山花郁夫の発言 (憲法審査会)
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○山花委員 立国社共同会派の山花郁夫でございます。
会派を代表しての発言ということになりますけれども、採決であるとか交渉については会派単位で当然一致して行いますけれども、憲法及び憲法改正国民投票法については、会派を構成するそれぞれの政党としての考え方があります。共同会派の社会民主党は、憲法改正国民投票法については、憲法改悪の一里塚であり、そもそも反対であるという立場だということを申し上げた上で発言をさせていただきます。
なお、今、新藤委員から与野党の合意があった旨の御発言がございましたけれども、前提として、私どもはその確実な担保ということを求めていたということを今申し上げておきたいと思います。
さて、憲法改正国民投票法には、大きく分けて、投票にかかわる部分と運動にかかわる部分の二つがございます。
投票にかかわる部分というのは、投票入場券の交付から開票手続、投票結果の確定といった手続に関する事項で、おおむね公職選挙法に合わせています。現在議題となっておりますいわゆる七項目の国民投票法の改正案は、公職選挙法で改正されたいわば技術的な部分について平仄を合わせようとするものです。
もう一つの運動にかかわる部分については、公職選挙法ではさまざまな規制があります。公職の選挙については、過去に実際にあった不都合や弊害に基づいて禁止されたり、あるいは制限がされてきたということが言えましょう。
しかし、国民投票については、人を選ぶ選挙と異なること、規模において選挙区単位ではないということ、そして何より、我が国ではいまだ経験がないことから、具体的な弊害など立法事実が確認できていないということを理由に、基本的に運動は自由とされています。
法制定時にも、スポットCMについて規制すべきかどうかが議論となりました。これも自由とすると、賛成派と反対派で、資金量の多寡によって国民投票の結果に影響が出るおそれがあるからです。
昨日、これは立憲民主党の憲法調査会の場ですが、アメリカ政治の研究者の方からアメリカの住民投票制度についてお話を伺う機会がありました。二〇一六年をサンプルとして、州民投票キャンペーン、これは百六十二件、全米合計で十億ドル超、日本円に直して一千億円以上が使われたこと、巨大支出百四案件のうち九十七で賛否一方が圧倒的な支出をし、七六%の事案で支出で圧倒した側が勝利をしたということです。
これまで私たちが指摘をしてきたおそれというのは、むしろ現実に起きてしまっているということを認識をいたしました。
G7を例といたしますと、ドイツ及びアメリカの連邦レベルでは、そもそも国民投票の制度は存在しておりません。そして、イギリス、フランスでは全面禁止、イタリアは原則禁止と分類することができます。これに対して、カナダでは原則自由とされていますけれども、投票十八日前から二日前まで、一定の要件を満たす賛成、反対両派の団体に対して、各テレビ局は同じ時間帯に同じ長さの放送時間を与えなくてはならないなど、公平性を担保するルールがあります。
G7以外の国に目を転じますと、デンマークにおいて、テレビCMは全面禁止にする一方で、ローカルラジオのみCMが許されています。直接民主制が有名なスイスでは、レファレンダムの投票運動に関し、テレビ及びラジオでのスポットCMは禁止されています。
しかし、国民投票法制定時の審議において、当時、民放連が、CMの量については自主規制しますと発言したことから、法的規制はないものとされました。ところが、最近になって、量的規制は困難との見解を示したこと、大阪での住民投票の際に賛成派と反対派のCM量が数倍の違いが生じたなど、法制定時に前提としたことと違うことが起きています。
民放連は、憲法審査会で、もともと量的規制について厳密にできるとは言っていないと主張されております。しかし、参考人がどういう主観的なおつもりで発言されたかということ以上に、立法者がその発言をどのように受けとめて法案を立案、そして審議をしたのかということが重要です。それゆえ、当時の立案担当者の意見聴取が必要ではないかと考えていますし、私たちはそのことを求めているわけです。
また、ネット広告については何らの規制がありません。国民投票法制定時には、現在のようなネット環境というのは想定していませんでした。ネット上の運動では誹謗中傷が行われるおそれがあること、近年、フェイクニュースという言葉が人口に膾炙しておりますけれども、流言飛語がばっこするおそれがあるなど、対応策の検討が必要ではないでしょうか。
ただし、制度設計に当たっては、表現の自由とのバランスに配慮する必要があります。放送に関しては、とらわれの聴衆という理論を参考に制度設計をすることが可能ではないかと考えています。つまり、古典的な表現の自由のみならず、情報収集や受領を含めたコミュニケーションの全過程を包摂する自由というのを憲法二十一条の内容と理解するのが適切だとする最近の傾向からすると、表現する側だけではなくて、表現からの自由、すなわち消極的情報受領権も表現の自由論に組み込むことは可能ではないかと思います。
もともと、この理論は米国連邦最高裁判所の判例に由来して、日本では、大阪市営地下鉄車内商業放送事件における伊藤正己補足意見にその例を見ることができます。文字ではなく音声であること、対象が主として住居であることという同理論の要素を備える一方で、政府言論そのものではありませんし、強制的な契機が若干弱いということもあります。米国の判例のラインとは違いがあるほか、この考え方によると、ネットの世界はむしろ新聞や出版の自由の脈絡で考えることに親和性があるようにも考えられます。
これに対し、昨年の海外調査先のドイツでは、歴史的な背景はあるものの、放送と同時に通信と共通の制度的自由の脈絡でルールの共通化をしている国もあります。また、欧州調査報告書、これは完成版ができまして、皆様のお手元に届いていることと存じますが、この三百十八ページにも掲載されておりますが、エストニアにおいては、看板広告について、とらわれの聴衆類似の考え方からの規制があることに注目をされます。
憲法審査会における議論に資するため、有識者からのヒアリングなどが必要ではないかと考えております。
これら以外にも、当審査会に付託されている、当時、国民民主党会派として提出されている法案には、一つとして、資金面で運動が外国人に依存することがあってはならないという問題、二つとして、国民への情報提供について、国民投票広報協議会の広報活動を充実強化すべきとの問題、三つとして、国民投票と国政選挙の同時実施は避けるべきというのが立法者の意図でしたが、それを法的に担保すべきではないかという問題が提起をされています。
七項目についてまずやるべきだという御意見が先ほどございましたけれども、陸上競技で例えて申し上げますと、四百メートルのセパレートコースで、インとアウトで距離の長さが違うのではないかという疑義が提起されているとします。これはまさに競技としてのルールの公正さにかかわる話だと思います。これとは別に、トラックの素材をどうするのかとかコースの塗料をどうするのかというのは、技術の利便性にかかわる事柄であります。前者を差しおいて後者を優先的に決着すべきというのは、自然なことではないと思います。ルールの公正さということが優先されるべき課題だからです。
国民投票法の改正に当たっては、その公正さを担保する議論をあわせて行うことを私たちは求めています。日本国憲法の改正についても言い得ることですが、ルールの公正さにかかわる問題でありますから、どの立場にとって有利な内容であるという疑念を持たれないためにも、各党会派で御議論いただき、実のある法改正を実現すべきと考えます。
また、国民投票法の附則第五項には、法施行後速やかに、限定されたレファレンダムについて必要な措置を講ずるものとされています。この附則は、平成二十六年改正において、その意義及び必要性の有無について検討することとなっていたものが、その意義及び必要性について、すなわち、有無ということではなくて、必要であることを前提として、更に検討することとされたものです。
長年にわたり放置されていることは極めて遺憾であり、この点についても議論が進められることを望みます。
以上です。