形で非常に世の中の人口の構造が変わってきた。
私も実は社会学なんですね。言っていることはちょっと違うかもしれないんですけど、社会学を専攻しております。この人口変動というのは非常にマクロな話なんですけれども、それを少しミクロな観点から、つまり個人とか家族の観点から解釈しますとどういうことが起こっているか。これも高田先生の方からありましたけれども、世帯構造あるいは家族類型と言われるわけですけれども、三世代世帯とかよく言われると思うんですが、これ世帯構成ですね、世帯構造、これが変化してきて、独り暮らし、夫婦のみ世帯が増えてきたと。
それは具体的にどういうことかというと、平均的な世帯規模が小さくなってきた。これは単独世帯、独り暮らし世帯ということと連動します。この独り暮らし世帯が増えてきたという背景には、高齢者が一人でも暮らせるようになった経済的な背景があるという側面もあります。ですけれども、例えば少子化という観点からすると、日本というのは、結婚ということを契機に自らの世帯を半永久的に持つわけですから、結婚の時期が遅れますと親との同居期間が長くなるわけですけれども、親も高齢化して、親が亡くなると、結婚しないで独り暮らしになると、こういう形になります。
そういう場合の家族規模の縮小というのが一体どういう意味を持つのか。これはマクロ的には、もう年金との関係もあるんですけれども、世代間のアンバランスがありますし、異なる世代の社会的な経験の違いですね、親は自分の生活が豊かになると思って大きくなり、仕事をしてきた、将来の構想もできた、しかしながら、自分の子供を見ると、自分と同じようにはどうも豊かにはなってくれない。実は八〇年代の、もうこれも九〇年代、ニューヨーク・タイムズにも出ていたんですけれども、いや、よく考えたら、自分の子供たちって決して自分よりも豊かにならないでしょう、これがやっぱり全体の世の中の将来に対する見方を非常に悲観的にします。これが将来への見通しの悪さということにあります。
このようなマクロな、まあ社会的な意識というのは基本的には平均値なので、個人一人一人の幸せ感とか一人一人の満足度とはちょっと違うんですけれども、そういうマクロな意識の固まりの傾向が人々の一人一人の生き方の違いと連動しているという、こういうことになります。
これはジニ係数。これは高田先生からもありましたので、この辺りは、マクロな不平等の違いというのは、八〇年代から見ますと確かに右上がりにはなっているんですけれども、それ以降についてはそんなに大きな、マクロのところで急に大きくなったり下がったりとかというのはなくて、全体の傾向というのはある意味では安定的なんですけれども。
これを国際比較してみますと、これも高田先生からもありましたように、日本の位置はそんなに低くもないけれども高くもない。これ、右側の下の方にジャパンというのがあるんです、右側に近いところにジャパンというのがあるんですけれども、この縦の棒がジニ係数で、貧困率というのに低い方から高い方でちょっと並べてみたんですけれども、アメリカに近いような形で貧困率もありますねということです。
ただ、貧困率というのは、これは全体の貧困率ですけれども、子供がいる世帯から子供の貧困率を算出したり、高齢者から貧困率を算出しますと、あるいは若年層で貧困率を算出しますと、それぞれ順位が変わってきて、実は若年層の貧困率、二十代から三十代初めですね、貧困率はOECDの中でも比較的高い位置にあります。高齢層については比較的高いというのは既に言われているんですけれども、若年層も高い。
これは、実は所得についてはよく高齢化の格差とともに議論されるんですけれども、所得は世帯を中心に見ています。それは、人々の生活が世帯という一つの消費単位の中で営まれているので、一人一人、若者といっても、世帯主、親と同居していたらその家族の中に入っていると、こういう構造です。
世帯主の年齢分布というのを、向かって先生方の左側なんですけれども、見てみますと、これ九〇年代から二〇一六年ということで、国民生活基礎調査という厚生労働省のデータを研究で貸し出してもらってやった結果なんですけれども、こんな形で非常に世帯の年齢分布が変わっています。
