加田裕之の発言 (災害対策特別委員会)
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○加田裕之君 自由民主党参議院、加田裕之でございます。初当選をこの七月の参議院選挙でさせていただき、災害対策特別委員会は第一希望で入らせてもらいましたので、この質問の機会をいただきましたことに感謝を申し上げたいと思っております。
早速ですけれども、質問に入らせていただきます。
まず一点目なんですけれども、平成七年一月十七日五時四十六分、あの阪神・淡路大震災が発生いたしました。来年でちょうど二十五年の節目のときを迎えます。
当時、私は、神戸新聞の子会社であります神戸新聞マーケティングセンターというところで企画編集部で担当しておりました。そして、震災発生時からは、この避難所のルポ、それからまた、復旧復興に取り組む人たちの、言わばそれに向けて懸命に取り組む人々の姿を取材してまいりました。例えば、商店街が潰れた、そして市場も潰れてしまって売る物がない、そうなれば、軽トラを借りて新鮮な野菜を届けようということで仮設の住宅や避難所の方へ持っていった市場の人たち。そしてまた、淡路島の漁協の人たちは、震災の発生のときは、前日、魚が、異様に海温がすごい上がっていて、気持ち悪いぐらい魚が捕れたと、そういう予兆があったという話も聞きました。また、瓦業界の方では、本当に、建物が倒壊したのは瓦の重さのせいであるということの風評被害を受けて大変苦しんでおりました。
私は、そうした中で、政治の役割、政治の持つ意義というもの、政治というものは大変大切なものであると、そういうことを痛感いたしまして、特に、私自身、政治のつてはなかったんですが、当時県会議員をしておりまして衆議院を目指しておりました奥谷通先生の事務所に押しかけ秘書みたいな形で入らせていただきました。
そうした中におきまして、私自身が考えるこの生活の大切さ、生命の大切さ、そして政治の大切さ、それをしっかりと認識しなければいけないと思っております。言わば、私の政治を目指す原点でございます。
ちょうどその平成七年といいましたら、武田大臣は当時二十六歳、国政に向けて志高く邁進されていたと聞いております。大臣にとりまして、当時の阪神・淡路大震災に対する思い、そして、その後の政治人生においてどのような影響を与えたのか。そして、阪神・淡路大震災を通して、防災に対する思いを武田大臣に御所見をお伺いしたいと思っております。