憲法審査会
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会
会議録情報#0
令和三年六月二日(水曜日)
午後一時三分開会
─────────────
委員の異動
五月二十六日
辞任 補欠選任
下野 六太君 安江 伸夫君
井上 哲士君 山下 芳生君
六月一日
辞任 補欠選任
古賀友一郎君 山田 太郎君
平木 大作君 高橋 光男君
安江 伸夫君 下野 六太君
六月二日
辞任 補欠選任
衛藤 晟一君 清水 真人君
山田 太郎君 徳茂 雅之君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 林 芳正君
幹 事
石井 準一君
石井 正弘君
西田 昌司君
藤末 健三君
那谷屋正義君
白 眞勲君
西田 実仁君
松沢 成文君
矢田わか子君
山添 拓君
委 員
赤池 誠章君
有村 治子君
磯崎 仁彦君
衛藤 晟一君
岡田 広君
片山さつき君
上月 良祐君
佐藤 正久君
清水 真人君
徳茂 雅之君
中川 雅治君
中曽根弘文君
古川 俊治君
堀井 巌君
舞立 昇治君
山下 雄平君
山田 太郎君
山田 宏君
山谷えり子君
石川 大我君
打越さく良君
江崎 孝君
小西 洋之君
杉尾 秀哉君
福島みずほ君
伊藤 孝江君
下野 六太君
高橋 光男君
矢倉 克夫君
浅田 均君
東 徹君
足立 信也君
浜野 喜史君
吉良よし子君
山下 芳生君
渡辺 喜美君
事務局側
憲法審査会事務
局長 岡崎 慎吾君
参考人
近畿大学法学部
教授 上田 健介君
名古屋学院大学
経済学部教授 飯島 滋明君
大東文化大学法
学部政治学科教
授 浅野 善治君
弁護士 福田 護君
─────────────
本日の会議に付した案件
○日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改
正する法律案(衆議院提出)
○日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基
本法制に関する調査
(日本国憲法及び憲法改正国民投票法を巡る諸
課題について)
─────────────
この発言だけを見る →午後一時三分開会
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委員の異動
五月二十六日
辞任 補欠選任
下野 六太君 安江 伸夫君
井上 哲士君 山下 芳生君
六月一日
辞任 補欠選任
古賀友一郎君 山田 太郎君
平木 大作君 高橋 光男君
安江 伸夫君 下野 六太君
六月二日
辞任 補欠選任
衛藤 晟一君 清水 真人君
山田 太郎君 徳茂 雅之君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 林 芳正君
幹 事
石井 準一君
石井 正弘君
西田 昌司君
藤末 健三君
那谷屋正義君
白 眞勲君
西田 実仁君
松沢 成文君
矢田わか子君
山添 拓君
委 員
赤池 誠章君
有村 治子君
磯崎 仁彦君
衛藤 晟一君
岡田 広君
片山さつき君
上月 良祐君
佐藤 正久君
清水 真人君
徳茂 雅之君
中川 雅治君
中曽根弘文君
古川 俊治君
堀井 巌君
舞立 昇治君
山下 雄平君
山田 太郎君
山田 宏君
山谷えり子君
石川 大我君
打越さく良君
江崎 孝君
小西 洋之君
杉尾 秀哉君
福島みずほ君
伊藤 孝江君
下野 六太君
高橋 光男君
矢倉 克夫君
浅田 均君
東 徹君
足立 信也君
浜野 喜史君
吉良よし子君
山下 芳生君
渡辺 喜美君
事務局側
憲法審査会事務
局長 岡崎 慎吾君
参考人
近畿大学法学部
教授 上田 健介君
名古屋学院大学
経済学部教授 飯島 滋明君
大東文化大学法
学部政治学科教
授 浅野 善治君
弁護士 福田 護君
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本日の会議に付した案件
○日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改
正する法律案(衆議院提出)
○日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基
本法制に関する調査
(日本国憲法及び憲法改正国民投票法を巡る諸
課題について)
─────────────
林
林芳正#1
○会長(林芳正君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。
日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
本日は、本案の審査のため、四名の参考人から御意見をお伺いいたします。
御出席いただいております参考人は、近畿大学法学部教授上田健介君、名古屋学院大学経済学部教授飯島滋明君、大東文化大学法学部政治学科教授浅野善治君及び弁護士福田護君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席をいただき、誠にありがとうございました。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、上田参考人、飯島参考人、浅野参考人、福田参考人の順にお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度会長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず上田参考人からお願いをいたします。上田参考人。
この発言だけを見る →日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
本日は、本案の審査のため、四名の参考人から御意見をお伺いいたします。
御出席いただいております参考人は、近畿大学法学部教授上田健介君、名古屋学院大学経済学部教授飯島滋明君、大東文化大学法学部政治学科教授浅野善治君及び弁護士福田護君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席をいただき、誠にありがとうございました。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いをいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、上田参考人、飯島参考人、浅野参考人、福田参考人の順にお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度会長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず上田参考人からお願いをいたします。上田参考人。
上
上田健介#2
○参考人(上田健介君) 上田でございます。
本日は、本憲法審査会で意見陳述の機会を与えられましたことに感謝申し上げます。
早速意見述べさせていただきます。
一、まず本改正案についてでございます。
まず、(1)、いわゆる七項目についてでございますが、この共通投票所制度の創設等七項目は、公職選挙法と平仄を合わせ、投票環境の整備を行うものと理解しています。
憲法改正国民投票は、国民主権の権力的契機の現れであるとするのが通説的見解であり、有権者が投票しやすい環境を整備することが望ましいことは言うまでもありません。また、投票事務を担う地方公共団体の担当者の立場からも、国政選挙の場合とできる限り平仄を合わせておくことは事務の混乱を防ぐ上からも合理的であり、その点からも望ましいと考えます。
次、附則についてです。
次に、修正案に言う附則四条一号の二項目については、さきの七項目と同様に考えます。二号の広告制限等について、国民運動投票等は、表現の自由で保障される、言わばど真ん中の行為でありますので、誰もができるだけ自由にこれを行うことができることを原則に考えるべきだと考えます。
ただ、いわゆる金の力により言論空間がゆがめられるのは問題だとの意見は、これは昔からございます。また、近年は、インターネットの発達に伴い、エコーチェンバーやフィルターバブルを通じた世論の二極化、フェイクニュース、ひいては世論操作といった問題も指摘されてきていますので、これらへの対応を検討することは望ましいと考えます。
今後の議論に委ねられますので、ここでは二点だけ申し述べます。
まず、イ、ロですが、自由にするとどういう弊害が生じるのかというのを論証する必要がございます。この点、公職選挙法はいわゆるべからず集で、もう規制されていますので参考になりませんで、一つ参考になるかと思いますのは、いわゆる大都市地域における特別区の設置に関する法律に基づくいわゆる大阪都構想の住民投票、これはイ、ロの規制なしに行われていますので、まあ一地域の住民投票と憲法改正の国民投票とでは完全に同視はできませんが、イ、ロについて自由に委ねたときに弊害が生じるのか、どういう弊害が生じるのかを判断、検討する際の一つの材料になるのではないかと考えました。
次に、ハのインターネット等の適正な利用を図るための方策は、国民投票に限らず選挙の関係でも検討すべき難問です。
ここでは、案に方策とあるとおり、法的規制については諸外国でもなお検討中の段階であり、例えばイギリスではインターネットの広告主の表示の義務付けが現在検討されてはいるようですが、検討中の段階でして、それゆえ日本でも、法的規制の方法も探りつつ、差し当たりはそれ以外の方法、メディアリテラシーに関する教育、啓発、あるいは人々がインターネット空間の内外で多様な意見、情報に接することができるような環境の整備といったことが想定されます。
一つ思いましたのは、国民投票法では、国民投票広報協議会及び政党による放送、新聞広告が定められていますが、特に若年層に対してはインターネット、SNSを通じた情報提供が大事なのではないかということです。
いずれにしましても、これらは専門家の意見も参考にされて議論を進めていただければと思います。
次に、二、憲法に関する議論の在り方について、やや法案から周辺的な話に行くんですけれども、関連する話だと思いますので、論じさせてください。
今見ました広告規制等も含め、国民投票法の規律対象は発議後のものです。それゆえ、議論の焦点が発議後の議論の在り方に当たるのは当然のことです。しかし、それ以前の段階、すなわち国会での発議原案の審議の段階、さらには調査の段階における議論の在り方もまた憲法をめぐる熟議を可能とするために重要でありますから、以下、意見を述べさせていただきます。
なお、今、それ以前の段階と申しましたが、これは論理的に、発議の前には発議や改正原案の憲法審査会そして本会議での審査が行われ、更にその前には、何の前触れもなくいきなり改正原案が出されるというのはおかしいですので、憲法に関する調査が行われるはずであるという程度の意味にすぎません。後で述べますとおり、調査を行えば必ず原案提出に至る、あるいは原案提出するために調査を行うというような関係にはないと私は考えております点、念のため申し添えます。
私は、憲法に関する議論は、憲法に問題があるとの認識があるならば、その認識が正しいのかどうか、また、問題があるとして、その原因はどこにあり、何をどのように改善すればよいのかという観点から丁寧に行われるべきものと考えます。
日本の憲法をめぐる現状の問題点、その原因、改善すべきポイント等々といった事柄に関する情報を専門家の知見も生かしながらできるだけ多く収集、整理し、そして様々な立場から意見をぶつけ、議論するべきです。そして、そのような情報や意見を議論の大前提となっている憲法の意義や価値と併せて、調査と並行しながらできるだけ多く丁寧に国民に提供し、国会の中だけでなく国民の間でも冷静に熟議を行えるようにするべきです。
(2)議論の対象ですけれども、今、憲法に関する議論と申しました。ここで憲法と言うとき、私は、日本国憲法、憲法典、講学上の形式的意味の憲法ではなく国家の組織や作用に関する基本的な規範の内容そのもの、講学上の実質的意味の憲法、論者によっては憲法秩序という言葉も使ったりもしますが、そちらをイメージしています。
実質的意味の憲法はもちろん憲法典にも含まれていますが、それらに限らず、法律やあるいは判例法理、あるいは国会でしたら議院規則や先例、あるいは例えば理事会で議論するだとか、そういうような慣行も含めて、様々な不文の慣行や運用など、様々な形で存在していると考えられます。憲法をめぐる論議というと、専ら憲法典、そしてその文言にだけ目が行きがちです。しかし、私は、むしろもっと広く、実質的意味の憲法、規範の内容に着目して検討を行うべきだと考えます。
現に、憲法審査会の任務には、日本国憲法に密接に関連する基本法制という文言の調査も含まれております、国会法百二条の六。ここには、後段で法案審議の対象として例示されている憲法改正国民投票法に限られず、先ほど申しました実質的意味の憲法が広く含まれるものというふうに読むことができます。実質、中身が大事だということです。この実質的意味の憲法、国政に関する基本的な規範の仕組み自体に問題がないのか、あるいは社会や国民意識の変化に対応しなければならない点がないのかは不断に検討するべきだと考えます。
ここで重要なことが二点あります。
一つは、憲法は国政の基礎となる仕組みに関わる規範の集まり、集合体ですから、ある部分を見る場合でも、全体の中での位置付けやほかの部分との関係を意識する必要があるということです。特に、統治機構に関わる規範の場合、一部の規範を動かすと、権力の行使と抑制のバランスが崩れて別の部分に悪影響が出ることがあります。憲法はまた基本的な仕組みですから、局所的な議論は避けて、少なくともある程度まとまった固まりを見ること、さらには日本の社会、国家はどうあるべきなのかという大局的な見地から見る姿勢も大事だと考えます。
もう一点です。日本国憲法は、諸外国の憲法と比較して、憲法典としては文字数の少ない簡素なものであるという特徴を持っております。憲法典として簡素であるということは、上記の国政に関する基本的な規範を法律や判例などで補足をして具体化して、憲法典が定める骨格あるいは憲法の基本原理、これを損なわない限りで発展させていく余地が大きいことを意味します。
このように、良く言えば柔構造、柔軟性を備えていることが、日本国憲法が現在でも世界水準で通用する立憲主義の諸原理をいち早く備えていたことと併せて、七十年余りにわたって機能してきた理由なのではないかと見ています。日本国憲法のこの特徴を前提にする限り、実質的意味の憲法を検討して仕組みの改善を図らなければならないことが認識されても、法律の改正等によって実現できる事項が多いのではないかと考えます。
もちろん、法律改正等によっては改善できず、憲法改正が必要だという結論に至ることがあり得ることは否定しません。また、ある規範を、従来は例えば法律レベルだったものを憲法レベルのものに引き上げることによって保障の度合いを高めるということもあり得ると思います。さらに、憲法典全体について、先ほど申しました柔構造を改めて、もっと規範の、何というか、規律密度といいますか、それを高いものにするという見直し、これもあり得るかと思います。
しかし、議論のやり方として、実質的意味の憲法に着目を、もう少し意識をして着目をすることによって、結果としてその憲法改正を行う必要性だとか、あるいは法律改正等による方法を取った場合と比較してのメリットやデメリットのようなものが議論の中で明らかになり、結果としてもし憲法改正の発議になった場合にはより説得的な理由付けをもたらすでしょうし、あるいは、憲法改正の発議には至らず、法律制定等別の方法の方で解決ができるということになっても、これはこれで、もう大事なことはその中身が良くなること、悪くなりかけているものが戻ること、あるいはもっと良くなることが大事ですので、そういう法律制定等の方法になってもよいわけです。したがって、こういうアプローチというのは有用なものじゃないかというふうに私は考えております。
繰り返しになりますが、憲法に関する調査を行う際には、憲法典、形式的意味の憲法、条文だけではなく、より広い憲法秩序、実質的意味の憲法に意識を向けること、それから、条文よりも、まず今憲法規範に関係する現状、そこにどういう問題があるのか、そういうところに焦点を合わせるべきだと考えます。
(3)議論の主体です。
憲法改正にもつながり得る憲法をめぐる議論は、憲法九十六条また国民投票法の定めから見ても国会での議論が中心になります。これについて三点申し述べます。
まず、憲法をめぐる議論は、政党本位ではなく、各議員が主体となり自由に行われることがあってもよいかと考えます。通常政治は、諸政党が政権を取り政策を実施することを目指し競争をし、言わば対立モードで行われるものであるのに対して、憲法は通常政治を行うため党派を超えて共有する土台です。もちろん、その中には通常政治における政策と密接に関わる条項もあり、通常政治における政党間の対立がそのまま持ち込まれる場合があることは否定しません。しかし、党派を超えて意見が一致することも多いはずですし、また、できるだけそうあるべきであると考えます。
他方、憲法は統治機構や基本的人権に関わる多様な論点を含みますから、特に人権に関わるものなどは同一政党に所属する国会議員の間であっても個人の信条というレベルで意見が分かれることがあって当然だと思います。論点によるのかもしれませんが、政党による縛りを掛け過ぎず、様々な意見を持った議員間での自由な議論をしていただきたいと願います。
次に、憲法は通常政治を行うための共通の土台ですから、憲法に関する議論それ自体もできるだけ幅広い合意を基礎に進められるべきです。憲法改正の発議要件が各議院の総議員の三分の二以上とされているのも、単に過半数の賛成でよい法律制定の場合よりも現状からの変更に慎重であるべきであるという趣旨だけでなく、党派を超えた幅広い合意に基づくべきであるという含意があると解することができます。その意味で、この憲法審査会がこれまで与野党を超えた合意を基本として慎重に審査を進めてこられたことに敬意を表する次第です。
最後に、国民との関係です。
言うまでもなく、主権者、憲法改正権者は国民であり、国会は発議を行うにすぎません。しかし、日々の生活の中で憲法について考えることが少なく、また関心を持っていない国民、方々も多いと思います。最近ではポピュリズムの弊害も指摘されています。国民の代表者である国会議員の方々には、国民の分断をあおるようなやり方ではなく、国民が憲法をめぐる諸論点について冷静に熟議することを可能とするよう、憲法の基本的な意義や価値と併せて、日頃からできるだけ多くの良質な情報を国民に提供する責務があると考えます。
繰り返しですが、国会には、憲法をめぐる現状に問題があるのか、問題があるならば、その原因はどこにあって、何をどのように改善すればよいのかという観点から議論をして、議論の基礎となる豊かな情報と多様な意見、そして大前提となる憲法の意義や価値と併せて分かりやすく国民に示していただければと思います。
以上で、私の拙い意見を申し述べた次第です。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、本憲法審査会で意見陳述の機会を与えられましたことに感謝申し上げます。
早速意見述べさせていただきます。
一、まず本改正案についてでございます。
まず、(1)、いわゆる七項目についてでございますが、この共通投票所制度の創設等七項目は、公職選挙法と平仄を合わせ、投票環境の整備を行うものと理解しています。
憲法改正国民投票は、国民主権の権力的契機の現れであるとするのが通説的見解であり、有権者が投票しやすい環境を整備することが望ましいことは言うまでもありません。また、投票事務を担う地方公共団体の担当者の立場からも、国政選挙の場合とできる限り平仄を合わせておくことは事務の混乱を防ぐ上からも合理的であり、その点からも望ましいと考えます。
次、附則についてです。
次に、修正案に言う附則四条一号の二項目については、さきの七項目と同様に考えます。二号の広告制限等について、国民運動投票等は、表現の自由で保障される、言わばど真ん中の行為でありますので、誰もができるだけ自由にこれを行うことができることを原則に考えるべきだと考えます。
ただ、いわゆる金の力により言論空間がゆがめられるのは問題だとの意見は、これは昔からございます。また、近年は、インターネットの発達に伴い、エコーチェンバーやフィルターバブルを通じた世論の二極化、フェイクニュース、ひいては世論操作といった問題も指摘されてきていますので、これらへの対応を検討することは望ましいと考えます。
今後の議論に委ねられますので、ここでは二点だけ申し述べます。
まず、イ、ロですが、自由にするとどういう弊害が生じるのかというのを論証する必要がございます。この点、公職選挙法はいわゆるべからず集で、もう規制されていますので参考になりませんで、一つ参考になるかと思いますのは、いわゆる大都市地域における特別区の設置に関する法律に基づくいわゆる大阪都構想の住民投票、これはイ、ロの規制なしに行われていますので、まあ一地域の住民投票と憲法改正の国民投票とでは完全に同視はできませんが、イ、ロについて自由に委ねたときに弊害が生じるのか、どういう弊害が生じるのかを判断、検討する際の一つの材料になるのではないかと考えました。
