浅野善治の発言 (憲法審査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(浅野善治君) 大東文化大学の浅野善治と申します。今日はこのような機会をいただき、大変感謝をいたします。
日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案に対してということで意見を述べさせていただきたいと思います。
内容についてもいろいろ意見があるわけでございますが、まあそれはちょっとそれといたしまして、また後ほどということにいたしまして、むしろこの法案の審議の仕方ですね、それについて少し考えるところがございますので、その辺りのことについて少し意見を述べさせていただきたいと思います。
ほかの参考人の先生方がレジュメを用意していらっしゃるんですが、私は、ちょっと済みません、レジュメは用意していなかったものですから、参考資料がございません。配付資料はございませんが、お聞きいただければと思います。
この改正案ですけれども、提案されたのが平成三十年の六月、百九十六回国会ということでございます。もう既に三年が経過しようというような時間がたっております。こういうように、長い時間が掛かりましたこと、これは大変残念に実は思っております。また、こうした改正案の審議が憲法改正の実質的な審議そのものと関連があるかのように取り扱われているとすれば、やはりこれも非常に残念なことだというふうに思っております。
憲法改正というのは、やっぱりその国の基本である憲法の内容を主権者たる国民が国民の意思によって決定するという、国民に与えられた非常に重要な、国民主権の本質を確保するための極めて重要な権利というふうに思っております。ですから、これが実質的に十分に機能するようにということというのは常に配慮されていなければならないというように思います。
憲法改正の議論に絡んで、立憲主義ということがよく問題にされます。立憲主義とはということですと、その憲法を守って、権力者の権力行使を憲法に従わせることによって国民の自由を守るというようなことが言われて、憲法を守るこそが重要だと、こういうように説明されるわけですが、これは一面正しいところもあるわけですけれども、その従わせる憲法自体が主権者たる国民の意思によって決定されているものでなければ、この立憲主義というのは全く意味を成さないということになるかと思います。そういう意味では、現在の国民ですね、過去の国民ではないです、現在の国民が、その国民の意思に従って今の憲法を検証し、また改正が必要であれば常に改正ができるように、それを確保しておくことということが極めて重要なことでありまして、これが確保されなければ立憲主義というのは成り立たないというふうに思っております。
ですから、そういう意味では、憲法改正の審議というものはできるだけ常に行われなければならないというふうに思っております。
ですから、法案の審議というものがあって、その法案の審議の都合によって憲法改正の実質の審議が遅れる、あるいはそれが後回しになるということがあるとすれば、これは立憲主義というものについて、国会のその法案審議が立憲主義を阻んでいるというようなことを言ってもいいぐらいと思っております。そういう意味では、国民の憲法改正の権利、これが実質的に確保されるようにということ、これをまず最優先にして、こういう関連法の審議というものも進めなければならないというように思っております。
そういう意味では、憲法改正の実質的な審議をこの法案の審議と関連させるというようなことはあってはならないというふうに実は思っておりまして、全く別に切り離して行うこと、これが極めて適切なことではないかなと実は思っております。
よく憲法は国会に対して唯一の立法機関だという地位を与えている、国権の最高機関であり唯一の立法機関だという地位を与えているということが言われます。これはよく承知されていることなんですけれども。
唯一の立法機関というのは、国会じゃなければ法律が作ることはできない、あるいは国会がほかの誰にも拘束されずに法律を作ることができると、こういうことでございますから、法律を作るという局面では、国会は自由にその審議の仕方を決めてもいいし、その内容を決めてもいいわけです。ですが、憲法改正の発議ということは、これは実は立法活動とは全く違った機能を憲法が国会に与えているわけですね。ですから、これは立法機関として国会は活動しているわけではなくて、実は、憲法改正を行う国民、主権者たる国民の総体、国民の有権者団と言ってもいいかもしれませんが、その国民の有権者団が持っている憲法改正権、それを、その準備をする、そのための原案を作成し、憲法改正の発議をする、これが国会の役割ということだと思います。ですから、そういう意味では、国会が立法活動として行っているわけではなくて、むしろ国民の憲法改正権、それを受けて国会が活動しているということになると思っております。
そういうことからすると、国民が憲法改正についてどのように考えているかということを的確に反映して審議をし、またその審議の運営もなされなければならないというように実は思っております。
そういうことからしますと、例えばNHKがこの五月に行いました憲法改正の議論についての世論調査、この中では憲法改正の議論を進めるべきだという国民が五四%、進める必要がないという国民は二七%です。さらに、この三月から四月に読売新聞が郵送によって行った世論調査、これはもう憲法審査会の審議の在り方についてそのものを聞いているわけですが、憲法審査会の審議が予算案や他の法律の審議など国会の状況に影響されず議論を進めるべきだとしているのが七二%、そういう予算案やほかの法律の審議など国会の状況によって議論が進まなくてもいいと言っているのが二二%という数字です。ですから、国民の七二%は、国会の予算案やほかの法案の審議などの都合によって憲法審査会の審議が進まないということについておかしいというふうに思っているわけです。