それで、これとともに世帯階層別にジニ係数を見たのが右側で、これも高田先生の結果と一致しているんですけれども、高齢層でジニ係数が下がっている。これはどういうことかというと、やっぱり大きく貢献しているのは全体の社会保障の底上げです。特に、女性の独り暮らしというか、女性の年金権が出てきていますので、貧困層が上がって、かつては七〇%も高かったんですけれども、それが高いけれども五〇%になっていると。それが全体としては低くなっているという、こういう構造になっています。
ただ、全体としてはジニ係数上がっているということですね。非常に高いところは、若年層で、二十代のところは上がっているんですけれども、それは少子化とともに、この二十代の世帯を形成している世帯主が、全体の晩婚化に比べると、いわゆる統計的にはセレクションバイアスと言いますけれども、誰がこのデータの中に出ているのかといったら、全体の晩婚化の中では若干早く結婚して自分で世帯を営んでいる人に近い人がここへ出ていると、こういうことになります。これが意識のところで、ちょっと阿部先生からも議論があったんですけれども、一つ強調したい。
これ、きっと面白いだろうなと思うんですけれども、私は面白いと思いました。国際比較研究でミクロデータがあるんですけれども、そこで自分の父親と自分自身の地位を比べるとどうですかといったときに、大体同じぐらいというのが真ん中ですね。いや、自分の方が地位としては低いよと、対象者は自分自身ですから、自分自身から見てお父さんはということなんですね。この青いラインは、実は日本なんですね。若い人たちは、自分の親よりも自分自身の社会的な地位が低いというふうに言っている人たちが明らかに多くなっていますという。この結果についてはこういうことです。ただ、どういう人たちがこうなのかという細かい分析までは今回は持ってきておりません。
今、全体の格差ということでは、世帯規模の縮小と貧困率の違いとか、それと未婚化、晩婚化ということで、未婚の子供がどこにいますかということをちょっと持ってきたのが右側なんですけれども、やっぱり年齢が高い未婚子、結婚していない人たちが親と一緒に暮らしているという割合はどんどん増えていますので、特に男性の方で増えていると。実は、高齢層で、その子供も高齢な、もうなっているんだけれども結婚していなくてという人たちは、貧困層というか、経済的な困難度としても非常にリスクは高くなっているという、こういうことです。
これは、高齢層として、その背景的にどういうことが言われるかというと、これはもう資本ということと連動するんですけれども、全体がやっぱり、自分自身の生活は社会的な移転、代表的には年金ですね、これでもって生活している人がどんどん多くなりますよというのが向かって右側のラインです。ですから、全体の格差なり経済的な不平等度を見るときには、自分の雇用の収入だけではなくて、社会的な移転ということもより考えなくてはいけないということと、資本という点では、これも既に高田先生からも言われているんですけれども、自分の所得だけということになると、働いている人たちがどんどん少なくなりますので高齢層は収入、所得が下がります。
ただ、蓄積という点では、平均値ですけれどもかなり上がる。ただ、高齢層の中でもゼロ貯蓄という人たちが一割以上、その割合は高くなっておりますので、そういう意味では、資本を入れた形で、ストックを入れた形で全体を見なくてはいけない。ただ、自分の蓄積、貯蓄の額が多ければ大きいほど実は親から遺産を継承したという割合が多くなっているというのが向かって左の調査結果であります。この辺りはもう基本的なところですので、データですので、もう御存じのところであります。
ですから、特に年金、医療というところで社会的には非常に、これを負担というのかどうかということもありますけれども、社会保障給付費が上がっていると。
これもライフステージの話なんですけれども、再分配というところでは全体としては若干改善されているんですけれども、それは社会保障制度の再分配効果が高齢層に偏っているので自然増している部分もあるんですけれども、これがより具体的なところで、やはり高齢層の再分配効果にかなり偏った形で社会保障制度が形成されていて、これはその他の福祉というところとよく議論されるんですけれども、若年層を社会保障制度の中でどう入れ込んでいくのか。今までは現役層と高齢層という形で世代間の再分配ということがあったんですけれども、なかなかそれだけでは立ち行かなくなっているよということ。