次に、ハのインターネット等の適正な利用を図るための方策は、国民投票に限らず選挙の関係でも検討すべき難問です。
ここでは、案に方策とあるとおり、法的規制については諸外国でもなお検討中の段階であり、例えばイギリスではインターネットの広告主の表示の義務付けが現在検討されてはいるようですが、検討中の段階でして、それゆえ日本でも、法的規制の方法も探りつつ、差し当たりはそれ以外の方法、メディアリテラシーに関する教育、啓発、あるいは人々がインターネット空間の内外で多様な意見、情報に接することができるような環境の整備といったことが想定されます。
一つ思いましたのは、国民投票法では、国民投票広報協議会及び政党による放送、新聞広告が定められていますが、特に若年層に対してはインターネット、SNSを通じた情報提供が大事なのではないかということです。
いずれにしましても、これらは専門家の意見も参考にされて議論を進めていただければと思います。
次に、二、憲法に関する議論の在り方について、やや法案から周辺的な話に行くんですけれども、関連する話だと思いますので、論じさせてください。
今見ました広告規制等も含め、国民投票法の規律対象は発議後のものです。それゆえ、議論の焦点が発議後の議論の在り方に当たるのは当然のことです。しかし、それ以前の段階、すなわち国会での発議原案の審議の段階、さらには調査の段階における議論の在り方もまた憲法をめぐる熟議を可能とするために重要でありますから、以下、意見を述べさせていただきます。
なお、今、それ以前の段階と申しましたが、これは論理的に、発議の前には発議や改正原案の憲法審査会そして本会議での審査が行われ、更にその前には、何の前触れもなくいきなり改正原案が出されるというのはおかしいですので、憲法に関する調査が行われるはずであるという程度の意味にすぎません。後で述べますとおり、調査を行えば必ず原案提出に至る、あるいは原案提出するために調査を行うというような関係にはないと私は考えております点、念のため申し添えます。
私は、憲法に関する議論は、憲法に問題があるとの認識があるならば、その認識が正しいのかどうか、また、問題があるとして、その原因はどこにあり、何をどのように改善すればよいのかという観点から丁寧に行われるべきものと考えます。
日本の憲法をめぐる現状の問題点、その原因、改善すべきポイント等々といった事柄に関する情報を専門家の知見も生かしながらできるだけ多く収集、整理し、そして様々な立場から意見をぶつけ、議論するべきです。そして、そのような情報や意見を議論の大前提となっている憲法の意義や価値と併せて、調査と並行しながらできるだけ多く丁寧に国民に提供し、国会の中だけでなく国民の間でも冷静に熟議を行えるようにするべきです。
(2)議論の対象ですけれども、今、憲法に関する議論と申しました。ここで憲法と言うとき、私は、日本国憲法、憲法典、講学上の形式的意味の憲法ではなく国家の組織や作用に関する基本的な規範の内容そのもの、講学上の実質的意味の憲法、論者によっては憲法秩序という言葉も使ったりもしますが、そちらをイメージしています。
実質的意味の憲法はもちろん憲法典にも含まれていますが、それらに限らず、法律やあるいは判例法理、あるいは国会でしたら議院規則や先例、あるいは例えば理事会で議論するだとか、そういうような慣行も含めて、様々な不文の慣行や運用など、様々な形で存在していると考えられます。憲法をめぐる論議というと、専ら憲法典、そしてその文言にだけ目が行きがちです。しかし、私は、むしろもっと広く、実質的意味の憲法、規範の内容に着目して検討を行うべきだと考えます。
現に、憲法審査会の任務には、日本国憲法に密接に関連する基本法制という文言の調査も含まれております、国会法百二条の六。ここには、後段で法案審議の対象として例示されている憲法改正国民投票法に限られず、先ほど申しました実質的意味の憲法が広く含まれるものというふうに読むことができます。実質、中身が大事だということです。この実質的意味の憲法、国政に関する基本的な規範の仕組み自体に問題がないのか、あるいは社会や国民意識の変化に対応しなければならない点がないのかは不断に検討するべきだと考えます。
ここで重要なことが二点あります。
一つは、憲法は国政の基礎となる仕組みに関わる規範の集まり、集合体ですから、ある部分を見る場合でも、全体の中での位置付けやほかの部分との関係を意識する必要があるということです。特に、統治機構に関わる規範の場合、一部の規範を動かすと、権力の行使と抑制のバランスが崩れて別の部分に悪影響が出ることがあります。憲法はまた基本的な仕組みですから、局所的な議論は避けて、少なくともある程度まとまった固まりを見ること、さらには日本の社会、国家はどうあるべきなのかという大局的な見地から見る姿勢も大事だと考えます。
もう一点です。日本国憲法は、諸外国の憲法と比較して、憲法典としては文字数の少ない簡素なものであるという特徴を持っております。憲法典として簡素であるということは、上記の国政に関する基本的な規範を法律や判例などで補足をして具体化して、憲法典が定める骨格あるいは憲法の基本原理、これを損なわない限りで発展させていく余地が大きいことを意味します。
このように、良く言えば柔構造、柔軟性を備えていることが、日本国憲法が現在でも世界水準で通用する立憲主義の諸原理をいち早く備えていたことと併せて、七十年余りにわたって機能してきた理由なのではないかと見ています。日本国憲法のこの特徴を前提にする限り、実質的意味の憲法を検討して仕組みの改善を図らなければならないことが認識されても、法律の改正等によって実現できる事項が多いのではないかと考えます。
もちろん、法律改正等によっては改善できず、憲法改正が必要だという結論に至ることがあり得ることは否定しません。また、ある規範を、従来は例えば法律レベルだったものを憲法レベルのものに引き上げることによって保障の度合いを高めるということもあり得ると思います。さらに、憲法典全体について、先ほど申しました柔構造を改めて、もっと規範の、何というか、規律密度といいますか、それを高いものにするという見直し、これもあり得るかと思います。
しかし、議論のやり方として、実質的意味の憲法に着目を、もう少し意識をして着目をすることによって、結果としてその憲法改正を行う必要性だとか、あるいは法律改正等による方法を取った場合と比較してのメリットやデメリットのようなものが議論の中で明らかになり、結果としてもし憲法改正の発議になった場合にはより説得的な理由付けをもたらすでしょうし、あるいは、憲法改正の発議には至らず、法律制定等別の方法の方で解決ができるということになっても、これはこれで、もう大事なことはその中身が良くなること、悪くなりかけているものが戻ること、あるいはもっと良くなることが大事ですので、そういう法律制定等の方法になってもよいわけです。したがって、こういうアプローチというのは有用なものじゃないかというふうに私は考えております。
繰り返しになりますが、憲法に関する調査を行う際には、憲法典、形式的意味の憲法、条文だけではなく、より広い憲法秩序、実質的意味の憲法に意識を向けること、それから、条文よりも、まず今憲法規範に関係する現状、そこにどういう問題があるのか、そういうところに焦点を合わせるべきだと考えます。
(3)議論の主体です。
憲法改正にもつながり得る憲法をめぐる議論は、憲法九十六条また国民投票法の定めから見ても国会での議論が中心になります。これについて三点申し述べます。
まず、憲法をめぐる議論は、政党本位ではなく、各議員が主体となり自由に行われることがあってもよいかと考えます。通常政治は、諸政党が政権を取り政策を実施することを目指し競争をし、言わば対立モードで行われるものであるのに対して、憲法は通常政治を行うため党派を超えて共有する土台です。もちろん、その中には通常政治における政策と密接に関わる条項もあり、通常政治における政党間の対立がそのまま持ち込まれる場合があることは否定しません。しかし、党派を超えて意見が一致することも多いはずですし、また、できるだけそうあるべきであると考えます。
他方、憲法は統治機構や基本的人権に関わる多様な論点を含みますから、特に人権に関わるものなどは同一政党に所属する国会議員の間であっても個人の信条というレベルで意見が分かれることがあって当然だと思います。論点によるのかもしれませんが、政党による縛りを掛け過ぎず、様々な意見を持った議員間での自由な議論をしていただきたいと願います。
次に、憲法は通常政治を行うための共通の土台ですから、憲法に関する議論それ自体もできるだけ幅広い合意を基礎に進められるべきです。憲法改正の発議要件が各議院の総議員の三分の二以上とされているのも、単に過半数の賛成でよい法律制定の場合よりも現状からの変更に慎重であるべきであるという趣旨だけでなく、党派を超えた幅広い合意に基づくべきであるという含意があると解することができます。その意味で、この憲法審査会がこれまで与野党を超えた合意を基本として慎重に審査を進めてこられたことに敬意を表する次第です。
最後に、国民との関係です。
言うまでもなく、主権者、憲法改正権者は国民であり、国会は発議を行うにすぎません。しかし、日々の生活の中で憲法について考えることが少なく、また関心を持っていない国民、方々も多いと思います。最近ではポピュリズムの弊害も指摘されています。国民の代表者である国会議員の方々には、国民の分断をあおるようなやり方ではなく、国民が憲法をめぐる諸論点について冷静に熟議することを可能とするよう、憲法の基本的な意義や価値と併せて、日頃からできるだけ多くの良質な情報を国民に提供する責務があると考えます。
繰り返しですが、国会には、憲法をめぐる現状に問題があるのか、問題があるならば、その原因はどこにあって、何をどのように改善すればよいのかという観点から議論をして、議論の基礎となる豊かな情報と多様な意見、そして大前提となる憲法の意義や価値と併せて分かりやすく国民に示していただければと思います。
以上で、私の拙い意見を申し述べた次第です。
ありがとうございました。
林
飯
飯島滋明#4
○参考人(飯島滋明君) この度は貴重な機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。
経済学部の教員ですけれども、憲法を専攻しています名古屋学院大学の飯島と申します。
資料の方をお配りさせていただいていますけれども、これ多分、授業でも多分九十分で収まらないのを作ってしまったなと思いましたので、かなりはしょって話の方はさせていただきたいと思います。
今回、私は七項目の、限定して話をさせていただきたいと思っていますけど、関連することについては発言の方はさせていただきたいと思います。
この七項目に関してなんですけれども、例えば、五月二十六日、憲法審査会ではですけれども、投票環境の向上だと、あるいはメディアでは、利便性の向上、そのために変えるんだということが言われることがございます。五月二十六日の憲法審査会でも、その外形的事項については公選法並びとすることが合理的だという発言があったと思います。
ただ、確かに向上する側面もあるかと思いますけれども、やはりここで先生方に考えていただきたいなと思いますのが、人を選ぶ選挙と憲法改正というものの是非を問うやっぱり国民投票には制度的あるいは趣旨に根本的な違いがあります。そういった違いもやっぱり適切な配慮をしないで、単純に同じ投票だからということで横並びにしてしまえということでは、やはり投票環境の悪化あるいは利便性の悪化をもたらす可能性がございます。
結論からいいますと、繰延べ投票の告示期間の短縮あるいは期日前投票の弾力的運用に関しては、明らかに投票環境を悪化させる、その可能性というのがございます。
本当、十五分でかなりはしょって話をさせていただきますけれども、法案の説明もちょっとできないところというのもございますけれども、御了解いただければと思います。
例えば、この繰延べ投票の告示期間の短縮ですけれども、これこそまさにやっぱり選挙と国民投票の違いというのが明確に表れる項目ではないかと思います。
結論からいいますと、日曜日に投票できないと、だけれども、まあ台風が来て投票ができない、今までの憲法改正国民投票であれば木曜日以降になるんですけれども、公職選挙法に合わせて翌日の月曜日投票できるようになってしまうと。これも考えていただきたいんですけれども、日曜日が台風です、あるいは大地震です、投票できません、翌日の月曜日投票できる制度、これが果たして投票環境の向上になるのかというと、私はそれはならないんだと思います。ですので、この項目に関しましては削除あるいは修正というのが必要ではないかというふうに考えます。
あるいはですけれども、選挙の際の繰延べ投票、これは例えば小選挙区とかであればそこだけやればいいのかもしれませんけれども、憲法改正国民投票のとき、一か所だけ繰延べ投票になりましたといったとき、やっぱりこれ全国に及ぶ可能性があるんじゃないでしょうか。そこもやっぱり先生方に御議論いただきたいというふうに思っています。
次ですけれども、期日前投票の弾力的運用ですけれども、これも例えば朝六時半から夜十時までできるという意味で向上になる可能性もないわけでもないですけれども、ただ、今の実際の運用を見ていますと、むしろ悪化する可能性の方が高いかと思います。
これ、本多平直議員が衆議院の憲法審査会で、二〇二〇年の十二月二日と二〇二一年の四月十五日にパネルなんか示して紹介されていたかと思いますけれども、やっぱりこの弾力的運用というのをやると五十一時間三十分から五十時間三十分に減ってしまうような事例があると。
私、現状を前提とすればという話をさせていただきましたけれども、例えば二〇一九年の七月の参議院選挙では、約三人に一人、三三%が期日前投票しているんですよね。三人に一人、三三%が期日前投票をしているにもかかわらず、期日前投票の時間を少なくしてしまう可能性があると。やはりこれ、投票環境の悪化の可能性があるんではないかと。
ですので、少なくとも一か所に関しては朝八時半から二十時までずっと開いているという仕組みというのはやっぱり残しておくべきだと思いますし、衆議院でもやっぱり議論がございましたけれども、確かに地域の実情というのはいろいろ違いますので、弾力的に運用するというのは必要がないとは言いません、合理性はあるんでしょうけれども、ただ、全体としてその時間が短くなってしまうようなことがないように、そういったためのやっぱり法案の何らかの手当てというのは必要じゃないかと思います。
あと、今回の七項目の改正に関して申し上げさせていただきますと、期日前投票の事由として、天災又は悪天候により投票所に投票することが困難であること、これが期日前投票の事由として追加されます。自然災害で、言い方は悪いですけれども、投票できない、じゃ、期日前投票行こうというときに、その期日前投票の時間が短くなってしまうということであれば、やはりこれ投票環境の悪化になるということが言えるんではないかと思います。
そういった意味で、期日前投票の弾力的運用でありますとか、繰延べ投票の告示期間の短縮に関しては、投票環境の向上どころかむしろ悪化をもたらす可能性があるということを申し上げさせていただきたいと思います。
じゃ、その次ですけれども、憲法上問題がある問題ということについて話をさせていただきます。
二〇〇五年の九月なんですけれども、最高裁判所が、外国にいる日本人が投票できない、こういった公職選挙法は憲法違反だというふうに最高裁判所が判示しています。つい最近、最高裁判所の事例ではないですけれども、最高裁判所の裁判官の国民審査に関しまして、外国にいる日本人が投票できない、こういった事例に関しまして、二〇一九年の五月には東京地方裁判所が、二〇二〇年の六月には東京高等裁判所が憲法違反という判断を下しています。投票できない国民がいるということ自体、それが主権者の権利である参政権を侵害するということで憲法違反だというのが最高裁判所以下の裁判所の基本的な立場です。
これも後で、もしかしたら時間があれば申し上げたいと思いますけれども、やっぱり憲法というのはもしかしたら一回国民投票になってしまえば一生国民投票はないかもしれない。その効力というのはずっと続くわけですけれども、そういった国民投票のときに投票できない人たちがいるというのは、これは普通の選挙以上に憲法違反となる可能性、最高裁判所の二〇〇五年の在外投票のものを見ても憲法違反となる可能性というのは否定できないんではないかと思います。
そうした観点からですけれども、洋上投票の問題と、あと不在者投票の問題について先生方に提示させていただきたいと思います。
衆議院選挙あるいは参議院選挙の場合ですと、船員というのは洋上投票を行う場合には事前に選挙人名簿登録証明書というのをもらいます。例えば、急遽ですけれども、衆議院が解散されましたということになったとしてもですけれども、その選挙人名簿登録証明書の有効期間というのは七年間ですので、それは投票用紙があればという条件になりますけれども、対応できます。
ですけれども、これ、横並びにすればいいのかという話なんですけれども、憲法改正国民投票のとき、実は法の二十条一項を見ますと、国民投票が行われる場合に投票人名簿というのは作られるというふうに条文では書かれています。もっと言いますと、憲法改正手続法五十三条一項を見ますと、投票人名簿又は在外投票人名簿に登録されていない者は投票することができないというふうに書かれています。この規定を見ますと、じゃ、洋上にいて、いきなり憲法改正の発議になりました、投票もそのとき行われますと。これ、先生方はよく御存じだと思いますけれども、この国民投票の期間というのは六十日から百八十日間、ある意味で非常に短いです。その間に国民投票が行われてしまう可能性があると。
ですから、船に乗っかっている間に実は憲法改正の発議がされて投票ということもあり得ると。そのとき、この投票人名簿というのはどうやって作るんですかと。この手当てが実は法でなされているのかどうかといいますと、私、ちょっと何回も見たんですけど、よく分かりませんでした。ですから、これ、参議院の先生方にはちょっとここら辺も御審議いただければというふうに考えています。
私、ここでちょっと例を挙げさせていただきたいんですけれども、海上自衛隊員はどうなんですかね。今、政府の命令で例えば半年間洋上に出ているような場合があると。その出ているときですけれども、憲法改正の発議がされました、国民投票もその間に行われますと。そのとき、この海上自衛隊員というのは果たしてこれ、できるのかどうか。そこら辺に関しては、本当に先生方に参議院で十分な審議というのを尽くしていただければと思います。
これができないということになりますと、先ほど最高裁判所の私、裁判例というのを紹介させていただいたかと思いますけれども、投票できない主権者がいるということであれば、やはり最高裁判所の判例に照らしても憲法違反の可能性というのは出てきます。もっと言いますと、今、憲法改正のいろんな議論がされているかと思います。自衛隊を明記するんだと、それが自衛隊員のためなんだということを言っていらっしゃるかと思いますけれども、じゃ、その当の自衛隊員が投票できないということになれば一体何のためなんだと、そういう話になりかねないんではないかと思います。
ですので、そうであれば、結局、憲法改正のために自衛隊員を口実にしただけか、そういうことがないようにしていただきたいと思いますので、ここに関しては、本当、そういった仕組みがあるのか、あるいは私の見落としなのかというのを先生方に御検討いただければというふうには思います。
次に、不在者投票になります。
二〇一六年の十一月二十五日の参議院の倫選特ですけれども、要介護五に限定している郵便等による不在者投票に対して、当時の高市早苗総務大臣は、やっぱりこれは不十分だということをおっしゃっていました。今ここにいらっしゃる浅田先生も、これに関しては賛意を示されたと思います。私もそうだと思います。
個人的な体験になりますけれども、つい最近要介護三という方に接していますけれども、一人で投票行くなんてやっぱりむちゃです、見ていて。その方は働いているということで、要介護二にされるかもしれないということも言っていました。そうであれば、本当に要介護三でもいいのかどうか、ここはやっぱり認識、議論する必要があるんだと思います。
ましてや、今コロナ感染が拡大する中、投票できない人がいるという状況に拍車が掛かっています。保健所の指示で、宿泊療養あるいは自宅での療養を余儀なくされて投票できない人たちというのがいるわけです。この人たちが放置されているということであれば、先ほど申しました二〇〇五年の最高裁判所の判例に照らしても、やはり憲法違反ということになるかと思います。
今、急遽特措法を作って、七月の都議選にという話ありますけれども、確かに法的な手当てというのは私は必要だと思いますけれども、ただ、選挙の要請というのは不正な投票というのも防ぐと、これは民主制の根幹に関わります。ですから、余りいいかげんなものを作ってもらっても正直言って困ると。
ですので、もちろん投票できない人がいるというのはまずいんですけれども、不正投票を防止するという観点からも、そういった観点からも適切なものをしっかり時間を掛けて作っていただければというふうに思います。
時間の関係がありますので、あとのことに関しては簡単に申し上げます。
