高市早苗の発言 (本会議)

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○高市早苗君 大島議長、赤松副議長を始め、全ての会派の同僚議員の先生方の御厚情により、本日は、本会議の貴重な時間を割いていただき、山本幸三先生と私に在職二十五年表彰を賜り、まことにありがとうございます。
 私は、中選挙区制度のもとで執行された最後の選挙となった平成五年の衆議院議員選挙において、三十二歳のときに初当選をさせていただきました。
 当時の衆議院奈良県選挙区は、全県区で、定数は五名でした。自民党二名、公明党、共産党、社会党の強固な地盤を誇る現職議員五名に加え、大ブームを起こしていた日本新党の新人一名と自民党の新人一名が既に名乗りを上げておられ、自民党の公認が認められず無所属だった私が当選できる可能性は皆無だと言われておりました。
 衆議院解散までの約一年間、広い奈良県の各地を回り、毎日、街頭演説を行い、個別訪問やミニ集会を続け、懸命に政策を訴え、後援会拡大活動を続けてきたことから、ささやかな自信はあったものの、客観的な選挙分析では泡沫候補でございました。
 「あと一期、我慢して待ちなさい」と後援会長からも引きとめられ、私は、公示日を目前に、苦悩し続けておりました。
 そんなある夜、家族が寝静まった後に帰宅いたしますと、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!握手とお辞儀を忘れるな。気楽にやれ。」父の手紙を抱き締めて泣きながら、出馬する決心を固めました。
 私は、父はメーカー勤務、母は奈良県警勤務という平凡な共働き家庭に育ち、両親ともに、私が早く結婚して安定した家庭生活を送ることを望んでいました。ところが、私が東京での仕事を辞めて奈良県に戻り、本格的な政治活動を始めた上、自民党本部の職員だった弟も、職を辞して、私の政治活動を手伝うために奈良県に戻ってきてしまいました。いきなり無職となった子供二人が実家暮らしを始めたのですから、両親の苦悩は想像を絶するものだったはずです。それでも、常に堅実に生きることを私に求め続けていた父が、最も苦しい決断の瞬間にはそっと背中を押してくれたのです。
 翌日、出馬表明の記者会見を行い、多くのボランティアの方々に助けていただいて挑戦した無謀な選挙戦でしたが、何とかトップ当選を果たすことができ、この衆議院本会議場に足を踏み入れたときの感動は今も忘れることはございません。(拍手)
 以後、途中で一度、短期間の落選生活を経験しましたけれども、そのおかげで、長期的な政策目標は堅持した上で、貴重な任期だから一期ごとの目標を立てて結果を出すということも、重視するようになりました。
 思い返しますと、平成四年から五年ごろは、選挙区を回っておりますと、「女が国会に行って何ができるんや」、「小娘が国会を目指すとは厚かましい」などと怒声を浴びせかけられることが多くございました。決して三十一歳、二歳が小娘だとは思っておりませんでしたが、当時、女性であることと若さは、大きなハンディキャップでございました。
 しかし、昨今では、政党が新たな候補者を探すときに、「女性はいないか」、「若い人はいないか」という声が上がるようになりました。この大きな変化は、歯を食いしばって働き仕事で立派な結果を出してくださった先輩女性議員の先生方が切り拓いてくださった新たな道であり、また、若くして当選しながらすばらしい実績を上げてこられた先輩、同僚議員の先生方の御努力の成果だと感じています。
 私は、国政の究極の使命は、国民の皆様の生命と財産を守ること、領土、領海、領空、資源を守ること、そして、国家の主権と名誉を守り抜くことだと考えております。
 相次ぐ自然災害や感染症との闘い、少子高齢化など、困難な課題が多い時代ではありますが、諦めることなく、美しく強く成長する国、日本を創るために、真摯に働き続けてまいります。
 結びに、常に御指導を賜っております全ての会派の先生方、後援会の皆様、自民党員の皆様、奈良県の有権者の皆様、長年一緒に頑張ってくれている秘書たち、そして、今は亡き両親に感謝の思いをささげます。
 本日は、まことにありがとうございました。(拍手)
     ――――◇―――――
 日程第一 労働基準法の一部を改正する法律案(内閣提出)

発言情報

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発言者: 高市早苗

speaker_id: 24045

日付: 2020-03-17

院: 衆議院

会議名: 本会議