林芳正の発言 (本会議)

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○林芳正君 内外に課題が山積する中、ただいま、院議をもちまして在職二十五年の永年在職議員として栄えある表彰を、敬愛する衛藤晟一先生、橋本聖子先生と共に賜りますことを大変光栄に存じ、心から御礼を申し上げます。
 また、関口議員会長より大変丁寧なる御祝辞をいただき、誠にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 私が参議院議員に初当選をいたしましたのは、平成七年七月の第十七回参議院通常選挙であります。
 当時は、政権交代によるまさに激動の時代でありました。前年の平成六年に自社さ政権として与党に返り咲いてはいましたが、当時の河野総裁は、与党第一党の党首ながら総理ではなく、社会党の村山総理を支える立場でありました。
 山口県選挙区では、六年前の参議院選挙で当選された社会党の現職がおられましたが、与党の現職がいるとはいえ自民党の候補を立てないわけにはいかないということで、白羽の矢を立てていただいたのが当時まだ留学中でありました私でございました。無事留学を終え、帰国したのが六月、自民党の公認をいただいたのが十月と慌ただしく準備が進みましたが、準備不足は否めず、翌平成七年の選挙では、一人区で最後の当選者として薄氷を踏む思いで深夜の万歳にこぎ着けたところでございます。
 平成七年の初当選組は二十五人を数え、平七会という名の下、同期のきずなを強くしてまいりました。
 平成十一年には宮澤喜一大蔵大臣の下で大蔵政務次官として初めて政府の仕事を経験をさせていただき、その後、内閣府副大臣、防衛大臣、内閣府経済財政担当大臣、農林水産大臣、文部科学大臣と、多様な経験を政府において積ませていただきました。それぞれの場所でまさに一所懸命、全力を尽くして仕事をする中で、官僚の皆さんの国を思う熱い気持ちに触れることができたのは何よりの収穫でありました。
 本院においては、平成十六年に外交防衛委員長、二十一年にODA特別委員長、二十八年にTPP特別委員長、そして現在も憲法審査会会長として、また、予算委員会、議院運営委員会、財政金融委員会等の多くの委員会の理事や委員として貴重な経験を積ませていただきました。
 いかなる場所においても、地道に一歩ずつ物事を前に進める努力を怠らないようにと肝に銘じてまいりましたが、まだまだ道半ばの思いを強くしております。
 私は、政治の道に入る前は商社マンとして国際ビジネスの最前線に立ち、また、留学中には米国議会での経験も積むことができ、後々の私の政治活動の糧となりました。
 私の座右の銘は不易流行でありますが、政治の道に入ってますますその意味の深さをかみしめております。変えることの難しさ、守ることの難しさ、そして変えるべきことと守るべきことのバランスの難しさ、これは何年たっても、いや、年月を重ねるにつれ本当の難しさを痛感いたし、またそれに向かっていくための更なる努力と忍耐の必要性を自らに言い聞かせております。
 そうした中で、今日ここにこうして二十五年を迎えることができましたのも、先輩、同僚含め多くの先生方のお支えのおかげであります。
 これまでずっと支えてくださった郷土山口県の皆様、後援会の皆様に感謝を申し上げるとともに、事務所のスタッフ、いつも温かく支えてくれた妻の裕子、娘の温子、千翼子を始め家族、親族にも感謝をささげたいと思います。
 今後も皆様の変わらぬ御指導、御鞭撻をお願い申し上げ、御礼の御挨拶とさせていただきます。
 本日は誠にありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 林芳正

speaker_id: 30011

日付: 2020-02-14

院: 参議院

会議名: 本会議