例えば、公選法並び七項目に関して言えば、投票人名簿の閲覧の導入というのがございます。これに関しては私、評価できる点はあるかと思います。ストーカーやDV対策ということで、やっぱり簡単に個人情報を渡さない、それは評価できる点はあるんだと思いますけれども、これも実は宿題があるんではないかというふうに考えています。
衆議院がですけれども、二〇一八年六月に作成した資料ではですけれども、実は受刑者に関しては、要するにそれを見られることによってどこにいるということが分かってしまうと、刑務所にいるということが分かってしまうということで、結局は受刑しているんだということが分かってしまうと、これに対する対応が必要だということが書かれているんですけれども、衆議院の憲法審査会でそれが議論された形跡というのはございません。衆議院の憲法審査会で検討が必要だと言われたことを衆議院でやっていないというのは果たしてどうなんだろうかという辺りも、やっぱり検討の課題として残るんではないかと思います。
今度、ほかに必要なことということで紹介させていただきますけれども、在外投票、これ、今数字見ていただければ、参議院の資料も出て、先生方も御覧になったかと思いますけれども、百三十万人ぐらい日本人がいて、大体二万人ぐらいしか投票していないと。二%弱です。これでいいんですかね。むしろ、やっぱり、何でこんな少ないんだと、こういった辺りを検討するということが非常に必要なんじゃないかと思います。
ホームページ見ていただければ分かるかと思いますけれども、正直言って、投票制度分かりづらいです。憲法改正国民投票法ではちゃんと何時から何時までって書いてあるんですけれども、この外務省のホームページ見ますと、朝九時半から七時だったかな、五時だったかな、ちょっと正確な時間忘れましたけれども、そこに投票します、場所によってはもっと短い可能性がありますとしか書いていないんですよね。外国にいて、ただでさえ大変なときに、日本よりか短い時間で投票なんかできるのかと。
そういった辺り、実はいろいろ、もろもろあります。むしろ、外国にいる日本人が投票しやすい環境というのをしっかり調べた上で対応するべきだと思います。出国時の申請制度を簡単にしましたという、そういう小手先だけではやはり問題ではないかというふうに思います。
今度、共通投票所の話もさせていただきますけれども、今年の四月十五日、憲法審査会で本村伸子先生が指摘されたかと思いますけれども、七か所あった投票所が結局三か所に集約されてしまうと、そうすると、投票所に行く距離というのが長くなってしまう、こういった事例があるということを本村先生は紹介されているかと思いますけれども、これで果たして投票環境が良くなったと言えるのかどうか。むしろ投票環境が悪化しているんじゃないかということが言えるかと思います。そこでやっぱり十分な検討というのが必要ではないかというふうに考えます。
簡単にあと、まとめの方をさせていただきます。
公選法並び七項目の目的というのは投票環境の向上でありまして、確かにそういう側面がないとは全く言いませんけれども、繰延べ投票の告示期間の短縮、あるいは期日前投票の弾力的運用に関しては、かえって投票環境を悪化させる可能性があると。洋上投票や不在者投票に関しては、これは先生方に十分御検討いただきたいと思いますけれども、投票できない人がまだそのままになっている可能性があると。そうであれば、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反状態が放置されている状況でありまして、この状況で国民投票なんていうのはもってのほか、憲法違反になる可能性もございます。在外投票や共通投票所に関しても、投票環境の向上という視点からやはり検討すべきことが検討されていないと言えるかと思います。
これもちょっと、まあ過ぎてしまうのでやめます、短くしますけれども、私、二回の先生方の審議見させてもらって、非常にやっぱり先生方がいら立っている、頭に来ているの分かりました、衆議院は何でこんなもの送ってくるんだという。法の専門家から見ても、今申し上げましたとおり、やっぱりちょっと問題多過ぎますよ、これを通すのかどうか。
実は、これを通してしまうということは、先生方が感じたのと同じこと、衆議院が何でこんなの通してくるんだというのを感じたと思うんですけれども、それを国民に対して先生方がやることになるかもしれないと。そうならないようにするために、しっかりした審議、場合によっては衆議院に反省を迫る意味で、何だ、これと送り返すぐらいのこともやっていただければというふうに思います。
ありがとうございます。
この発言だけを見る →経済学部の教員ですけれども、憲法を専攻しています名古屋学院大学の飯島と申します。
資料の方をお配りさせていただいていますけれども、これ多分、授業でも多分九十分で収まらないのを作ってしまったなと思いましたので、かなりはしょって話の方はさせていただきたいと思います。
今回、私は七項目の、限定して話をさせていただきたいと思っていますけど、関連することについては発言の方はさせていただきたいと思います。
この七項目に関してなんですけれども、例えば、五月二十六日、憲法審査会ではですけれども、投票環境の向上だと、あるいはメディアでは、利便性の向上、そのために変えるんだということが言われることがございます。五月二十六日の憲法審査会でも、その外形的事項については公選法並びとすることが合理的だという発言があったと思います。
ただ、確かに向上する側面もあるかと思いますけれども、やはりここで先生方に考えていただきたいなと思いますのが、人を選ぶ選挙と憲法改正というものの是非を問うやっぱり国民投票には制度的あるいは趣旨に根本的な違いがあります。そういった違いもやっぱり適切な配慮をしないで、単純に同じ投票だからということで横並びにしてしまえということでは、やはり投票環境の悪化あるいは利便性の悪化をもたらす可能性がございます。
結論からいいますと、繰延べ投票の告示期間の短縮あるいは期日前投票の弾力的運用に関しては、明らかに投票環境を悪化させる、その可能性というのがございます。
本当、十五分でかなりはしょって話をさせていただきますけれども、法案の説明もちょっとできないところというのもございますけれども、御了解いただければと思います。
例えば、この繰延べ投票の告示期間の短縮ですけれども、これこそまさにやっぱり選挙と国民投票の違いというのが明確に表れる項目ではないかと思います。
結論からいいますと、日曜日に投票できないと、だけれども、まあ台風が来て投票ができない、今までの憲法改正国民投票であれば木曜日以降になるんですけれども、公職選挙法に合わせて翌日の月曜日投票できるようになってしまうと。これも考えていただきたいんですけれども、日曜日が台風です、あるいは大地震です、投票できません、翌日の月曜日投票できる制度、これが果たして投票環境の向上になるのかというと、私はそれはならないんだと思います。ですので、この項目に関しましては削除あるいは修正というのが必要ではないかというふうに考えます。
あるいはですけれども、選挙の際の繰延べ投票、これは例えば小選挙区とかであればそこだけやればいいのかもしれませんけれども、憲法改正国民投票のとき、一か所だけ繰延べ投票になりましたといったとき、やっぱりこれ全国に及ぶ可能性があるんじゃないでしょうか。そこもやっぱり先生方に御議論いただきたいというふうに思っています。
次ですけれども、期日前投票の弾力的運用ですけれども、これも例えば朝六時半から夜十時までできるという意味で向上になる可能性もないわけでもないですけれども、ただ、今の実際の運用を見ていますと、むしろ悪化する可能性の方が高いかと思います。
これ、本多平直議員が衆議院の憲法審査会で、二〇二〇年の十二月二日と二〇二一年の四月十五日にパネルなんか示して紹介されていたかと思いますけれども、やっぱりこの弾力的運用というのをやると五十一時間三十分から五十時間三十分に減ってしまうような事例があると。
私、現状を前提とすればという話をさせていただきましたけれども、例えば二〇一九年の七月の参議院選挙では、約三人に一人、三三%が期日前投票しているんですよね。三人に一人、三三%が期日前投票をしているにもかかわらず、期日前投票の時間を少なくしてしまう可能性があると。やはりこれ、投票環境の悪化の可能性があるんではないかと。
ですので、少なくとも一か所に関しては朝八時半から二十時までずっと開いているという仕組みというのはやっぱり残しておくべきだと思いますし、衆議院でもやっぱり議論がございましたけれども、確かに地域の実情というのはいろいろ違いますので、弾力的に運用するというのは必要がないとは言いません、合理性はあるんでしょうけれども、ただ、全体としてその時間が短くなってしまうようなことがないように、そういったためのやっぱり法案の何らかの手当てというのは必要じゃないかと思います。
あと、今回の七項目の改正に関して申し上げさせていただきますと、期日前投票の事由として、天災又は悪天候により投票所に投票することが困難であること、これが期日前投票の事由として追加されます。自然災害で、言い方は悪いですけれども、投票できない、じゃ、期日前投票行こうというときに、その期日前投票の時間が短くなってしまうということであれば、やはりこれ投票環境の悪化になるということが言えるんではないかと思います。
そういった意味で、期日前投票の弾力的運用でありますとか、繰延べ投票の告示期間の短縮に関しては、投票環境の向上どころかむしろ悪化をもたらす可能性があるということを申し上げさせていただきたいと思います。
じゃ、その次ですけれども、憲法上問題がある問題ということについて話をさせていただきます。
二〇〇五年の九月なんですけれども、最高裁判所が、外国にいる日本人が投票できない、こういった公職選挙法は憲法違反だというふうに最高裁判所が判示しています。つい最近、最高裁判所の事例ではないですけれども、最高裁判所の裁判官の国民審査に関しまして、外国にいる日本人が投票できない、こういった事例に関しまして、二〇一九年の五月には東京地方裁判所が、二〇二〇年の六月には東京高等裁判所が憲法違反という判断を下しています。投票できない国民がいるということ自体、それが主権者の権利である参政権を侵害するということで憲法違反だというのが最高裁判所以下の裁判所の基本的な立場です。
これも後で、もしかしたら時間があれば申し上げたいと思いますけれども、やっぱり憲法というのはもしかしたら一回国民投票になってしまえば一生国民投票はないかもしれない。その効力というのはずっと続くわけですけれども、そういった国民投票のときに投票できない人たちがいるというのは、これは普通の選挙以上に憲法違反となる可能性、最高裁判所の二〇〇五年の在外投票のものを見ても憲法違反となる可能性というのは否定できないんではないかと思います。
そうした観点からですけれども、洋上投票の問題と、あと不在者投票の問題について先生方に提示させていただきたいと思います。
衆議院選挙あるいは参議院選挙の場合ですと、船員というのは洋上投票を行う場合には事前に選挙人名簿登録証明書というのをもらいます。例えば、急遽ですけれども、衆議院が解散されましたということになったとしてもですけれども、その選挙人名簿登録証明書の有効期間というのは七年間ですので、それは投票用紙があればという条件になりますけれども、対応できます。
ですけれども、これ、横並びにすればいいのかという話なんですけれども、憲法改正国民投票のとき、実は法の二十条一項を見ますと、国民投票が行われる場合に投票人名簿というのは作られるというふうに条文では書かれています。もっと言いますと、憲法改正手続法五十三条一項を見ますと、投票人名簿又は在外投票人名簿に登録されていない者は投票することができないというふうに書かれています。この規定を見ますと、じゃ、洋上にいて、いきなり憲法改正の発議になりました、投票もそのとき行われますと。これ、先生方はよく御存じだと思いますけれども、この国民投票の期間というのは六十日から百八十日間、ある意味で非常に短いです。その間に国民投票が行われてしまう可能性があると。
ですから、船に乗っかっている間に実は憲法改正の発議がされて投票ということもあり得ると。そのとき、この投票人名簿というのはどうやって作るんですかと。この手当てが実は法でなされているのかどうかといいますと、私、ちょっと何回も見たんですけど、よく分かりませんでした。ですから、これ、参議院の先生方にはちょっとここら辺も御審議いただければというふうに考えています。
私、ここでちょっと例を挙げさせていただきたいんですけれども、海上自衛隊員はどうなんですかね。今、政府の命令で例えば半年間洋上に出ているような場合があると。その出ているときですけれども、憲法改正の発議がされました、国民投票もその間に行われますと。そのとき、この海上自衛隊員というのは果たしてこれ、できるのかどうか。そこら辺に関しては、本当に先生方に参議院で十分な審議というのを尽くしていただければと思います。
これができないということになりますと、先ほど最高裁判所の私、裁判例というのを紹介させていただいたかと思いますけれども、投票できない主権者がいるということであれば、やはり最高裁判所の判例に照らしても憲法違反の可能性というのは出てきます。もっと言いますと、今、憲法改正のいろんな議論がされているかと思います。自衛隊を明記するんだと、それが自衛隊員のためなんだということを言っていらっしゃるかと思いますけれども、じゃ、その当の自衛隊員が投票できないということになれば一体何のためなんだと、そういう話になりかねないんではないかと思います。
ですので、そうであれば、結局、憲法改正のために自衛隊員を口実にしただけか、そういうことがないようにしていただきたいと思いますので、ここに関しては、本当、そういった仕組みがあるのか、あるいは私の見落としなのかというのを先生方に御検討いただければというふうには思います。
次に、不在者投票になります。
二〇一六年の十一月二十五日の参議院の倫選特ですけれども、要介護五に限定している郵便等による不在者投票に対して、当時の高市早苗総務大臣は、やっぱりこれは不十分だということをおっしゃっていました。今ここにいらっしゃる浅田先生も、これに関しては賛意を示されたと思います。私もそうだと思います。
個人的な体験になりますけれども、つい最近要介護三という方に接していますけれども、一人で投票行くなんてやっぱりむちゃです、見ていて。その方は働いているということで、要介護二にされるかもしれないということも言っていました。そうであれば、本当に要介護三でもいいのかどうか、ここはやっぱり認識、議論する必要があるんだと思います。
ましてや、今コロナ感染が拡大する中、投票できない人がいるという状況に拍車が掛かっています。保健所の指示で、宿泊療養あるいは自宅での療養を余儀なくされて投票できない人たちというのがいるわけです。この人たちが放置されているということであれば、先ほど申しました二〇〇五年の最高裁判所の判例に照らしても、やはり憲法違反ということになるかと思います。
今、急遽特措法を作って、七月の都議選にという話ありますけれども、確かに法的な手当てというのは私は必要だと思いますけれども、ただ、選挙の要請というのは不正な投票というのも防ぐと、これは民主制の根幹に関わります。ですから、余りいいかげんなものを作ってもらっても正直言って困ると。
ですので、もちろん投票できない人がいるというのはまずいんですけれども、不正投票を防止するという観点からも、そういった観点からも適切なものをしっかり時間を掛けて作っていただければというふうに思います。
時間の関係がありますので、あとのことに関しては簡単に申し上げます。
例えば、公選法並び七項目に関して言えば、投票人名簿の閲覧の導入というのがございます。これに関しては私、評価できる点はあるかと思います。ストーカーやDV対策ということで、やっぱり簡単に個人情報を渡さない、それは評価できる点はあるんだと思いますけれども、これも実は宿題があるんではないかというふうに考えています。
衆議院がですけれども、二〇一八年六月に作成した資料ではですけれども、実は受刑者に関しては、要するにそれを見られることによってどこにいるということが分かってしまうと、刑務所にいるということが分かってしまうということで、結局は受刑しているんだということが分かってしまうと、これに対する対応が必要だということが書かれているんですけれども、衆議院の憲法審査会でそれが議論された形跡というのはございません。衆議院の憲法審査会で検討が必要だと言われたことを衆議院でやっていないというのは果たしてどうなんだろうかという辺りも、やっぱり検討の課題として残るんではないかと思います。
今度、ほかに必要なことということで紹介させていただきますけれども、在外投票、これ、今数字見ていただければ、参議院の資料も出て、先生方も御覧になったかと思いますけれども、百三十万人ぐらい日本人がいて、大体二万人ぐらいしか投票していないと。二%弱です。これでいいんですかね。むしろ、やっぱり、何でこんな少ないんだと、こういった辺りを検討するということが非常に必要なんじゃないかと思います。
ホームページ見ていただければ分かるかと思いますけれども、正直言って、投票制度分かりづらいです。憲法改正国民投票法ではちゃんと何時から何時までって書いてあるんですけれども、この外務省のホームページ見ますと、朝九時半から七時だったかな、五時だったかな、ちょっと正確な時間忘れましたけれども、そこに投票します、場所によってはもっと短い可能性がありますとしか書いていないんですよね。外国にいて、ただでさえ大変なときに、日本よりか短い時間で投票なんかできるのかと。
そういった辺り、実はいろいろ、もろもろあります。むしろ、外国にいる日本人が投票しやすい環境というのをしっかり調べた上で対応するべきだと思います。出国時の申請制度を簡単にしましたという、そういう小手先だけではやはり問題ではないかというふうに思います。
今度、共通投票所の話もさせていただきますけれども、今年の四月十五日、憲法審査会で本村伸子先生が指摘されたかと思いますけれども、七か所あった投票所が結局三か所に集約されてしまうと、そうすると、投票所に行く距離というのが長くなってしまう、こういった事例があるということを本村先生は紹介されているかと思いますけれども、これで果たして投票環境が良くなったと言えるのかどうか。むしろ投票環境が悪化しているんじゃないかということが言えるかと思います。そこでやっぱり十分な検討というのが必要ではないかというふうに考えます。
簡単にあと、まとめの方をさせていただきます。
公選法並び七項目の目的というのは投票環境の向上でありまして、確かにそういう側面がないとは全く言いませんけれども、繰延べ投票の告示期間の短縮、あるいは期日前投票の弾力的運用に関しては、かえって投票環境を悪化させる可能性があると。洋上投票や不在者投票に関しては、これは先生方に十分御検討いただきたいと思いますけれども、投票できない人がまだそのままになっている可能性があると。そうであれば、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反状態が放置されている状況でありまして、この状況で国民投票なんていうのはもってのほか、憲法違反になる可能性もございます。在外投票や共通投票所に関しても、投票環境の向上という視点からやはり検討すべきことが検討されていないと言えるかと思います。
これもちょっと、まあ過ぎてしまうのでやめます、短くしますけれども、私、二回の先生方の審議見させてもらって、非常にやっぱり先生方がいら立っている、頭に来ているの分かりました、衆議院は何でこんなもの送ってくるんだという。法の専門家から見ても、今申し上げましたとおり、やっぱりちょっと問題多過ぎますよ、これを通すのかどうか。
実は、これを通してしまうということは、先生方が感じたのと同じこと、衆議院が何でこんなの通してくるんだというのを感じたと思うんですけれども、それを国民に対して先生方がやることになるかもしれないと。そうならないようにするために、しっかりした審議、場合によっては衆議院に反省を迫る意味で、何だ、これと送り返すぐらいのこともやっていただければというふうに思います。
ありがとうございます。
林
浅
浅野善治#6
○参考人(浅野善治君) 大東文化大学の浅野善治と申します。今日はこのような機会をいただき、大変感謝をいたします。
日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案に対してということで意見を述べさせていただきたいと思います。
内容についてもいろいろ意見があるわけでございますが、まあそれはちょっとそれといたしまして、また後ほどということにいたしまして、むしろこの法案の審議の仕方ですね、それについて少し考えるところがございますので、その辺りのことについて少し意見を述べさせていただきたいと思います。
ほかの参考人の先生方がレジュメを用意していらっしゃるんですが、私は、ちょっと済みません、レジュメは用意していなかったものですから、参考資料がございません。配付資料はございませんが、お聞きいただければと思います。
