津島淳の発言 (原子力問題調査特別委員会)

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○津島委員 自由民主党の津島淳でございます。
 本日は、アドバイザリー・ボードの先生方、四名の先生方、おいでいただきまして、まずはそれぞれの立場からの御意見を頂戴いたしました。こういう機会をいただけましたこと、心より感謝を申し上げ、また、こうして質疑に立たせていただけるということは、非常に私にとってありがたいことでございます。
 改めて、委員長、理事、そして委員の皆さんに感謝を申し上げるところでございます。
 私の地元というのは、青森県の第一選挙区、県庁所在地の青森市と、それから、原発関連施設が立地している下北半島というのが前回の選挙から選挙区に加わりました。ですので、初当選以来、二回の選挙というのは、直接その立地自治体というのは選挙区ではなかった、そういう感覚で有権者の皆さんとエネルギー問題に対して議論をしていた。
 ただ、もちろん立地県とすれば、原発あるいはサイクル政策というのは進めていかなければならない、いや、進めましょうということを言っておったんですが、いよいよ立地自治体が選挙区に入ってくると、より直接の対話の機会というのが増えてくる。
 私、思うんですが、原発を進めるか否かということを抜きに、どうも、この場での議論、永田町、霞が関の議論で地元の声というのがどうしても通っていないな、地元の皆さんが置き去りにされているというところが時に国に対する不信というものにつながりかねない、そういう危惧を持ちます。ですので、できるだけ私は、こういった国会での質疑の場で地元の声というのを紹介するようにしようとまず心がけているところであります。
 もう既に原発誘致というものが決まって半世紀、四半世紀、そういう歴史がある中で、ある意味、立地自治体の住民の若い世代、多くは、原発施設があって当たり前、あるのが普通の状態で生まれ育っている、そういう世代がだんだんと増えてきています。つまりは、原発を入れるかどうかを決めるときに、それこそ身内同士が真っ二つに分かれて議論した、そういう歴史がだんだんと過去のものになりつつある。
 石橋先生が今日もおっしゃっておられる、過去を、声をしっかり蓄積をしてデータとして残し、そこから何を読み取るのか、分析をして次なる政策に生かすということは大変大事なことであるし、その声を集めているのはほかの誰でもない我々国会議員。やはり、日常的にやっていること、そこから何を読み取って、どう生かしていくのか、まさに大事なことだ、そういう私どもの仕事の原点というものを改めて考えさせられる、今日、石橋先生のお話を聞いて思ったところでございます。
 そして、どうしてもこの原子力をめぐる問題で二項対立の議論になりがちであるというのも、これはちょっとお互いに、相手の意見、私からすれば、反原発、脱原発の方のおっしゃることというのにやはりしっかり耳を傾けた上で、でも、私は、私自身の信念でもってやはりこの国には原子力というものが必要だと思うし、じゃ、それを国民的に合意を得て進めていくためには何をやらなきゃいけないのか、政治が何をなすべきなのかということを、真剣に答えを出していかなければ、ただ今までの延長線上で物事を進めようとしてもそれは理解は得られぬと思うところでございます。
 ですから、大事なことは、意思決定をするときにどういう議論がなされ、結果どういう決定に至ったのかということ、プロセスを透明化することというのはすごく大事なことです。
 私は、だから、この委員会の議論こそメディアがこぞって中継をして、全国民が、こういう議論をしているんだ、真摯な議論をしているんだということをやはり知ってもらった上で、国民の皆さんも、私は、原発しようがないな、原発進めようか、あるいはそうではない方もいらっしゃる、そういう流れにしていくということが必要だと思っております。
 二十分時間いただいて私の演説で終わらせるのは非常にもったいないので、これからできるだけ四人の先生方に、お一人一問ぐらいはお聞きしていければと思っております。
 まず、ちょっと個別の話にも入ってまいるんですが、今私が基本的に申し上げたこと、そして改めて、石橋先生に、私も、この国会事故調の報告書、震災、事故から十年ということで読ませていただいて、そして、実は今、我々、危機管理の真っただ中にあるわけですね。原発事故とはまた違う種類の危機に直面をしている。そういう中にあって、十年前のあのときの政府の対応というものを客観的に見て、どこに一番問題があったのか。
 私は、ちなみにそのときは落選中で、より今よりは国民に近い立場で、一連の政府の対応というのを見ていました。見て、考えて、自分だったらこうする、こういうことを提言した、いろいろ考えていました。
 情報の提供が非常に限られて、一方的であった。三月十一日のあのときは、珍しく太平洋側に雪が降る、つまり、日本海側から季節風が吹く、それが冬の当たり前の天気であった。そうじゃなかったですね、あのときは。むしろ、太平洋から風が入ってくる、陸地に向かって吹くようなそういう天気であったときに、同心円状の避難、最初の避難の対象地域の設定ということは、あれはやはりおかしい。気象条件等を考慮して当然に設定をすべきであったような、つまり、そういったことから、当初のシミュレーションというものが全くできていなかった。これは、政治の側がしっかり教訓とすべきことだろうと思っております。私はそういう、そのとき思ったことは今でも思っているし、それは何とかしなければいけないというふうに思っています。
 石橋先生に、あのときの教訓ということを、報告書にも込められたと思いますが、問題点をいま一度明確に御指摘いただけるとありがたく存じますが、いかがでしょうか。

発言情報

speech_id: 120404194X00420210427_011

発言者: 津島淳

speaker_id: 16167

日付: 2021-04-27

院: 衆議院

会議名: 原子力問題調査特別委員会