青山繁晴の発言 (資源エネルギーに関する調査会)
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○青山繁晴君 ありがとうございます。自由民主党の青山繁晴でございます。党利党略でなく、国益のために質問いたします。
原子力規制委員会は、西暦二〇一二年の発足から七年目に入りました。今回、質問するに当たって準備をいたし、実は改めて被災者の方ともお話をいたしました。正直、胸潰れる思いであります。足掛け七年の間お会いしてきた村長さんから、漁家漁民の方々、農家の方々、それからサラリーマンの方々、子供たち、被災地の苦しみは全く終わっていないです。あるいは、変わっていないです。この審議もどういうお気持ちで御覧になるかと思えば苦しい気持ちがありますけれども、それを踏まえて、あえて幾つかお聞きしたいと思います。
今日、私は、ありがとうございます、質問時間を四十五分もいただいていますけれども、前半は原子力で、後半は私たちの自前資源のメタンハイドレートのことをお聞きしたいと思います。
話を戻しまして、原子力規制委員会の発足は二〇一一年三月の福島原子力災害を受けてのことであるというのは周知のことであります。それは、まさしく緊急に行われた発足でもあったと思います。
二〇一一年当時、不肖私は、二〇一一年の四月の十五日に、許可を得て警戒区域の中の被災地、一人で回りまして、余り余談をしている時間はないですけれども、全く無人で、食べかけの御飯が残ったおうちの台所が見えたり、誰もいない中で、牛に豚に猫に犬、いっぱい動物が僕に寄ってきまして、既にがりがりに痩せていました。その一週間後に、これも許可をいただきまして、吉田昌郎、1Fの所長だった吉田さんの許可を得て、四月二十二日に作業員以外では初めて1Fの中に入りました。
当時は、例えば二号機、三号機の間のところに一シーベルトの箇所もありました。一ミリではなくて一シーベルトです。したがって、これも吉田当時の所長との話合いの結果ですけれども、作業員の方々が入っていないところも、専門家の端くれの責任としてつぶさに見てまいりました。
今日はそれを踏まえて改めてお聞きしたいんですが、まず、その原子力規制委員会が緊急の状態でつくられたということについて、そろそろ地元のためにも体制と実績について謙虚な見直しが必要な時期ではないかと感じております。冒頭あえて余談も含めて申し上げたのは、強い危機感は絶対に維持しないといけないです、決して風化させることがあってはいけない。同時に、言わば冷静な平常運転になるべき時期だと考えています。
この原子力規制委員会ができるときに、霞が関との癒着を避けると称してわざわざ六本木の民間ビルにつくりまして、当時、不肖私の専門分野のうちの一つが危機管理で、そのうちの一つが原発テロ防止でしたから、発足したての原子力規制委員会行くために、まあ遠いのでコストと時間ばっかり掛かって、はっきり言うと、これ一種の虚栄で格好付けで、まるで違うビルに行ったら。霞が関との癒着は本当にありましたから、原子力安全・保安院には。学者の方々もたくさん癒着されていました。それをごまかすかのように六本木のビルに行ったというのは何たることかと思って、ビルに入るとき受付でもめたのを覚えているんですが。
それがようやく、平成三十二年度以降に霞が関に移転することになった。政府の公式な説明では、前は場所が足りなかったんだという説明になっていますけど、実態はイメージを変えるためであったと思います。しかし、これも含めて冷静に見直す時期に入っていると思います。
例えば、この後いろいろ議論があることにあえて触れますけれども、癒着をしていないという証拠を見せるかのように全部の議論を公開で行うということもやってきました。本当は全部ではないけれども、大半の議論を公開でやって、ネットで中継するということをやってきたわけですけど、実はこれはテロリストに情報を与えるような部分もあります、ありましたじゃなくて。私は、そのネット中継を見ていてぎょっとすることも何度もあったわけです。
したがって、これはまだ一例ですけれども、無原則な情報公開じゃなくて、情報のあるべき公開について改めてきちんと議論をいたし、ルールを議論して作り、国民に問い、何よりも国会で審議すべきだと思いますけれども、委員長の御見解をお願いします。