この改正案ですけれども、提案されたのが平成三十年の六月、百九十六回国会ということでございます。もう既に三年が経過しようというような時間がたっております。こういうように、長い時間が掛かりましたこと、これは大変残念に実は思っております。また、こうした改正案の審議が憲法改正の実質的な審議そのものと関連があるかのように取り扱われているとすれば、やはりこれも非常に残念なことだというふうに思っております。
憲法改正というのは、やっぱりその国の基本である憲法の内容を主権者たる国民が国民の意思によって決定するという、国民に与えられた非常に重要な、国民主権の本質を確保するための極めて重要な権利というふうに思っております。ですから、これが実質的に十分に機能するようにということというのは常に配慮されていなければならないというように思います。
憲法改正の議論に絡んで、立憲主義ということがよく問題にされます。立憲主義とはということですと、その憲法を守って、権力者の権力行使を憲法に従わせることによって国民の自由を守るというようなことが言われて、憲法を守るこそが重要だと、こういうように説明されるわけですが、これは一面正しいところもあるわけですけれども、その従わせる憲法自体が主権者たる国民の意思によって決定されているものでなければ、この立憲主義というのは全く意味を成さないということになるかと思います。そういう意味では、現在の国民ですね、過去の国民ではないです、現在の国民が、その国民の意思に従って今の憲法を検証し、また改正が必要であれば常に改正ができるように、それを確保しておくことということが極めて重要なことでありまして、これが確保されなければ立憲主義というのは成り立たないというふうに思っております。
ですから、そういう意味では、憲法改正の審議というものはできるだけ常に行われなければならないというふうに思っております。
ですから、法案の審議というものがあって、その法案の審議の都合によって憲法改正の実質の審議が遅れる、あるいはそれが後回しになるということがあるとすれば、これは立憲主義というものについて、国会のその法案審議が立憲主義を阻んでいるというようなことを言ってもいいぐらいと思っております。そういう意味では、国民の憲法改正の権利、これが実質的に確保されるようにということ、これをまず最優先にして、こういう関連法の審議というものも進めなければならないというように思っております。
そういう意味では、憲法改正の実質的な審議をこの法案の審議と関連させるというようなことはあってはならないというふうに実は思っておりまして、全く別に切り離して行うこと、これが極めて適切なことではないかなと実は思っております。
よく憲法は国会に対して唯一の立法機関だという地位を与えている、国権の最高機関であり唯一の立法機関だという地位を与えているということが言われます。これはよく承知されていることなんですけれども。
唯一の立法機関というのは、国会じゃなければ法律が作ることはできない、あるいは国会がほかの誰にも拘束されずに法律を作ることができると、こういうことでございますから、法律を作るという局面では、国会は自由にその審議の仕方を決めてもいいし、その内容を決めてもいいわけです。ですが、憲法改正の発議ということは、これは実は立法活動とは全く違った機能を憲法が国会に与えているわけですね。ですから、これは立法機関として国会は活動しているわけではなくて、実は、憲法改正を行う国民、主権者たる国民の総体、国民の有権者団と言ってもいいかもしれませんが、その国民の有権者団が持っている憲法改正権、それを、その準備をする、そのための原案を作成し、憲法改正の発議をする、これが国会の役割ということだと思います。ですから、そういう意味では、国会が立法活動として行っているわけではなくて、むしろ国民の憲法改正権、それを受けて国会が活動しているということになると思っております。
そういうことからすると、国民が憲法改正についてどのように考えているかということを的確に反映して審議をし、またその審議の運営もなされなければならないというように実は思っております。
そういうことからしますと、例えばNHKがこの五月に行いました憲法改正の議論についての世論調査、この中では憲法改正の議論を進めるべきだという国民が五四%、進める必要がないという国民は二七%です。さらに、この三月から四月に読売新聞が郵送によって行った世論調査、これはもう憲法審査会の審議の在り方についてそのものを聞いているわけですが、憲法審査会の審議が予算案や他の法律の審議など国会の状況に影響されず議論を進めるべきだとしているのが七二%、そういう予算案やほかの法律の審議など国会の状況によって議論が進まなくてもいいと言っているのが二二%という数字です。ですから、国民の七二%は、国会の予算案やほかの法案の審議などの都合によって憲法審査会の審議が進まないということについておかしいというふうに思っているわけです。
さらに、その同じ読売新聞の世論調査では、各政党が憲法改正に関する議論をもっと活発に行うべきだというのが六五%、そうは思わないが三〇%です。さらに、憲法改正をする方がいいかということもその世論調査は行っているわけでして、憲法改正をする方がいいという数字が五六%、憲法改正をしない方がいいという数字が四〇%なんです。
ここでちょっと注意して見てもらいたいことは、憲法改正をする方がいいという数字が五六%なんですが、憲法審査会の審議が予算案や他の法律の審議など国会の状況に影響されずに議論を進めるべきだと言っているのは七二%なんです。ですから、憲法改正をした方がいいと言っているのは五六%なのにもかかわらず、憲法審査会の審議は進めるべきだが七二%なんですね。ということは、憲法改正に反対の人もこの憲法審査会の審議は進めるべきだという人がかなりいるということなんですね。ですから、そういう意味では、憲法改正の実質審議をこの憲法審査会がほかの法案の審議などには影響されずに進めるということを国民が期待をしているんだろうと思います。そういう国民に応えることこそが国会の与えられた重要な責務だと実は思っております。
ですから、こういう改正案の審議が憲法改正の実質的な審議に影響を与え、あたかも改正案の審議が優先されて、それが終わってから憲法改正の審議をしなければならないというふうなことだとすれば、これは極めて国会の在り方として問題があるのではないかというように思うところです。もし憲法改正に反対ということであれば、国会の憲法改正の実質的な審議の中でいかに憲法を改正すべきではないかということをしっかり議論するということも国民は期待しているわけでして、まさにそういう憲法改正の審議の中で、国民に対して憲法改正の論点、問題点、あるいは憲法改正をいかにしない方がいいかということも含めて、そういったことの内容をしっかり議論をして国民にそれを見せていくことというのがまさに国会の憲法審議の在り方ではないかなというふうに思います。
先ほどほかの参考人の方からも御意見がございましたように、こういった憲法改正の審議というのは、国政の政策選択という形で選ばれてくる選挙での投票、そういったものとはかなり性質が違うというふうに思いますので、政党選択をして政策選択をしている、そういうその国会議員の活動ということとは切り離して、やはり国民の代表という一人一人の国会議員の立場、ですから、そういう意味では政党を離れた議員個人の立場、そういったもので議論が進められるべきだと思いますし、党派性とかそういったものを抜きにして国会の憲法審議というものがなされるべきだというように実は思うわけです。
そういったことで、国会の憲法改正案の審議というのは、その関連法案の、例えば今回の憲法改正の手続に関する法律の一部改正案の審議の国会の在り方とはかなり性格が違うものだというように思うわけでして、ですから、そういう意味では、そこは切り離して別な考え方で審議が進められるべきだというふうに思います。ですから、そういう意味で、この改正案の審議の在り方ということについてはそういった面から強く意見を申し上げたいと思うところです。
そういう審議の在り方を、全く、性質のものを、別に、一緒のこの憲法審査会で行うということ、これ、ほかの、憲法審査会とは別に憲法審査の、憲法の実質的内容を審査する機関と関連法案を審議する委員会と分けてあれば非常に問題が少ないわけですけれども、それも同一の憲法審査会で行うということだとすれば、やっぱりそこはきちんと区別できるように、例えば小委員会というような形で分離をするとか、あるいは分科会というような形で分離をするとか、そういった形で明確に分けてその審議を進めることというのが望ましいんじゃないかなというのが私の意見です。
この改正案の内容自体につきましては、やはり投票機会というものをできるだけ保障しよう、あるいは投票権者の利便性をできるだけ確保しようというような形で様々な議論がなされているところでございまして、ある意味、公選法の審議の中で十分な議論も尽くされているというふうに思いますと、この七項目については、公選法に、これ、投票のときに表れる意思、これをできるだけ正確に、またできるだけその利便性を確保しながらそれを聞き取るというような意味での内容というふうに思いますので、これは速やかに改正をすべき、決定をすべきだというふうに思いますし、また、広告規制、その他のインターネット規制、広告放送、有料広告規制、こういったことにつきましては、やはりそれは憲法審査、憲法改正の審議というものといわゆる選挙で候補者を選ぶということ、その性格の違いというもの、それを十分に踏まえた上で、この国民投票の、国民投票運動と言っていいのかどうか分かりませんが、そういったものを制限することというのは、まさに政治的な意見表明自体を止める、あるいは制限するということにつながるものというふうに考えられますので、できるだけそこには制限を掛けないということが望ましいというふうに思います。
ただ一方、さはさりながら、例えば資金力による意思がゆがめられるとか、そういった弊害というのがもし仮にあるとすれば、具体的にこの政治活動の自由、そういったものを制限する弊害としてどういうものがあるのかということ、それをきちんと洗い出した上で、その政治活動の自由を制限してでも止めなければいけない弊害、それを除去するという限度で制限を掛けていくということが望ましいんだろうというふうに思います。ただ単に、選挙運動の規制というような形で共通の土俵をつくる、一つのルールをつくるという形でその内容、制限の内容を決める、そういうものではないというふうに実は思っております。それが今回の改正案の内容ということの意味というふうになるかと思います。
いずれにしましても、一番意見として感じておりますところは、こうした改正案の審議が憲法改正の実質的な審議というものとは全く性格が異なるものだということでございまして、そこはきちんと分離をして、憲法改正の審議というものは、いつでも国民が望むのであれば、それをきちんと受け止めて、国会が審議をしていくことが重要だということ、これは強く意見として申し上げたいと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案に対してということで意見を述べさせていただきたいと思います。
内容についてもいろいろ意見があるわけでございますが、まあそれはちょっとそれといたしまして、また後ほどということにいたしまして、むしろこの法案の審議の仕方ですね、それについて少し考えるところがございますので、その辺りのことについて少し意見を述べさせていただきたいと思います。
ほかの参考人の先生方がレジュメを用意していらっしゃるんですが、私は、ちょっと済みません、レジュメは用意していなかったものですから、参考資料がございません。配付資料はございませんが、お聞きいただければと思います。
この改正案ですけれども、提案されたのが平成三十年の六月、百九十六回国会ということでございます。もう既に三年が経過しようというような時間がたっております。こういうように、長い時間が掛かりましたこと、これは大変残念に実は思っております。また、こうした改正案の審議が憲法改正の実質的な審議そのものと関連があるかのように取り扱われているとすれば、やはりこれも非常に残念なことだというふうに思っております。
憲法改正というのは、やっぱりその国の基本である憲法の内容を主権者たる国民が国民の意思によって決定するという、国民に与えられた非常に重要な、国民主権の本質を確保するための極めて重要な権利というふうに思っております。ですから、これが実質的に十分に機能するようにということというのは常に配慮されていなければならないというように思います。
憲法改正の議論に絡んで、立憲主義ということがよく問題にされます。立憲主義とはということですと、その憲法を守って、権力者の権力行使を憲法に従わせることによって国民の自由を守るというようなことが言われて、憲法を守るこそが重要だと、こういうように説明されるわけですが、これは一面正しいところもあるわけですけれども、その従わせる憲法自体が主権者たる国民の意思によって決定されているものでなければ、この立憲主義というのは全く意味を成さないということになるかと思います。そういう意味では、現在の国民ですね、過去の国民ではないです、現在の国民が、その国民の意思に従って今の憲法を検証し、また改正が必要であれば常に改正ができるように、それを確保しておくことということが極めて重要なことでありまして、これが確保されなければ立憲主義というのは成り立たないというふうに思っております。
ですから、そういう意味では、憲法改正の審議というものはできるだけ常に行われなければならないというふうに思っております。
ですから、法案の審議というものがあって、その法案の審議の都合によって憲法改正の実質の審議が遅れる、あるいはそれが後回しになるということがあるとすれば、これは立憲主義というものについて、国会のその法案審議が立憲主義を阻んでいるというようなことを言ってもいいぐらいと思っております。そういう意味では、国民の憲法改正の権利、これが実質的に確保されるようにということ、これをまず最優先にして、こういう関連法の審議というものも進めなければならないというように思っております。
そういう意味では、憲法改正の実質的な審議をこの法案の審議と関連させるというようなことはあってはならないというふうに実は思っておりまして、全く別に切り離して行うこと、これが極めて適切なことではないかなと実は思っております。
よく憲法は国会に対して唯一の立法機関だという地位を与えている、国権の最高機関であり唯一の立法機関だという地位を与えているということが言われます。これはよく承知されていることなんですけれども。
唯一の立法機関というのは、国会じゃなければ法律が作ることはできない、あるいは国会がほかの誰にも拘束されずに法律を作ることができると、こういうことでございますから、法律を作るという局面では、国会は自由にその審議の仕方を決めてもいいし、その内容を決めてもいいわけです。ですが、憲法改正の発議ということは、これは実は立法活動とは全く違った機能を憲法が国会に与えているわけですね。ですから、これは立法機関として国会は活動しているわけではなくて、実は、憲法改正を行う国民、主権者たる国民の総体、国民の有権者団と言ってもいいかもしれませんが、その国民の有権者団が持っている憲法改正権、それを、その準備をする、そのための原案を作成し、憲法改正の発議をする、これが国会の役割ということだと思います。ですから、そういう意味では、国会が立法活動として行っているわけではなくて、むしろ国民の憲法改正権、それを受けて国会が活動しているということになると思っております。
そういうことからすると、国民が憲法改正についてどのように考えているかということを的確に反映して審議をし、またその審議の運営もなされなければならないというように実は思っております。
そういうことからしますと、例えばNHKがこの五月に行いました憲法改正の議論についての世論調査、この中では憲法改正の議論を進めるべきだという国民が五四%、進める必要がないという国民は二七%です。さらに、この三月から四月に読売新聞が郵送によって行った世論調査、これはもう憲法審査会の審議の在り方についてそのものを聞いているわけですが、憲法審査会の審議が予算案や他の法律の審議など国会の状況に影響されず議論を進めるべきだとしているのが七二%、そういう予算案やほかの法律の審議など国会の状況によって議論が進まなくてもいいと言っているのが二二%という数字です。ですから、国民の七二%は、国会の予算案やほかの法案の審議などの都合によって憲法審査会の審議が進まないということについておかしいというふうに思っているわけです。
さらに、その同じ読売新聞の世論調査では、各政党が憲法改正に関する議論をもっと活発に行うべきだというのが六五%、そうは思わないが三〇%です。さらに、憲法改正をする方がいいかということもその世論調査は行っているわけでして、憲法改正をする方がいいという数字が五六%、憲法改正をしない方がいいという数字が四〇%なんです。
ここでちょっと注意して見てもらいたいことは、憲法改正をする方がいいという数字が五六%なんですが、憲法審査会の審議が予算案や他の法律の審議など国会の状況に影響されずに議論を進めるべきだと言っているのは七二%なんです。ですから、憲法改正をした方がいいと言っているのは五六%なのにもかかわらず、憲法審査会の審議は進めるべきだが七二%なんですね。ということは、憲法改正に反対の人もこの憲法審査会の審議は進めるべきだという人がかなりいるということなんですね。ですから、そういう意味では、憲法改正の実質審議をこの憲法審査会がほかの法案の審議などには影響されずに進めるということを国民が期待をしているんだろうと思います。そういう国民に応えることこそが国会の与えられた重要な責務だと実は思っております。
ですから、こういう改正案の審議が憲法改正の実質的な審議に影響を与え、あたかも改正案の審議が優先されて、それが終わってから憲法改正の審議をしなければならないというふうなことだとすれば、これは極めて国会の在り方として問題があるのではないかというように思うところです。もし憲法改正に反対ということであれば、国会の憲法改正の実質的な審議の中でいかに憲法を改正すべきではないかということをしっかり議論するということも国民は期待しているわけでして、まさにそういう憲法改正の審議の中で、国民に対して憲法改正の論点、問題点、あるいは憲法改正をいかにしない方がいいかということも含めて、そういったことの内容をしっかり議論をして国民にそれを見せていくことというのがまさに国会の憲法審議の在り方ではないかなというふうに思います。
先ほどほかの参考人の方からも御意見がございましたように、こういった憲法改正の審議というのは、国政の政策選択という形で選ばれてくる選挙での投票、そういったものとはかなり性質が違うというふうに思いますので、政党選択をして政策選択をしている、そういうその国会議員の活動ということとは切り離して、やはり国民の代表という一人一人の国会議員の立場、ですから、そういう意味では政党を離れた議員個人の立場、そういったもので議論が進められるべきだと思いますし、党派性とかそういったものを抜きにして国会の憲法審議というものがなされるべきだというように実は思うわけです。
そういったことで、国会の憲法改正案の審議というのは、その関連法案の、例えば今回の憲法改正の手続に関する法律の一部改正案の審議の国会の在り方とはかなり性格が違うものだというように思うわけでして、ですから、そういう意味では、そこは切り離して別な考え方で審議が進められるべきだというふうに思います。ですから、そういう意味で、この改正案の審議の在り方ということについてはそういった面から強く意見を申し上げたいと思うところです。
そういう審議の在り方を、全く、性質のものを、別に、一緒のこの憲法審査会で行うということ、これ、ほかの、憲法審査会とは別に憲法審査の、憲法の実質的内容を審査する機関と関連法案を審議する委員会と分けてあれば非常に問題が少ないわけですけれども、それも同一の憲法審査会で行うということだとすれば、やっぱりそこはきちんと区別できるように、例えば小委員会というような形で分離をするとか、あるいは分科会というような形で分離をするとか、そういった形で明確に分けてその審議を進めることというのが望ましいんじゃないかなというのが私の意見です。
この改正案の内容自体につきましては、やはり投票機会というものをできるだけ保障しよう、あるいは投票権者の利便性をできるだけ確保しようというような形で様々な議論がなされているところでございまして、ある意味、公選法の審議の中で十分な議論も尽くされているというふうに思いますと、この七項目については、公選法に、これ、投票のときに表れる意思、これをできるだけ正確に、またできるだけその利便性を確保しながらそれを聞き取るというような意味での内容というふうに思いますので、これは速やかに改正をすべき、決定をすべきだというふうに思いますし、また、広告規制、その他のインターネット規制、広告放送、有料広告規制、こういったことにつきましては、やはりそれは憲法審査、憲法改正の審議というものといわゆる選挙で候補者を選ぶということ、その性格の違いというもの、それを十分に踏まえた上で、この国民投票の、国民投票運動と言っていいのかどうか分かりませんが、そういったものを制限することというのは、まさに政治的な意見表明自体を止める、あるいは制限するということにつながるものというふうに考えられますので、できるだけそこには制限を掛けないということが望ましいというふうに思います。