さらに、その同じ読売新聞の世論調査では、各政党が憲法改正に関する議論をもっと活発に行うべきだというのが六五%、そうは思わないが三〇%です。さらに、憲法改正をする方がいいかということもその世論調査は行っているわけでして、憲法改正をする方がいいという数字が五六%、憲法改正をしない方がいいという数字が四〇%なんです。
ここでちょっと注意して見てもらいたいことは、憲法改正をする方がいいという数字が五六%なんですが、憲法審査会の審議が予算案や他の法律の審議など国会の状況に影響されずに議論を進めるべきだと言っているのは七二%なんです。ですから、憲法改正をした方がいいと言っているのは五六%なのにもかかわらず、憲法審査会の審議は進めるべきだが七二%なんですね。ということは、憲法改正に反対の人もこの憲法審査会の審議は進めるべきだという人がかなりいるということなんですね。ですから、そういう意味では、憲法改正の実質審議をこの憲法審査会がほかの法案の審議などには影響されずに進めるということを国民が期待をしているんだろうと思います。そういう国民に応えることこそが国会の与えられた重要な責務だと実は思っております。
ですから、こういう改正案の審議が憲法改正の実質的な審議に影響を与え、あたかも改正案の審議が優先されて、それが終わってから憲法改正の審議をしなければならないというふうなことだとすれば、これは極めて国会の在り方として問題があるのではないかというように思うところです。もし憲法改正に反対ということであれば、国会の憲法改正の実質的な審議の中でいかに憲法を改正すべきではないかということをしっかり議論するということも国民は期待しているわけでして、まさにそういう憲法改正の審議の中で、国民に対して憲法改正の論点、問題点、あるいは憲法改正をいかにしない方がいいかということも含めて、そういったことの内容をしっかり議論をして国民にそれを見せていくことというのがまさに国会の憲法審議の在り方ではないかなというふうに思います。
先ほどほかの参考人の方からも御意見がございましたように、こういった憲法改正の審議というのは、国政の政策選択という形で選ばれてくる選挙での投票、そういったものとはかなり性質が違うというふうに思いますので、政党選択をして政策選択をしている、そういうその国会議員の活動ということとは切り離して、やはり国民の代表という一人一人の国会議員の立場、ですから、そういう意味では政党を離れた議員個人の立場、そういったもので議論が進められるべきだと思いますし、党派性とかそういったものを抜きにして国会の憲法審議というものがなされるべきだというように実は思うわけです。
そういったことで、国会の憲法改正案の審議というのは、その関連法案の、例えば今回の憲法改正の手続に関する法律の一部改正案の審議の国会の在り方とはかなり性格が違うものだというように思うわけでして、ですから、そういう意味では、そこは切り離して別な考え方で審議が進められるべきだというふうに思います。ですから、そういう意味で、この改正案の審議の在り方ということについてはそういった面から強く意見を申し上げたいと思うところです。
そういう審議の在り方を、全く、性質のものを、別に、一緒のこの憲法審査会で行うということ、これ、ほかの、憲法審査会とは別に憲法審査の、憲法の実質的内容を審査する機関と関連法案を審議する委員会と分けてあれば非常に問題が少ないわけですけれども、それも同一の憲法審査会で行うということだとすれば、やっぱりそこはきちんと区別できるように、例えば小委員会というような形で分離をするとか、あるいは分科会というような形で分離をするとか、そういった形で明確に分けてその審議を進めることというのが望ましいんじゃないかなというのが私の意見です。
この改正案の内容自体につきましては、やはり投票機会というものをできるだけ保障しよう、あるいは投票権者の利便性をできるだけ確保しようというような形で様々な議論がなされているところでございまして、ある意味、公選法の審議の中で十分な議論も尽くされているというふうに思いますと、この七項目については、公選法に、これ、投票のときに表れる意思、これをできるだけ正確に、またできるだけその利便性を確保しながらそれを聞き取るというような意味での内容というふうに思いますので、これは速やかに改正をすべき、決定をすべきだというふうに思いますし、また、広告規制、その他のインターネット規制、広告放送、有料広告規制、こういったことにつきましては、やはりそれは憲法審査、憲法改正の審議というものといわゆる選挙で候補者を選ぶということ、その性格の違いというもの、それを十分に踏まえた上で、この国民投票の、国民投票運動と言っていいのかどうか分かりませんが、そういったものを制限することというのは、まさに政治的な意見表明自体を止める、あるいは制限するということにつながるものというふうに考えられますので、できるだけそこには制限を掛けないということが望ましいというふうに思います。
ただ一方、さはさりながら、例えば資金力による意思がゆがめられるとか、そういった弊害というのがもし仮にあるとすれば、具体的にこの政治活動の自由、そういったものを制限する弊害としてどういうものがあるのかということ、それをきちんと洗い出した上で、その政治活動の自由を制限してでも止めなければいけない弊害、それを除去するという限度で制限を掛けていくということが望ましいんだろうというふうに思います。ただ単に、選挙運動の規制というような形で共通の土俵をつくる、一つのルールをつくるという形でその内容、制限の内容を決める、そういうものではないというふうに実は思っております。それが今回の改正案の内容ということの意味というふうになるかと思います。
いずれにしましても、一番意見として感じておりますところは、こうした改正案の審議が憲法改正の実質的な審議というものとは全く性格が異なるものだということでございまして、そこはきちんと分離をして、憲法改正の審議というものは、いつでも国民が望むのであれば、それをきちんと受け止めて、国会が審議をしていくことが重要だということ、これは強く意見として申し上げたいと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。