そして、現役層の意識という点では、実は現在の方が苦しいよと言っている人の割合が増えていて、その背景には、例えば自分の子供、成人してうちにいるというケースが増えていますので、その被扶養者が同居するということが結局自らの暮らし向きを悪くしているということです。
それで、結局、ここまで来て何を言いたいかということなんですけれども、やはり日本というのは、これも議論があったんですけれども、世帯との構造、あるいは家族との関係で形成されてきたという部分がありまして、特にそれは前提条件としてあったんですね。その前提条件として、それが標準型家族とかって言われているんですけれども、ポイントは、前提が崩れたときにその前提を補完するような制度形成になっていない、つまり前提が崩れたらそのまま制度のアクセスがなくなってしまう、これは転げ落ちる社会というふうにおっしゃった方もいますけれども、そういう社会になっていますよということです。様々な家族があり、様々な生き方があるということを制度設計の中で入れなくてはいけない。
それは、例えばイギリスなんかだと、独り、シングルが増えているからということなんですけれども、さて、このときに、じゃ、どういう意味でダイバーシティーかということなんですが、多様性とか誰も、あらゆる人々ということが一つのキーワードなんですけれども、多様化というのは、全ての人が多様ということをランダムに考えても、それはやっぱり現実的にはならない。やっぱり少数派、マイノリティーの方々がどういうような生活をし、どういうような問題があるのかということを共有して初めて多様化の議論ができるということです。
ですから、多数派のための多数というわけではなくて、そういう意味では、高齢化しますので、高齢層にとっての議論というのがある意味で自然な流れになると困る。つまり、若年層というのは、全体的に少なくなっている人たちの生活状況なので、この若年層の人たちを未来どういうふうに一緒に良くしていくかということは、少数派というところでの意識的なウエートの掛け方ということで重要になるのではないかということであります。ですから、そういう考え方を持って初めて違うということが、要するに、世の中にとってどれだけ不利でなくするべきなのかという議論ができてくるのではないかと思います。
ですから、世の中が様々であろうということは自然には分かりません。意識的に知ろうとしないと駄目だということですので、その事実に自らの手を伸ばすということがまず大切になってきて、この手を伸ばすという行動の背景にある考え方なり学術的な背景がいわゆる人文社会的な学問体系であり、まあそれは、科学の必要性というのはここに出てくると思います。
自分の生活圏というか、社会学の中で社会階層論が専門なんですけれども、そこでの基本は、実際の実体験の生活って物すごくやっぱり限定的だということですね。安易にその一つのイメージで語ろうとしてしまうと。ですから、自らの生活というのが意外と同質的だということを意識的にすることによって、それ以外の生活圏に対して想像力をたくましくするということが非常に重要ではないかと思います。
やっぱり、貧しかった、国としても貧しいときには目標をある意味で立てやすい環境もありましたし、その目標に向かって走り得たという事実もあるんですけれども、多様であるということに対して寛容である余裕もなかったし、そういう社会ではなかったと思います。過去を否定するつもりはなく、その過去は、やっぱりある意味で他国に達成できないような達成を日本はやってきたという歴史はあると思うんですけれども。
さて、これから市場も日本の中でグローバル化します。これは学生たちにも言っているんですけれども、競争相手は自分と同じ国籍を持っている人たちだけではないと。そうしたときに、自らの考え方をいかに理解してもらい、その自らの考え方の優位性を説明、納得させるためには何が必要なのかというのがやっぱり考える必要があるのではないかということであります。
ですから、日本が多様であるということに対して寛容でなかったという事実はやっぱりこれから改めるべきであるし、多分、積極的にこれからの時代を勝ち抜くためには非常に大切なインフラになってくるんじゃないかと思います。
以上です。