ただ一方、さはさりながら、例えば資金力による意思がゆがめられるとか、そういった弊害というのがもし仮にあるとすれば、具体的にこの政治活動の自由、そういったものを制限する弊害としてどういうものがあるのかということ、それをきちんと洗い出した上で、その政治活動の自由を制限してでも止めなければいけない弊害、それを除去するという限度で制限を掛けていくということが望ましいんだろうというふうに思います。ただ単に、選挙運動の規制というような形で共通の土俵をつくる、一つのルールをつくるという形でその内容、制限の内容を決める、そういうものではないというふうに実は思っております。それが今回の改正案の内容ということの意味というふうになるかと思います。
いずれにしましても、一番意見として感じておりますところは、こうした改正案の審議が憲法改正の実質的な審議というものとは全く性格が異なるものだということでございまして、そこはきちんと分離をして、憲法改正の審議というものは、いつでも国民が望むのであれば、それをきちんと受け止めて、国会が審議をしていくことが重要だということ、これは強く意見として申し上げたいと思います。
どうも御清聴ありがとうございました。
林
福
福田護#8
○参考人(福田護君) 弁護士をしております福田と申します。
本日は、憲法改正手続法についてのこの場で意見を申し上げる機会、与えていただきまして、大変ありがとうございます。
今日は、資料として、私のレジュメと、それから日本弁護士連合会、日弁連と申しますけれども、日弁連が作成、発表している意見書を二通御用意いたしましたので、適宜御参照をお願いしたいと思います。
最初にお断りをしておきたいのですけれども、私は日弁連の憲法問題対策本部というところに所属をして、日弁連の意見書作りなどにも関与をしてきております。本日も先ほどの資料をお配りをさせていただいております。しかしながら、本日は、日弁連の委員としての立場ではなくて、弁護士個人としての意見を申し述べさせていただくということにしたいと思います。それは大筋において日弁連の意見と重なりますけれども、一部異なるところもございます。そのようなものとしてお受け止めをお願いしたいと存じます。
私からは、憲法改正手続法の質的な面、これを中心にお話をさせていただきたいと存じますが、まず最初に、私としての結論的な意見をまとめて申し上げさせていただきたいと思います。
現行の憲法改正手続法は、仮に今審議されている公選法並びの改正がなされても、根本的な部分に欠陥があって、その対処がなされない限りは公平公正な国民投票が保障されず、このままでは実際に適用されるべきものではない、国民投票が実施されてはならない、このことを強調させていただきたいというふうに存じます。
公平公正な国民投票の実施、実質的平等の確保された国民的熟議の下での国民投票の実施、これは憲法改正というこれ以上ない重要な選択において必ずや確保されなければならない憲法上の価値だと存じます。憲法九十六条も憲法十四条もそれを要求をしていると考えます。これは、衆議院において提出をされた修正案の附則第四条、特にその第二号に基づく措置がとられても、なお十分ではないのではないかと考えております。
もし仮に現状のままで国民投票が実施された場合、特に国民に極めて影響力の大きいテレビ、ラジオのCMを含む有料広告においては、賛成派、反対派の間でその量、放送時間帯等に圧倒的な格差が生じます。極めて不平等な事態が現出すると存じます。また、現状で規制のないインターネットの使用や広告というのは、全く無秩序な状況を呈するのではないかと危惧をされます。さらに、これは最低投票率の問題に関連しますけれども、選挙での投票率が大きく低下してきている現状では、根本規範たる憲法改正の正当性、これを基礎付けるに足る賛成票というのがないままに憲法改正がなされてしまうおそれ、これも感じないではいられません。
憲法改正における国民投票の性質という点についてですが、改めて強調させていただきますけれども、著名な憲法学者、芦部信喜先生はその著書において、国民投票による憲法改正決定の方式というのは、国民主権の原理と最高法規としての憲法の国民意思による民主的正当化の要請とを確保する最も純粋な手段と言うことができる、こういうふうに述べておられます。
このような憲法改正というのは、まさに憲法制定権力ないし改正権力の発動でありますから、立憲主義の理念に支えられ、それを具現したものでなければならないと存じます。憲法改正国民投票は、それによって国民が自らの権利、自由を確保すべきものであって、国民が権力に対して何をどう守らせるのか、その規範の新たな定立でございます。そして、それは国と国民との在り方、これを将来の長きにわたって決定付けるものになります。憲法改正手続は、そのようなものとして憲法改正の正当性を十分に根拠付ける、そういうものでなければならないと存じます。
国民投票がそのようなものであるためには、幾つかの最低限の要請ないし条件が満たされる必要があると存じます。一つは、国民投票手続が国民の主体的、能動的参画を保障するものでなければならない。二つ目は、主権者である国民間でその参画の機会、これが実質的な公平、平等を保障される必要。そして同時に、その制度が公正なものとして用意をされ、その公正な運用が確保される必要というふうに考えております。
日弁連は、憲法改正手続法について、二〇〇四年に与党がその法案の検討を始めたその時期から検討を行ってきておりまして、二〇〇五年二月には法案に対する意見書を発表し、その後も数次にわたる意見書を公表して提言を行い、また、その時々の状況の推移に応じて会長声明なども発表してきております。
本日は、私の意見を申し上げる参考資料として代表的なものを二つ、既に御覧いただいているかもしれませんけれども、改めてお手元に配付させていただきました。
一つは、二〇〇七年五月に制定された憲法改正手続法において残された必要な検討課題、これは何かということを指摘したものでございまして、二〇〇九年十一月十八日付けの意見書です。
これは、八項目にわたる問題点を挙げて、例えば公務員、教育者の地位利用による国民投票運動、この禁止規定の削除、あるいは組織的多数人買収の、あるいは利益誘導罪の削除などを求めておりますけれども、特に重要な点として指摘をしているのが国民に対する情報提供の在り方の改革でして、一つは国民投票広報協議会、この構成等の見直しをし、二つ目、公費によるテレビ、ラジオ、新聞の利用の拡大、公の費用によるですね。それから三つ目、有料意見広告放送の賛成派、反対派の実質的な公平の確保、そして投票期日前十四日間の禁止期間の再検討の必要性、これを強調しております。また、最低投票率の規定は必要不可欠であるという立場を取っております。
もう一つお配りした二〇一九年一月十八日付けの意見書は、自民党の改憲四項目など憲法改正が具体的に提起される政治状況の下で、憲法改正手続法の適用がなされることがある場合に必要と考える最低限の措置を提言したものとなっております。
そこでは、改めて、テレビ、ラジオの有料広告放送について、賛成意見、反対意見の公平性を確保するため、国民投票運動のための広告、いわゆる勧誘CMだけではなくて、意見表明のための広告、いわゆる意見表明CMですね、これも含めて規制の必要性の検討、そして対処を求めております。同時に、公費によって、公の費用によって広告を含む放送について平等かつ必要十分な放送枠を確保することを求めております。また、ここでも最低投票率の規定を新設すべきものと提言をしております。
なお、私、参考人といたしましては、二〇一九年意見書中、広告放送の規制は意見の表明も含めて積極的に実施すべきであるというふうに考えておりまして、またインターネットによる広報及び広告規制の検討も必要不可欠だというふうに考えております。
そこで、公平公正な国民投票を実施するための不可欠の条件でございますが、一つ目、憲法改正案について、主権者国民間において情報の共有、賛成、反対運動の意見表明の機会の実質的平等の確保、そのための措置が必要不可欠であり、また、インターネットを含めて有料広告規制と、その反面としての公費による国民投票運動の制度的保障のための措置、こういうふうにまとめて申し上げたいと思います。それから二つ目として、将来に禍根を残さないだけの憲法改正の正当性根拠、その根拠としての多数国民の賛成が制度的に保障されることが必要であって、そのための措置として、まずは最低投票率制度の導入が求められると考えております。
少なくとも、これらの措置を欠いたままでの憲法改正手続には、憲法制定権力である主権者である国民の意思の表明であるべき国民投票として根本的な欠陥がある、現行法のままで国民投票が実施されたら、その欠陥が露呈し、憲法改正という国の根幹を誤ることになりかねない、その意味で現行法は欠陥法であり、憲法十四条、九十六条に違反した状態であるというふうに考えております。
以上申し上げた意見を補強するものとして、これまでの国会審議から二点を指摘しておきたいと思います。
一つは、法制定時の参議院調査特別委員会の十九年の附帯決議、それから二十六年の六月の附帯決議でも再確認されておりますけれども、最低得票率制度の検討と、それからテレビ、ラジオの有料広告規制、これについての検討はいずれも本法施行までになされるべきこととされておりました。逆に言うと、この検討や措置がとられない限り、この法律は実施してはならないということになろうかと存じます。
もう一つは、法律の制定の前提とされた、日本民間放送連盟、民放連ですね、この考え方とのそごがその後明らかになって、このままでは法律の広告規制の不備の問題が顕在化してしまうということへの危惧でございます。
二〇一九年五月九日の衆議院憲法審査会では、野党側の立案担当者であられた枝野幸男先生が次のように述べておられます。すなわち、立法当時、民放連参考人の答弁によって有料広告に関して量的な自主規制がなされるものと受け止めていたけれども、その前提が違うとなると、現行法は欠陥法だということにならざるを得ない、したがって、現行法のままで国民投票は施行できないということになります、当時の民放連の御発言が真意と違っていたという受け止めをした中で法律が作られたということで、もう一度当時に戻って議論をし直さなければならない、このままではこの国民投票は使えません、こういうものでございました。
現行法のままでは、法は所期の目的を達成できず欠陥法のままであり適用できないということが率直にここに述べられております。
テレビの有料広告放送の規制の問題、これについては国会の内外でも相当程度議論がなされてきており、その内容や表現の自由との関係の問題、ここでは改めて申し上げることは差し控えたいと存じます。
ただ、諸外国においても国民投票において有料広告を禁止している国は相当多くて、特にイギリス、フランス、イタリア、ポルトガルなどでこれを禁止する代わりに、無料広告放送枠を用意をするという、そういう制度づくりがなされているということは私たちも十分参考にできるのではないかと思います。
私自身は、その公費による意見の広告の十分な機会を保障する制度、これが非常に重要だと思っておりまして、国民投票広報協議会の組織構成を賛否平等なものに改編をするとともに、政党等に限らず国民に広くこれを開放し、国民が無償で、必要十分な質と量の意見の広告、これを発信し得るようなシステムづくりというのを御検討いただきたいと存じます。これが有料広告の禁止に代わるものに、それに足りるものとして、憲法改正課題にふさわしい放送時間、この枠を保障するものでありたいと考えております。
これらの措置はインターネットの意見の広告についても同様だと思います。これはこれから十分に検討すべき課題だと存じますが、付言を申し上げておけば、広報協議会による憲法改正案のその他参考事項の広報の手段は、現在、放送と新聞についてのみ法の百六条、百七条で規定されておりますけれども、インターネットのホームページ開設による広報というのは、これは規定されておりません。これは必須だろうと存じますので、御検討をお願いしたいと存じます。
最後に、最低投票率制度の問題について触れておきます。
国政選挙の投票率の長期低下傾向は明らかでありまして、最近は五〇%を切るケースも生じております。国の最高法規の現状を変更する、そういう国民の意思表示は明白かつ積極的なものでなければなりません。
低投票率の場合に、加えて、有効投票の過半数でよいとする現行法の下でなおさら、国民のごく一部の賛成意思で憲法改正の効果が発生するとしてよいのか、それでこの憲法改正の正当性が肯定できるのかという問題であります。例えば、四〇%の投票率で二〇%程度の国民の意思によって憲法改正がなされてよいのか、大変疑問に感じます。
この問題は、日本国憲法制定審議の当時から既に意識をされ、学説上も通説的見解としてこれを肯定してきております。この制度についてのいろいろな批判や問題点、この指摘は承知をしておりますけれども、最高法規改正の国民の意思の担保のために最低投票率の導入が望まれるというふうに考えております。
以上、御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、憲法改正手続法についてのこの場で意見を申し上げる機会、与えていただきまして、大変ありがとうございます。
今日は、資料として、私のレジュメと、それから日本弁護士連合会、日弁連と申しますけれども、日弁連が作成、発表している意見書を二通御用意いたしましたので、適宜御参照をお願いしたいと思います。
最初にお断りをしておきたいのですけれども、私は日弁連の憲法問題対策本部というところに所属をして、日弁連の意見書作りなどにも関与をしてきております。本日も先ほどの資料をお配りをさせていただいております。しかしながら、本日は、日弁連の委員としての立場ではなくて、弁護士個人としての意見を申し述べさせていただくということにしたいと思います。それは大筋において日弁連の意見と重なりますけれども、一部異なるところもございます。そのようなものとしてお受け止めをお願いしたいと存じます。
私からは、憲法改正手続法の質的な面、これを中心にお話をさせていただきたいと存じますが、まず最初に、私としての結論的な意見をまとめて申し上げさせていただきたいと思います。
現行の憲法改正手続法は、仮に今審議されている公選法並びの改正がなされても、根本的な部分に欠陥があって、その対処がなされない限りは公平公正な国民投票が保障されず、このままでは実際に適用されるべきものではない、国民投票が実施されてはならない、このことを強調させていただきたいというふうに存じます。
公平公正な国民投票の実施、実質的平等の確保された国民的熟議の下での国民投票の実施、これは憲法改正というこれ以上ない重要な選択において必ずや確保されなければならない憲法上の価値だと存じます。憲法九十六条も憲法十四条もそれを要求をしていると考えます。これは、衆議院において提出をされた修正案の附則第四条、特にその第二号に基づく措置がとられても、なお十分ではないのではないかと考えております。
もし仮に現状のままで国民投票が実施された場合、特に国民に極めて影響力の大きいテレビ、ラジオのCMを含む有料広告においては、賛成派、反対派の間でその量、放送時間帯等に圧倒的な格差が生じます。極めて不平等な事態が現出すると存じます。また、現状で規制のないインターネットの使用や広告というのは、全く無秩序な状況を呈するのではないかと危惧をされます。さらに、これは最低投票率の問題に関連しますけれども、選挙での投票率が大きく低下してきている現状では、根本規範たる憲法改正の正当性、これを基礎付けるに足る賛成票というのがないままに憲法改正がなされてしまうおそれ、これも感じないではいられません。
憲法改正における国民投票の性質という点についてですが、改めて強調させていただきますけれども、著名な憲法学者、芦部信喜先生はその著書において、国民投票による憲法改正決定の方式というのは、国民主権の原理と最高法規としての憲法の国民意思による民主的正当化の要請とを確保する最も純粋な手段と言うことができる、こういうふうに述べておられます。
このような憲法改正というのは、まさに憲法制定権力ないし改正権力の発動でありますから、立憲主義の理念に支えられ、それを具現したものでなければならないと存じます。憲法改正国民投票は、それによって国民が自らの権利、自由を確保すべきものであって、国民が権力に対して何をどう守らせるのか、その規範の新たな定立でございます。そして、それは国と国民との在り方、これを将来の長きにわたって決定付けるものになります。憲法改正手続は、そのようなものとして憲法改正の正当性を十分に根拠付ける、そういうものでなければならないと存じます。
国民投票がそのようなものであるためには、幾つかの最低限の要請ないし条件が満たされる必要があると存じます。一つは、国民投票手続が国民の主体的、能動的参画を保障するものでなければならない。二つ目は、主権者である国民間でその参画の機会、これが実質的な公平、平等を保障される必要。そして同時に、その制度が公正なものとして用意をされ、その公正な運用が確保される必要というふうに考えております。
日弁連は、憲法改正手続法について、二〇〇四年に与党がその法案の検討を始めたその時期から検討を行ってきておりまして、二〇〇五年二月には法案に対する意見書を発表し、その後も数次にわたる意見書を公表して提言を行い、また、その時々の状況の推移に応じて会長声明なども発表してきております。
本日は、私の意見を申し上げる参考資料として代表的なものを二つ、既に御覧いただいているかもしれませんけれども、改めてお手元に配付させていただきました。
一つは、二〇〇七年五月に制定された憲法改正手続法において残された必要な検討課題、これは何かということを指摘したものでございまして、二〇〇九年十一月十八日付けの意見書です。
これは、八項目にわたる問題点を挙げて、例えば公務員、教育者の地位利用による国民投票運動、この禁止規定の削除、あるいは組織的多数人買収の、あるいは利益誘導罪の削除などを求めておりますけれども、特に重要な点として指摘をしているのが国民に対する情報提供の在り方の改革でして、一つは国民投票広報協議会、この構成等の見直しをし、二つ目、公費によるテレビ、ラジオ、新聞の利用の拡大、公の費用によるですね。それから三つ目、有料意見広告放送の賛成派、反対派の実質的な公平の確保、そして投票期日前十四日間の禁止期間の再検討の必要性、これを強調しております。また、最低投票率の規定は必要不可欠であるという立場を取っております。
もう一つお配りした二〇一九年一月十八日付けの意見書は、自民党の改憲四項目など憲法改正が具体的に提起される政治状況の下で、憲法改正手続法の適用がなされることがある場合に必要と考える最低限の措置を提言したものとなっております。
そこでは、改めて、テレビ、ラジオの有料広告放送について、賛成意見、反対意見の公平性を確保するため、国民投票運動のための広告、いわゆる勧誘CMだけではなくて、意見表明のための広告、いわゆる意見表明CMですね、これも含めて規制の必要性の検討、そして対処を求めております。同時に、公費によって、公の費用によって広告を含む放送について平等かつ必要十分な放送枠を確保することを求めております。また、ここでも最低投票率の規定を新設すべきものと提言をしております。
なお、私、参考人といたしましては、二〇一九年意見書中、広告放送の規制は意見の表明も含めて積極的に実施すべきであるというふうに考えておりまして、またインターネットによる広報及び広告規制の検討も必要不可欠だというふうに考えております。
そこで、公平公正な国民投票を実施するための不可欠の条件でございますが、一つ目、憲法改正案について、主権者国民間において情報の共有、賛成、反対運動の意見表明の機会の実質的平等の確保、そのための措置が必要不可欠であり、また、インターネットを含めて有料広告規制と、その反面としての公費による国民投票運動の制度的保障のための措置、こういうふうにまとめて申し上げたいと思います。それから二つ目として、将来に禍根を残さないだけの憲法改正の正当性根拠、その根拠としての多数国民の賛成が制度的に保障されることが必要であって、そのための措置として、まずは最低投票率制度の導入が求められると考えております。
少なくとも、これらの措置を欠いたままでの憲法改正手続には、憲法制定権力である主権者である国民の意思の表明であるべき国民投票として根本的な欠陥がある、現行法のままで国民投票が実施されたら、その欠陥が露呈し、憲法改正という国の根幹を誤ることになりかねない、その意味で現行法は欠陥法であり、憲法十四条、九十六条に違反した状態であるというふうに考えております。
以上申し上げた意見を補強するものとして、これまでの国会審議から二点を指摘しておきたいと思います。
一つは、法制定時の参議院調査特別委員会の十九年の附帯決議、それから二十六年の六月の附帯決議でも再確認されておりますけれども、最低得票率制度の検討と、それからテレビ、ラジオの有料広告規制、これについての検討はいずれも本法施行までになされるべきこととされておりました。逆に言うと、この検討や措置がとられない限り、この法律は実施してはならないということになろうかと存じます。
