岡島一正の発言 (災害対策特別委員会)
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○岡島委員 本来、総理や菅官房長官にお伺いしなきゃならないことだと思っていますが、この形が何であれ、中身がきちんと対応したということであれば、私は中身について、資料がこんなに積み重なるほど、また、自分自身が千葉県じゅう走り回り、佐賀県も回り、指摘したいことは本当に山ほどを超える山ほどあります。しかし、その前に、最初の一歩としての司令塔がしっかりしていたのかということがとても問われるわけです。
そして、形は違うけれども、中身はしっかりした。官房副長官、私は、災害担当のニュースデスクを五年やったことがあります。普賢岳の噴火もたくさん現場にいました。火砕流にも遭いました。ああいう現場にいる人々、今回でいえば首都圏など、特に千葉県などの住民からすれば、形が見えないのが怖いんですよ。夜のとばりが暗闇として恐怖に感じる。形が見えない。形が見えれば待てるんです。形が見えれば我慢できるんです。これだけの被害が出ているのに、その形が十分だった、災害対策本部も設けなくても大丈夫だった。三十三回開いているんですよ、これまで普通に。
この間、政府が何をしていたか。調べていけば、マスコミ報道にもありますように、内閣改造が行われました。特に、この資料によれば、十一日には、この日はとても私が経験したことのないということで千葉県じゅう走り回っているときでした、ラジオから内閣改造のニュースが流れました。ちょっと待て、うそだろうと、一緒にいる秘書にそんなことあるわけないだろうと思わず言いました。まさに被災地で何が起きているか掌握できていないのが、それがマスコミも含め、あるいは行政も含め、住民も含め、そういう状況の中で内閣改造のニュース。私は耳を疑いました。
そんな中で、九日も十日も十一日も振り返りつつ、十二、十三、見ていくと、総理は、大体夕方から夜八時ごろ、遅くても、ピザを食べて十一時に帰った日もあるようですけれども、早々に引き揚げている。内閣改造が刻々と進んでいった、大臣や副大臣の認証などが行われていった、任命が行われていった、そういった中で起きていたのは、形が見えないでどうなるかわからない、まさに暗闇の中の多くの県民、住民だったんです。
内閣改造をこの時期に断行したというか決行したこと、あるいは普通にやったこと、断行じゃないでしょう、普通にやったように見えます。これについて、正しかったんでしょうか。それを、西村官房副長官、お答えください。