もう一つは、法律の制定の前提とされた、日本民間放送連盟、民放連ですね、この考え方とのそごがその後明らかになって、このままでは法律の広告規制の不備の問題が顕在化してしまうということへの危惧でございます。
二〇一九年五月九日の衆議院憲法審査会では、野党側の立案担当者であられた枝野幸男先生が次のように述べておられます。すなわち、立法当時、民放連参考人の答弁によって有料広告に関して量的な自主規制がなされるものと受け止めていたけれども、その前提が違うとなると、現行法は欠陥法だということにならざるを得ない、したがって、現行法のままで国民投票は施行できないということになります、当時の民放連の御発言が真意と違っていたという受け止めをした中で法律が作られたということで、もう一度当時に戻って議論をし直さなければならない、このままではこの国民投票は使えません、こういうものでございました。
現行法のままでは、法は所期の目的を達成できず欠陥法のままであり適用できないということが率直にここに述べられております。
テレビの有料広告放送の規制の問題、これについては国会の内外でも相当程度議論がなされてきており、その内容や表現の自由との関係の問題、ここでは改めて申し上げることは差し控えたいと存じます。
ただ、諸外国においても国民投票において有料広告を禁止している国は相当多くて、特にイギリス、フランス、イタリア、ポルトガルなどでこれを禁止する代わりに、無料広告放送枠を用意をするという、そういう制度づくりがなされているということは私たちも十分参考にできるのではないかと思います。
私自身は、その公費による意見の広告の十分な機会を保障する制度、これが非常に重要だと思っておりまして、国民投票広報協議会の組織構成を賛否平等なものに改編をするとともに、政党等に限らず国民に広くこれを開放し、国民が無償で、必要十分な質と量の意見の広告、これを発信し得るようなシステムづくりというのを御検討いただきたいと存じます。これが有料広告の禁止に代わるものに、それに足りるものとして、憲法改正課題にふさわしい放送時間、この枠を保障するものでありたいと考えております。
これらの措置はインターネットの意見の広告についても同様だと思います。これはこれから十分に検討すべき課題だと存じますが、付言を申し上げておけば、広報協議会による憲法改正案のその他参考事項の広報の手段は、現在、放送と新聞についてのみ法の百六条、百七条で規定されておりますけれども、インターネットのホームページ開設による広報というのは、これは規定されておりません。これは必須だろうと存じますので、御検討をお願いしたいと存じます。
最後に、最低投票率制度の問題について触れておきます。
国政選挙の投票率の長期低下傾向は明らかでありまして、最近は五〇%を切るケースも生じております。国の最高法規の現状を変更する、そういう国民の意思表示は明白かつ積極的なものでなければなりません。
低投票率の場合に、加えて、有効投票の過半数でよいとする現行法の下でなおさら、国民のごく一部の賛成意思で憲法改正の効果が発生するとしてよいのか、それでこの憲法改正の正当性が肯定できるのかという問題であります。例えば、四〇%の投票率で二〇%程度の国民の意思によって憲法改正がなされてよいのか、大変疑問に感じます。
この問題は、日本国憲法制定審議の当時から既に意識をされ、学説上も通説的見解としてこれを肯定してきております。この制度についてのいろいろな批判や問題点、この指摘は承知をしておりますけれども、最高法規改正の国民の意思の担保のために最低投票率の導入が望まれるというふうに考えております。
以上、御清聴ありがとうございました。
林
林芳正#9
○会長(林芳正君) ありがとうございました。
以上で参考人の御意見の陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人の御意見の陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。
質疑のある方は順次御発言願います。
古
古川俊治#10
○古川俊治君 それでは、最初に自由民主党の古川俊治から質問をさせていただきます。
私は弁護士でございまして、今年で二十二年目の弁護士になります。ずっと執務を行っております。いわゆる五大事務所という事務所の一人でございまして、どういう弁護士かというのは大体お分かりいただけると思うんですけれども、そういう中でやってきました。
私の経験から申し上げさせていただきますと、憲法というのは実は司法修習中もほとんど扱わないんですね。あれは、民事そして刑事、それぞれ弁護士で修習する、あるいは裁判官やるという手続だけで、実は憲法の話というのは司法試験以来ほとんどやらなくなるんですね。
実際、弁護士になった後も、これ私、憲法で何か訴訟するということは今までなかったです、正直申し上げると。ほかは全部使うんですね、これは民法、刑法、民事訴訟、刑事訴訟。大きい事務所ですけれども、刑法はちゃんと、収賄とかやっていましたので、そういう中で使うんですけれども、これ残念ながらその憲法というのが本当に国民生活とどのぐらい密接に関係あるかというと、これほど離れちゃったものはないなというふうに感じております。
一つ申し上げたいのは、例えば憲法の中にも書いていないところ、学問の自由であれば大学の自治、あるいは信教の自由であれば政教分離、その下の効果目的基準、あるいは様々決まっているものってありますよね、例えば横出し条例、上乗せ条例の話とかですね。そういうものについて、例えば民法ではやったわけですね、この間、債権法で変えました。
その基本法である憲法の中にそういう、少し規律密度を厚くして、もうちょっと現行の判例を入れたような分かりやすい憲法、実質的意味の憲法と上田参考人の方からありましたけれども、そういうものに近づけていくということをまずやるべきではないかというふうに思っておりまして、私は自民党でありますけど、別に自民党の原案というのがそれほどいいとは思っていません。どちらかというと、もっと使いやすい憲法、我々が普通に弁護事務やっていて出てくるような憲法の方がいいのではないかと思っているんですね。
その点について、ちょっと四人の参考人から御意見をいただきたいと思っています。
この発言だけを見る →私は弁護士でございまして、今年で二十二年目の弁護士になります。ずっと執務を行っております。いわゆる五大事務所という事務所の一人でございまして、どういう弁護士かというのは大体お分かりいただけると思うんですけれども、そういう中でやってきました。
私の経験から申し上げさせていただきますと、憲法というのは実は司法修習中もほとんど扱わないんですね。あれは、民事そして刑事、それぞれ弁護士で修習する、あるいは裁判官やるという手続だけで、実は憲法の話というのは司法試験以来ほとんどやらなくなるんですね。
実際、弁護士になった後も、これ私、憲法で何か訴訟するということは今までなかったです、正直申し上げると。ほかは全部使うんですね、これは民法、刑法、民事訴訟、刑事訴訟。大きい事務所ですけれども、刑法はちゃんと、収賄とかやっていましたので、そういう中で使うんですけれども、これ残念ながらその憲法というのが本当に国民生活とどのぐらい密接に関係あるかというと、これほど離れちゃったものはないなというふうに感じております。
一つ申し上げたいのは、例えば憲法の中にも書いていないところ、学問の自由であれば大学の自治、あるいは信教の自由であれば政教分離、その下の効果目的基準、あるいは様々決まっているものってありますよね、例えば横出し条例、上乗せ条例の話とかですね。そういうものについて、例えば民法ではやったわけですね、この間、債権法で変えました。
その基本法である憲法の中にそういう、少し規律密度を厚くして、もうちょっと現行の判例を入れたような分かりやすい憲法、実質的意味の憲法と上田参考人の方からありましたけれども、そういうものに近づけていくということをまずやるべきではないかというふうに思っておりまして、私は自民党でありますけど、別に自民党の原案というのがそれほどいいとは思っていません。どちらかというと、もっと使いやすい憲法、我々が普通に弁護事務やっていて出てくるような憲法の方がいいのではないかと思っているんですね。
その点について、ちょっと四人の参考人から御意見をいただきたいと思っています。
上
上田健介#11
○参考人(上田健介君) 何というか、私、先ほど申しましたように、やっぱり憲法、日本国憲法は規律密度というか、それがやっぱり低いのは確かです。ですから、余り、何というか、例えば裁判の場で憲法を使う機会というのが少ないというのは、多分それは関係していると思うんですね。だから、あと、ただそれを条文を増やして規律密度を上げるというのは、それは、何というか、論理的にはあり得ると思います。
ただ、要するに、そういうような改正をすると、これもちょっと言わば大手術になります。それはそんな簡単に、何というか、ほいほいと議論をしてほいほいと案を作れるようなものでは多分なくて、まず、その前提のところからやっぱり、まず、何というか、多分国民の方が、皆さんがそういうことを認識して共有していらっしゃるかというと、多分怪しいんじゃないかと思うんですよね。だから、そういう前提のところの、今憲法がどういう働きをしているのかとか、そういうところからしっかり議論をして、知っていただいてというか、そういうところなのかなと思います。
あと、もう一つ関連して申し上げると、憲法を裁判の場で生かそうと思いましたら、今のもちろん違憲審査制度ございますけれども、いわゆる法律上の争訟というか、入口がすごく狭いというのが日本の裁判の仕組みですので、やっぱりそこを広げなきゃいけません。そのためには、多分、憲法裁判所をつくるというのは、これはそういう案も、考え方もありますけど、これまた大手術になりますし、私のような立場からいくと、例えば法律を改正して間口を広げるということはある程度までは可能なので、例えばそういうような議論もできるんじゃないかなと思います。
済みません、長くなりました。
この発言だけを見る →ただ、要するに、そういうような改正をすると、これもちょっと言わば大手術になります。それはそんな簡単に、何というか、ほいほいと議論をしてほいほいと案を作れるようなものでは多分なくて、まず、その前提のところからやっぱり、まず、何というか、多分国民の方が、皆さんがそういうことを認識して共有していらっしゃるかというと、多分怪しいんじゃないかと思うんですよね。だから、そういう前提のところの、今憲法がどういう働きをしているのかとか、そういうところからしっかり議論をして、知っていただいてというか、そういうところなのかなと思います。
あと、もう一つ関連して申し上げると、憲法を裁判の場で生かそうと思いましたら、今のもちろん違憲審査制度ございますけれども、いわゆる法律上の争訟というか、入口がすごく狭いというのが日本の裁判の仕組みですので、やっぱりそこを広げなきゃいけません。そのためには、多分、憲法裁判所をつくるというのは、これはそういう案も、考え方もありますけど、これまた大手術になりますし、私のような立場からいくと、例えば法律を改正して間口を広げるということはある程度までは可能なので、例えばそういうような議論もできるんじゃないかなと思います。
済みません、長くなりました。
飯
飯島滋明#12
○参考人(飯島滋明君) 私、法の専門なんですけど、なぜか経済学部にいます。余り変なこと言ったら怒られるかもしれませんけれども、ちょっとお金のことだけまず考えちゃいますと、総務省の試算でも、憲法改正国民投票というのは八百五十億円すると言われているかと思うんですよ。頻繁にそれをやっていくって果たしてどうなんだろうかと。済みません、余り算数得意じゃないですけれども。
何が言いたいのかといいますと、憲法というのは基本的な国の在り方を定めるものですので、よっぽどこれはもう使い勝手が悪い、あるいはもうこんなことをしたらとんでもないというときであればそれは変えざるを得ないということあると思うんですよね。じゃない限り、あるいは解釈とかあるいは裁判所の判例なんかでこういった趣旨だということが読み込めるのであれば、それを読み込んでおいて、そこで先ほど上田参考人もおっしゃったように裁判とかで充実していくと、一種の判例法みたいなのを作っていくという方が現実的なのかなという感想は持っています。
この発言だけを見る →何が言いたいのかといいますと、憲法というのは基本的な国の在り方を定めるものですので、よっぽどこれはもう使い勝手が悪い、あるいはもうこんなことをしたらとんでもないというときであればそれは変えざるを得ないということあると思うんですよね。じゃない限り、あるいは解釈とかあるいは裁判所の判例なんかでこういった趣旨だということが読み込めるのであれば、それを読み込んでおいて、そこで先ほど上田参考人もおっしゃったように裁判とかで充実していくと、一種の判例法みたいなのを作っていくという方が現実的なのかなという感想は持っています。
浅
浅野善治#13
○参考人(浅野善治君) 憲法にどの程度物を書き込むかと、こういう話になるわけですけれども、憲法は、やはり日本国憲法、七十数年も改正されていないということがあるわけですけれども、やっぱり国民が使い勝手がいい憲法である必要があるんだろうというふうに思います。そういうことからすれば、もっと国民がいろんなことを考えながら頻繁にその内容を改正できるというようなこと、そういう内容も書き込まれていいんだろうというふうに思います。
ただ一方、ふだんの生活において憲法が常に登場してきて、憲法に違反するかどうかということが裁判所で争われるという姿というのは、これは決していい姿ではないんだろうというふうに思います。やはり、憲法を受けて作られているところの法律ですね、その法律の中で解決ができるということが望ましいわけでして、その法律が憲法の枠を超えているんであれば、またそれは憲法が登場してきて、そこはということだろうと思いますので、ふだんの生活の中に憲法がすぐ表れるような内容まで書き込むかというと、そこまでは必要ないんじゃないかというように思います。
ただ、憲法というのは、御存じのように硬性憲法で改正しにくいようにということで作られているわけでございまして、やっぱりそのときの政治状況とかということの中でその内容がころころ変わるということというのは避けなければならないというようには思います。
以上です。
この発言だけを見る →ただ一方、ふだんの生活において憲法が常に登場してきて、憲法に違反するかどうかということが裁判所で争われるという姿というのは、これは決していい姿ではないんだろうというふうに思います。やはり、憲法を受けて作られているところの法律ですね、その法律の中で解決ができるということが望ましいわけでして、その法律が憲法の枠を超えているんであれば、またそれは憲法が登場してきて、そこはということだろうと思いますので、ふだんの生活の中に憲法がすぐ表れるような内容まで書き込むかというと、そこまでは必要ないんじゃないかというように思います。
ただ、憲法というのは、御存じのように硬性憲法で改正しにくいようにということで作られているわけでございまして、やっぱりそのときの政治状況とかということの中でその内容がころころ変わるということというのは避けなければならないというようには思います。
以上です。
福
福田護#14
○参考人(福田護君) 済みません、御質問の趣旨なんですけれども、憲法というのが必ずしも身近な存在ではない、もう少し身近な存在として、国民の意識あるいは場合によって裁判とかに使い勝手のいい憲法というのが望ましいのではないかと、そういうふうな御意見と伺ってよろしいでしょうか。ヤジ
この発言だけを見る →林
福
福田護#16
○参考人(福田護君) 私自身は、憲法が日常生活に意識をされない状態で社会生活が送られている状況というのはむしろ望ましい状態なのだろうというふうに思っています。例えば、それこそ憲法九条で、それが議論の焦点にならざるを得ないような状況というのは余り望ましい状況ではないのだろうというふうに思っています。
ただ、それが必要不可欠なそういう社会状況や政治状況になった場合に、その是非や、それから、それが日常生活にどういう影響を及ぼすのかということについては、もうこれは本当に日本の平和憲法の根本原理に関わるものですから、徹底的に、それこそ国民全員が議論に参加できるような、そういうものとして位置付けをされていく必要があるんだろうと思います。
裁判所というのは、憲法九条もさることながら、一般に憲法の判断というのを非常に嫌がりますね、避けようとします。だから、なかなか裁判所、憲法についての判断を示そうとしません。私たち弁護士でありますけれども、もう少し裁判所も日常的に憲法というものにそれこそ気楽に触れて、判断の中に書き込むということがあってもいいのかなというふうに思います。そうすれば、少しずつ国民にとっても身近なものになってくるような、そういう思いを持っております。
以上です。
この発言だけを見る →ただ、それが必要不可欠なそういう社会状況や政治状況になった場合に、その是非や、それから、それが日常生活にどういう影響を及ぼすのかということについては、もうこれは本当に日本の平和憲法の根本原理に関わるものですから、徹底的に、それこそ国民全員が議論に参加できるような、そういうものとして位置付けをされていく必要があるんだろうと思います。
裁判所というのは、憲法九条もさることながら、一般に憲法の判断というのを非常に嫌がりますね、避けようとします。だから、なかなか裁判所、憲法についての判断を示そうとしません。私たち弁護士でありますけれども、もう少し裁判所も日常的に憲法というものにそれこそ気楽に触れて、判断の中に書き込むということがあってもいいのかなというふうに思います。そうすれば、少しずつ国民にとっても身近なものになってくるような、そういう思いを持っております。
以上です。
古
古川俊治#17
○古川俊治君 ありがとうございます。
次の質問もちょっと二問同時に質問しますので、全ての参考人にお答えいただきたいと思います。
一つが、先ほど上田参考人から政治活動の自由というお話がありました。これは浅野参考人からもございました。精神的自由権の一つでありますので、その意味では極めて制限をしていけないという権利ですね。これ、今まで例えば憲法訴訟でもいうと、LRA、レス・リストリクティブ・オルタナティブと、ほかにより抑制的でない手段があったらそっちを取らなきゃいけないとか、あるいは目的と規制のやり方が完全な関係になきゃいけない、あるいはもう明白な本当に具体的な危険がなきゃいけないとか、そういう考え方で捉えるわけですけれども、この場合に、インターネットあるいは政治資金という問題が出ております。
それが、今そのぐらい自明な、正直申し上げるとまだそれほどの根拠があるのかどうかということは、先ほど大阪都市構想の話を確かめたらどうかということあるんですけれども、やっぱり精神的自由権の規制ということになってくると、かなり合理的な何か根拠がなきゃいけないということになってきそうなんですね。この点について、今我々のこの手続でも決めているわけですけれども、どうお考えになるか、ちょっとそれをお教えいただきたい、これが第一問です。
第二問として、憲法の問題としてよく言われるのが、これは今、国家の在り方どうこうという話もあります。ただ、人権の今の在り方を考えると、もはや憲法の趣旨を生かすためには、これは国家と国民という関係ではなくて、例えば私企業、大きな私企業対私人関係においてもこの趣旨が生かされなきゃいけないと。今は間接的に民事訴訟法、民事訴訟でやっているわけですけれども、不法行為でですね。ただ、そうではなくて、よりこれ私人間に生かせるような法制というのを考えた方がいいんじゃないか、最近こうも思うときがあるんですけれども、この点について先生方、今現状としてどう思われているか。今の法律、法制、ほかの法律も入れて、それで十分なのかどうか、その辺をちょっと御意見をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →次の質問もちょっと二問同時に質問しますので、全ての参考人にお答えいただきたいと思います。
一つが、先ほど上田参考人から政治活動の自由というお話がありました。これは浅野参考人からもございました。精神的自由権の一つでありますので、その意味では極めて制限をしていけないという権利ですね。これ、今まで例えば憲法訴訟でもいうと、LRA、レス・リストリクティブ・オルタナティブと、ほかにより抑制的でない手段があったらそっちを取らなきゃいけないとか、あるいは目的と規制のやり方が完全な関係になきゃいけない、あるいはもう明白な本当に具体的な危険がなきゃいけないとか、そういう考え方で捉えるわけですけれども、この場合に、インターネットあるいは政治資金という問題が出ております。
それが、今そのぐらい自明な、正直申し上げるとまだそれほどの根拠があるのかどうかということは、先ほど大阪都市構想の話を確かめたらどうかということあるんですけれども、やっぱり精神的自由権の規制ということになってくると、かなり合理的な何か根拠がなきゃいけないということになってきそうなんですね。この点について、今我々のこの手続でも決めているわけですけれども、どうお考えになるか、ちょっとそれをお教えいただきたい、これが第一問です。
第二問として、憲法の問題としてよく言われるのが、これは今、国家の在り方どうこうという話もあります。ただ、人権の今の在り方を考えると、もはや憲法の趣旨を生かすためには、これは国家と国民という関係ではなくて、例えば私企業、大きな私企業対私人関係においてもこの趣旨が生かされなきゃいけないと。今は間接的に民事訴訟法、民事訴訟でやっているわけですけれども、不法行為でですね。ただ、そうではなくて、よりこれ私人間に生かせるような法制というのを考えた方がいいんじゃないか、最近こうも思うときがあるんですけれども、この点について先生方、今現状としてどう思われているか。今の法律、法制、ほかの法律も入れて、それで十分なのかどうか、その辺をちょっと御意見をお聞かせいただきたいと思います。
上
上田健介#18
○参考人(上田健介君) 大変難しい御質問で、すぐにきれいなお答えできる自信はないんですけど。
まず一点目ですが、先ほどおっしゃった違憲審査基準というのは、要は学説が主張をしている通説的な見解でして、必ずしも日本の判例がそういう立場に立っているとは限らないというか、かなり怪しいと私は思っています。
と申しますのは、要するに公職選挙法というのはべからず集で、大変規制が厳しいんですけれども、学説は、やっぱりそれはおかしいんじゃないかということを多くの先生はおっしゃるわけですけれども、判例は違憲だと判断していないわけですね。合憲だと判断してきていますので、緩やかなんですね。だから、それを前提にすれば、こういうような、今回の場合のような検討するかもしれない規制についても判例は合憲だと判断する可能性はあると思います。
あと、じゃ、おまえはどう考えるんだというところは、ちょっとこれ大変難しくて、ちょっと無責任に言うと、比較憲法によっても、多分アメリカ憲法を中心に見られている先生方は割と厳格に考えられると思います。こういう精神的自由というのは、表現の自由すごく大事なので、やはり厳格に見なきゃいけない、だからできるだけ自由じゃなきゃいけない。
ただ、欧州、ドイツ、フランス、あるいは私はイギリスですけれども、欧州の方だと割とこれ、福田参考人の資料にもございましたように、割と規制を認めるんですね。だから、ここは国柄によってもちょっと考え方が分かれるところかなと思いますが、じゃ、日本はどうなんだろうというところなのかと思います。
次、二点目ですが、これも大変難しい御質問でして、最近の若いというか中堅、若手の論者の中には、憲法の見方というのはやはり社会全体についての、やはりもっとそういうような何というか規範を含むものじゃないかという、そういう見方が出てきております。フランスなんかがそうだと思うんですけれども。
ただ、私、割とちょっとそこは古い考えでして、そこまで広げてもまあありなのかもしれないけれども、まず基本は国家対私人というか、そこのところで国家を、国家の側あるいは公権力の側を縛るものだというところをやっぱりもう少し大事にしたらいいんじゃないかなというのが、今、基本的には。
ただ、やっぱり、その例えば平等とかという観念というのは国家も縛りますけれども、じゃ、それは私人間同士だったら平等はなしでいいのですかという話になってきますので、まあ全く同じじゃないでしょうけど、やっぱりそういう精神というのは社会の中でもやっぱり価値が共有されなきゃ、された方が望ましいという部分もありますので、ちょっとやや膨らみはあると思いますが、基本は国家と私人の関係で考えていいかと考えております。
以上です。
この発言だけを見る →まず一点目ですが、先ほどおっしゃった違憲審査基準というのは、要は学説が主張をしている通説的な見解でして、必ずしも日本の判例がそういう立場に立っているとは限らないというか、かなり怪しいと私は思っています。
と申しますのは、要するに公職選挙法というのはべからず集で、大変規制が厳しいんですけれども、学説は、やっぱりそれはおかしいんじゃないかということを多くの先生はおっしゃるわけですけれども、判例は違憲だと判断していないわけですね。合憲だと判断してきていますので、緩やかなんですね。だから、それを前提にすれば、こういうような、今回の場合のような検討するかもしれない規制についても判例は合憲だと判断する可能性はあると思います。
あと、じゃ、おまえはどう考えるんだというところは、ちょっとこれ大変難しくて、ちょっと無責任に言うと、比較憲法によっても、多分アメリカ憲法を中心に見られている先生方は割と厳格に考えられると思います。こういう精神的自由というのは、表現の自由すごく大事なので、やはり厳格に見なきゃいけない、だからできるだけ自由じゃなきゃいけない。
ただ、欧州、ドイツ、フランス、あるいは私はイギリスですけれども、欧州の方だと割とこれ、福田参考人の資料にもございましたように、割と規制を認めるんですね。だから、ここは国柄によってもちょっと考え方が分かれるところかなと思いますが、じゃ、日本はどうなんだろうというところなのかと思います。
次、二点目ですが、これも大変難しい御質問でして、最近の若いというか中堅、若手の論者の中には、憲法の見方というのはやはり社会全体についての、やはりもっとそういうような何というか規範を含むものじゃないかという、そういう見方が出てきております。フランスなんかがそうだと思うんですけれども。
ただ、私、割とちょっとそこは古い考えでして、そこまで広げてもまあありなのかもしれないけれども、まず基本は国家対私人というか、そこのところで国家を、国家の側あるいは公権力の側を縛るものだというところをやっぱりもう少し大事にしたらいいんじゃないかなというのが、今、基本的には。
ただ、やっぱり、その例えば平等とかという観念というのは国家も縛りますけれども、じゃ、それは私人間同士だったら平等はなしでいいのですかという話になってきますので、まあ全く同じじゃないでしょうけど、やっぱりそういう精神というのは社会の中でもやっぱり価値が共有されなきゃ、された方が望ましいという部分もありますので、ちょっとやや膨らみはあると思いますが、基本は国家と私人の関係で考えていいかと考えております。
以上です。
林
飯
飯島滋明#20
○参考人(飯島滋明君) ありがとうございます。
これ、授業でやってもどっちも一時間ぐらい話せそうな内容なんですけれども、すごい簡潔に話させていただきます。
最初の話というのは、本当アメリカの憲法判例の裁判所の流れで、本当よく先生も失礼ながら勉強されているなという感想を持ちました。申し訳ないです。そういうわけじゃなくて、ばかにしているとかじゃございません。
なぜ表現の自由が英語で言うプリファードポジションを与えられるのかといいますと、民主制に資するというのが一つ根拠として挙げられると思うんですよね。他の権利、自由とは違って民主政治に資するからプリファードポジション、優越的地位が表現の自由を始めとする精神的自由に与えられているという考え方からしますと、もしその民主制というものに逆行するような効果を与えるものであればそこは規制をしていいだろうという考え方は、実はアメリカにもないわけではございません。ですので、その観点からいうと、じゃ、そのCM規制なんかどうなのかというのは、やはりいろいろ議論があるんだと思います。ちょっと時間の関係でこれぐらいにさせていただきたいと思います。
二つ目の質問ですけれども、これもドイツなんかでは非常に問題になっている問題でございまして、あくまで憲法というのは国に対するアプヴェアレヒト、要するに防御権だという感じなんですけど、ただ、そうはいっても、今おっしゃったように、企業なんかに対して、じゃ、人権保障をしなくていいのかというのは、やっぱりドイツでも第三者効力ということで議論されているところもあります。余りこれをやり過ぎてしまうと、じゃ、国が何でもかんでも入っていってしまう、家庭の中へ入っていってしまうということで、そこはいいんだろうかというのは非常にやっぱり議論難しいところだと思います。
ですので、ちょっと私も余り入り過ぎるのはどうかなと思いますけれども、やっぱり児童虐待防止法とか高齢者虐待防止法というのはむしろそっちの方に入り込んでいる法だと思いますので、そういう傾向は、多少はやっぱりやむを得ないのかなというところは思っていますけど、国対個人の権利というのは、やっぱりそこは崩さない方がいいというのは私の考えです。
この発言だけを見る →これ、授業でやってもどっちも一時間ぐらい話せそうな内容なんですけれども、すごい簡潔に話させていただきます。
最初の話というのは、本当アメリカの憲法判例の裁判所の流れで、本当よく先生も失礼ながら勉強されているなという感想を持ちました。申し訳ないです。そういうわけじゃなくて、ばかにしているとかじゃございません。
なぜ表現の自由が英語で言うプリファードポジションを与えられるのかといいますと、民主制に資するというのが一つ根拠として挙げられると思うんですよね。他の権利、自由とは違って民主政治に資するからプリファードポジション、優越的地位が表現の自由を始めとする精神的自由に与えられているという考え方からしますと、もしその民主制というものに逆行するような効果を与えるものであればそこは規制をしていいだろうという考え方は、実はアメリカにもないわけではございません。ですので、その観点からいうと、じゃ、そのCM規制なんかどうなのかというのは、やはりいろいろ議論があるんだと思います。ちょっと時間の関係でこれぐらいにさせていただきたいと思います。
二つ目の質問ですけれども、これもドイツなんかでは非常に問題になっている問題でございまして、あくまで憲法というのは国に対するアプヴェアレヒト、要するに防御権だという感じなんですけど、ただ、そうはいっても、今おっしゃったように、企業なんかに対して、じゃ、人権保障をしなくていいのかというのは、やっぱりドイツでも第三者効力ということで議論されているところもあります。余りこれをやり過ぎてしまうと、じゃ、国が何でもかんでも入っていってしまう、家庭の中へ入っていってしまうということで、そこはいいんだろうかというのは非常にやっぱり議論難しいところだと思います。
ですので、ちょっと私も余り入り過ぎるのはどうかなと思いますけれども、やっぱり児童虐待防止法とか高齢者虐待防止法というのはむしろそっちの方に入り込んでいる法だと思いますので、そういう傾向は、多少はやっぱりやむを得ないのかなというところは思っていますけど、国対個人の権利というのは、やっぱりそこは崩さない方がいいというのは私の考えです。
浅
浅野善治#21
○参考人(浅野善治君) 二点とも大変難しい問題で、なかなか答え方に困るんですけれども。
一点目、最初のその政治活動の自由あるいは表現の自由ということに対する制限というものについてどれだけの根拠というものが必要なのかと、こういう話だろうと思いますが、先ほど上田先生からもお話があったように、アメリカとやっぱりヨーロッパってかなり考え方が違うんだろうというふうに思います。そういう意味からすれば、じゃ、そこはその制約を、制限掛けてもいいのかと、こういう話になるんですが、こういう政治活動の自由とか表現の自由というのは極めて恣意的に制約が掛けやすい内容でもあるんですね。
ですから、そういう意味では、なるべく厳格なその根拠というものは求めるべきだというふうに思いますが、余り厳格過ぎると、じゃ、それ動かないじゃないかと、こういう話になるんですが、やはり国民全体から見て、これは制限されることはやむを得ないよねということが説明できる根拠というものは必要なんだろうという、そこがやっぱり決め手なのかなというふうに思います。
それから、二点目の、私人間の関係について、そこにも規制を及ぼすべきじゃないかと、こういう話なんですが、やっぱりそこは権力というものを規制をするということが一番基本なんだろうと思います。
ですから、その私人間の関係であっても、権力的な、まあ権力的なということをどういうことかというと、やっぱり一方的、形成的に関係がつくり上げられてしまうようなそういう関係があるとすれば、そこは何らかの形でそこに規制が入っていくというのはいいんだろうと思いますが、そういうことではないんだとすれば、やはりその私人間のそれぞれの立場というものが尊重されるべきというふうに思いますので、その私人間の関係がどれだけ権力的になっているのかというところというのが一つ決め手になるんじゃないかなと、そういうふうに思います。
この発言だけを見る →一点目、最初のその政治活動の自由あるいは表現の自由ということに対する制限というものについてどれだけの根拠というものが必要なのかと、こういう話だろうと思いますが、先ほど上田先生からもお話があったように、アメリカとやっぱりヨーロッパってかなり考え方が違うんだろうというふうに思います。そういう意味からすれば、じゃ、そこはその制約を、制限掛けてもいいのかと、こういう話になるんですが、こういう政治活動の自由とか表現の自由というのは極めて恣意的に制約が掛けやすい内容でもあるんですね。
ですから、そういう意味では、なるべく厳格なその根拠というものは求めるべきだというふうに思いますが、余り厳格過ぎると、じゃ、それ動かないじゃないかと、こういう話になるんですが、やはり国民全体から見て、これは制限されることはやむを得ないよねということが説明できる根拠というものは必要なんだろうという、そこがやっぱり決め手なのかなというふうに思います。
それから、二点目の、私人間の関係について、そこにも規制を及ぼすべきじゃないかと、こういう話なんですが、やっぱりそこは権力というものを規制をするということが一番基本なんだろうと思います。
ですから、その私人間の関係であっても、権力的な、まあ権力的なということをどういうことかというと、やっぱり一方的、形成的に関係がつくり上げられてしまうようなそういう関係があるとすれば、そこは何らかの形でそこに規制が入っていくというのはいいんだろうと思いますが、そういうことではないんだとすれば、やはりその私人間のそれぞれの立場というものが尊重されるべきというふうに思いますので、その私人間の関係がどれだけ権力的になっているのかというところというのが一つ決め手になるんじゃないかなと、そういうふうに思います。
福
福田護#22
○参考人(福田護君) 一点目ですが、特に今当面している広告規制の問題と、それから表現の自由の問題、ここが大きな焦点になってくるのかなというふうには思っておりますが、これは、その問題について言えば、憲法改正という非常に重要な価値と、それから表現の自由というこれも重要な価値、その中で、憲法上の価値同士の衝突の中でどういう折り合いを付けていくのかという問題なのだろうなというふうに思っております。だから、そういう意味でも、外形的な規制で内容の規制にわたらないような方法とか、いろいろ論理の問題、議論がされておりますけれども、その点を参考に、そういった点を参考にしながら検討していきたいなというふうに思っております。
二点目の問題については、最近の、例えば民法というのの役割というのは、憲法がその日常、私人間の中で生かされていく、そういうものとしての民法だという、そういう議論というのも有力にされているというふうに存じております。そういう意味では、私人間の効力の中でも憲法の精神が、ストレートではないかもしれないけれども、生かされていくことは非常に重要だというふうに感じております。
以上です。
この発言だけを見る →二点目の問題については、最近の、例えば民法というのの役割というのは、憲法がその日常、私人間の中で生かされていく、そういうものとしての民法だという、そういう議論というのも有力にされているというふうに存じております。そういう意味では、私人間の効力の中でも憲法の精神が、ストレートではないかもしれないけれども、生かされていくことは非常に重要だというふうに感じております。
以上です。
古
江
江崎孝#24
○江崎孝君 どうも先生方、ありがとうございました。それぞれに大変勉強になりました。
時間の制約ございますので、私は飯島先生に意見を少し深掘りしていただきたいという、そういう思いで質問させていただきます。
人を選ぶ選挙と憲法改正の是非を問う国民投票には制度の目的、趣旨に根本的に違いがあると先ほど説明をいただきました。国民投票法と公職選挙法を並びにすることは極めて問題だと私も考えています。その部分の先生のお考えをもう少し詳しくお話しください。よろしくお願いします。
この発言だけを見る →時間の制約ございますので、私は飯島先生に意見を少し深掘りしていただきたいという、そういう思いで質問させていただきます。
人を選ぶ選挙と憲法改正の是非を問う国民投票には制度の目的、趣旨に根本的に違いがあると先ほど説明をいただきました。国民投票法と公職選挙法を並びにすることは極めて問題だと私も考えています。その部分の先生のお考えをもう少し詳しくお話しください。よろしくお願いします。
飯
飯島滋明#25
○参考人(飯島滋明君) 御質問ありがとうございます。
まず、人を選ぶ選挙と憲法九十六条で定められた憲法改正国民投票について何が違うのかと。これも授業なんかやったら一時間で終わるかどうかという題になってしまうかもしれませんけど、簡潔に三つ言わせていただきたいと思います。
一つは、主権者として意思表示ができる機会の話、二つ目として、どうやってその国民投票あるいは選挙にかけられるのかという対象の話、三つ目として、影響が及ぶ期間あるいはその地域の話をさせていただきたいと思います。
主権者として意思表示ができる機会の違いですけれども、選挙の場合というのは、必ず数年間に一度というのはあるんですよね。投票者がやりたくないということを言ったとしても、必ずこれ、数年間に一度、投票の機会というのはあります。万が一そこで投票できなくなったとしても、数年後に、あいつはということで、いい政治家だから入れよう、あるいは悪い政治家だから落とそうという、その機会というのはあるわけです。
ですけれども、これ、先ほど申し上げさせていただいたかと思いますけれども、憲法改正に関しては、一回そこで投票し損ねたら、もしかしたら一生できないかもしれないと、取り返すということが果たしてできるのかどうかという、そういった点でまず一つ大きな違いというのがございます。
ですので、憲法改正の国民投票法を作るに当たっては、もちろん公職選挙法も綿密に作らなきゃいけないというのは当然ですけれども、それ以上に、本当に抜かっている人がいないかということに関しては綿密に点検する必要があるというふうに考えています。
二つ目ですけれども、その投票の対象の提供のされ方ということですけれども、選挙というのは必ず、例えば今年の十月までには衆議院選挙があるといったように法律に定められていますので、必ずこれも提供されます、法的に。
ですけれども、憲法改正国民投票に関しましては、衆議院の先生方、参議院の先生方、三分の二以上が賛成して、じゃ、これを出そうといったその題だけなんですよね。国民がこの題について投票したいとかということは、今の憲法九十六条ではそうなっていません。そうであれば、対象の提示のされ方というのも違います。
これはフランスの憲法学でプレビシットということが言われますけれども、例えばナポレオン一世、ナポレオン三世、ドイツの場合ですとヒトラーですけれども、国民投票を使って自分の地位とか権力というのを強化していったんですよね。よく政治的独裁者ほど国民投票を好むということが言われますけれども、フランスに関しましてはそういった考え方があって、プレビシット、国民投票というのは権力者に悪用される可能性があるということで非常に警戒的に見られています。
ドイツでは、ワイマール憲法時に国民投票というのはいろいろやられていましたけれども、あるいは、ヒトラーというのは、一九三八年のオーストリア併合も国民投票で正当化しています。国際連盟脱退、一九三三年もですけれども、国民投票で正当化しています。そういった形でどんどん自分の地位を国民投票で正当化していったという歴史がありますので、実はやっぱり国民投票には警戒的な歴史があります。今ドイツの憲法、グルントゲゼッツ、基本法ですけれども、一切国民投票はやられていません。
ですので、権力者が出したものに関して、本当にそれでいいのかというのをしっかりする、確認する機会というのが必要なんだと思います。そこは二つ目になります。
今度、三つ目ですけれども、投票の及ぶ期間あるいは地域ですけれども、選挙の場合は、例えば参議院の場合は六年後に必ず選挙があります。国民の審判を受けるわけですけれども、繰り返しになりますけれども、これも憲法改正の場合は何年になるか分からないと。
地域の話、今度させていただきますけれども、衆議院の小選挙区であればそこの地域だけかもしれませんけれども、憲法改正といえば沖縄の投票が実は北海道まで関わると、全国に関わるわけです。こういったように、だから、地方だからとかいう話じゃなくて全域に関わると。いろんなところでこういう違いがあるということは紹介させていただきたいと思います。
この問題で、ちょっと済みません、長くなってしまいますけれども、繰延べ投票の告示期間の短縮のことを考えますと、やっぱり先ほど私申し上げさせていただいたかと思いますけれども、例えばどこかの地域で繰り延べましたといったときに、そこだけ繰り延べればいいのかという話が出てくると思うんですよね。少なくともですけれども、開票に関してはこれできないと思います。そこら辺もやっぱり御議論いただければというふうに思います。
ですから、外形的事項だから単純でいいということは言えないんじゃないかということは、先ほどから申し上げさせていただいている内容になります。
この発言だけを見る →まず、人を選ぶ選挙と憲法九十六条で定められた憲法改正国民投票について何が違うのかと。これも授業なんかやったら一時間で終わるかどうかという題になってしまうかもしれませんけど、簡潔に三つ言わせていただきたいと思います。
一つは、主権者として意思表示ができる機会の話、二つ目として、どうやってその国民投票あるいは選挙にかけられるのかという対象の話、三つ目として、影響が及ぶ期間あるいはその地域の話をさせていただきたいと思います。
主権者として意思表示ができる機会の違いですけれども、選挙の場合というのは、必ず数年間に一度というのはあるんですよね。投票者がやりたくないということを言ったとしても、必ずこれ、数年間に一度、投票の機会というのはあります。万が一そこで投票できなくなったとしても、数年後に、あいつはということで、いい政治家だから入れよう、あるいは悪い政治家だから落とそうという、その機会というのはあるわけです。
ですけれども、これ、先ほど申し上げさせていただいたかと思いますけれども、憲法改正に関しては、一回そこで投票し損ねたら、もしかしたら一生できないかもしれないと、取り返すということが果たしてできるのかどうかという、そういった点でまず一つ大きな違いというのがございます。
ですので、憲法改正の国民投票法を作るに当たっては、もちろん公職選挙法も綿密に作らなきゃいけないというのは当然ですけれども、それ以上に、本当に抜かっている人がいないかということに関しては綿密に点検する必要があるというふうに考えています。
二つ目ですけれども、その投票の対象の提供のされ方ということですけれども、選挙というのは必ず、例えば今年の十月までには衆議院選挙があるといったように法律に定められていますので、必ずこれも提供されます、法的に。
ですけれども、憲法改正国民投票に関しましては、衆議院の先生方、参議院の先生方、三分の二以上が賛成して、じゃ、これを出そうといったその題だけなんですよね。国民がこの題について投票したいとかということは、今の憲法九十六条ではそうなっていません。そうであれば、対象の提示のされ方というのも違います。
これはフランスの憲法学でプレビシットということが言われますけれども、例えばナポレオン一世、ナポレオン三世、ドイツの場合ですとヒトラーですけれども、国民投票を使って自分の地位とか権力というのを強化していったんですよね。よく政治的独裁者ほど国民投票を好むということが言われますけれども、フランスに関しましてはそういった考え方があって、プレビシット、国民投票というのは権力者に悪用される可能性があるということで非常に警戒的に見られています。
ドイツでは、ワイマール憲法時に国民投票というのはいろいろやられていましたけれども、あるいは、ヒトラーというのは、一九三八年のオーストリア併合も国民投票で正当化しています。国際連盟脱退、一九三三年もですけれども、国民投票で正当化しています。そういった形でどんどん自分の地位を国民投票で正当化していったという歴史がありますので、実はやっぱり国民投票には警戒的な歴史があります。今ドイツの憲法、グルントゲゼッツ、基本法ですけれども、一切国民投票はやられていません。
ですので、権力者が出したものに関して、本当にそれでいいのかというのをしっかりする、確認する機会というのが必要なんだと思います。そこは二つ目になります。
今度、三つ目ですけれども、投票の及ぶ期間あるいは地域ですけれども、選挙の場合は、例えば参議院の場合は六年後に必ず選挙があります。国民の審判を受けるわけですけれども、繰り返しになりますけれども、これも憲法改正の場合は何年になるか分からないと。
地域の話、今度させていただきますけれども、衆議院の小選挙区であればそこの地域だけかもしれませんけれども、憲法改正といえば沖縄の投票が実は北海道まで関わると、全国に関わるわけです。こういったように、だから、地方だからとかいう話じゃなくて全域に関わると。いろんなところでこういう違いがあるということは紹介させていただきたいと思います。
この問題で、ちょっと済みません、長くなってしまいますけれども、繰延べ投票の告示期間の短縮のことを考えますと、やっぱり先ほど私申し上げさせていただいたかと思いますけれども、例えばどこかの地域で繰り延べましたといったときに、そこだけ繰り延べればいいのかという話が出てくると思うんですよね。少なくともですけれども、開票に関してはこれできないと思います。そこら辺もやっぱり御議論いただければというふうに思います。
ですから、外形的事項だから単純でいいということは言えないんじゃないかということは、先ほどから申し上げさせていただいている内容になります。
江
江崎孝#26
○江崎孝君 ありがとうございます。
私も、国民投票は、例えて言えば日本国全体を選挙区とする最大の小選挙区制度みたいに考えるわけですね。
どこかの地域で自然災害が発生した場合、投票実施が困難になった場合は、その地域の国民だけ繰延べ投票することはできない。なぜならば、既にほかの地域の投票結果が判明しているからです。繰延べするならば、全国一律、ある程度の期間を設けて行わなければならない。そうしないと投票の公平、公正性が保てない。都道府県単位が最大の選挙区である公職選挙法とは全く違うと私は思います。それと並びに扱うことでよしとした発議者の意図が全く分かりません。
先生おっしゃったように、二〇〇五年の最高裁判決で、在外投票に関して公平公正、法の下の平等に違反すると違憲判決が出ました。私は、今回の提出の国民投票法案も、このまま成立すれば違憲訴訟となり、再び違憲判決もあり得ると思っていますけれども、飯島先生のお考えをお聞きします。
この発言だけを見る →私も、国民投票は、例えて言えば日本国全体を選挙区とする最大の小選挙区制度みたいに考えるわけですね。
どこかの地域で自然災害が発生した場合、投票実施が困難になった場合は、その地域の国民だけ繰延べ投票することはできない。なぜならば、既にほかの地域の投票結果が判明しているからです。繰延べするならば、全国一律、ある程度の期間を設けて行わなければならない。そうしないと投票の公平、公正性が保てない。都道府県単位が最大の選挙区である公職選挙法とは全く違うと私は思います。それと並びに扱うことでよしとした発議者の意図が全く分かりません。
先生おっしゃったように、二〇〇五年の最高裁判決で、在外投票に関して公平公正、法の下の平等に違反すると違憲判決が出ました。私は、今回の提出の国民投票法案も、このまま成立すれば違憲訴訟となり、再び違憲判決もあり得ると思っていますけれども、飯島先生のお考えをお聞きします。
飯
飯島滋明#27
○参考人(飯島滋明君) 先ほどの私の主張とちょっと重なってしまうところがあるかもしれませんけど、御容赦いただければと思います。
ちょっと二〇〇五年の九月の最高裁判所の判例というのを、私、読み上げさせていただきます。こういうふうに言っています。憲法は、前文及び一条において、主権が国民に存することを宣言し、中略、点々々になりまして、国民に対し、主権者として、両議院の議員の選挙において投票することによって国の政治に参加することができる権利を保障していると、こうやって判示しています。その上でですけれども、やむを得ない事由がない限りを除き、外国にいる日本人が投票できない、これは憲法違反だというふうに十五条一項なんかを挙げていますけれども、だけではございません、最高裁判所は憲法違反だというふうに言っています。
先ほどから申し上げさせていただいているかと思いますけれども、やっぱり選挙と違いまして、一回投票したらもう一生できないかもしれないと。こういう機会を逃さないように綿密な制度設計というのが必要だと思いますけれども、実はそういった観点から見ますと、先ほど申しましたけれども、洋上投票であるとか不在者投票というのはやっぱりどうなんだろうかと。やっぱりそこが問題になるのではないかと思います。やむを得ない事由だと言えるのかと、やっぱりそれは言えないのではないかと思います。
こう考えますと、実はこういった状況がないのに投票できないということであれば、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反とされる可能性というのはあるのではないかと思います。
繰り返しになりますけれども、要介護五の人たちに今の郵便投票というのは限定されていますけれども、やっぱり三でも正直言って私は厳しいんだと思います。新型コロナウイルスに感染して保健所の指示で投票できない人たちがいる、自宅でいろ、あるいは宿泊施設にいろと言われている人たち、これがやむを得ない事由と言えるのかどうかと、こういった人たちに対する投票できない状況を放置しているということは、これは裁判所の言葉を使えば立法不作為であって、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反とされる可能性というのは私は否定できないんじゃないかと思います。
あとですけれども、国民が投票できるということに関してもちょっと言わせていただきたいなと思いますけれども、二〇一六年のあのイギリスのEU離脱に関する国民投票、あるいはアメリカの大統領選挙に関してですけれども、ケンブリッジ・アナリティカ社が影響を与えた事例というのがやっぱりあるかと思います。外国政府、あるいはですけれども外国の企業なんかが日本の憲法改正に対して影響を及ぼすような事態、これが国の在り方を決めるのは国民という国民主権から正当化されるのかというのは私は真摯に考えた方がいいんだと思います。
そう考えますと、なぜこの話をしたかといいますと、こういった状況が放置されているままで、じゃ国民投票やりましょうなんて言ったら、場合によっては、やっぱり国の在り方を決めるのは国民だという国民主権から正当化できるのか、憲法違反ということになりかねないんじゃないかという辺りも発言させて、証言させていただきたいと思います。
この発言だけを見る →ちょっと二〇〇五年の九月の最高裁判所の判例というのを、私、読み上げさせていただきます。こういうふうに言っています。憲法は、前文及び一条において、主権が国民に存することを宣言し、中略、点々々になりまして、国民に対し、主権者として、両議院の議員の選挙において投票することによって国の政治に参加することができる権利を保障していると、こうやって判示しています。その上でですけれども、やむを得ない事由がない限りを除き、外国にいる日本人が投票できない、これは憲法違反だというふうに十五条一項なんかを挙げていますけれども、だけではございません、最高裁判所は憲法違反だというふうに言っています。
先ほどから申し上げさせていただいているかと思いますけれども、やっぱり選挙と違いまして、一回投票したらもう一生できないかもしれないと。こういう機会を逃さないように綿密な制度設計というのが必要だと思いますけれども、実はそういった観点から見ますと、先ほど申しましたけれども、洋上投票であるとか不在者投票というのはやっぱりどうなんだろうかと。やっぱりそこが問題になるのではないかと思います。やむを得ない事由だと言えるのかと、やっぱりそれは言えないのではないかと思います。
こう考えますと、実はこういった状況がないのに投票できないということであれば、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反とされる可能性というのはあるのではないかと思います。
繰り返しになりますけれども、要介護五の人たちに今の郵便投票というのは限定されていますけれども、やっぱり三でも正直言って私は厳しいんだと思います。新型コロナウイルスに感染して保健所の指示で投票できない人たちがいる、自宅でいろ、あるいは宿泊施設にいろと言われている人たち、これがやむを得ない事由と言えるのかどうかと、こういった人たちに対する投票できない状況を放置しているということは、これは裁判所の言葉を使えば立法不作為であって、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反とされる可能性というのは私は否定できないんじゃないかと思います。
あとですけれども、国民が投票できるということに関してもちょっと言わせていただきたいなと思いますけれども、二〇一六年のあのイギリスのEU離脱に関する国民投票、あるいはアメリカの大統領選挙に関してですけれども、ケンブリッジ・アナリティカ社が影響を与えた事例というのがやっぱりあるかと思います。外国政府、あるいはですけれども外国の企業なんかが日本の憲法改正に対して影響を及ぼすような事態、これが国の在り方を決めるのは国民という国民主権から正当化されるのかというのは私は真摯に考えた方がいいんだと思います。
そう考えますと、なぜこの話をしたかといいますと、こういった状況が放置されているままで、じゃ国民投票やりましょうなんて言ったら、場合によっては、やっぱり国の在り方を決めるのは国民だという国民主権から正当化できるのか、憲法違反ということになりかねないんじゃないかという辺りも発言させて、証言させていただきたいと思います。
江
江崎孝#28
○江崎孝君 ごもっともだと思います。
先生今言われたように、非常に憲法違反の疑いが強い本法案です。これほど不備な法案が衆議院で成立して参議院に送られてきたことに対して、私は立憲制に基づく法治国家としての議論の未成熟さにもう極めて驚くばかりです。加えて、法案が成立すれば、憲法改正の審議や発議が可能になるとする、歓迎する声も聞くわけです。
先生は、この法案の内容のままで憲法審議あるいは発議が可能だとお考えですか。そこを明確にお答えいただけますか。これは飯島先生にお聞きします。よろしくどうぞ。
この発言だけを見る →先生今言われたように、非常に憲法違反の疑いが強い本法案です。これほど不備な法案が衆議院で成立して参議院に送られてきたことに対して、私は立憲制に基づく法治国家としての議論の未成熟さにもう極めて驚くばかりです。加えて、法案が成立すれば、憲法改正の審議や発議が可能になるとする、歓迎する声も聞くわけです。
先生は、この法案の内容のままで憲法審議あるいは発議が可能だとお考えですか。そこを明確にお答えいただけますか。これは飯島先生にお聞きします。よろしくどうぞ。
飯
飯島滋明#29
○参考人(飯島滋明君) 逆にこれ、先生方に私考えていただきたいなと思いますけれども、さっきケンブリッジ・アナリティカ社の話、させていただいたかと思います。外国政府、外国企業が日本の憲法改正にネットなんかの情報を使って操作して、世論操作をしてしまう、そんな影響を国民投票が受けるかもしれないという状況が放置されているのに、国民投票やりましょうとなるんでしょうかね。私、そこは参議院の先生方に十分御審議いただきたいんだと思います。
やっぱり国の在り方を決めるのは国民だという国民主権からすれば、非常に問題があるのではないかと。そんな状況で国民投票ができるのかどうかというのは言わせていただきたいと思いますし、これも先ほどから申し上げさせていただいているかもしれませんけれども、投票できない国民がいるというのは、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反なんですよね。そこが、私、今の法で、言い方ですけど、解消されているというふうには私は思えません。ですから、こんな状況で憲法改正の発議なんというのは、それこそやった段階で憲法違反になる可能性が否定できないということはまず紹介させていただきたいと思います。
憲法改正の審議の話なんですけれども、これ、法的審議ができないかどうかというのはやっぱり議論あると思います。ただ、ちょっとやっぱりここも考えていただきたいなと思いますのが、今それをやる時期なのかということをやっぱり非常に考えていただきたいなと思うんですよね。
私、余り個人的なこと言うのはどうかなと思いますけれども、今日、父親が緊急に入院しました。この後、本当だったらお見舞いに行きたいんですけれども、行けないんですよね。なぜかというと、コロナです。こういう国民の人って今たくさんいると思うんですよ。まだ、言い方ですけど、お見舞い行けないというぐらいならいいのかもしれませんけれども、コロナにかかっているにもかかわらず、病院に入れません、自宅で待っていてくれ、亡くなっている人なんというのも報じられているわけですよね。こういう状況の中で、果たしてやっぱり憲法改正だ何だという議論、今やるべきなのかというのは本当に考えていただければというふうに思います。
もっと言いますと、先ほど国会法百二条の六という言葉が紹介されたかと思います。これは憲法改正の原案、あるいは国民投票に関する法律案、これを審議するということになっていますので、法的にこの審議ができないと私は思いません、この条文を見る限り。ただ、それと並んでですけれども、先ほど紹介があったかと思いますけれども、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合な調査を行うこと、これが憲法審査会の任務とされているんだと思います。
さっき私は医療体制の話もしましたけれども、実は昨日、大学からここに来るとき、学生の相談を受けまして、もう経済的に苦しいんだ、何とかしてくれ、どうにかならないかという学生から相談を受けてきました。一人や二人じゃありません。もう授業料、バイトがないということで、やっぱり、授業料どうしようかという学生、少なからずいるんですよね。その学生たちが憲法二十六条に言う教育を受ける権利が保障されていると果たして言えるのかどうか。聞くだけでやっぱりこっちは心が痛いですよ、正直言って。バイトがもうなくなってしまっている、ですからもう働けないんだという学生。あるいは、親が倒産して数千万円の借金を抱えているという人たち。そういった人たちに対する対策の方が私は先なんではないかというふうに思います。
さっき、世論調査で新聞が五〇%だ七〇%だという議論見ましたけれども、先生方の周りでそう言っている方ってどれぐらいいるんですかね。私、学生見ていても、いないですよ、まず。ですから、やはりそこを少し考えていただければというふうに思います。
この発言だけを見る →やっぱり国の在り方を決めるのは国民だという国民主権からすれば、非常に問題があるのではないかと。そんな状況で国民投票ができるのかどうかというのは言わせていただきたいと思いますし、これも先ほどから申し上げさせていただいているかもしれませんけれども、投票できない国民がいるというのは、最高裁判所の判例に照らしても憲法違反なんですよね。そこが、私、今の法で、言い方ですけど、解消されているというふうには私は思えません。ですから、こんな状況で憲法改正の発議なんというのは、それこそやった段階で憲法違反になる可能性が否定できないということはまず紹介させていただきたいと思います。
憲法改正の審議の話なんですけれども、これ、法的審議ができないかどうかというのはやっぱり議論あると思います。ただ、ちょっとやっぱりここも考えていただきたいなと思いますのが、今それをやる時期なのかということをやっぱり非常に考えていただきたいなと思うんですよね。
私、余り個人的なこと言うのはどうかなと思いますけれども、今日、父親が緊急に入院しました。この後、本当だったらお見舞いに行きたいんですけれども、行けないんですよね。なぜかというと、コロナです。こういう国民の人って今たくさんいると思うんですよ。まだ、言い方ですけど、お見舞い行けないというぐらいならいいのかもしれませんけれども、コロナにかかっているにもかかわらず、病院に入れません、自宅で待っていてくれ、亡くなっている人なんというのも報じられているわけですよね。こういう状況の中で、果たしてやっぱり憲法改正だ何だという議論、今やるべきなのかというのは本当に考えていただければというふうに思います。
もっと言いますと、先ほど国会法百二条の六という言葉が紹介されたかと思います。これは憲法改正の原案、あるいは国民投票に関する法律案、これを審議するということになっていますので、法的にこの審議ができないと私は思いません、この条文を見る限り。ただ、それと並んでですけれども、先ほど紹介があったかと思いますけれども、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合な調査を行うこと、これが憲法審査会の任務とされているんだと思います。
さっき私は医療体制の話もしましたけれども、実は昨日、大学からここに来るとき、学生の相談を受けまして、もう経済的に苦しいんだ、何とかしてくれ、どうにかならないかという学生から相談を受けてきました。一人や二人じゃありません。もう授業料、バイトがないということで、やっぱり、授業料どうしようかという学生、少なからずいるんですよね。その学生たちが憲法二十六条に言う教育を受ける権利が保障されていると果たして言えるのかどうか。聞くだけでやっぱりこっちは心が痛いですよ、正直言って。バイトがもうなくなってしまっている、ですからもう働けないんだという学生。あるいは、親が倒産して数千万円の借金を抱えているという人たち。そういった人たちに対する対策の方が私は先なんではないかというふうに思います。
さっき、世論調査で新聞が五〇%だ七〇%だという議論見ましたけれども、先生方の周りでそう言っている方ってどれぐらいいるんですかね。私、学生見ていても、いないですよ、まず。ですから、やはりそこを少し考えていただければというふうに思います。